かみさま
三雲屋緞子
第1話 よっぱらい と
地の底から蒸れた陽炎が渾々滲み出てくる。空を灼く夕陽はとうに愛宕の稜線に熔けていまは残滓もないが、熱はいつまでも
僕は汗みづくで家路を辿っていた。
かつては碩学の先達が思惟に耽りそぞろ歩いたと名にし負う哲学の道は、洛外の夏にあってただただ熱波と蒸気の苦行を強いる血道でしかない。
あまつさえ、不定期に僕を襲う孤独感が、いま幸いと妙にのしかかってきていた。砂利道を緩く画る塀の奥からちらちら漏れる灯火がどうにも胸に堪えて仕方がない。無性に寂しい。人恋しい。
端的に言って、飲み過ぎた。滾るままに騒ぎ遊んだが、耳に残るどよめきはすでに追う果てしもなくて、あれだけ喧々諤々した悪友は日の
ともすればこのまま傍石を枕に寝てしてしまえという悪魔の囁きに膝を折ってしまいたくなる。歩む足はほとんど振り子の惰性。そろそろ高さが足りない。ダメよ、と脳内の天使がシンバルを際に構えて耳元に囁く。家に帰るまでが飲み会よ。前へ進みなさい、前へ。わかってるよ、と双肩の妄念を篩い落す。
ふと、虫の声が途絶えた。街灯の白々しい光も、川面の漣も消えた。闇は目の奥にひっついて、吸い寄せられるように前に振った左足は空を掻いた。
端に朱色が掠めた気がした。
下ろした踵は地を掴まずに踏み抜いた。あれ、と思う間もなく潺と泡く飛沫が迫り、伸ばしかけた蹠に砂利が触れた途端反っくり返って尻から落ちた。痛みに一泊遅れて冷気が腹を浸した。脳味噌に詰まった泥が爆ぜ飛んだ。こういうとき蘇るのは走馬灯というのだったか、刹那に脳裏を過ったのは下宿の枕だった。
「つめてぇ!」
ヒィ、攣った悲鳴が喉を絞った。疎水に滑ったのだ!浅瀬とはいえ流れは速い、いくら酔っていたとはいえ不覚だった。早く上がらねば、と周章て見上げた眼を白いものが引っ掛けた。祠が。路地の門々に鎮座しているのと似た造の。朽ちかけた祠が目の前にあった。元は貴き朱を戴いたであろう殿は褪せて木地を露し、垂木に絡げた注連縄ばかりが瑞々しい。
ここはどこだ?
酔いが一気に醒めた代わりに、重苦しい不安が湧き上がってきた。
ここはどこだ?
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