第8話 転移門



「……女の敵ね。平九郎さんって」

「いや、あはは……」


 目の前で繰り広げられる修羅場に、フレイディアは呆れた声で言った。

 だが彼女の目は油断はしていない、平九郎に言い寄っている素振りを見せてはいるが、いつヨハンに矛先が向くか、いや、外見だけでも魅力的な女達だ。

 ヨハンが間違いを犯さぬ様、近づくのも注意しなければならない。


 フレイディアは、顔面偏差値や胸部装甲、腰回りなどを見比べ、そっと拳を握りしめる。

 こと男女の仲において、過信は禁物である。

 お婆ちゃんも言っていたから、本当だ。

 そんな恋人の気持ちなど気付かず、ヨハンとしては、恩人の思わぬ姿に苦笑いするしかない。


「わたし達が入って来たとき、妙な視線を感じたけど」

「あの様子じゃ、睨みたくもなる様だね」


 でもそれだけでは無い、とヨハンは言い掛け飲み込んだ。

 この視線の類には覚えがある。

 妬みではない、――純粋な拒絶。

 皆口に出さない辺り、ある程度の経験を積んだ探索者は清濁併せ呑む度量があるということだろうか。

 そして、悪人という発言は、あながち嘘では無いらしい。

 だが本当にそうなのか、ヨハンは判断を保留にした。

 彼は、自分の目で見たモノを信じる主義だ。


「……しかし、何者なんだ平九郎さんは」

「どういう事? ヨハン」

「君も聞いたことがある筈だ。あのエリィという探索者、――恐らくは“月影狼”」

「それってあの!?」

「ああ、世界でもたった三人しかいない、大迷宮を単独踏破した大英雄の一人」

「……彼女なら選り取り見どりでしょうに」


 フレイディアは、平九郎をマジマジと見た。

 確かに腕は立つみたいだが、顔も悪くはないが、それ以外はぱっとしない好色男の何処がいいのだろうか?


「ねぇ、いいっしょー。緊急依頼一緒に行こーよー」

「黙りなさいガサツ貧乳! 平九郎さんはわたくしと一緒に新人探索者の訓練を――」

「ハン! こんな辺鄙な所に新人なんているかっつーの! 魂胆丸見えだよタレチチ嫁遅れ!」

「たっ、タレっ! ~~~~ッ! このインチキ幼児体型!」


 ヨハンとフレイディアが、生温かく見守る中。

 罵倒の声量は既に、通りの反対側に届く程大きい。

 これには流石に、平九郎も我慢の糸が切れた。


「あー! もう! うっせーし! ベタベタ纏わり付くな鬱陶しい! ――ベロニカ!」

「はいっ! 俺はただの棒振りだ。新人に教える探索術なんてねぇよ。よって却下」

「そ、そんな、平九郎さん!」


 ガガーン、と崩れ落ちるベロニカ。

 ちょっと強めに言っただけで引き下がる、素直な奴である。

 続いて。


「エリィ」

「あらららら、そのご様子じゃあ――」

「――お前の提案も却下だ。俺はただのレイドリア市民。英雄のお供なんて目立つ行為――、ああそうだ」


 厄介事は一つにしてしまおうと、平九郎はポンと右掌を叩きヨハン達に顔をむけ、


「なあ、どうだお前ら。いいはな「――平九郎さん!」


 ダダッと寄ってきたフレイディアに、もの凄い力で引きずられ部屋の角まで連れてこられた。

 とっさの事で、皆の目は点になる。

 細い腕に見合わぬ怪力、恋する乙女は強い。

 ヨハンのちょっと期待が見え隠れした視線を。彼女は見逃さない。


「フ、フレイデ「――駄目です」

「なあ、少「駄目です」

「話だけ「駄・目・で・す」


 百戦錬磨の平九郎は、そのプレッシャーに気圧された。

 血走った目がスゲェ怖い、マジ怖い。

 階層主も裸足で逃げ出す怖さである。

 巧妙な事にヨハン位置から顔が見えないようにしているが、もし見えたらドン引きしているだろう。

 ――否、少し遠い目をしている。ご苦労な事だ。


(誰かと同じでおっかねぇなぁ……)

『あら、心当たりがあるので旦那様』

(ぬかせクソアマ)


 平九郎はお手上げと言う替わりに、両手を上げる。

 途端に、フレイディアから妙な圧力が消えた。

 恋は戦争なのだ。あらゆる手段が正当化されるとはいえ、被害を被った平九郎としては、たまったものではない。


『旦那様?』

(何、ちょっとな)


