【勇者】加室啓介

 先程までの馬鹿にした笑みは消え、無表情で俺を見下す。その佇まいは【勇者】そのもので、しかしその瞳には憎悪しか燃えていない。


「テメェはここで潰す…!」


 その好機を逃すはずもなく、加室は一気に加速すると、俺の脳天をかち割るように斧を振り下ろした。


「――っ!」


 間一髪で感覚を取り戻した俺は、右に体を投げ出すことで回避する。斧が地面に当たった瞬間、轟音と衝撃が俺の体に衝突する。その勢いを殺すことはできず、大きく吹き飛ばされた俺は背中から壁に激突した。


「かっ、はぁっ!」


 あまりの痛さに意識が飛びそうになる。何とか繋ぎ止めながら攻撃の方向を見ると、そこにはホールの大理石をぱっくりと2つに割る大きな亀裂が入っていた。その発生源は言わずもがな、加室だった。


 加室は俺の方に足を向けると、一歩ずつ確実に歩いてくる。その目にはただただ怒りだけが、憎悪だけが揺らいでいて、その姿はまるで復讐を遂げようとする戦士のように見えた。


「前からテメェは気に食わなかったんだよ〝無能〟。今なら、今ならお前を――」


 殺せる。


 その瞬間、俺の心は恐怖で染め上げられた。

 所詮俺は力のない〝無能〟。どれだけ場数を踏もうが、どれだけ知恵を振り絞ろうが、どれだけ鍛錬を積み上げようが、目の前にいる【勇者】たちに敵うことはない。長年かけて気付き上げた〝努力〟は、たった一つの〝才能〟に呆気なく敗北する。


 そんな、世界の真理を否が応でも思い知らされた。


「終わりだ、〝無能〟」


 斧を振り上げ【勇者】加室啓介は告げる。


「消えろ」


 その声とともに無慈悲に振り下ろされる斧。ただ見ていることしかできなかった俺だったが。


「何やってるんだ?」


 その声によって、凶悪な刃は鼻先すれすれで静止した。


「チッ…玖島ァ」


 加室の憎々し気な声を聴きながら奴の見ている方向に目をやると、そこにはザ・主人公、玖島真正がいた。


「ここで何をしているんだ」

「なにって…そんなの決まってんじゃねぇかよぉ…!」


 玖島の静かな声に我を取り戻したのか、加室は先程の様な下賤な笑みを浮かべると、仰々しく叫び散らかした。


「俺らがやっとのことで帰ってきて一息ついてるときに、この〝無能〟は『俺と勝負しろ』なんて抜かしやがったんだぜ? 城で一人だらだら過ごしてたこいつが、疲れ果てた俺らに上から目線でああだこうだ...」


 加室の口は止まらない。


「せっかくだからって俺ら全員で稽古つけてやろうとしたら、あろうことかこいつ、自分の傍付きを盾にしやがったんだよぉ! 考えられねぇだろ? 俺らにあの可愛い子を傷つけられねぇって分かっててやりやがったんだよ。お前、そんなの許せねぇよなぁ!」

