【6/6 7:49:52 北園紅蘭 残刻 00:09:22】

 つみ上げられたダッシュボードのCDのラックをき分けて、そのタクシー運転手の男は、まだ十分に長さのある煙草たばこを灰皿へと放り込んだ。



「いやね、近頃この町ってばとっても物騒ぶっそうじゃあないですか。先々月はちょうどこの先の区間でトラックが横転する事故があったし、先月は通り魔の多発、おまけに高校教師謎の失踪しっそうでしょ? もうね、呪われているんじゃあないかと思うんですよね」



 言いながらまた新たに火を付けた煙草をくわえる。



 至極しごくとても旨そうに吸う男の口や鼻からは、紫煙しえんがダダれになっていた。



「だからねぇ、あの日も俺は何かあるんじゃないかって、予想しちゃってた次第なんですよねぇ。虫の知らせってやつ? 日付も6と6が重なってたし、オーメンを連想しちゃうじゃあないですか。え。お面って何って? ハハッ、君は見たところまだ若そうだし、ひょっとしてあの有名なホラー映画を知らないからなのかなぁ」



 矢継やつぎ早に言葉を浴びせられるその少女は、タクシー運転手である男に対してはそっけない態度を取っており、代わりと言わんばかりに運転席に座る男へと視線を送る事で続きを促している。



「そうくなさんな。確かあれは朝方だったっけか。台風も来ていないのに、それはそれは酷い雨の日だったけか。当然道行く人の数もまばら。一向に客の捕まる気配も無し。俺はすっかり気が滅入ってしまって、あぁもういいや今日は適当に流して終わろうかと思っていた頃合でね。子供。そう、子供がね。後方のシートに座ってたんですよ。その時俺は後部ドアを開閉した記憶は無くて、余程ぼーっとしていたとその時は無理やり納得したんですが、やっぱりそんなことは無かったのだと今では確信があります。まるで瞬間移動をしたかの如く、急に子供が現れたんですよ」



「で、どちらまで行きますか? って職業柄たずねてみたは良いものの、その子は前方を指差して何にもしゃべらない。保護者も同伴せずにこんな朝早くから一人の幼児が行先不明でタクシーに乗るなんて、それとなくレアな事態でしょう? ほんの少しだけ事件性を疑ったりもしましたが、話のネタになるかなぁという好奇心が勝っちゃいまして。応じて俺はゆっくりと車を発信させたんです」



 男の芝居がかった口調がわずらわしいと思いながらも、少女は未だ沈黙を守っていた。



退布たいふ高校を左折して、駅の反対側の市街地に出た所でね。ふふっ、これはもはやニュースになっているし過去の出来事としてお客さんも存じ上げているとは思うのですが。それでも敢えて、当事者だった俺の立場から言わせれば、ですよ? あれは正しく青天せいてん霹靂へきれきでしたね。一歩間違えればそれこそ死んでいたかもしれない。いや、まぁ。誰一人死者が出ていないのも事実なのでしょうけど……。ともあれ、交差点でね。信号が赤に変わって一時停止中だった際にですよ、突如として――」




 。 




「物凄い音でね。最初こそ地震かと思いましたよ。あるいはテロかってね。平和な火本国がですよ、理不尽な他外国からの暴力にさらされたんじゃあないのかって、善良たる市民の俺はそれはそれは心配を致しましてねぇ。でもそんなことは無かった、無かったんですよ。後の調査で判明したらしいんですが、どうやら倒れたビルが三つとも自重を支えきれない程度に老朽化していたそうで。えぇ、疑う気持ちはごもっともです。しかし専門家の偉い先生方がこぞってそのように結論を出されていますからね。覆そうにも覆せない。と言っても、後始末は凄惨をきわめるぐらいには莫大な費用がかかったそうですが……っと、まぁた話がれてしまいましたね」



「倒壊直後、俺が運転する車の前方と右方と左方とが、倒れたビルで進行不可になってしまいましてね。てっきり夢でも見ているんじゃないのかってぐらいに、あの時の俺はぽかぁんと口を開けて固まってましたよ。でね、そういや今ってば営業中でお客さん同乗中なんだって思い出して振り返るとですね、居ないんですよ子供が。ご丁寧に一万円札を置いてね、影も形もありゃあしない。ふふっ、この手の話ってば大抵こんな具合に終わるんでしょうけど、こと俺の体験した奴にはちょっとした続きがありましてね……。聞きたいですか? ねぇ? 雨に濡れた土煙の舞う、引き返しは出来るが前には進めない袋小路ふくろこうじの、その交差点にね。さっきまで後部座席に座っていた筈の子供が立っていたんですよ。バケツをひっくり返したような雨に叩きつけられて、傘も差さずにズブ濡れになってて。でもまぁ、ちょっとしてからついっと消えちゃいましたがね」



 以上ですと得意げな表情のまませきばらいをした男に対して、無言のまま傾聴けいちょうしていた少女は、能面のような表情を崩さないまま、ある質問を投げかけた。




「その子供を追跡していそうな奴らはいなかったの?」




 てっきり褒められると思い込んでいた矢先、男の体験談を意に介さない質問を投げかけられたからであろうか。



 気分を害したのか、タクシー運転手の男は途端とたんに不機嫌そうなふてぶてしい態度で、回答を返す。



「はあ、そんな奴は周りにいませんでしたね。ていうか俺の話に対しての感想とかない訳?」



 嘆息し、彼女は。




「期待外れにも程があるわね。精々せいぜいそうやって矮小わいしょうな脳味噌を鈍くしながら残りの余生を磨り潰すがいいわ、この無能が」




 南波みなみのクラスメイトであり――プレイヤーの一人でもあった薄河うすかわ冥奈めいなは、小銭を運転手の顔面へ投げつけると同時に、後部座席より飛び出し夜の街へと消えていった。



―|―|―|―|―|―|―|―|―|―|―|―|―|―|―|―|―|―|―


 時間は巡りてさかのぼり、場所は打って変わって転換てんかんして。



 海を背にしてひっそりとたたずむ、築5年と比較的新しい某社用建造物マンションの屋上にて、3人の人影があった。



 男性と女性に、そして子供。



 見様見方によればうら若き家族の一団にも見えなくはない。



 しかしながら強風が吹きすさぶ大荒れの天候の中、男女と子供が対峙している構図を改めて眺めてみると、そこには団欒だんらんのだの字も見当たらない。



「鬼ごっこはもう終わりか? 幼き逃走者よ」



 3人のうちの一人である男――北園は、軽佻浮薄けいちょうふはくな表情を浮かべ、眼前の子供――高低に向けて語りかける。



「不思議そうだな。いや、そうに違いないだろうよ。日中とはいえ視界不明瞭ふめいりょうなこの最悪な天気の中、どうしてこうも短時間で“おねえちゃん”と一緒に追いついてこれたのかと、そう顔に書いてあるぞ、わらべよ」



「………………」



 高低は、北園の挑発するような物言いに返事を返さない。



「一つだけ断言しておこう。我は何も貴様のような特殊能力を持って移動してきたのではない。種明かしをするとだな――」



 降りしきる雨に濡れてくすんだ赤色のはかまを両手でたくし上げる北園。




 覗いた北園の二本の脚には、長短の織り交ざったパイプのような管が、皮膚を突き破り生えていた。



 一見不規則に、それでいて規則的に生い茂っていた。




「金8%・パラジウム9%・銀3%・銅1%・イリジウム11%・亜鉛18%・その他諸々の希少金属・希価鉱石合計50%で形成された、この義足でもってほんの少し本気で走って来ただけだ」



「………………」




 和楽芭わらくば公園にて、高低が同盟を破棄し逃走した直後。



 制限時間が72時間から17分間へと一気に短縮された回理子から奪い取るようにして鬼の役割――自爆霊ボムみの憑依対象を自らに移した北園は。



 、高低を追いかけたのだった。



 まるでのみのように地を、そして壁を蹴り、通常人間が出し得る何倍もの機動性を駆使して、追いかけた結果、今の状況に至っている。



「それで……だ。追いついたはいいが、何故貴様は能力を使わない? こんな切羽せっぱ詰った状況で、どうして他の場所へと移動を試みないのであろうな」



「………………」



「これはあくまで勘でしかないが、自分の周囲のプレイヤーの頭数で固有能力の発動の有無が決まると、我は予測している。それこそ東胴とうどう女史の体調不良は意図のしない偶然であるのだろうが、我を含めて貴様は適切な時期タイミングを見計らっていたのではないのか? うん?」



 ちなみにこの仮説は北園ではなく回理子まりこが立てた仮説である。



 当の本人は高熱に加えて激しい上下運動の余波よはで、両手を付いてうつむいているが、手厚い看護を施す時間が無かった為にここまで彼女を連れて来たのだった。



 既に北園の爆破残刻タイムリミットは10分を切っている。



 高圧的で説法紛いの演説風味な考察を述べる余裕などは持ち合わせてはいないはずなのだが、それでも彼は大胆不敵に逃亡者を対話にて追い詰めようとしていた。



「さぁ。さぁさぁ。さぁどうした。ひょっとしてこれで終わりか? この至近距離で貴様が能力を行使し遠方へ飛び、我が距離を詰めて触れることか可能か不可か、あるいは試してみるか?」



 そんな傲岸不遜ごうがんふそん極まりない態度でもって立ちはだかる北園を見て、高低は――。





 高低ふるるはにたりと口元をゆがめた。





「くっ、くくっ。あーーーーーーはっはっはっは! ためす? ねぇおにいちゃんってばいま、もしかして“ためす”とかいっちゃったかんじ? よゆうぶって、おとなぶって、おいつめておいつめておいつめきったきになって、せっきょうたいむにきょうじているかんじなの? あはっ! あはははははっ!! ばかじゃないの? ねぇばかじゃないの? ねぇねぇおにいちゃんってばほんとうに――救い様の無い莫迦だね」





 二重に、“ぶつり”と、音がした。




 その直後、“ぼとり”と、手の甲が二つ、宙から落ちてきた。





 北園の手首から先が、ピアノ線で切断したよりも更に鋭利な――まるで次元を切り離したかの様に傷口と共に消失していた。



 高低ふるるの固有能力である【ファントムホール】には、確かに制限が存在する。



 ただし、先般回理子が立てた予測である“一定区間内にいるプレイヤーの人数”に左右されるのは誤りであった。



 “使用するごとにワープホールの穴の面積が縮小していく”、が正しい。



 時間が経過すれば元には戻るとはいえ、今や自身の身体が通り抜ける程度の穴を広げられないふるるは、“逃走”を止め“闘争”の為に固有能力を発動したのであった。




「これでおててがなくなっちゃったし、さわれないね。さわれないってことわぁ? あれあれぇ~?? はぃいいいいいいいおにいちゃんのまけぇえええええええ!! ちょっとついているんだかしらないけど、ぼくたちきょうだいにかてるやつらなんか、ちきゅうじょうのどこをどうさがしてもいやしないんだよ!!」




 気が付けば、目の前にいる幼子の背後よりもう一人の幼子が現れた。



 姿かたちに背丈は当然ながら、身に着けている服装までが一緒の、それこそ複製人間クローンかと勘違いしかねない、瓜二うりふたつの存在がその場に出現していた。




 高低ふるると高低ほろろ。




 二人の正体は、回理子と北園との同盟を組むよりも以前――ゲーム開始より結成された、血の繋がりを持つ双子の兄妹である。




「ふるるちゃんおつかー。ねぇねぇ、めのまえにいるおにいちゃんってばどっぱどぱちぃたれながしてるけど、はたしてあとなんふんでうごけなくなるかなー??」



「ほろろちゃんおつかー。うんうん、そうだねぇー。てとかあしとかってしんけいがしゅうちゅうしててしゅっけつすぴーどもはやいし、おうきゅうしょちがなければもってごろっぷんってとこかなー??」



 双子の幼子たちは北園や回理子を無視する様なかたちで、きゃっきゃと談笑を始めた。



 攻撃を受けた北園の両手首より、血がこぼれ落ちていく。



 ぼとぼと、ぼとぼと、ぼとぼとと。



 コンクリートに雨と混ざった、赤い池が――マーブル色の紋様が波紋となり広がっていく。




 ひじを上げて、つい先程までてのひらがあった左右の腕を交互に見て、北園は全身をあわてながら、つぶいた。




「――面白い。これぐらいのハンデがあってこそ、丁度良い――」




 彼は未だ無事である右足のつま先をを二回連続で地面に打ち付ける。



 すると、くつの先端から鋭利な刃物が飛び出した。



 刹那、高低兄妹はそれを見てぎょっとするものの、北園は足元へと目線を落とし、二人を視界に入れないまま、独白する。



「かといって……我も始めての経験であるからな……うむ、怖い……身が震える……両の手の痛みがかすむぐらいに……未知の恐怖に支配されているのが分かる……ふむ……とはいえ……やるしかないのだろう……」



 怖いなぁ怖いなぁなどと誰に向かうでもなく言いながら、かかとをすりあわせるようにして刃の飛び出た靴を脱ぎ、地面に垂直に立てて、北園はゆっくりと深呼吸を繰り返す。



「あの……北園さん? あなたは一体、何をやっているのですか?」



 怪訝そうな表情で問いかける回理子に振り向き、北園はぶるぶると身体を震わせながらうなずいた。




「何をやっているのですか、って? 決まっているだろう。我は。我は自らの運命を切り開く為に――



 そう言って、北園は跳躍ちょうやくした。



 ひざを軽く曲げて垂直に飛び上がり、受身を取らずにコンクリートの地面へと叩きつけられた彼の胸には。




 ――心臓のあるべき位置より背中までをも貫通した、銀色の墓標が刺さっていた。

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