 七番が持ち手の邪悪な気配に、怪訝な声を上げる。

 ちょっとした意趣返しをしかけるのだ。


「ところでフレイディア?」

「……なんですか平九郎さん」


 不機嫌そうな声、未だ警戒は解いていない。

 平九郎はケケケ笑うと、態とらしくトボケる。


「何が駄目なんだ?」

「――へ?」

「俺は具体的な内容を言っていない」

「――ッ!」

「俺ぁはただな。ご高名なエリィサマに、あんたらの手伝いを頼もうと思っただけだぜ? 緊急依頼っつてもそれぐらいの余裕はありそうだからな。――なあ、何がどう、駄目なのかおしえてくれないか?」

「そ、それは、その、そう! 目立つのは避けたいですし!」

「それ、ヨハンがあんな目立つ事してる時点で、手遅れじゃねぇの」


 ううぅ~、と真っ赤になって唸るフレイディア。クールな顔なのに、何やら子供っぽく可愛い。

 平九郎は、ニヤニヤした目で見る。


(こういう方向でつっつくと面白れぇな)

『まったく……意地が悪い事』

(何言ってやがる、お前ぇだって好きだろう? こういうの)

『ふふっ、勿論ですわ。――でも浮気はいけませんよ旦那様』


 相棒のちょっとした悋気を感じながら、更に続ける。


「これは俺の推測だがな。……お前ぇさんもしかして、ヨハンが取られるとか思ったのか?」

「ちょ、な、平九郎さん!!」

「はっはっは、心配症だなぁ。エリィの趣味はああいう男じゃないし、ヨハンも嬢ちゃんにベッタリだろう心配する必要なんてないと思うだがなぁ」


 恥ずかしさやら、図星だかで唸るのみになったフレイディアに追い打ちをかける。

 まったく意地の悪いというべきか、悪ガキというべきか、馬鹿な男である。


「うっ、うぅ~」

「何なら、ヨハンに直接聞きゃあいいんだよ。お「~~~~! 平・九・郎・さ・ん!!」


 おい、ヨハン、と最後まで呼ばせる事なく、爆弾が爆発した。

 とっさに逃げ出す平九郎に、火を噴かんばかりに拳を振り上げ、フレイディアは追いかける。


「止・ま・り・な・さーい! この駄目中年」

「はっはー、やなこった!」


 突如発生した、どうしようもない鬼ごっこ。

 ベロニカは溜息を付き、エリィは大笑い、外野からは、けっ、という視線が。

 程々になさいまし、との七番の心声を聞き流しながら、平九郎はフレイディアの手をするりと避け、ヨハンに辿り着いて盾にする。


「僕のフレイディアを、からかわないで下さい平九郎さん!」

「いやー、スマンスマン。可愛いらしいなぁお前の嫁さん」

「平九郎さん!」

「何たって「わー! わー! 何でもないのヨハン!」

「落ち着いて、落ち着いてフレイディア、ね」


 ヨハンは彼女の腰を左腕でぐいと引き寄せると、ふぇっ、と動揺した隙を逃さず右腕でしっかりと自身の胸板に、その頭を掻き抱く。


『流石ね』

(恋人の面目躍如ったぁ所だな)


