第6話 グリモアの効力
ヒカゲの家を訪れると、カズラが勢いよく扉を開けた。
「あっ、アスカさんにリーナさん。こんばんは!」
「こんばんは、カズラくん。ヒカゲくんって居るかな?」
「あっ、居ますよ! お兄ちゃん部屋にいると思います。どうぞ入ってください!」
ヒカゲの部屋に向かう途中で、カズラが背伸びをしながらアスカにそっと耳打ちした。
「アスカさん……今日って、お兄ちゃん学校サボりました?」
「……一緒に家を出てるんじゃないのか?」
「別ですよ。お兄ちゃん、いつも一人で行きたがりますから。普段は先に行っちゃうんですけど、今日は僕を先に行かせたがるから、ヘンだなあって。……学校で何かあったのかなぁ」
一瞬、背筋が凍り付く。――もしかしたらカズラは、俺が今までヒカゲにしてきたことに気付いているのかもしれない。
「……どうかしました?」
「いや、なんでもない。……また冷たい麦茶お願いできるか?」
「もちろん! リーナさんも同じものでいいですか?」
「あっ、……そしたら、温かいお茶にしてもらってもいい? 手間で無ければ」
「じゃあ後でお兄ちゃんの部屋に持っていきますね! ではっ」
カズラは玩具の兵隊のような敬礼をしてから、とたとたと廊下を駆けて行った。
ヒカゲの部屋に辿り着くと、そこには思っていた通りパジャマ姿のヒカゲが居た。
「あれ、アスカとリーナだ。どうしたの?」
「どうしたの? じゃねーよ……何フツーに休んでんだよ、グリモアに夢中か? このやろ」
アスカが笑いながらヒカゲを羽交い締めにする。そんな風にじゃれ合う二人を横目に、リーナは勉強机の上に置かれた紙束に手を伸ばす。
「ヒカゲくん、これは何?」
「ああ、それは僕が書いた小説だよ。掃除してたら出てきたんだ」
表紙には『妖精の王様』と書かれていた。酷い目に遭って片翼を失った心優しい妖精が、命を狙ってくる悪魔たちから逃げつつ、自らの身体を犠牲にしてまで傷付いた人々を癒やし続け、最終的に妖精の民をまとめる優しい王様になるというストーリーだ。
「ああ、そういえばそれ俺も一緒に考えたよな。……最後が良くわかんなかったけど」
「あなたに文学は難しすぎたんじゃない? 大好きなゲームでもしてなさいよ」
「文学の方が偉いとかそんなんねーから! 舐めんなよ歴代の名作RPGたちを!」
「小説もゲームもいいけど早く異世界に行こうよ。昨日書いた『小さな集落』と、『山』に『谷』、後は『森』も書いたでしょ。それに『植物』や『動物』がどうなるのか楽しみだよ」
これまでグリモアを試してきて、いくつかわかったことがあった。まず一つは、グリモアに記述した内容は二十四時間経たないと、その変化が世界に反映されないということ。
「……で、なんでお前は螺旋草(らせんそう)なんて持って来てんだ?」
異世界にしか生えない植物を手にするヒカゲに、アスカが突っ込む。
「ん? いや記念にさ。飾っとこうかな――って、うわぁ、消えたっ!」
ヒカゲが驚きの声を上げる。ヒカゲの目の前で螺旋草が“消失”したのだ。
「……あっちの世界から持ち運んだものは、消えてしまうってことかしら」
「そうっぽい。……あー、きっかり一時間だね。僕がこれを持ち帰ってから」
「なんだよー、じゃあドラゴンが生まれても連れてこれないってことかー」
「ちょっと、そんなもの連れてこようだなんて考えないでよ! そんなことばかり考えてるから大変な事件を巻き起こすのよ、あなたは。“あのとき”だって、大変だったんだから……」
「ぐっ……そ、それは……反省してるけど」
「あれはアスカが勝手なことするから……」
「でも、ほんとに面白かったわ、あれ。ふふ」
リーナが堪えきれずにくすくすと笑い始める。
「おいちょっと待てよ、全然笑うとこじゃねーって! ほんと助かったの奇跡だからな、あれ! ……つーかリーナ、お前笑いすぎだぞ!」
――グリモアの記述者には、強いイメージや巧みな創造力が求められる。
これが曲者で、たとえ無茶苦茶過ぎる内容を書き込んだとしても、記述者のイメージと、その文章から“グリモアが辻褄を合わせた形で世界に反映される”。筆を取った当人の意図と違っていても、それはそのまま現れるというわけだ。
以前アスカは何も考えずに『空が飛びたい』とだけグリモアに書いたことがあった。すると翌日、異世界に訪れたときにアスカだけが突然宙に浮かび上がり、そのまま空高く飛んで行くという事件が起きたのだった。
アスカは『異世界に滞在する存在すべてが飛べる』と思ったのではなく、あくまでも自分だけが空を突き進んでいく姿を無意識に想像しながら書き込んだためである。そのため着地という概念も存在せず、空の彼方へと消えていくように思えたが、ヒカゲがアスカの記述した内容に二重線を引いたお陰で、これは帳消しとなった。これも新たなグリモアの効力の一つだ。
「だって、ものすごい顔で泣きながら空から落っこちてきたんだものっ……しかも自業自得っていう……ふふ、あはは。もうだめ、お腹痛い……やだ。助けて……お願いっ……」
リーナは腹を抱えて眦に涙を浮かべた。普段は堅物だが、意外にも笑い上戸なのである。
「僕が『クッション吸収材リーフ』を創ってなかったら、絶対アスカは死んじゃってたよ」
「ふふ、ヒカゲくん……もうそれ以上言わないで。アスカくんが死にかけたあの事件の要因が子供っぽ過ぎてなんか余計に面白く思えてきちゃうからっ、ふふっ」
「くっ……! もうお前らなんて知らんっ!」
顔を真っ赤にしたアスカが、ふて腐れて背を向ける。だが、背後から聞こえてくる二人の笑い声はとても温かくて、アスカの胸の中にすっと入り込んでくるのだった。
楽しい。アスカは、久しぶりにそんな想いを胸に抱いた。こうして三人で会うようになってからというもの、毎日が非日常だった。
現実で、それぞれが暗い過去や後ろめたいことを煩っているのも知っている。
でも、それでも――この出会いに、アスカは感謝していた。
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