「…そうだな」

「こいつらはなんとか止めようとしたんだが、卑怯技の連発でやられちまったんだよ。だから俺が、思い知らせてやろうとしたんだよぉ!」


 加室は一際深い、昏い笑みを浮かべて言った。


「【勇者】として、な」


 玖島は加室の言葉に納得がいったような表情をしている。それを感じ取ったのか、加室はさらに言葉を繋ぐ。


「だからよぉ玖島、あんな奴、さっさと追放――」

「でも、君がエントランスに傷をつけたことに変わりはない」


 しかし、その言葉は玖島の冷たい声に遮られる。


「い、いやっ、だがなぁ――」

「稽古を付けるなら稽古場を使えばよかった。こんなところで戦う必要はないだろう」

「うっ…」

「いくら【勇者】だからと言って、やって良いことと悪いことがある。君もそのくらいわかるだろう?」

「……」


 玖島の正論に加室は返す言葉が無いようだ。俯き、こぶしを強く握りしめている。


「自分の不始末くらい、自分で処理できるだろう?」

「…当たり前だ」

「じゃあ早く行った方が良いよ。追放される前に、ね」


 玖島はそう言うと、一瞬だけ俺の方を見た、気がした。


「チッ…分かった」


 加室はどこか苛立った様子で、取り巻き三人を一気に担ぐと、そのままホールを後にした。


 後に残ったのは、地面で蹲る俺、ホールの入り口で佇む玖島、そして呆然と床に座り込むリセだけだ。


 初めに動きを見せたのは、玖島だった。静かに歩き始めると、俺の方へと一直線に向かってくる。正直ここから逃げ出したい。関わるのは面倒なんだが、残念なことに俺はここから動けない。精々恨めし気に睨むくらいしかできなかった。


 玖島は無表情のまま俺の傍まで来ると、屈んで静かな声で言った。


「こっ酷くやられたな、諒(・)」

「…うるせぇ。そう言うお前はここに何しに来やがった、真正 (・・)」

「相変わらず、口だけは回るみたいだな」

「はっ、お前に心配される筋合いはないな」


 そう言って目線を逸らすと、玖島、いや、真正は苦笑し、右手を俺に向けて呟いた。


「わが友に聖なる癒しを乞う。〝神託癒光(ハーベストヒール)〟」


 その言葉と同時に、俺の体の上に純白の光を放つ魔法陣が出現した。真正の掌から魔法陣へと流れるようにして伝わる魔力が、俺の体を包み込む。


 光属性第四階級魔法〝神託癒光(ハーベストヒール)〟。治癒魔法系統の中でも習得難易度が高いこの魔法だが、【勇者】の中でも高い能力を有するこの男はあっさりと習得した。そればかりか、実際は6小節ほどあるこの魔法の詠唱をたった1小節に短縮できていることから、その手際の良さが窺える。


 場合によっては離れた四肢すらつなげ合わせることが可能だというこの魔法だが、俺の体には何の変化も見当たらない。


 真正は嘆息すると、こぶしを閉じる。その動作に呼応するように魔法陣は消え、辺りを照らしていた純白の光も消え去った。


「第四階級すら意味を為さないなんて…天乃が知ったら崩れ落ちるだろうな」

「すでに知ってそうだがな…クソッ」


 思わず怒りを吐き捨てる。


 俺は、魔法が使えない。治癒魔法はおろか補助魔法一つかからない。その原因はただ一つ。


 それは、俺が魔力を全く持っていないことが原因だ。


 数週間前、俺はファルスに突然呼び出され、検査を受けた。その結果告げられたのが、数百万人に一人の確率で発生する、〝魔力欠乏(オド・レス)〟という症状にかかっているという事だった。


 魔力とは、この世界の大気に含まれる力の根源だ。この世界に生きる全生命はこの力の恩恵を少なからず受けている。そして、その影響を強く受けてきた者達がその一部を直接体内に保管し、生命活動のエネルギーに使用する。それが、人類や魔物と言った生命体である。その進化の過程で、大気中の魔力〝マナ〟と体内の魔力〝オド〟は似て非なるものへと変わっていた。


 ファルスは人間の魔力運用についてかなり細かく解説していたが、要するに俺は、マナをオドに変換する機能が欠落しているらしい。この世界に召喚される際、俺だけこの世界に順応できていなかったようだ。その結果、大気中からマナを得ることが出来るものの、それを変換し出力することができないらしい。


 その結果、魔法は使えず、外部からの魔法も全く受け付けなくなった。状態異常を引き起こす魔法も軒並み効かないのがせめてもの救いか。


 能力値の大幅な上昇にも体内魔力が大きく関わっているらしく、俺が全然強くなっていないのもこれが原因だと言っていた。他の奴らの成長の速さがおかしいとも言っていたが。


 つまるところ、俺のステータスの魔力関連の能力値が非表示になっていたのは、表示バグでもなんでもなかったという事だ。


「諒。手を貸そうか?」

「いや、いい。お前との関係はあまり知られたくないんでな」

「…そう、か」

「ああ。早く行け。他の奴らが心配するぞ」

「……」


 真正は無言で立ち上がると、俺に背を向ける。


「何か俺にできることがあったら言ってくれ…」


 そして、その言葉だけ落としていくと、そのまま離れていった。

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