第2話 郊外の狩場にて



 恐らくは、ロックスライムであろうか。

 ずっ、べたっ、ずっ、べたっ、という這いずる複数の音。

 時刻は昼を遠に過ぎたであろうに、辺りは闇で、月どころか星光一つ無い。

 ――まあ、当たり前だが。


 ともかくそれを、平九郎は少し離れた岩場の後ろに隠れてやり過ごした。

 傍らには剥ぎ取られた闇狼の毛皮がざっと二十程、革紐で縛られ束になっている

 ここは、大陸随一の地下迷宮。

 その中層、『明かずの夜』『探索者の壁』等と異名を轟かす、真暗闇の平原である。


 ――昔、昔の事だ。

 気の遠くなるような昔、俗説では神代の事と言われている。

 当時のこの世界を治めていた神々と、突如異世界から侵攻してきた魔王との戦争が勃発。

 激戦の末、神は魔王を地下深くに封じた。

 しかし神々の封印の中、魔王は長い時をかけ力を少しずつ取り戻し。

 近代になり地上を再び侵攻すべく、地上に繋がる通路。

 所謂、『迷宮』と呼ばれるそれを数多作り上げた。


 そして今。

 魔王迷宮に探索者と呼ばれる人間が始めて入り、異世界の宝物や貴重な資源を持ち帰り、金も栄誉も手に入れてから三十年余り。

 それまで内輪で戦争を繰り広げていた人類は、競うように迷宮へ潜り始めた。


 この無精ひげと薄汚れた藍色の着流しを着た、極東のおっさん侍、平九郎もそんな一人。

 尤も、地位や名誉、富、その何れも欲してはいない少し風変わりな探索者だが。


「……行ったか」


 平九郎は帯の上に付けたベルトに下げた竹筒を外し、中の温い人肌の水飲みながら天井を見上げる。

 今では暗闇にも順応した目で以てしても、この層の

天は見えず、夜より深い黒が広がっていた。


「それで、今日はもう終わり? 旦那様」


 闇の中の平九郎に、呼びかける声が一つ。

 若い女の声だ。

 更に言えば、聞いた者の十人中十人が声の主を探すような、艶やかな。

 それでいて、涼やかで静かな声だ。

 だと言うのに平九郎は姿を探そうとも、声に聞き惚れた様子も見せず、もう一口生ぬるい水を飲んで返事を返す。

 やはり、辺りには平九郎一人だ。


「そうだなぁ、鈍らねえ位には体を動かしたし、それなりに獲物も採った」

「ふぅん。旦那様がそれでいいなら、帰りましょう。――ここは何もなくてつまらないもの」

「……お前の気持ちは考慮外だ。が、腹も減ったしなぁ」


 そろそろ帰るとするか、と。無精髭を撫でながら一人呟く。

 決して、提案に乗った訳ではない、断じて。

 後、念の為、念の為。

 女の声は平九郎の幻聴ではない。


 それは腰に差した刀、銘にして“七番”

