第2話 僕の声 と

 祠も、四方に迫る真空にも、記憶に思い当たる節がない。水と見た漣も、一向衣へ染み入る気配もなくただ踝を揺蕩って、因と感じた冷気は祠のものと解らずとも直観に判らせる。膚に拉いでいた爛熱の名残さえゆかしいほどだった。

 恐怖も度が過ぎると胆がでんぐり却って据わる。僕は尻餅のまま考えた。なんぼ酔っても走馬灯に祠が出るほど味気ない人生を歩んでおらぬと信ずる。すわこれが世に持て囃されるべき異世界転生の顕現ではないか。さらば僕こそ勇者、救世主、将又魔王か。若気けかけた喉元が噦りのように跳ねて聞き慣れた音が耳元にわんと響いた。

「こちや、よ、来よ」

 僕か?僕が何か言ったか?喋ろうと思わなかった。だが確かに咽喉が震えた。

「来よ、渡れ」

 何?呼吸が遅れ息が詰まる。夢に口を開いてうつつに吐くと驚ろいて目の醒める事がある。魂は声に乗ってのみ還る。今、判然した自我が囈言を喘ぐと夢に手招かれる惧がある。

「う、が」自分の意思でも口は動く。此処は現である。声は何処にも当たらず、出づ処で消える。また、ヒクリと予兆が来た。気色悪い。黙れ、黙「「レッ」」今度は二重に頭へ響いたがそれぎりだった。よくわからないものが、よくわからないことをしている。僕はなにかわからないものに一寸苛々してきた。

「何なんだよ。何がしたいんだよ」

「ぴぃ」

ぼちゃん。

すう、と急に咽喉の蘞っぽさが鼻に抜け、額の辺りから白い塊が転び出て、落ちた。塊は水面を四方に砕き、玉虫色に煌めいたかと思ううちに見えなくなった。

「あ。あー」咽喉を摩っていると、また僕の−−−外から聴くと幾らか高い−−−声が、前方から飛んできた。

「いで、たもれ。とくきけ、かの縄はなて」

祠か。祠から僕の声がする。何を言っているかはともかく、抑揚がない。態とらしい。

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かみさま 三雲屋緞子 @mikumoyamikumo

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