【5/7 10:25:25 東洞回理子 残刻 31:00:27】

 二時間ばかりが経過した後。



 回理子まりこは事務所のある階層から3フロア降った来客用の応接室の前に、朴念仁ぼくねんじんとした面持おももちで立っていた。



(さて、と)



 さかのぼること始業開始前、彼女はこれからの対処法並びに、制限時間内に鬼を交代する方法を模索もさくするべく思案にふけっていた。



 が、結局妙案が思い浮かばなかった結果、慌しくも恒常化した月末の経理処理業務へと気持ちを切り替えるべく集中して消化していた、その最中である。



 営業部門より回理子まりこへと、内線の電話が入ってきた。



「用件は聞いてないけど東胴とうどうさん宛でお客様が来社するみたいです」



 何故代表番号に来ないのかもよく分からなかったし、そもそもが来社の目的・内容を聞いていない時点で仕事の出来ない無能がふざけるなよと心の内では毒づきながらも、取り組んでいた業務が一通り落ち着いたこともあって、休憩きゅうけいがてら行ってみよう程度の軽い気持ちしか抱いていなかった。



 ――のだが。



【!他プレイヤーの300M圏内に侵入しました!】

【!アナタ様の位置情報が一時的に抹消されます!】



 振動バイブを伴い、スマートフォンの画面上、アプリにより警告文が表示される。



(おいおい噓でしょ。こんなタイミングで……)



 約束の時刻の5分前に通知が鳴ったこともあり、確信はないながらも予感というか、直感めいた何かインスピレーションを感じずにはいられない。



 事前のアポイント無しで自分宛に会いに来ている人間がきっと他プレイヤーなのだと、そう決め付けた上で、彼女は来社対応にのぞむことにした。



―|―|―|―|―|―|―|―|―|―|―|―|―|―|―|―|―|―|―



 連休明け、重ねて月次の初営業日である為、各部署が軒並のきなみ会議室を占拠せんきょしていたこともあって、確保できた部屋は20人は優に入る大会議室であった。



 既に来訪者は来ていると確認してはいたものの、少し手が震える程度には緊張を隠し切れない自分がいる。



 手帳と電卓とを脇に抱え、スマートフォンを確認すると、案の定回理子まりこのいるビル敷地内に反応があった。



 通常、鬼以外は他のプレイヤーをアプリ上では感知出来ない仕様であるが、この来訪者は自分をピンポイントに狙っているとしか思えない。



 仮にそいつが他プレイヤーを何らかの方法で認識・把握する能力を持っていたとしても、それならば何故鬼の射程圏内に入ったにもかかわらず、その場から離れないでいるのだろうか。



 回理子まりこは理由を逡巡しゅんじゅんする。



 15秒程あれこれと考えてはみたが、どれもこれも推測というか憶測おくそくにしかならず、確証を得ない不確かな仮説に身を任せるのはリスクが高いと感じ、彼女はまたしても一旦考えることを放棄した。



(どんな些細ささいな点でもいい、相手に敵意を抱かせないことだけに傾倒するんだ)



 そもそもがこの会合、表向きでは既存顧客の立ち寄り訪問対応となっているが、ゲームの当事者である回理子まりこにとっては文字通り生死を賭けた命がけの交渉であるのが実情なのである。



 様々な思惑が渦巻きながらも、はたして無表情を装いながら扉をノックし、「失礼致します」と声を掛け、いざ会議室へと入室した回理子まりこの眼前。




 酷く、ちぐはぐとした格好をした男が座っていた。




 まず普通であれば座るのは椅子であると相場が決まっているが、男は机の上に座っていた。



 胡坐あぐらをかいたままうつむき加減に引かれたあごを中心に膝に添えられた両手は、それぞれ親指と人差し指とをくっ付けた円が作られており線対象の様相を為している。



 男の顔の右側は、口元が半分隠れるぐらいに長くすっぽりとした髪で覆われており、反対である右側はバリカンで剃ったかのような五分刈り――稲妻のような紋様が切り込みとして入っていた。



 そんな不釣り合いアンバランスな髪型に加えて、まるで絵の具で塗ったかのような鮮度の高い水色が、妙に合っているのが印象的に感じられた。



 男は真っ白い厚革のライダージャケットを羽織はおっており、えりからのぞいている黒のシャツが対比コントラストいろどっている。



 腰から下は真っ赤なはかまを履いており、和風なのか洋風なのか判別が付かない、独特過ぎる服装でもって、回理子まりこがこの大会議室に入室してからも微動だにしない。



 この男は立ち振る舞いは勿論ながらも、上から下までどこをとっても会社員サラリーマンには見えなかった。



「………………」



「………………」



 回理子まりこはアプリが立ち上げたままになっているスマートフォンを胸ポケットから取り出した。



 改めて確認した結果、プレイヤーの位置関係から、どうやら目の前の男が他プレイヤーで間違いなさそうであった。



「………………」



「………………」



(いやいやいやこれどうするのが正解!?)