 人語を話す妖刀にして、――最愛の妻。

 刀が妻とは、この大迷宮時代においても耳を疑う話ではあるが。

 七番は女の姿も持っている、というかそれが“元々”だ、女として愛するには何の問題はない。


「そうと決まれば、直ぐに帰りましょう。ねぇ旦那様、いいお店見つけたの。上で流行のケーキを出すお店ですって」

「お七よぅ、“今の”お前さん刀だろ。……刀に食わせる物なんて無ぇよ」

「ふふ、つれないわねぇ旦那様。でもそんな所も素敵だわ」

「はん、言ってろ。このクソ刀が」


 機嫌が良さそうな七番に、平九郎は軽く眉しかめ。 竹筒を戻しながら、遠くを見る。


「……ん」

「あら」


 平九郎は即座に刀へ手を伸ばし警戒。

 遠くから聞こえる剣戟の音と、同じく遠く松明の灯りを睨む。


 ――それは所謂、御同輩。

 二人組の探索者が、魔物と争う姿があった。


 大多数の迷宮の上層は、大概調べ尽くされており、魔法による光源が設置されている事が多い。

 それは、この迷宮も同じである。


 故に昨今の探索者は、この様な光源の無い中層をどう突破するかで、今後の探索に明暗が分かれると言っても過言ではない。

 ないのだが……。

 同業の戦う姿を見て、平九郎は首を傾げた。


「ありゃあ、なってねえなぁ」

「ええ。ここに来るには力不足みたい、よく死んでいないわね」

「見た感じ、逃げ足だけなら一級品みたいだしなぁ。然もあらん」

「ふふふっ、旦那様? 助けてあげますの? ……それとも見殺しに?」


 七番の愉悦混じりの楽しそうな声を聞きながら平九郎は、どうしたものか、と。呟く。

 その面倒くさそうな口調と裏腹に、目つきは非常にに好戦的だ。


 松明の灯りは徐々に、此方へ近づいてきている。

 接敵まで然程時間が無い。

 加えて言えば、向こうの探索者は平九郎の事を気付いていないように見取れた。


「あちらさんは闇蜥蜴と地蜥蜴の混成群か」

「群の主は闇蜥蜴の戦士、――シャドウリザードマンね」


 馬程の大きさで闇を見通す目を持つ闇蜥蜴。

 それより一回り小さいが、土を魔法で操る土蜥蜴。

 双方共、大人の身長位の長さの尾を持つ大蜥蜴だ。

 それに、魔物にしては鋭い知性を持ち二足歩行をして、魔法のみならず武器防具を操る蜥蜴戦士。


(雑魚が多めとはいえ、ちぃとばかし数が多いな。大方、逃げ回っている内に数を増やしたんだろうが)


 対するは探索者二人組。

 前衛の剣士と後衛の魔法使いの二人組、立ち回りや装備を見るに、上層の浅い所を突破するかどうかだろう。


「――どう見る」


 平九郎は七番を抜き放ち、今日の戦果をその場に置いて、群の側面に回り込むように移動を開始する。

 逃げるにしても加勢するにしても、位置が悪い。


「明らかに訳ありね。魔法使いの方は魔力がほぼ残っているのに使っている形跡がない。――恐らく格好だけで、別の攻撃手段を持っているわ。そして、剣士は魔力の流れが変だわ、ああやって走れているのが不自然な位よ。それにあの剣捌きも何か変よ。あれは……」

「魔法を前提とした剣技、か」

「ええ。それにあの魔力の量ならば、この量の敵でも十二分に殲滅可能な筈。いえ、だからこそ使えない……?」


 七番、もとい彼の妻は囀るだけの刀ではない。

 こうなる前は一族の中で最高位の魔法使いで、実力も見識も申し分なかった。

 故に――。


「ふん。お前がそういうなら、そうなんだろうな。――褒美は何がいい」


 平九郎は不満げに言った。

 自身の見解と彼女の見解が重なるならば、経験上それは正しい事実だ。

 正確な情報には、相応の対価を。

 自分の命を最上位とする、探索者の鉄則の内の一つである。

 平九郎は身内だからこそ、七番だからこそ借りを作らないために、それを徹底している。

 ……甘やかしている訳ではない。


「ありがとうございますわ、旦那様。だから好きよ」

「ケッ、目の前の事に集中しやがれってんだナマクラめ」


 えらく熱の籠もった粘着質の声に、平九郎は七番を一瞥する。

 このナマクラとは、それこそ生まれた頃からの付き合いだ。

 情が重い彼女の性質が起こす騒動によって、被害を被ったことは一度や二度では無い。


「では、街に帰ったら新しい服を。可愛いのをこの前見つけたのよ、旦那様」

「…………あいよ」


 なんて手間のかかる、と口に出しかけて飲み込んだ。

 無駄な言葉など、買ってやった後で零せばいい。

 頭の奥に余分な考えを追いやると同時に、平九郎は更に移動して、近づいてきた探索者の死角に回る。

 どうするにしても、情報がもう少し欲しい。


(はん? へぇ、……やれやれ。一部の技術だけみれば下層級だが、蜥蜴共の方が優秀だな)


