対象→辺閂の場合【裏】
はがね色の雲を
初夏ですらない、春真っ只中の5月某日。
新幹線に乗り1時間弱余り、彼はC県に訪れていた。
距離で表記するならば自宅から約180km程離れた
枕が変わった所で眠れない
内容は具体的に覚えていながらもとびっきり酷い内容であった、いわゆる悪夢というものに、近頃は
時期的にはいつの間にか自分が正体不明のゲームに参加者として巻き込まれたあたりだろうか。
妻と子供がいながらも、一家の大黒柱として考古学の臨時教授として教鞭をとる傍ら、合間の時間にペットショップにてアルバイトをしている彼は、実の所“死ぬこと”自体、それほど恐ろしいものではないと考えていた。
人間五十年。かの武将が辞世の句として残した
物心ついた時から「知らないものを知る」という行為に最も快楽を感じて今日まで過ごしてきた自身の特性上、学業に重きを置いた社会生活を現在進行形で営み続けているとはいえども。
未だ無尽蔵に存在する
(仮に倍の百年足らずを生き永らえようとも――それこそ全てが
土台無理な話であった。
学ぶ事は好きだが学ぶにも限度であったり限界があると、いつからか薄々感づいてはいたのだろう。
近頃は学習したその先に何を為すべきかが定まっていない、酷く不安定な状態に飽き飽きしている自分がいるのも事実であるし。
とはいえ
妻と夫の互いが違うことなく、双者が双者とも働き働く兼業夫婦だとしても。
将来何があるか分からないからこそ、日々働いて蓄えを増していかなければならないのは
自宅から一歩出れば襲い来る様々な
結婚は人生の墓場――まぁそれは
だとしても、ありていに言って
このまま何の変化も転機も訪れぬまま、いずれ近いうちに一生を終えるのだなぁと思っていた、その矢先である。
盤上の駒の一つ――デスゲームの参加者に選ばれた
(寿命に
何かの弾みで鬼となり、制限時間が無くなった時点で
敗者が辿る末路は、直近の対戦結果が動画形式でアップロードされてゆく特設サイト【BomBTuBe】で少し前に確認していた。
痛みは伴うか否かは置いておいて、老いていずれ死に
それからの彼といえば、やもすれば積極的に他プレイヤーとの接触や接近を避ける日々を送っている。
日によっては距離を開ける為に敢えて自宅へと帰宅しないぐらいには、戦々恐々としつつも一定の警戒を怠っていなかった。
それでも、そこまでやっていても。
ここ数日の間、
拭っても、拭っても、下地から新たな疑惑が顔を見せる。
原因は明確――最近出現した、処刑者という存在であった。
プレイヤーであって、プレイヤーでない存在。
その処刑者とやらに自分は狙われているのではないかという、
主だった理由として、
非常にゆったりとした速度ではあるものの、それでいて目的地を自身へと定めているに違いない挙動を見せる存在を、アプリケーションである【BomB!maP】にて
これまでに見てきた
にじり寄るように、しかし確実にこちらへ向けて距離を狭めてくるそれは、おそらくは処刑者が発する信号だという予感めいた確信に違いないだろう。
(鬼となり時間切れになれば爆死で、鬼でなくともこのまま処刑者に追い詰められたならば、きっと私は・・・・・・)
対戦規則の八つ目には、このような一文が記されている。
八.処刑者(プレイヤーとは異なる存在)に補足され、殺害されると爆死はしないが敗退となる
何度見返そうとも、そこにはきっちりと“殺害”の二文字が表記されていた。
(名は体を表す。処刑者――処刑――処刑する、者。ゆえにコイツは狙った獲物を、きっと殺す……確実に私は殺されてしまう……)
どのような方法をもってしてなのかは分からないながらも、老衰による大往生とは程遠い苦痛を伴うのは言うまでもないだろう。
(成人間際の学生や
繰り返しになるが、彼こと辺閂は49歳。来年で50歳を迎える。
よもやこのままでは、8ヵ月後の
また、年を取るということは肉体の衰えをも意味している。
運動系の部活に所属していた期間などは皆無で、そもそも
というかこの資本主義のご時勢において石斧を片手に平野を疾駆する野蛮人らが
妻の支援もあって日々栄養の偏っていない食生活を送ってきたが故、
先だって処刑者の実物は見ていないものの、至近距離に近づかれてしまえば、まず逃げられないであろう。
(先の短い老人に対して、
(いや、無いのだろうな……。どうせ私が参加者内での最年長なのだろうし、配慮がなされることなど期待するだけ無駄に決まっている)
これは余談ではあるが、
むしろ知らないからこそ自らが最も
殺されるということ――他者によって強制的に自分の生命活動を苦痛と共に停止させられてしまうということ。
何しろ経験した事がないのだ。
怖いに決まっている。
良くて爆死で、最悪ならば殺害で。
いずれにせよ死は免れない。
やっとの事で自宅の
ツいていないにも程がある。
いや、それこそ
(こんな時……昔の教え子だったあの子なら、どうするのだろうな)
ふと思い出したように
7回ほどコール音が鳴った後、耳元より底抜けに明るい声が聞こえてくる。
「ハロー! みんな大好き
(………………)
録音とはいえ、相変わらず自由すぎる個性に
少女を愛して止まない、その純粋すぎる不純な動機を原動力として、ついには教員免許を手に入れ教鞭を執るにまで至った、
(案外あの子みたいな奴が一番人生を
連絡を取ることを諦め、画面表示をオフにする。
前述の
初戦である
太陽の固有能力【エスケーパリバブル】は、プレイヤーとしての権限を別へと譲渡し、ゲーム上から離脱を可能とする能力である。
元教え子がそんな固有能力を使用してしまった所為で、目下
そしていい加減
まだ起こってもいない事象に憂う行為をひとまずは中止し、気分転換がてら担当する講義に向かうべく支度へと取り掛かる。
ここで仮に、彼がもう少しだけ注意を張り巡らしていたならば、数時間後に訪れる苦難に直面することは無かったかもしれない。
彼は深く考えていなかったのだ。
ゲームの参加者でありながら、合わせて自らが未来罪人の一人なのだということを。
未だ罪を犯してはいなかろうとも、それでも。
罪人はすべからく、その身をもって償わなければならないということを。
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C県におけるご当地B級グルメの筆頭たる、
そんな大の辛党であった閂は講堂を後にして、
持ち運びの出来る軽食をコンビニで買い、バスに揺られながら近場の観光名所へと
しかしバスを降りて、目的地へと徒歩で向かっていた際――
【!処刑者がアナタ様の1km圏内に侵入しました!】
【!至急補足を振払うか迎撃の準備を整えて下さい!】
けたたましい警告音を発しながら、アプリ画面上に物騒極まりない文言が表示されていた。
(ばっ……馬鹿な!? 今朝時点では200km近く離れていたはずなのに、どうしてこんなにも急に――!!)
