第4話『Clara』

 ボーデンプラッテ作戦。

 アルデンヌの森に展開する連合軍を包囲殲滅し、そのまま彼らをフランスの海岸、そしてドーバーへと叩き落とすのだという壮大な計画――『ラインの守り作戦』の支援ため、ドイツ空軍ルフトヴァッフェは西部戦線に残存する制空航空戦力のほとんどすべてを、この作戦に継ぎ込んだ。

 今日ではバルジの戦いやアルデンヌの戦い、あるいはバルジ大作戦と呼ばれている戦いの、もう一つの側面だ。

 君たちもちょっとは知っているかもしれない。

 彼は天候が回復し再びドイツ軍がヤーボに追い回されるのを阻止する為に、Bf109G-6の操縦席に乗り込み、整備兵たちに敬礼をし、白の7を僚機として飛び立った。

 

 ドイツ空軍は、八五〇機以上のFw190やBf109をこの戦いに投入した。

 ベルギー領内や北フランスの連合軍航空基地を奇襲し、そのほとんどを地上で粉砕、制空権を勝ち取ろうという作戦であり、ヨーロッパ、ひいてはドイツの空を取り戻すための戦いだ。戦争が始まったときの頃、あの輝かしいドイツの空を再び取り戻し、ドイツ空軍はここに在りと、敵味方に宣言する為に。

 

 しかし、ドイツの空は彼らの空ではないと信ずる高射砲部隊は、上空の大編隊を敵と思い込み、彼らを撃った。

 高射砲、機関砲が唸りをあげて上空へ砲弾を打ち上げ、友軍の戦闘機を次々に撃墜していく。

 飛散する砲弾の破片は液冷エンジンのカウリングを貫通すれば甚大な損害をもたらした。

 ある者は直撃を受けて粉々になり、ある者は火達磨になり、ある者は翼をもがれて墜落していった。

 こうして作戦参加機の四分の一を失いながらも、彼らはその行いをやめることはなかった。


 第11戦闘航空団ヤークトゲシュヴァーダー・エルフは、Fw190が四〇機、Bf109が二十四機。

 彼らの目標はベルギーのアッシュ付近に存在する、連合軍の前線航空基地『Y-29』である。

 ベルンハルト・シュレーゲルと、ギュンター・アイクの二人は、白の14と白の7の二機は、その中にいた。


―――


「俺を見失うんじゃないぞ、白の7」


 ベルンハルト・シュレーゲルはBf109G-6の操縦席で、定規で測ったような間隔をあけて飛ぶ友軍機たちを見ながら言った。

 倒立V型液伶DB605エンジンは唸りを上げて騎士というには泥臭く、貴婦人というには肥えた体のメッサーシュミットに力を注いでいる。

 モーターカノンにはMk.108機関砲を、そしてガンポッド二門もMk.108機関砲となっている。これはシュレーゲルの専用パッケージと言ってもいい。


 シュレーゲルは、東部戦線から西部戦線へ来てからずっと火力の申し子でいた。

 初速の遅いMk.108機関砲に慣れるためにどのような危険にも身をさらしてきたし、あのB-17の大編隊の中に真っ先に降下攻撃をしかけたことも、もちろんあった。復讐に囚われた一人の男のように振舞ったこともさえある。敵機の破片をインテイクに吸い込んでしまったことや、あわや空中衝突寸前といった至近距離での攻撃も行ってきた。

 それが求められていることだと知っていたから、彼はそうしてきた。

 ドイツ空軍ルフトヴァッフェはまだここにいると彼は叫ぶ為に戦ってきた。

 メッサーシュミット、109。グスタフ・ゼクス。軽量合金製の相棒とともに、彼は彼らとともに空を駆けていく。

 

『白の14。あなたの尻に穴があいてるのが見えるくらいには、こっちの目はいいですからな』


 陽気な声でギュンター・アイクが言った。

 シュレーゲルとアイクの会話はそれで最後だった。

 彼らとドイツの生み出した空の貴婦人たちは、全力で低空を駆け抜け、連合軍前線航空基地『Y-29』へ突撃する。

 ドイツ国境を越え、オランダを一跨ぎしここまでやって来た第11戦闘航空団ヤークトゲシュヴァーダー・エルフの面々は、広大な草原とぼた山のあるこの土地で、最後の空戦を交えることになった。これが正真正銘、最後と呼ぶに相応しい抵抗であったと私は確信している。

 その日、精鋭無比なるドイツ空軍第11戦闘航空団の列機たちは、新年のパーティで酔っ払った連合軍パイロットたちに襲い掛かった。


―――


 シュレーゲルは滑走路上、あるいは誘導路上、あるいは倉庫らしきものにめがけて機首の十三ミリ機関銃を短連射しながら基地上空を飛びぬける。整備兵やパイロットたちの姿もあったが、彼らに目掛けては撃たなかった。今更、彼らを殺しても仕方がないと思えたからだ。

