ゲームデバッガー・ヒロシの受難

比良坂わらび

ゴリラ・アポカリプス

 俺はヒロシ。2043年の東京に住む高校生だ。今日から、親戚の「カヤ姉」が勤める中小ゲーム企業で、ゲームデバッガーのアルバイトを始めることになった。


 ゲームデバッガーとは、開発途中のゲームをテストプレイし、バグなどの問題がないかをチェックする人のことを指す。ゲームをプレイしてお金が貰える、と聞いた俺は、飛びつくようにしてカヤ姉の勤めるこの会社の門を叩いた。そして、簡単な面接のあと、採用が決まった俺は、さっそく開発中の全身没入フルダイブ型ゲーム「ゴリゴリパニック(海外タイトル:Gorilla Apocalypse ゴリラアポカリプス)」のテストプレイを始めたのだが……



 うだるような熱気に支配されたジャングルの中で、俺はゴリラに襲われていた。背後には太い樹が迫り、どこにも逃げ場はない。


 冗談のように筋肉がつまったゴリラの右腕が、俺の胴体をガシリとつかんだ。俺は仮想バーチャルの冷や汗を浮かべながら、一か八か、ゴリラに向かって命乞いのちごいをする。


「あ、あの、ゴリラさん。いえ、ゴリラ様。バナナならいくらでも獲ってきますから、どうか、この手を離してはいただけませんか……?」


 俺とゴリラの視線が交差する。優しさの中に強さを秘めたその眼差しが、俺をまっすぐに見つめていた。


 やがて、彼はゆっくりと口を開く。


「Go to hell(地獄に堕ちろ)」


 メキメキメキッ!! という嫌な音をたてて、俺の体が薄いペットボトルみたいに潰された。


「ああああああああああっ!?」


 女の子みたいに高い声で、俺は絶叫する。――いや、断じてふざけている訳ではない。俺の体に走る、骨が砕け散るような痛みが、俺の声質までも変化させたのだ。


 そのとき、泣き叫ぶ俺の視界の隅に、丸い仮想窓ホロ・ウインドウが展開される。そこには、長い黒髪と端正な顔立ちを持つ、二十代半ばごろの女性が映し出されていた。彼女の無駄に綺麗な声が、俺の耳に届く。


『どう、ヒロシくん。痛覚設定は、それでいいかしら?』

「いいわけないでしょう、これ! 有名RPGのラスボスの即死技より痛いっすよ!」


 ゴリラの凄まじい握力を感じながら、俺は彼女――カヤ姉に向けて叫ぶ。そうしている間にも、俺の体は無数のポリゴン片へと拡散を始めつつあった。アバター自体が負荷に耐えきれなくなっているのだ。



「しかもなんでゴリラが英語を喋るんですか!? 発音良すぎて最初なに言ってるか分かりませんでしたよ!」

『ああ、それは海外展開も考えてのことよ。だいじょうぶ、日本版ではちゃんと関西弁を喋るから』

「そういう問題じゃねぇ……ってなんで関西弁!?」


 かろうじて残された力で、渾身のツッコミを入れた瞬間――


 メキョオン!! という音と共に、俺のアバターがゴリラの握力に屈し、ジャングルの蒸し暑い空気の中に爆発四散した。


「Good bye……(さようなら)」


 白く染まる視界の中で、俺は最期にゴリラの渋い声を聞いた。




「ジャングルの中で襲い来るゴリラ達から逃げるゲーム、って言っても、さすがにゴリラが強すぎませんか!? 俺、ちょっと三途の川見えちゃいましたよ!?」

「いやね、ヒロシくん。ジャングルに三途の川があるわけないじゃない。それはたぶんアマゾン川よ」


 VRゴーグルを外し、仮想世界から現実世界に戻った俺は、猛然と抗議を始める。それに対して、カヤ姉はいたって冷静に返した。


 ゲーム会社の狭いオフィスに、俺とカヤ姉以外の人影はない。無人で稼働する見慣れない機械だけが、小さな音をたてて動き続けていた。


「……どちらにせよ、あの痛覚設定は明らかにミスでしょう。去年わずらった盲腸より痛かったですよアレ」

「そうかしら。それは、ヒロシくんに忍耐力がないからじゃないの? これだから、みとり世代は……」


 カヤ姉は、「やれやれ」とでも言いたげに肩をすくめた。


 「みとり世代」とは、超・少子高齢化社会である2043年現在における若者のことを指す。あまりにも老人が多くなったため、それらを「看取みとる」役割を持った若者たちのことを、「みとり世代」と呼ぶようになったのだ。



 俺が恨めしそうにカヤ姉を睨んでいると、彼女はひとつ咳払いを一度してから、言った。


「……仕方ないわね。それじゃあ痛覚を再設定するから、ヒロシくん、もう一度『潜って』くれないかしら」

「ええ!? もう一回ですか!? 嫌ですよ! もう帰ります!」

「ここで帰ったら、アルバイト代は無しよ。むしろ、契約違反でお金を払ってもらうわ」

「とんでもないブラック企業だなおい!」


 わめく俺を冷たく見下しながら、カヤ姉は諭すように口を開く。


「いい、ヒロシくん? 社会は甘くないのよ。いまや国民の3人に1人が人工知能に仕事を奪われ、生活費を稼ぐのに困窮している。生涯未婚率は40パーセントにも達し、合コンに行っても目が死んだような男ばかり。たまにイケメンがいると思ったら、とんでもなく甲斐性のない男だったりして、期待はずれったらありゃしない。もし万が一高スペックの男を捕まえられたとしても、私が『結婚したら仕事も家事もしたくない』って言ったら離れていくの。――どう? これを聞いても、まだその減らず口が叩ける?」

