第4話 名はグリモア


「嘘……何、ここ」

「あー、バレちゃったか」


 ヒカゲがニヤリと唇の端を上げてから言った。


「ここは……僕が創った異世界だよっ!」

「異世界……? ど、どういうこと……?」

「おいヒカゲ、なんだよこれ! この前と全然違う世界になってんじゃねーか!」

「……フッフッフ。じゃあ昨日あった出来事を掻い摘まんで説明しちゃおうかな」


 ヒカゲは、昨日アスカと共に経験した不可思議な体験をリーナに聞かせた。本を開くと、扉以外何も無い世界に行ってしまうこと。その世界にある扉を通ると戻って来られるということ。本の記述と扉は、何かしらの共通点があること。


「そ、そんな……まさか信じられない。でも、この風景は……」


 リーナが丸くさせた瞳でキョロキョロと辺りを見渡す。アスカも、それに連なる。

 いつの間にか、大地が出来ている。昨日は足場の一つも無かったというのに。

 土色の渇いた大地には、ニョキニョキと螺旋状に巻かれた植物が所々生えていた。

 そのまま空を仰ぎ見る。水色にピンク、赤紫に薄黄色。まるで人気チェーン店のアイスクリームみたいにカラフルな空。雲は一切無く、代わりに赤や緑、青色に瞬く宝石のようなものが不自然に浮かんでいた。それに、甘いお菓子のような香りが微かに空気中に香っている。地平線の先には、極端に凹凸の激しい山や丘が見える。まだ創作途中とでも言いたげだった。


 もう信じるしかなかった。間違いなく――ここは異世界。


 未だ寂しい感じは否めない。だが、アスカが知っていた異世界は、昨日の時点で扉しか存在しなかった。それが来てみればこんなにも立派な世界が広がっている。これらを夢想し創世したのが目の前のヒカゲであることに、アスカは戸惑いが隠しきれなかった。


「ヒカゲ、この光景は……お前があのときその本に書いたからなのか?」

「うん。実はあの後いろいろ実験してみたんだ。その結果、一つの確証を得たよ」

「なっ……! お前……まさか一人であそこを出入りしたのか!?」


「もちろん」悪戯な表情で笑うヒカゲ。

「この本、世界を創り出せる本だった。だから、今後はグリモアって呼ぼうと思う」


 アスカが今まで見てきたどんな笑顔より、今のヒカゲは嬉しそうな顔をしていた。


「ね、アスカ、凄いでしょ! これ全部僕がグリモアで創ったんだよ」


 にこにこ笑みを浮かべるヒカゲが、足早にアスカの元へと駆けてくる。彼の腋にはこの異世界を創世した根源であるグリモアが挟まれていた。


「ヒカゲ……ちょっと中身を見せてくれよ」


 ぺらぺらと羊皮紙をめくっていく。ヒカゲの筆跡が次々に瞳へ飛び込んでくる。


『大気は存在するが、この世界は宇宙に存在するわけではない』

『大地に生える植物が星屑と光合成を行うことで、突然変異が起こる。その際生まれる微小生物たちが、各生命体の呼吸器官へと酸素を運んでくれる。その際、フェロモンの発生により仄かな甘い香りがする。嗅ぐと幸せな気持ちになれる』

『太陽が無くともこの世界に存在する大地は、地表面が適度な温度を保ち続ける。大気と混合し常時適温を保つため、生物の生命線はこれにて維持される』

『雲や天候は存在しない。アイスクリームみたいな色の空をしている。金平糖や宝石のような星屑の欠片が空には浮いていて、夜になるとそれらが流星群となって大地に降り注ぐ。同時に虹のオーロラも出現し、ぶつかり合って様々な色に光る』


 アスカはぽかんと空いた口のままヒカゲに訊ねた。


「これ……全部お前が書いたのか」

「そうだよ。色々実験してみた。どうもグリモアに記述してからしばらく時間が経たないと書いた文言が世界に反映されないらしいんだ」


 先日ヒカゲが『広大な大地』と記述したとき、すぐに影響が現れなかった理由がそれらしい。

 アスカは身震いする。偶然手に入れた力は、この世の理を変えうるほど壮大なものだった。


「な、なんだよこれ…………めっちゃすげえじゃねえか!!」


 ヒカゲが同調するように声を上げる。


「だから言ったじゃん! すごいんだって!」

「本当に夢じゃないんだよな? 俺たちで世界をゼロから創れちゃうってことだろ!?」

「そうだよ!! これは、異世界創世のグリモアだよ!」


 興奮したアスカとヒカゲが頬を上気させながら語り合う。それを端から見ていたリーナが、怯えた表情で彼らに訊ねた。


「……楽しそうなところ悪いんだけど、これ、戻れるのよね?」

「ああ、それなら……あそこから帰れるよ」


 ヒカゲが指差す方向には、見覚えのある扉――『グリモアの出口』があった。

「なら一度戻りましょうよ。あまりに荒唐無稽過ぎて頭がおかしくなりそう。……もう、夢でも見てるみたい」


 リーナがよたよたとその場に崩れる。


「はは、みんな最初はそうだよ。大丈夫、そのうち慣れるって」

「なんでお前は悟った感じになってんだよ!」



 * * *



「――だから、ドラゴンだって」

「嫌よそんな野蛮なもの。もっと可愛いものがいい…………っあ」


 自分たちを容易に包んでしまう大きな葉の下で、リーナはしまったという表情で目を反らす。


「可愛いのが、なんだって?」アスカが意地悪く問いただす。

「……な、なんでもないわ」


 リーナは頬を微妙に染めながら、ぷいとそっぽを向く。二人は譲れない戦いの最中だった。


「ほら、そうケンカしないでさ。アスカがドラゴンでリーナが可愛い生き物ね、わかったよ」


 アスカは未だに信じられなかった。目の前の堅物女に、まさか少女趣味の傾向があるだなんて。家でお人形さん遊びをしているところまで想像する。


「てゆーかさ、俺たちはもっとイケメンになれたりしないわけ? フィクションだと異世界に行ったら容姿が変わったり強くなったりするだろ」

「あーなるほどね」

 ヒカゲがグリモアに羽根ペンを突き立てる。

「ちょっと試してみようか」

「マジ!? どうせならめっちゃ強くしようぜ。手から光線魔法とか出て山とか焼き尽くすの」

「えー……やだよ。そんなパワーインフレみたいなの」

「なんでだよ、いいじゃねーか! 別にこの世界なら何やってもいいんだし」


 ヒカゲは妙にリアルな加減にこだわる節があった。と言っても中学生である彼らの空想など、穴だらけの産物でしかなかったが。少年少女は未完成の異世界で、和気藹藹と様々なアイデアを出しながら、楽しいひとときを過ごした。

 学校で滅多に話をする仲ではなかったし、長い時間一緒にいたわけでも無い。

 それでも同じ秘密を共有し、喜びを分かち合えば――彼らはもう友達だった。


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