 地上を走り回る整備兵たちや機体から飛び降りるパイロットたち、拳銃を片手に抗議に怒鳴り声をあげる者たちの顔がシュレーゲルには見えた。流線型のP-51マスタングや、樽のようなP-47サンダーボルトが見えた。そして、対空砲がやたらめったらに撃ちまくるのも見えた。


『くそ、こいつは乱闘だ。尻を追っかけるのも難しい』


 ノイズ交じりのアイクの声がシュレーゲルには聞こえたが、応答している暇はなかった。

 どこかからやってきたP-47の一団が、翼前縁に装備した八門の五十口径機関銃を乱射しながら、アメリカ軍の野戦飛行場上空でたむろしていた第11戦闘航空団の戦闘機郡に、突撃してきたからだ。まるで重騎兵の突撃のように躊躇いもなく突っ込んできたP-47を被弾面積を最低限に抑えるマニューバでいなしながら、シュレーゲルは素早くロールして地面すれすれまで降下してなんとか速度を稼ぎ出し、旋回して速度を失いつつあるP-47の集団に追随した。


 まるで鋼鉄の延べ棒が飛んでいるようだった。

 P-47サンダーボルトの集団は、その巨体を緩やかに旋回させている。

 だがそれをいつまでものんびりと待っているわけにはいかない。

 スロットルを押し込みエンジンの回転数をあげ、シュレーゲルは最後尾のP-47を照準器に捉える。

 

 いつ何時も、こうしてきた。

 空を飛ぶため、空を飛び続けるために、そして、己が家族と最愛の人を守る為にと。

 それが正しいことなのだと、報われる行為なのだと信じて、ここまで来た。


 偏差を修正し、さらにエンジンを酷使してシュレーゲルは操縦桿の引き金を引く。

 三門のMk.108機関砲が火を噴いた。豚の鼻のような短い砲身から吐き出された三十ミリ砲弾は、放物線を描いてP-47に直撃する。

 いくら頑丈であっても、いくら防弾装備を備えていようと、八十三グラムの高性能爆薬がそのすべてを吹き飛ばす。

 P-47は機体を真っ赤に燃やしながら、黒煙を吐きながら雪の積もる地面に落ちていった。

 

 やることは、単純だ。

 願うことも、多くはない。

 けれども、シュレーゲルの願いは破綻していた。


 今ここで彼が戦う理由などは、惰性か、はたまた、空を飛ぶためだけという不確かなものでしかない。

 P-47とP-51が、Bf109とFw190が、己と機体を限界まで酷使しながら戦いあうこの戦場においてなお、シュレーゲルは今一度原点に立ち返り、長い道のりに最後の時を刻もうとしている。

 高高度で爆撃機を相手にする戦いではなく、今、彼らは戦闘機同士の殺し合いをしていた。 

 握り込んだ操縦桿を忙しなく動かし、ラダーペダルを踏み込み、梟のような目で敵を探す。

 ともすれば息をすることさえ忘れそうな中で、シュレーゲルはただ純粋に、ただ敵を撃つ。


 引き金を引き、命中すれば敵は落ちていった。

 引き金を引き、外れれば敵は猫のような動きで機を翻して回避行動に入る。

 スロットルから手を離してフラップをさげ、旋回半径を小さくしながらシュレーゲルは追撃する。

 低速度域では敵のP-51もP-47も、メッサーシュミットの敵ではない。


 彼らは重すぎる。

 メッサーシュミットは軽く、俊敏で、意のままに動いた。

 まるで騎馬を駆る騎士の如く、それは荘厳に空を行く。


 削岩機のような重々しい発砲音が響く。

 まるで鞭のようにしなりながら曳光弾が飛び、ブリキの玩具のように敵機が弾ける。

 曇天の下、昔なつかしい格闘戦を興じながらシュレーゲルの心は躍る。


 古参の兎は跳ね回り、生き生きとしながら機関砲を轟かせる。

 彼の後ろにしっかりと付いてきていた別のメッサーシュミットもまた、そうして空を駆けた。

 まるでここが自分らの空であると主張するかの如く、彼らは勇猛に、自由に飛んだ。


 やがてどれがメッサーシュミットか、マスタングか分からなくなるような混乱が空域を支配する。

 曳光弾が空を彩り、火炎と黒煙が戦闘機を舐め回しながら雪原へと落ち、どれもこれもが滅茶苦茶に潰れた。

 青っ鼻のマスタングが主翼前縁を発砲炎で煌かせ、フォッケウルフやメッサーシュミットを駆逐していく。


 そうして、かつての栄光の残り香を最後に一層強く燃やして、作戦は終わりを告げた。


 ―――この作戦を持って、ドイツ空軍は実質的抵抗能力を喪失したのだ。



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