「後半はあんたの愚痴じゃねーか!」


 ツッコミも虚しく、俺は半ば無理やりにオフィスの隅にある「試験用ベッド」の上に寝転ばされる。なにやらパソコンをカタカタと操作したあと、カヤ姉は「ッターン!」とエンターキーを押した。


「再設定が終わったわ。――それじゃあ、ヒロシくん、ってらっしゃい」

「なんか漢字違うくない!?」


 叫んだ瞬間、俺が装着するVRゴーグルが起動して――俺は再び、阿鼻叫喚あびきょうかんのゴリラ地獄へと堕ちていった。





 草木がうっそうと生い茂るジャングルに、俺は降り立つ。簡素なテスト用アバターの手足の感触を確かめて、俺は視界に表示される矢印アイコンに従い歩き始めた。


「この矢印に沿っていけば、ゴールにたどり着くって聞いたけど……そこまでの距離がよくわからねぇな」


 そう呟きながら、俺が大きな水たまりを飛び越えたとき。


「Huuuuu!」

「Time is money(時は金なり)」


 木々の隙間を縫って、恐ろしい速度で二頭のゴリラが襲来した。それぞれの頭の上には「マウンテンゴリラ」「ニシローランドゴリラ」という表記がされているが、正直に言ってその違いはよくわからない。というかそんなことを考えている暇はない。


「うわああああああっ!?」


 またしても叫び声をあげて、俺は走り出した。背後からは、恐るべき速度でゴリラたちが迫ってくる。


 そのとき、俺の視界の隅にまたしても仮想窓ホロ・ウインドウが表示され、そこからカヤ姉が顔をのぞかせた。


『気をつけてね、ヒロシくん! もしまた「ゲームオーバー」になったら、VRゴーグルを介してヒロシくんの体に強い電流が流れるようになってるから!』

「なんでそんな余計なこと……え!? それって大丈夫なんですか!? 全身没入フルダイブ中にそんなことになったら、死――――」

『だいじょうぶ! う◯こが漏れるくらいだから!』

「なんでだよおおぉ――――っ!」


 迫り来るゴリラのプレッシャーに耐えながら、俺は今日イチの叫び声をあげた。それに呼応するように、ゴリラたちが「ウホウホッ!」と鳴き声をあげる。――いや、鳴き声は普通なんかい!


「チクショウ! 捕まってたまるか!」



 そうして、走ることおよそ10分。途中で現れたヤツを含めて、俺はおよそ6頭ものゴリラに追われていた。後ろからおびただしい数の足音が聞こえているが、振り返っている余裕はない。ゴリラたちは口々に聞き取れない英語を唱えていたが、もちろんその全てを聞き取るのは聖徳太子でもなければ不可能だった。――あ、聖徳太子も英語はわかんねぇわ。


 そのとき、突如として行く先に光が見えた。ジャングルの出口、すなわちゴールが見えてきたのだ。俺はアバターの手足を必死に動かして、勢いよくそこへと飛び出す。



 その先にあったのは、広々とした草原だった。「GOAL!」という表示が、俺の視界にデカデカと表示される。


 良かった、これでやっとゴリラから解放された――と思いきや、ジャングルの中から、俺を追いかけていた6頭のゴリラ、その全てがのそりと姿を現した。ええ、まだ何かあんの!? と俺が困惑していると、その中の一体、頭の上に「マウンテンゴリラ」と表示されたゴリラが、俺の前に来て口を開く。


「Clear time・11:20

 Score・560point

 Rank・B」


 ああ、そういうのは口頭で伝えてくれる系なのね。


 俺がもはやツッコむことすら疲れて、それをただ黙って聞いていると――そのマウンテンゴリラ様が、俺に向かって右手をさしだしてきた。


 明らかに、握手のジェスチャーである。


 俺は一瞬びくりとしたが、もうゲームはクリアしたんだし、何かされることはないだろう……と考えて、同じく右手をさしだす。


 ガチリと交わされる握手。ゴリラの顔に、勝者をたたえるような笑顔が浮かぶ。


(……うん、クソゲーだったけど、謎の達成感はあったな)


 とにかく、漏らすことにならなくて良かった――と、俺が油断した、その瞬間。



 メギョリ! という音をたてて、俺の右手は目の前のゴリラによって粉砕された。それと同時に視界がホワイトアウトして、俺は現実世界へと引き戻される。




「な……なんでだよ!? ゲームはクリアしたじゃねぇか!」


 試験用ベッドから起き上がり、VRゴーグルを乱暴に外しながら、俺は叫んだ。だが、次の瞬間に、体が強く痺れていることに気づく。


 ――まさか。


 ハッとして顔を青くする俺。

 それを見下ろして、不敵な笑みを浮かべるカヤ姉。



 やがて彼女は、とても嬉しそうな顔で、俺に向かってこう言った。




「これがほんとの、クソゲー……ってね」





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