 あと1日と数時間あまりで爆死するかもしれないのに、折角チームを組めるかもしれないチャンスが来たのに、どうしてになってしまうのか。



 回理子まりこはまたもや頭を抱え始めた。



 相手に敵意を抱かせないことだけに傾倒せんと意気込んできたのに、外見をなぞれば突っ込みどころしかないこの男とは、まず会話が成り立つのかどうかすら怪しい所でもある。



(瞑想? それとも寝ているのか?)



 入室の際にちゃんと声はかけた。その筈だと自問し自答する。



 数十秒前の過去を回想する。何度も幾度も繰り返しリピートする。



(うん大丈夫、客観的に見ても私は何も悪くない……たぶんだけど)



 そんな自己完結を終えるか終えないかの間際で、前方より声が聞こえてきた。




「国と国との政治的関係は抜きにして。どうして西国は、我が国が位置する東側へとミサイルを飛ばしてくるのだろうな」




 これは己に対する質問なのかそれとも男の独り言なのか、どうにも判断がつきにくい。



 あるいは寝言なのかもしれないという懸念けねんを振り払い、意思疎通コミュニケーションを図るべく、回理子まりこは返事を返すことにした。




「……地球の自転の向きと同じ方向にミサイルを発射することで、衛星軌道上に乗るまでの消費燃料を抑える為、でしょうか?」




 政治的関係は抜きにしてという前提条件まえおき。つまりは発射実験の理由。



 少し考えるならば中学生程度の知識で解決に導くことが出来るだろう。



「……ほう?」



 ここで、回理子まりこにはじめて興味を持ったのか、男は閉じていた左目を開き、視線をこちらに向けてきた。



 切れ長の睫毛まつげに寄りかかるようにして涙黒子なみだぼくろが3つ、等間隔に並んでいる。



 特徴しかない、個性の塊が擬人化したような具合だなと、回理子まりこは改めて感じた。



「近頃はかような問いにも答えられぬやから跋扈ばっこしているなげかわしき時代だというのに、いやはやどうして最低限の教養は備えているのだな。てっきり平時の痴愚ちぐ共と同様に見並べてしまいかけたわれ不遇ふぐうを、どうかゆるしてくれ」



「あ。いえ、そんな。お気になさらず。それよりも挨拶あいさつが遅れてしまいましたが私、スプリングホールディングスの経理部課長を務めております、東胴とうどう回理子まりこと申します」



 かろうじて、拙いながらも言語による対話は可能であったことに安堵あんどする。



 この機会タイミング好機チャンスを損失する訳にはいかない。



 あたふたと名刺交換の為ケースのふたを開けていると、手のひらに収まるような形で相手の名刺が滑り込んできた。



 どうやら手裏剣の要領でもってこちらに投げてよこしたらしい(男は相変わらず机の上に座ったままで、体勢は崩していなかった)




[独立行政法人 GalopBrasterS 専任顧問:北園 紅蘭 ]




「きたぞの……ん? こ、こーらん様と読むのですか?」



「フハハハハ! それではまるで聖典だな。傑作けっさくな読み方ではあるがそうではない――グランと読む。我の名は北園きたぞの紅蘭ぐらんだ」



 せぎすな体躯たいくに見合わない、豪快な笑い方でかき消されかけたが、胡坐の姿勢を解き床に脚をつけるまでのほんの一瞬のその間に、のは、たぶん気がしただけであって本当に気のせいなのだろう。



 気持ちを切り替えて、回理子まりこは本題に入ることにした。



「これは失礼を致しました、それで。北園様。単刀直入にお伺いを致しますが、本日はどのようなご用件で弊社へいしゃに?」



「案じる所は多々たた往々おうおうあるだろうが、勿論商談などで参ったのではない。我はこのゲームを進めるにあたっての同盟員パートナーつのっている」



 今の自分にとってド直球ストライクな目的の合致に、回理子まりこは思わず息をんだ。



同盟員パートナー、ですか。歯に衣着せぬ言い方をするならば、確かに願ったり叶ったりのご提案ですね。しかし既にご存じなのでしょうけれど、鬼である私に益はあったとしても、北園様には不利デメリットしか無いのでは?」



「我と二人だけなら、確かに意味はなかろうよ。



 いつからかいつのまにかいつのまにやら。



 気付けば気が付けば気が付いてしまったならば。




 彼女の背後に位置する司会者用壇の上に、棒付き飴を頬張ほおばる子供が立っていた。




「!?」



 入室時に視界に入っていた椅子や机の全ては半透明の材質で出来ているスケルトン仕様である。



 いかに小柄な子供とはいえ隠れる空間スペースはどこにも無かった筈なのに。



 この大会議室自体が自動施錠オートロックとなっているので、社員証のICカードを通さなければ、入ることは言わずもがな出る事さえ不可な密室であるのに。



(今の今まで確実に居なかった……気配すら感じなかった。だとしたらこの子は……どうやってここに入ってきたの?)



 不可解な事象を目の当たりにしたせいで混乱する回理子まりこを然程気にする様子もなく、机に胡坐をかいたままの男は言う。




北園紅蘭きたぞのぐらん東胴回理子とうどうまりこ、そして高低こうていふるるの三名で組んで――」




 このゲームを終わりにしようじゃないかと、紅蘭ぐらんはニンマリ笑みを浮かべた。

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