すれ違い

「…くそっ!」


 ドンッ、と怒りに任せて机をたたく。しかし他の奴らだったら容易く粉砕される机は、俺ごときの力ではびくともしなかった。その事に皆との力の差を、劣等感を感じ、今度は椅子を蹴り上げた。


「…リョウ様」


 ベッドに腰かけ頭を抱える俺に、扉の奥から気遣うように声を掛けてくるものが居た。


「入っても、宜しいでしょうか」

「…リセか」

「はい」


 俺が声を掛けると、躊躇いがちにリセが部屋に入ってきた。俺を憂いるようなその目線を見た瞬間、お門違いだと分かっているにもかかわらず、ふつふつと怒りが湧きあがってきた。


「あの、リョウ様…」

「もう俺の世話はしなくていい」

「ですが…」

「良いって言ってんだろ!」


 俺の怒鳴り声にリセが肩を震わす。その怯えた目を見て、俺は我に返り、自己嫌悪に陥った。


「…もう出て行け。俺に構うな」

「…は、ぃ…っ」


 無機質な声でそう言い放つと、リセは口元を押さえて部屋を飛び出していった。急に静かになった部屋の中で、俺はベッドの上に身を投げた。


「いったい何やってんだ、俺は」


 仮にも俺の傍付きとして動いてくれた、しかも年下であるリセに対し、怒鳴り散らしてしまったことに情けなくなる。


 だがどちらにせよ、これからは傍付きは解任され、再び城のメイドとして働くことになるとドルバーが言っていた。これからの俺の処遇に思いを馳せると、むしろ嫌われた方が彼女のためになるかもしれない、そう思った。


「…現実なんて、どこもクソくらえだ」


 異世界に来れば何かが変わると思っていた。自分はチート主人公になって、ヒロイン達とイチャイチャして、誰からも素運慶の眼差しで見られる。そんなことを気楽に想像していた。


 だが実際はどうだ。異世界の定番である魔法は使えず、チートなんて手に入らなかった。挙句の果てに双剣の技術もあまりない。加室たちからは〝無能〟と呼ばれ、城の使用人たちにも馬鹿にされたような目を向けられた。


 なにが異世界だ。何が【勇者】だ。俺には何もないじゃないか…。


「諒くん…」


 再び俺に扉の向こうから声が掛かる。俺のことをそう呼ぶやつは一人だけだ。


「…なんだよ桑葉」

「明後日、ダンジョンに向けて出発するってドルバーさんが言ってたよ。参加すれば今までよりかは能力も上がりやすいって」

「俺は行かない」

「私もサポートするし、霧陰くんだって」

「俺はいかねぇよ」


 優しく声を掛けてくれる桑葉にぶっきらぼうにそう答える。


「俺がいたって邪魔なだけだ。所詮俺は〝無能〟だからな」

「そんなことないよっ!だって私は諒くんに…!」

「お前ももう俺にかまうな、〝癒の勇者〟」

「っ…!」


 皮肉気味にそう言うと、桑葉が息を止める。傷つけるだろうことは分かっていたが、俺の言葉は止まらない。


「お前は良かったな。【真の勇者】としてどんな奴からも羨望の眼差しで見られる。尊敬を受けることが出来る。お前みてぇなやつがいれば、誰だって安心するだろうさ。玖島も尾野寺も紫吹もそうだ。そうやって誰かを救えるのは選ばれた人間だけだ。ただそれが、俺じゃなかったってことだけさ」

「そんなこと、いわないでよ…」

「もう一回言うぞ。もう俺に関わるな。お前みたいなやつが〝無能〟である俺を気遣うんじゃねぇ。それに…」


 扉一枚隔てて俺は桑葉と対峙する。そして、俺は決定的な一言を言い放った。


「…お前が俺に話しかけてくんの、正直うざいんだよ」

「…!」


 桑葉が息をのむ気配を感じた。そしてそのまま2、3歩後ろに下がり、そのままどこかへと走り去っていく音が聞こえた。


 再び静寂を取り戻した部屋の中で、俺は扉に背を預けてずるずると座り込んだ。


 これでいい。俺と関わらなければ桑葉やリセが傷つくことはない。これは正しかったんだ。あいつらのためなんだ。


 そのはずなのに。それが本心のはずなのに。




―――なぜか心が軋んでいた。



   +  +  +



 二週間後。俺は城の内部にある巨大図書館にいた。


 俺がリセや桑葉を一方的に突き放した後、【勇者】組が【アルヴェンデンの大迷宮】へと出発するまで、俺はずっと部屋にこもっていた。リセが何度も俺の下に来たようだが、俺に声を掛けることはできなかったようで、飯だけ置いて行ってしまうという事が続いた。


