第5話 不夜城レイドリア



 三人の前に、分厚い城壁がそびえ立っていた。

 高さは地上の大都市と同じ位。否、それ以上であるだろうか。

 そのゴツゴツとした岩丸出しの作りに、ヨハンとフレイディアは圧倒されていた。


「なんだぁ? びびってんのかお前等?」


 言葉も出ない二人を、平九郎はがっはっは、と笑う。


「た、ただ。前にある、だけ、なのに…………」 

「……はぁはぁ。い、え。違うわ。はぁはぁ。ヨハン、こ、れ、は――」

「お、気付いたのか嬢ちゃん」


 ニヤニヤと笑いながら、説明はいるかい、と。提案するが、フレイディアは断る。


「いい、わ。……わたしが、説明する」

「はっはっは。無理すんなよ、嬢ちゃん」

「そう、だよフレ、イ、ディア」


 荒い息を吐くヨハン、対してフレイディアは、数度深呼吸をすると、元の呼吸を取り除く。


「――――はぁ。……ええ、もう大丈夫。落ち着いたわ」

「それで、答えは何だい? 嬢ちゃん」

「嬢ちゃんはやめて下さい、平九郎さん。で答えなのですが――“結界”ですね。それも最高位の忌諱結界」

「ご名答だ。フレイディア」


 ――忌諱結界。

 それは魔物避けの結界である。

 通常ならば魔物にしか効かない結界だが、この世にも珍しい迷宮大街レイドリアには、他の迷宮を完全踏破した最高位の魔法使いをより集め、最下層の魔物にも通用するそれを何重にもかけている。


『でも効果が強すぎて、人にまで影響してしまう』

(まともに進んできた探索者ならよ、直ぐに気付いたんだろうが)


 フレイディアは純粋な経験不足、ヨハンは魔力が完全だったら、醜態を晒さずに済んだであろう。


「あ、ああ。……確かに。これは忌諱結界だ、種が判ればどうって事ないな」

「ここに来る探索者のワリにゃあ、色々足りてねぇなお前等。主とか逃げて来た口だろ」

「ええ、お恥ずかしい限りです平九郎さん」


 平九郎が言う主とは、正確には階層主の事である。

 大きな特徴としては。


 未踏の迷宮の場合、下の階層に行くには階層主を倒さないと道が開ない。

 迷宮を完全踏破しないと復活し続ける。


 の二つが上げられる。

 誰かが倒せば、次の者は倒さなくても下の階層に行けるのだが。

 下の階層で活動出来るかの試験石と、剥ぎ取れる高級素材目当てでどんな迷宮でも一度は倒すのが探索者の常だ。


(もう一つの可能性としては、時間だな)

『彼らには、倒す時間すら惜しい理由があった。……ふふっ、これはこれは、ええ、ともすれば面白い事になりそうね』


 この迷宮は、一般人から存在を秘匿されている所だ。

 十中八九、面倒な理由を持っているだろう。

 平九郎がそう結論づける中、ヨハンは結界に気づけなかった事を、深く気にしている様子だった。

 そんな彼を、フレイディアは慰めている。

 その深刻そうな雰囲気を、平九郎は興味深そうに眺めていた。


(聞き取れるか?)

『……少し、単語が途切れ途切れ。見逃しそうな位小さな魔法の発動があったわ。恐らく声量を押さえるもの。――彼女は間違いなく裏の人間だわ旦那様。私達と同じく、ね』

(まあ、そう考えるのが妥当な所か)


 漏れ聞こえくる言葉は、如何にも訳ありといったものだった。


『一刻も早く、とか薬、認められる、王子。……ふぅん。駆け落ちと国家、身分の差、ありきたりな理由みたいだけれど断定するには、やっぱり彼女の存在が少し気になるわね』

(ああ)


 平九郎は生返事になった。

 魔力を通じて直接繋がっている筈の七番の声が、少し遠い。

 外壁の魔法灯に照らされる二人。

 思わず見入ってしまう。

 

(美男に美女、絵になるねぇ)


 その姿に、過去の自分達の姿を無意識に重ねた。

 何かが今と違えば、地上であんな風に寄り添っていたのだろうか。

 埒もない感傷と同時に目で追っている“ある”モノに、平九郎は自分の性質に苦笑した。

 

(男の美醜は置いといて……、フレイディアはいいなぁ。体の線が出るローブ、フードから見える赤い髮と形のいい横顔、色気たっぷりの厚ぼったい唇。そして何より――)


 ――尻、だ。

 平九郎には判る、あの腰の括れからしてみれば、やや平均より大きめの安産型、恐らく着痩せしている筈なので、実際に見るとより大きく見えるだろう。

 実に触って、揉んでみたい。

 やはり一か八か、誘って…………。


『だ・ん・な・さ・ま?』

(お、おう?)