 探索者は迷宮を踏破した深度により、上層級、中層級、下層級、最下層級と格付けされる。

 上層は十代でも訓練次第で、中層は加えて経験が、下層には実力と運、両方を備えなければたどり着けない、最下層は一握りの天才でしか。

 故に、――妙だった。


 普通なら中層級に至った誰もが、激しい戦闘中でも近くに寄ってきた同業者には気付く事が出来る。

 そうでなければ生き残れないのが迷宮だ。

 逆に言えば、この魔物にも同じ事が言えて。


 だからこその不自然。

 近くにいる数体の魔物は、平九郎気付き様子見しているが。

 件の探索者は、まったく気付いていないのだ。


(……魔法を使えない魔法剣士とは、脆いものだな)


 蜥蜴との相対距離を一定に維持しつつ、平九郎は前衛の戦士に注目する。

 振るう剣に雷や炎を纏わせ、時に遠距離魔法で牽制や補佐、というのが通常の魔法剣士だ。

 万全であれば、蜥蜴の鱗など難なく切り裂き焼き尽くすであろう。


 しかし、魔法使用を前提にしているが故に、その軽くて細いレイピアでは鱗に傷一つ付けられず、同じく薄くて軽い鎧では攻撃を受けきれず既にボロボロ。

 もはや息も切れ切れなのに、未だ原型を保っている事実こそ、かの戦士の実力の高さが伺えよう。

 

 一方で、後衛の女だ。

 魔法の素養が無い平九郎には、詳しい事がわからないが、見目麗しい彼女が生き残っているのは、単に、運がいいからではないだろう。


(“七番”)

『何、旦那様?』


 発声しなかった平九郎の問いに、七番は即座に答えた。

 七番は妖刀としての力で、平九郎の思考と直にやりとりが出来るのだ。


(ありゃあ何だ? 何を投げてる?)

『何って、其れは…………』


 答えようとして、七番は言い淀んだ。

 先程から魔法使いが何かを投げて、蜥蜴の動きを止めたり、攻撃を反らしたりしているのだが――。


『――魔力の気配が無いわ』

(という事は当然、魔具でもねぇのか)


 平九郎は魔力を扱う素養が無いため、魔法は使えないが、それでも一端の探索者だ。

 魔法が発動する気配や兆候ぐらい、判るようになっている。

 

(となると…………純粋薬か)

『確かなら、かなり珍しいわね』


 世界には二種類の薬がある、魔法を活用した魔法薬、魔法を一切使わず作られた純粋薬だ。

 迷宮内において純粋薬は滅多に使われないと言っても過言では無い。

 何故なら、純粋薬は魔法薬に大きく即効性が劣るからだ。

 どんな問題が何時起きるか起きるか判らない迷宮では、どんな効果でも魔法薬が優先される。

 だが――。


(いい腕してんなぁ)


 彼女の投げた直後には、直ぐに薬の効果が出ている。

 恐らく、この迷宮の魔物の為だけに長い時間をかけて作られているに違いない。

 また戦士の方が鬼気迫る表情なのに対し、試験管を入れた鞄から、適切なものを選ぶ余裕が見取れる。

 あれは、相当の修羅場を経験している顔だ。


『でも、此処迄の様ね』

(そうみてぇだな)


 囲まれて避けるの手一杯の魔法戦士の鎧は、闇蜥蜴の尾で遂に弾き跳ばされ。

 魔法使いは手持ちの薬が切れたのか、目の前の敵から逃げ回る事に必死で。

 奥の闇蜥蜴が呪文を詠唱し、相方が狙われているのに気が付いていない。

 

『来るわ、旦那様』


 七番が警告を発した。

 同時に、闇蜥蜴が一際大きな金切り声を上げ呪文が完成、その大きな口の前に大きな火の玉が出現。

 そして今――――!


「避けてっ! ヨハン!」

「うあぁぁぁっぁあああああああ」


 一瞬の事だった。

 平九郎は神速とも称された速度で以て駆け寄り、魔法剣士に直撃寸前だった火玉に居合いの一線、跡形もなく相殺する。

 後ろを見てみれば、通り道の蜥蜴の首が幾つも斬り跳ばされて未だ地に墜ちていない。

 その全てが見えていたら判ったであろう、最下層級の探索者比べても謙遜ない、圧倒的な腕前。

 それを間近で発揮しながら、平九郎は皮肉気に笑って言った。


「――助けは必要かね、ご同業」


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