処刑者が自分に向って進んできているのは既知でありながらも、近づく距離は一日にして10kmにも満たなかった事実に対し、「きっと相手は乗り物を使わずにいる」という前提が頭の中で出来上がってしまっていたが故の錯覚。
処刑者は
アプリのマップ上、ぐいぐいと自らに接近してきている赤色の印を見、
「ど、どこかに隠れてやり過ごすしかっ!」
もう間もなく着くであろう、目的地としていた観光名所は神社であった。
決して広くはない
焦りながらも周囲を見回すと、左前方に陰りの見られる建物がぽつんと存在しているのに気が付いた。
老体に
日が昇りきった明るい屋外とは対照的に、閑散とした廃墟の醸し出す空気は、どこまでも鬱屈としていた。
そして4階に到着した所で上へと続く階段が無くなり、最上階の冷気に満ちた暗い廊下をおっかなびっくり進んで行くと、突き当りに観音開きの木障子が現れた。
立て付けが悪く開けるのに苦労をしたが、なんとか開いた木障子の先は宴会場を模した大広間になっており、肩で息をしながら南側の壁際にもたれ掛かるようにして、
スマートフォンの画面光量を限界まで落とし、処刑者の位置を確認すると、どうやら同じ建物内にまで侵入しているのが見て取れた。
(今更ながら愚か過ぎる・・・・・・。何故私は、わざわざ逃げ辛い最上階の
テンパってしまったたが故に、後先考えず
(どう
固有能力である【フーズフール】を用いたとしても、絶命は避けられないのは
能力を使うにあたっての「目的」が、そもそも彼自身には存在していないのだから。
そこでふと考える。
脈絡の無いまま突如として、
この世に生を受けてから己が最も時間を費やしてきた行為――学習について。
青春時代の殆どを、成人して家庭を気付いてからの大部分を、
悪趣味な呪いのように、断つ事を許さず長きにわたって継続してきた。
未知の事象が既知の事項に変換された瞬間の、えもいわれぬ快感で脳髄が満たされる欲求に、精神と身体を委ねてきた。
半世紀近く生きてきた中でも、まだまだ知らないことはたくさんある。
知りたいと思うこと、学びたいことは世界には山ほど存在している。
(あぁ、そうか――。そういうことか)
差し迫る死の圧力が後押しとなったのかどうかは不明ながらも、
(人に限らず生物全般の全ては。生きている限りやがて必ず死に至るという自然の摂理を前にして。恐らく私は諦めてしまっていたんだ――)
生き永らえない絶対規則の所為にして。
学び続けることを諦めていたんだ、と。
寿命には抗えず、万物の
(だとしても、だとすれば、私は――――)
(今わの際で「動機」が出来てしまったのだから……道理が無理でも通し切らねばならない)
そんな覚悟を決めた刹那、木障子がぎぎぎっと開く音が聞こえてきた。
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「ほいよっ。とりま一人目
身に
彼の眼下には頭部の潰れた初老の男性の死体が横たわっている。
照明の存在しない薄暗い室内にて、まるで
確認するまでもなく、このプレイヤーの絶命は決定的である。
「しかしまぁ老人とはいえ、結構派手に抵抗してきやがったな。俺ってば逆上しちゃって
軽里は当初、このプレイヤーの固有能力を具体的に把握できていなかった。
故に少なからず警戒はしていたのだが、蓋を開ければ奇声をあげて襲い掛かってきただけに終わった為、彼の用心は徒労に終わったのだった。
だが、最上階の一室に追い詰めた際、軽里は
爪が食い込んだのか、多少の内出血を起こしているのかもしれない。
「
自己を複製した三人の自分達の右手に握られた鉄パイプを同時に放り投げて、からんからんと金属音が部屋に反響する間に、軽里は増殖させた身体を一つに統合させていく。
そして一つになった後、残りの獲物が
「乗馬程じゃあないがそれでも“ばいく”って奴は早すぎて息苦しいからな、帰りは“でんしゃ”で帰るぜ。さぁてと、今夜のメシは何にするかなっと……」
廃旅館を後にしながら、結局のところ、軽里はある違和感に気が付かずに夕食を済ます事になる。
起床時に住まいに常備されていた、苦手意識から手を伸ばさなかった、ある食品。
それはそれは美味しそうに――――
【対象:
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