 ずっとこのままではいずれ自滅すると思っていた俺は、部屋から出てとにかく知識を増やすことにした。朝から晩まで、部屋と巨大図書館を行き来する日々。その間、使用人たちから幾度となく向けられる嫌悪の目線を歯を食いしばって耐えながら、俺はとにかく知識を植え付けていった。いつ追い出されてもいいように。


 今日も、誰もいない図書館で一人勉強を続けていた。




 この《リーンカルナ》は、主に5つの大陸に分かれている。世界で一番平和とされている《アルシュベルト大陸》、広大な樹海と険しい山々が連なる《レグネシア大陸》、はるか昔に起こった大戦で一面荒野と砂漠だけになってしまった《グランベルム大陸》、永久凍土と氷河に覆われ、世界一寒いとされる《ファルシース大陸》、そして大きな火山を中心としてできた《ヴァルンデン大陸》だ。


 それぞれの国に大小問わずいくつかの国がある。また、大陸ごとの特徴を生かした文明や技術があるのだそうだ。また、大陸によって人種や生態系も大きく変わっている。大陸によっては他種族を激しく嫌悪する場所もあるそうだ。


 また、その他にもいくつもの島が存在し、中には特殊な文化を持ったところも有るらしい。


 ここ《アルシュベルト大陸》は世界の中で3番目に大きい大陸だ。そんなこの大陸には5つの国が存在する。


 まずは《ウィスターン王国》。世界の中でもそこそこの権力を有していて、異世界からの勇者を召喚するのはこの国に任されている。大陸のほぼ中央に位置していて、〝アルシュベルト国家平和議会〟の議長国となっている。


 次に大陸最南端に位置する《マーヴェルク王国》。この国は規模は小さいながらもこの大陸の物流を握っていると言っても過言ではない国だ。その理由は、大陸の玄関口として大きな港街を持っているからだ。別大陸に行くためには必ずこの国を通らなければならない。


 《アリシュティア公国》。上記二つの国の中間部分に位置するこの国には大陸の中で唯一、学院が存在する。その名も〝アルシュベルト魔法武術学院〟。《アルシュベルト大陸》に存在する各国の兵士になるには必ずこの学院を卒業しなければならないという法があるほど、この学院は重要視されている。ここに入るためにわざわざ別大陸の者がやって来るほど、この学院は世界的に高度な技術を培える場所なのだ。


《エグラシア共和国》。大陸最北部に位置するこの国には、世界中に存在する冒険者たちを支援する冒険者ギルドの大陸支部が存在する。また、2年に1度開かれる〝アルシュベルト国家平和議会〟が行われるのもこの国だ。大陸の北側にそびえ立つ標高の高い山岳に沿うように位置するため、大陸の中でも安全な国とされているためだ。


 そして、最後が《無国家都市ヴァドリア》だ。【アルヴェンデンの大迷宮】の周りを囲うようにしてできたここは厳密には国ではないが、その大きさはもはや国家と遜色ない。この都市は冒険者ギルドにより統括されているため荒くれ者である冒険者で溢れていながらも秩序が守られている。場所は《ウィスターン王国》の東側である。


 この5つの国を持って、《アルシュベルト大陸》が形成されているのだ。


「ふぅ…」


 そこまでの知識を頭に叩き込んだところで、俺は席を立つ。今まで使っていた本を戻して、別の書物を持ってくるためだ。5冊ほどの分厚い本を何とか抱え持つと、落とさないようにしながら本棚の並ぶ場所へと向かう。


 そのはずだったのだが。


「あれ…ここはどこだ?」


 気が付くと、雰囲気の違う場所へと来ていた。先程までいた図書館のように明かりがついて清潔に保たれている場所ではなく、どこか薄暗く、埃っぽい場所。しいて言えば地下書庫と言ったところか。


「よいしょ…っと」


 ひとまず持っていた本を近くの空いている棚に置き、軽くその場を探索する。迷い込んだと言っても図書館であることに変わりはない。ならばどこかに出口がある筈だと思ったゆえの行動だった。


 そうして歩き回ること数分。俺はあることに気が付いた。

「ここにある本、もしかしたら見ちゃいけない物じゃねぇか…?」


 埃を被った本の題名を見てみると、どれも触れてはいけないような題名が振ってある。薄気味悪くなり上を見上げた俺の眼に止まった看板に、それを裏付けることが記されていた。


「禁書、棚…」


 その言葉が示すことは一つ。ここに有る書物は〝禁書〟であり、人の目に触れるのを禁じられたものである、という事。


「み、見つかったらやべぇ」


 こんなところにいるところを誰かに見られたら、〝無能〟であろうと【勇者】の1人である俺ですら重罪に課せられる可能性がある。しかも、〝無能〟であるゆえに死刑になる可能性も捨てることはできない。悔しいが。


「早く出口を見つけねぇと…!」


 その思いであちこちを歩き回っていた俺だったが、ふと一つの本が目に入り、思わず足を止めた。その本だけ他の本と違い、まるで展示されているかのようにデスクの上に置かれていたのだ。


「〝創世神話〟…?」


 その本の題名は〝創世神話〟。他の本よりもさらに古ぼけていて、表紙の絵も剥がれ落ちかかっている。見るからに危険そうなその本だったが、何故か俺はその本を手に取って文に目を通していた。


「世界の誕生…神代の対戦…神器を携える英雄達…」


 それはどうやら、話に聞いた世界の誕生と神代の時代に関する記述のようだ。すでに聞かされていた内容という事で読み飛ばしていた俺だったが、ある場所でその手を止めた。


「調停の意志…?」


 今まで教わらなかったことだ。先を知りたいという興味とこれ以上は危険だという本能がせめぎ合うが、結局興味が勝り、俺はそこの内容をじっくりと読んでいく。


「〝世界を創造した神は、神代の大戦のときに人々へ神の力を授けたことで大きく弱体化していた。それでも大戦を終結させた神だったが、そこであることに気が付く。それは、敵のいなくなった人類が神から授かった強大な力で慢心し更なる争いを始めてしまうかもしれないという事である〟」


 顔を上げ、周りに誰もいないことを確認し、俺は再び目を落とす。


「〝そこで神は、残り少ない力を使いある概念を生み出した。その名は【|調停の意志(バランス・オーダー)】。世界の平和と均衡を守るため生みだされたその概念は、世界に一つのサイクルを植え付けた。それが〟」


 ガタッ!


「ッ!」


 その時、後方で物音がしたことを聞きつけた。俺が棚に置いた本が崩れ落ちた音だろう。しかし何かが当たらなければ倒れることはない。という事は、考えられることは一つ。


「やばい…!」


 俺は急いで〝創世神話〟を元の場所に置くと、急いでその場を離れる。さっき本を倒したのはおそらく人だ。それも、こんな禁書だらけの場所に入ることが許されている限られた人間。もし見つかったら懸念していた通りの事態に陥ってしまう。


 焦りを感じながら本を置いていた場所にたどり着いた俺は、安心して気を緩めようとする。しかし、次の瞬間後方に気配を察知し、すぐさま飛び退き腰に刺さっている双剣に右手を掛け、いつでも抜剣出来るように構えた。


「―――ッ」


 目の前に立っているのは一面黒装束の男。彼から放たれる無言のプレッシャーに、額から冷や汗が垂れ落ちる。

身動きできずにいると、


「ここで何をしている。リョウ・カムヤ」


 そう言って男がフードを取る。右目に裂傷が入っているその顔を見て、俺は胸を撫で下ろした。


「こんにちは、クロードさん。どうも迷い込んでしまって。出口を探していた所だったんです」


 その言葉を疑うように押し黙るクロード。引き攣った笑みを浮かべながら、俺は彼の素性を思い出す。


 本名はクロード・サルヴェリオ。双剣を選んだはいいものの指導者が居なかった俺につなぎとして短剣の扱い方を教えてくれた人である。彼は国が俺のために雇った傭兵だと言っていたが、驚くほどうまい気配の消し方とその姿から、どうも本職を偽っているんじゃないかと俺は疑っていた。


「ここには国、ひいては世界の機密情報が記された書物が保管されている場所だ。立ち入ることはできないはずなのだがな…」

「そ、そうですよね!いやぁ、なんで俺なんかが入れたのか不思議でたまらないんすよ。あははは…」


 乾いた笑い声をあげる俺を変わらずじっと見てくるクロード。冷や汗が止まらなくなる俺だったが、彼が呆れるようなため息をついたことで重圧から解放され、思わず息を吐き出した。


 クロードは後ろの通路を指さして言った。


「出口は向こうだ。いったいどうしたらこんなところに来るのか不思議でたまらないが、何も言わないでおこう」


 クロードは俺に背を向けると、俺から遠ざかりながら言った。


「早く行け」

「あ、ありがとうございます!」


 その言葉で体の硬直がとけた俺は、急いで本をかき集めると、出口に向かって一目散に駆け出した。


 クロードの圧力から解放されたことに安心しきっていた俺は、なぜ一傭兵であるはずのクロードが禁書書庫に入ることが出来たのかという事に気が回らなかった。




「リョウ・カムヤ。〝無能〟の【勇者】か…」


 そう呟いて、クロードは一人禁書棚を縫うように進んでいく。彼がこの部屋に来たのは、ある本を確認するためだ。それが置いてある場所に来たクロードは、異変に気付いて眉をひそめた。


 彼の目の前にあるのは〝創世神話〟と書かれた本。彼は、本が前回見たときよりも少しずれていることに気が付いたのだ。


「…まさか」


 ある考えに至ったクロードは、本に手を添え魔法を発動する。手が淡い光を発する中、眼を閉じて集中していた彼は、驚きを隠せない表情を取っていた。


「早く陛下に知らせなければ…」


 そしてクロードは身を翻すと、足早にその場所を後にした。

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