 七番の冷え冷えとした声が脳裏に響く。


『何度も何度も申し上げているでしょう。旦那様の全ては私が満たして上げますから、あんな情の重そうな女狐なんか』

(……ん。あー、何か? フレイディアはお前の同類なのか? うーむ、だが……惜しい)

『旦那様! 私は真面目な話を!』


 視線を外さない平九郎に、七番は苛立ちの声を上げる。


『そうやって、見境無く手を出して。何度失敗してるか理解しているのですか旦那様! ~~ああっ、もう! まだ見て!! さっさと詳しい事聞いて下さいな! 待ってますわよ! ほら!』

(おっと……)


 平九郎が我に返ると、目の前に厳しい顔をしたヨハンが立っていた。

 フレイディアの尻を見ていたなど気付かせぬ素振りで、愛想良く破顔する。


「お、なんだ? 内緒話は終わったのか色男」

「ええ、平九郎さん。貴方には話を聞いてたい。そして、厚かましいお願いですが。――僕達の目的に協力してもらいたい」

「お願いします平九郎さん」

「目的達成の暁には、勿論十二分な謝礼をご用意いたします! どうか! どうか!」


 必死に詰め寄るヨハン。


『断ったら、今すぐにでも斬りかかってきそうだわ。ふふっ、そんなにその目的とやらが大切なのかしら』

「落ち着けよ。そんな恋人の前でそんな怖い顔するもんじゃねぇよ」

「平九郎さん! 僕は!」

「わかってんよ。だから落ち着けって、俺にも色々事情ってェもんがあっから確約はできねぇが、それでもいいなら話を聞いてもいいぜ」


 詰め寄るヨハンを宥めながら、平九郎はそっとフレイディアの様子を伺う。


(……なんだ? 少し不満そうだな)

『二人の間で、意志決定の齟齬が見られますわ。恐らく、他人の力を借りるのが嫌なのでしょう。この手の女によくある思考ですわ旦那様』

(……俺はお前にツッコメばいいのか?)

『いやですわ旦那様、それは夜にシてくださいませ』

(刀の癖に体をくねらせるな。バレんだろポンコツ刀……)


「――すみません、少し取り乱しました」

「いや、いいって事よ。それより……」

「はい。ではまず我がグランミアス国の王子の事はご存じでしょうか」


 平九郎は、以前聞いた噂を思い出した。


「確か、数ヶ月前だったか? 難病で伏せってるって聞いたが」

「ご存じなら話が早い。――ええ、その通りです。そしてもう一つ」

「もう一つ?」

「王子には魔法薬が効かず、さらに余命半年も保たないのです」

「王家なら万物の霊薬、エリクシア位あるんじゃねぇのか? あれなら何でも――」


 ヨハンは残念そうに首を横振る。


「無いんです。何者かによって宝物庫から盗まれてしまい。近隣の国々や承認に打診したものの手に入らず……」

「それで、手前らで作ると?」

「はい」


 真剣な目、しかし――。


『それだけじゃないわね』

(ああ、もう一つ理由がある。そいつが本命だ)


 平九郎は自身の顎を左手で撫でると、ギロリと睨みつける。


「一つ聞く」

「はい、何で「何の為に」

「え?」

「何の為に戦う?」


 平九郎とヨハンの視線が混じり合う。

 男と男、本気の目線。――陳腐な手段だが、この手の男には効き目抜群だ。 

 故に――偽りを述べる気配もなく若き騎士は。


「……フレイディアと僕の未来の為に」

「――そうか」

「でも」

「あん?」


 ヨハンは熱く語る。


「それだけではありません。――僕は……王子を救いたい。あの人は僕とフレイディアを取り持ってくれた! あの人がいれば、我が国の貴族主義だって変えていける! 腐敗した貴族達を排除して身分など関係なく生きていける、幸せで豊かな国に出来る! これからの国に必要な方なんです! だから!!」


 その熱さに、平九郎は苦笑しながら聞き入った。


(発言の中身は兎も角。はん、良い目してんじゃねえか)

『複雑そうな顔ね彼女。嬉しそうな半分、残りは嫉妬と羨望かしら?』


 まだ若い彼は、平九郎の表情に気づかずに頭を下げる。


「……先程見せて頂いた平九郎さんの剣の腕を見込んで、重ねてお願いします。――ここで出会ったのも何かの縁。どうか、力をお貸し下さいませんか?」


 その真摯な言葉に、悪党は溜息をついた。


「袖振り合うのも多生の縁ってか。こんな所で会ったばかりの奴助力願うたぁ、お目出度い奴だなお前」

「平九郎さん! 僕はッ!」


 言い募るヨハンを眼力で制し、口を開く。

 悪党である平九郎達にとってはいいカモだが、純真な存在を前にしては一つ言いたくなった。

 ――その程度には、平九郎にも情がある。


「あぁ~、なあ。レイドリアの意味って知ってっか?」

「……いえ」

「古語で“盗賊”って意味だ。」


 平九郎の言葉にフレイディアは顔色を変えていない、恐らく最初から知っていたのだろう。

 一方、ヨハンは何かを思い出したのか、はっとした顔をした後無言。

 しかし目の奥、その決意の炎は消えていない。


「中に入れば解るがな、普通の街じゃねえ。大陸一の暗黒街だ。歩く奴全てが悪人だと疑っても間違いじゃあない」


 レイドリアという街は特殊だ。

 他に数カ所しか存在しない、世にも珍しいダンジョンの中の街。

 また、とある“理由”によって随一の治安の悪さを誇る。

 探索者を国際的に管理するギルドも、各国から派遣されている人員も、その“理由”によって殆ど悪人、あるいは訳有りの人種で構成され。

 街に拠点を構える探索者も、当然の如く国家や組織の紐付き、そうでなければ臑に傷のある者達や、平九郎達のように地上に居られなくなった奴らが殆どだ。


「――そして、俺も“そう”だ。悪いことはいわねぇ、ケツの穴まで毟られる所か命まで取られる前に、帰れ」

「……いいえ、帰りません。そして、もう一度言います。どうか僕達に力を貸して下さらないでしょうか」


 ヨハンの目は力強さと、人の善性が込められた輝きがあった。

 その光の清浄に平九郎は少したじろぐ。

 正直、居心地が悪い。


「訳を聞いても?」

「僕は若輩者ですが騎士団で色々な人を見てきました。……平九郎さん。自分を悪党だと言う人に、本当の悪党はいませんよ。だから――」


 やれやれと肩を竦め、平九郎は盛大にため息を吐き出した。


『青臭い台詞だこと。……旦那様、顔は少しにやけてません?』

(馬鹿言え、ちゃあんと隠してらぁ)


 全ては目論見通りである。

 平九郎は自ら悪だと宣言する事で、逆に信頼を得てみせた。

 身分差を乗り越え、恋人との結婚を夢見る貴族の若者には効果的だ。

 ……仮にヨハンが後五年ほど、経験を積んでいれば通じなかった可能性が高い杜撰な手なのだが。


「はぁ……旨い飯屋とギルドの場所位は教えてやんよ」

「有り難うございますッ!」


 協力すると断言した訳でもないのに、前向きな返事をしただけで喜ぶヨハン。


「門は壁沿い右手にもう少しだ。さ、行くぞ」

「はいッ! わかりました平九郎さん!」


 歩き出す平九郎と、笑顔でついて行くヨハン。

 だが、少し遅れて歩き出したフレイディアから、強ばった気配が感じられた。


『ふふっ、彼女、魔力が激しく揺らいでいるわ。旦那様の誘導に気がついて焦っている。それと、気付けなかった自分に怒っている。そんな所かしら』

(んだな)


「おお、そうだそうだ! 大切な事を言い忘れてたぜ!」

「大切な事ですか?」


 うっへっへと笑い、ヨハンに振り返って小指を立てる。


「フレイディアの様な美人さんが恋人でも、男なら違うモンも食いたくなる時あるだろう?」

「は? え? 平九郎さん?」

『旦那様?』


 疑問の声に答えず、平九郎はフレイディアのほうを一瞥して続ける。


「いーいお姉ちゃん達がいっぱいいる店知ってんだよ。何件か教えてやるからさ、行ってみろって。天国が待ってるぞぅ!」

「そ、それって!?」

「な、な、胸は大きい方が好きか? それともフレイディアの様な「ヨハン! 平九郎さん!」

『旦那様……帰ったら少しお話が』


 はっはっは、と平九郎は笑いながら離れる。


(さあて、この二人、三日と保たず死ぬか、はたまた大願成就か。それとも――)


 口元を歪ませながら、門へ向かう


 平九郎は、紛れもなく悪人である。

 戦いが趣味である。――正確には“人斬り”だ。

 かつて妻すら斬り殺し、地上にいられなくなった挙げ句。

 こんな街で人斬り家業で生活する悪党だ。


(ま、精々楽しませてくれよ)


 暫くすると、門番の持つ灯りが見えた。

 段々と近づいてゆき、そして、城壁同様巨大な門が目の前に現れる。

 振り返って、平九郎は言った。


「――ようこそ、不夜城レイドリアへ」


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