第3話 素敵な魔道書
「――え、それでずっと探してくれてたの?」
「まあ……な」
「別に……いいのに」
途端に無表情になるヒカゲ。特に喜んでいるようでもなかった。
アスカは握った補聴器を、ヒカゲの手のひらに返す。アスカからの謝罪は特に無かった。その奇妙な光景を隣で見ていたリーナは、眉間に皺を寄せたままアスカをギロリと睨む。
「……ヒカゲくん、いいの?」
「何が?」
「あ、あなたの現状よ。あれが……毎日続いて、大丈夫なのって聞いてるの」
「……なんのことだか全然わからないな。行こう、アスカ」
ヒカゲに急かされるように腕を引かれる。アスカはされるがまま歩き出した。
「ちょっと! 待ってよヒカゲくん! 教えてよ!! どうして当事者のあなたがそんなに平然としていられるの!? どうしてそんなにも強く生きられるの!? 明日から学校に来なくなったって、不思議じゃないのに!」
街中で叫ぶリーナに周囲を歩く人々が反応する。たくさんの人から注目されることに、彼女は既視感を覚えた。急に背筋がぞわりと凍り付く。すると――ヒカゲが踵を返す。
「……僕は、別にこの耳のことをおかしいとは思わない。ちょっと人より聞こえづらいってだけだ。生まれつき身長が低かったり、顔が不細工だったりするのとなんにも変わらないよ。そういうのをからかう連中の相手をしているほど、僕はヒマじゃないんだ。だから全然平気」
リーナには、前を歩く小柄な少年が大人に見えた。そして気が付けば、後を追っていた。
* * *
アスカがヒカゲのことをイジメないか監視すると言い張るリーナは、ヒカゲの家まで付いてきた。玄関にお邪魔すると、とたとたと木の板を叩く音が聞こえてきた。
「あ、お兄ちゃんおかえりー!」
兄と似た強めの天然パーマ。ぷっくりした頬がまだ幾らかの幼さを残す大きな瞳の少年。純真無垢という言葉がピッタリなヒカゲの弟、カズラが帰宅した兄を迎えにやってきた。
「カズラ、ただいま。ママの調子はどう?」
「うん。平気だよ。アスカさんもいらっしゃい。…………新しいお友達?」
カズラがアスカを一瞥してから、リーナに視線を移した。
「ええ、リーナよ。よろしくね」
「よろしくです! 僕、カズラって言います! お兄ちゃんがいつもお世話になってます!」
カズラの言葉に、アスカはいつも居たたまれない気持ちになる。カズラはヒカゲが学校で悲惨なイジメを受けていることを一切知らない。物語を紡ぐことが趣味の兄を慕い、誰よりも素晴らしい人だと信じて疑わない。そんな兄が学校の人気者で無いはずがないと。
「後で飲み物を持っていくね! みなさんは何が好きですか」
手のひらサイズのメモ帳を広げ、カズラは小さな鉛筆をさらさらと紙に走らせる。それを見た兄のヒカゲが、弟の頭にぽんと手を乗せて撫で付ける。
「麦茶しかないでしょ、カズラ」
「買ってくるよ! せっかくお兄ちゃんのお客様が来てくれたんだから! あ、なんでも言ってください、ジュースでも、コーヒーでも!」
その姿を見たリーナが、優しい表情でこりと笑う。
「……ありがとう、カズラくん。じゃあ、麦茶をお願いするわ」
「本当にそれでいいんですか? ……アスカさんは?」
「俺も麦茶でいいよ。……あ、でもそうだな……今回は特別に氷を入れてくれよ。キンキンに冷えたのが飲みてー気分なんだ」
指を立てるアスカを、リーナが横目で睨み付ける。
「図々しいのね。それに、こんなに寒い日に冷たいものを飲むの?」
「別にいいだろ、ほっとけよ。難癖つけてくんな」
「あ、温かいお茶にもできますよ! なんでも言ってくださいね!」
カズラは積極的にアスカたちの会話の中に入り、やがてリビングへと駆けて行った。後ろ姿を見送りながら、リーナが微笑む。
「良い子ね。カズラくん」
「そうだね。気配りもできるし、頭も良い。身体がちょっと弱いから、もうちょっと大人しくしてて欲しいところなんだけどね。……将来を考えると」
ヒカゲ一家は、奇病を患う母親と、左耳に障害を持つヒカゲ、身体の弱いカズラの三人家族。保険金と、小さな援助金が、この家の主な生活資金源だった。
母親の命は――そう長くない。ヒカゲが専属の医師にそう言われたとき、彼は真っ先に弟のことを想った。もし母が死んでしまったとき、兄である自分はカズラの支えでなくてはいけない。生きていくための、手本でなくてはいけない。
だから、ヒカゲは強く生きていこうと決めた。不自由な聴覚のことで罵詈雑言を浴びせられようが、弱音は一切吐かないのだと。一度として学校を休んだことは無かったし、イジメられているという事実を誰にも相談したことはなかった。不自由とはいえ、親に生んでもらった身体だ。ヒカゲは、障害者である自分をしっかりと受け入れていた。その外見に見合わぬ強いプライドと、屈強な意思こそが、彼の周囲を過分にエスカレートさせていくのだが。
ヒカゲの部屋を訪れたアスカたちは、おもむろにカーペットの上に座り始めた。部屋の中央に置かれた西洋の魔導書のような本を見つけたリーナが、瞳を丸くする。
「素敵な本ね。……とても雰囲気があるわ。なんて本なの?」
言いながらリーナが本を手に取る。ヒカゲが大慌てで飛び上がった。
「あっ! それに触ったらダメ!!」
ヒカゲがリーナから魔道書を奪い取ろうとしたとき、手がすべってカバーが開いてしまった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます