【6/6 6:06:06 東洞回理子 残刻 --:--:--】

 しょうんとほっすれば先ず馬を射よということわざは、案外知られているようで知られていないのはさておき。



 去る1ヶ月程前まで、回理子まりこはゲームから脱落しない為に、自らと手を組む同盟の存在を切望していた。




 切望して、渇望して。




 絶望に押し潰れないように、状況の打破を心から希望していた、彼女。




 望んだ結果、今は北園きたぞの高低こうていという協力関係にあるプレイヤーと接点を持てている。



 前述にある諺は「相手を屈服させる、または意に従わせるようにするためには、まずその人が頼みとしているものから攻め落としていくのが良いというたとえ」がであるのだが。




 彼女が欲した同盟が仮に「馬」であったとすれば、撃ち落とすべき「将」とは、果たして何に置き換わるのだろうか。




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 どんよりとくもりに曇った鈍色にびいろの空からなまりのような雨粒が降り注ぎ、それらがしきりに窓を叩く音で、回理子は目を覚ました。



(喉が渇く。それに悪寒も。とりあえずひっきりなしに、頭が痛い……)



 火照ほてった身体は汗でびしょれになっており、あからさま過ぎる風邪の症状しょうじょうを物語っていた。



 体温計を口にくわえ、計測した結果が39度1分。



 高熱も高熱、立ちあがるのでさえ辛い。



 季節の変わり目だとはいえ、完全に油断していたと、回理子は朝っぱらから後悔に打ちひしがれてしまう。



(かなりしんどいけど、交代パスの期日って確か今日だったんだよね……)



 現在の鬼は北園である。



 もうあと数時間で、猶予ゆうよである72時間が経過してしまう。



(会社は勿論もちろん休むとして――さっさと終わらして病院に行こう)



 部屋着から外着に着替えるだけでも億劫おっくうだというのに、雨脚は更に強さを増し、それこそ雷まで鳴り始める始末。



 自爆霊ボムみいていないものの、つくづく自分はツいていないと、己の不遇というか体調の不調を嘆く回理子。



 そんな調子で彼女は亜麻色あまいろのパステルカラーの傘を片手に、自宅の玄関をまたぎ外へと向かったのであった。




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 ふらつきがちな体幹たいかんを、強風で吹き飛ばされないよう気をつけながら、なんとか回理子はようやく約束の場所へと到着する。



 辿り着いたのは、彼女の自宅から南側に2kmほど離れた箇所に位置する、和楽芭わらくば公園。



 雨が降りしきり風が吹きすさぶ公園内にて、高低の姿を辛うじて発見できた。



 広く大きめの屋根の下のベンチに座り、所在なさそうに両の足をぶらぶらと前後にゆすっており、付近に北園の姿は見当たらなかった。



(あれ? 今日は一緒じゃないのかな)



 行動を共にするようになってから、互いが互いの自宅に訪れたことはなかった。



 が、それでも必ずと言っていいほど、北園と高低は集合の際には二人セットでやって来ていた。



 セットで、ペアで、ニコイチで。



 それが今日に限って片割れしか存在していない。



 これがまず最初に回理子の感じた違和感その一である。



「あ。おねえちゃんおはよぅ。かさなんかさしてもぬれちゃうし、はやくこっちにきていっしょに、あまやどりしよぅよぅ」



 違和感その二――さも当たり前のように幼子に声をかけられたが、かけられたのだが、かけられた訳なのだが。



(この子が話している声を聴いたのって――もしや初じゃないか?)



 高低ふるる。甘いものならなんでも口にし、それ以外には心を開かない、推定小学校低学年にしか見えない、あどけない子供。



「うん」か「ううん」としか、今の今まで応じてくれていなかったのに。



 そんな存在が、今や回理子をはっきりと見据みすえながら、両手を振って大声を出しているというこの情景は――何だか酷くちぐはぐとした感覚を抱かせる。



 きっと高熱をわずらっている所為せいなのだろう自分に言い聞かせ、回理子は雨で濡れた傘をたたんで高低の横へと座った。



「ぐらんおにいちゃんはまだきてないよ。それにしてもおねえちゃん、なんだかしんどそぅだけどだいじょぅぶ?」



「どうやら風邪を引いてしまったみたいで、情けないけどとてもつらい。悪いんだけど今日は一緒にカフェに行くのは無理かもしれないんだ。ごめんね」



 ふとのぞき込むようにして横を見ると、高低は甘味類の類は持っていなかった。



「そぅなんだ。ふぅーん、そっか。そぅなんだ」



 若干の吐き気にあらがいながら(流石さすがに幼児の前とはいえ嘔吐してしまうのは自分の矜持プライドが許さなかった)待つこと5分、公園の入り口辺りに北園が現れた。



 彼は雨具を装備しておらず、全身がズブ濡れになっているのが遠目にも分かった。



 時間にいい加減ルーズなのはしばらくの付き合いで分かってはいるものの、記憶が正しければ彼の残り時間はもはや30分弱しかなかったはずである。



 崩れきった体調も後押しして、回理子は早くバトンを回し終えて最寄の病院へと通院しなければと考えていた、その時であった。



「もんだいです。『はまやくしろ』くんといぅおとこのこがいました。かれはといれにいきたくて、ものすごくあせっています。さて、いっこくもはやくかれをといれにいかせるためには、どぅすればいいでしょ~かっ」



「え……? いまなんて言ったの」



 完全に内容を聞き漏らしてしまっていた。



 問題、と言ったのかこの子は。



 再び高低から内容を伺おうとした際、北園がようやく目の前まで来、ぱしんと回理子の手に触れて、言い訳じみた挨拶を交わしてくる。



「やぁやぁ本日は真に良い天気だな。余りに良い天気過ぎて我はうっかり寝坊してしまって、それで……」





「こたえは『』だよ――ばいばいっ」





 北園から回理子へと自爆霊じばくれいの憑依対象が変わったその瞬間。




 高低はそのまま後方に倒れこむように




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「なッ……!? ちょっ、え? ふるるちゃん、ふるるちゃん!!」



 叫んだ所で、いつもよりほんの少しだけ饒舌じょうぜつだった子供からの返事は、当然ながらに返ってこない。



 スマートフォンを取り出し、アプリケーション【BomB!maP】を起動。



 見ると、公園からおよそ300m程離れた箇所で明滅する他プレイヤーのアイコンが、もの凄い勢いで回理子から離れていっている。



(まさか、ここに来ての離反――められた!!)



『ギャハハハハ! まりちゃんってば久しぶりなのにのっけから大ピンチじゃん! なんだかお顔も優れないみたいだし、これは絶体絶命だね!!!』



 実体を持たない、質量を持たない、この世にあらざる自爆霊であるボムみのあざけりが、脳内にキンキンと反響する。



 回理子は対面にいる北園を睨み付けた。



 全くもって彼女のきゅうする事態の深刻さを理解せず、要領を得ない表情のまま直立不動で立ち尽くしている彼の顔を。



「まだ交代は済んでいないだろうに、あのわらべは何処に消えた?」



(嘘をついている風には見えない。となれば恐らく北園さんとは組んでいないから――この馬鹿げた事態はあの子の単独行動、なの……?)



 考えが考えとしてまとまらない程度には、回理子は消耗していた。



 風邪の誘発する痛みで身体の節々がきしみ、ベンチにもたれ掛かった彼女は、疲労し疲弊し弱りきっている。



「多分ですが……裏切られたのではない、かと……」



 何かの間違いではなかろうかと一縷の望みをいだきながら、もう一度スマートフォンを見る。



 高低とおぼしきプレイヤーは既に1km以上遠ざかっていた。



 ぐんぐん離れるそれら以外のアイコンも、ここ和楽芭公園からはかなりの距離がある。



 ――目の前にいる、北園を除いたならば。



 お互い向かい合う形で沈黙が続いていたが、ふと北園は独白するように口を開く。



「一つ、至誠しせいもとるなかりしか。一つ、言行げんこうづるなかりしか。一つ、気力にくるなかりしか。一つ、努力にうらみなかりしか。一つ、不精ふせいわたるなかりしか」



「……今更、こんな時に五省ごせいだなんて」



 彼が何の前触れもなしに呟かれたそれらは、旧大火本帝国海軍は士官養成所である海軍兵学校において、かつて用いられた五つの訓戒くんかいであった。




 真心に反する点はなかったか。



 言動に恥ずかしい点はなかったか。



 精神力は十分であったか。



 十分に努力したか。



 最後まで十分に取り組んだか。




 そんな彼をよそに、回理子は協力体制と言う名の微温湯ぬるまゆかりきっていた自らの甘さが招いた事態でしかないと、回転速度の鈍った思考でもって考える。



「あ奴が裏切るとは、われといえどもよもや想定外よ。全部が全部出来ておらぬなどと貴様をめることは出来ん。守りより攻めに転じず、無為むいに時を浪費し、破綻はたん一助いちじょになった我にこそ、此度こたびの責はあると言えよう」



「だったらあなたが私の代わりに爆死してくれますか? すこぶる体調は優れませんが、やり合うっていうんなら今すぐにでも……」



 同盟関係チームを破棄し抗戦もいとわないという意思表示。



 無論これは彼女の虚勢ブラフであった――それも酷く痛々しいまでの。



 回理子がその気であるならば、こんな宣言をするまでもなく固有能力【ドッペルアナザー】を発動し、自身のゲームオーバーを免れる為に、北園に自爆霊ボムみを押し付ける攻勢に出ているだろう。



 もしくは北園が彼女の挑発に乗ってきたとしても、それでも彼には決して手を出さなかっただろう。




 回理子はゆるせなかったのだ。




 一時的にとはいえ窮地から脱するきっかけとなった彼と、敵対するという行為が。




「肉体は衰弱すれど――その心意気は賞賛しょうさんあたいする」



 いいだろう、と。



 北園は回理子の手を取り、ぐいっと抱き寄せ、耳元でささやいた。






「貴様の死の運命を退しりぞける為に、

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