 怒りに満ちていた彼女の気配が、次第に落ち着いてゆく。


「大丈夫だ。僕は君だけの騎士さ」

「……ヨハン」


 優しく抱きしめ、頭をぽんぽんとするヨハン。

 フレイディアはうっとりして、身を任せる。

 穏やかな光景だが見ているこっちからすると、ご御馳走様、というぐらいアツアツだ。

 ……此方とら、腹減ってるというのに。 


「なあ、何か暑くねぇか」

「やったのクローちゃんでしょ、バーカ」

「平九郎さん、恋する女の子をイジメるのは感心出来ない事ですわ」

「お前等、女の子って年かぁ。はっはっは」

「あ゛あ゛! 何かいったか若造」「へーいーくーろーさ~ん!」


 いい年の女から特大の殺気、げげ、と。叫んで平九郎はヨハン達へと向かう。

 ヤバイ、迂闊に外に逃げると後で何を奢らされるか分からない。

 平九郎も稼ぎそれなりとはいえ、普段の女遊びの影響や。この街の物価の高さを考えると、致命的になりうる。

 特にエリィは大食いなのだ、出来る事なら避けたい。

 故に、慌てて若き騎士に声をかける。


「ヨ、ヨハン君、何か質問はあるかね」

「平九郎さん邪魔しないで――」


 フレイディアはむっすりしてジト目で睨み、ヨハンは平九郎の必死な姿と、奥で鬼のような姿の二人を見た。

 ――下手な手は打てない、しかし、自分は騎士として困った人を見捨てられない。

 空気を読まないフリをして、ヨハンは平九郎にへの質問を捻り出す。


「それでは、え、えーっと。……そうだ! 平九郎さん先程、エリィさんの誘いを断りましたよね。――何故ですか?」

「あ、それアタシも知りたーい!」

「棒振りだとか何とか言ってましたが、そうじゃないですよね」


 一見笑っている様に見えるが、嘘は許さないという瞳のヨハン。

 彼は騎士だ、しかも弱者の為に戦う騎士であるならば。

 人民に多大な被害がでると予測された時出される緊急依頼を、受けないという選択枝はないのだろう。

 きっと万全の状態ならば、薬の件が無いならば、喜び勇んで参加したに違いない。


「……ん、そうだな」


 平九郎は言葉を、慎重に選びながら答えた。

 嘘を吐くなら、本当の事を隠れ蓑に。


「ヨハン、お前さんは騎士か? それとも探索者か?」

「それは勿論、騎士です。探索者の身分は此処に入る為、手に入れたに過ぎません」

「つまり、そういうこった」

「……はい?」

「クローちゃん、それじゃあ判らないって」


 今一つ納得のいっていないヨハンに、平九郎は頬をぽりぽりと掻き、目を泳がせながら続ける。


「…………俺ぁな。その、嫁さんいるんだよ」

「は?」

「体が弱くてな、何日も街を空けられねぇんだ」

「へっへっへー! それだけじゃないっしょークローちゃん」

「えっ、どういう事なんですエリィさん」

「あ、わたくしも聞きたいです! 是非とも聞かせて下さい! 平九郎さんってば奥さんの事、何一つ話してくれないですもの!」


 何やら、恋話の匂いを嗅ぎ取ったのか、フレイディア

とベロニカが食いついた。

 しまった、と思うも時遅し。エリィはニヤニヤしながら話始める。


「それがさー、クローちゃんてばね、駆け落ちしてるのよカ・ケ・オ・チ」

「ええ嘘! それ本当ですか!?」

「マジよマジ、だってアタシ、逃亡に協力したもん。しかも!」

「しかも、何ですの!」

「相手は何と! 貴族の超美人姫君!」


 キャーキャー、と叫ぶ女達。

 ヨハンは、何故かキラキラと尊敬した目で見ている。


(そんな目で見るんじゃねぇよ! くっそ、他のいい訳にすりゃあよかった!!)

『自業自得ですわ旦那様』

(……おいお前、声が弾んでんぞ)


「まさに薄幸の麗人っていうのがピッタリな人でね。超キレーな人なの。スタイルもいいし、頭もいいし、クローちゃんの事もスッゲー愛してんの。いやー、あれなら何だかんだ遊んでも奥さん一筋なの、わかるわー!」

「そんな綺麗な人なんです!? 平九郎さんわたくしも会ってみたいですわ!」

「それでそれで、他には何かないんですか?」

「そーだねぇ。クローちゃんがここに住んでるのもね。奥さんの実家貴族でしょ、当然しつこーく追っ手が来る訳よ」

「え、確かにここなら、中々追っ手は来ませんけど、その為だけにこんな危険な街に!?」

「そうなのよ、それにここ、薬とかも結構揃ってるでしょー」

「確かに、物価こそ高めですけど。中層ですし、薬代や生活費なんて、ちょっと魔物を狩るだけでなんとかなるでしょうし」

「――まさしく、愛だね」「愛ですね」「愛ですわ」『ええ、愛ですとも』


 口を挟む間もなく、愛妻家として評価が上がっていく。

 いったい、何が起こっているのだ?

 想定以上の効果に戦慄しつつも、平九郎はこれ以上傷口を広げない為に戦略的撤退を開始する。


「んんっ! ごほんっ! ……という訳でだ。納得がいったかヨハン」

「はい、そういう理由ならしかたありません。僕がフレイディアや民の為に剣を取るのと同じで、平九郎さんは愛しい妻の為にその剣を振るうのですね!」


 そのキラキラとした目、マジやめて欲しい。

 等とは、おくびにも出さず続ける。


「あ、ああ。ならそろそろ、お暇させていただくぜ、腹も減ったしな。……ああ、俺は一応毎日ここに顔を出す、何かあったら伝言でも頼んどきな」

「はい、わかりました。今日はありがとうございました!」

「何いいって事よ」


 それじゃあな、と。平九郎は出口へ向かう。

 が、ヨハンに呼び止められた。


「あ、待って下さい平九郎さん。大事なことを忘れてました」

「大事な事?」


 振り向いた平九郎に、ヨハンは真正面に向き合う。


「“貴方との今日の出会いに、ミノス神の祝福を”」

「――御法か」

 

 ヨハンと平九郎の周りに、緑の輝きが天から舞い降りる。

 御法とは、魔法の一種である。

 神の信徒にのみ使える魔法で、この様にただ出会いを祝福するだけの事なら、今の魔力の調子が悪いヨハンにも使えるのだろう。


『何処までも、騎士らしい方ね』

(まったくだ)


 平九郎は呆れた様に笑いながら、ヒラヒラと手を振ってギルドから去って行った。


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