小暮静久は逃げられない!

私こと、小暮静久には、年上の彼女がいる。

順風満帆とは言い難い人生を送ってきたけど、極めつけには、年上の彼女ができるという、私の人生はいったいどこへ向かっているのだろうと、運命という言葉を真剣に考えざるを得ない。

しかも、それが


「静久ちゃん、嘘だと言ってぇ……」


ぐすぐす、泣いて縋り付いている、大人の威厳もなにもない恰好の、担任の先生になるなんて。

今年で25歳だと言っていた椎名小百合先生。いろいろな意味で可愛い人だ。実際、小学校から大学をこえ、社会人となって教師に至る今日まで、男子生徒の視線を総なめにし、女生徒からはやっかみを受ける美貌。美貌というと大人の女という印象を受けるけど、そんなことはなく、丸っこくて大きい瞳は童顔も相まって制服を着ていれば学生と混じっても違和感がないくらい若々しい。身長は私が170㎝以上と女性としては少し高めのと比較して頭一つ分小さく、小柄だが小柄過ぎず、体形が見えずらい服装を心掛けていると自称しているにも拘らず、巨乳だとわかる大きい胸。最も性に興味が強くなるこの時期の生徒にこれは目の毒なのだろう。他人に関心が薄い私でさえも、囃し立てて興味を引こうとするか、黙っていても椎名先生の前では少しでも格好良く映ろうと気を遣おうとしていると分かるほどだ。そんな先生がいる為か、この学校のカップル成立率は極端に低いらしい。何もしていないのに同性に嫌われるのは、いつものことだと、哀愁を漂わせている先生は確かに、大げさではなく呪われているようにすら思えてくる。そんな人生を送ってきた先生だからこそ、交際を受け入れた私に対し、異常な執着を見せている。


「残念だけど、流石に今年はね。

先生だって、分かるでしょう?」


綺麗な涙がぽろぽろ零れ、泣きついてくる先生の頭を撫でて慰めようとするも、撤回するつもりなかった。高校三年生の夏休み。進学校であるこの学校の生徒の殆どは、夏休みなんてあってないようなものだろう。私もその例に漏れず、例年ほどほど程度だった勉強量も、今年に限ってはそうはいかない。


「――浪人しても養ってあげるよ……?」


興奮で紅潮した頬。潤んだ瞳で見上げるその表情は、恋人目線では大変可愛らしいと思う一方、女として目で見ると、狙っているのではないかと思うくらい、あざとい。これは、世の女性から良い目で見られないだろうなぁなんて思いつつも、むしろ、働かなくてもいいから傍にいてと視線で語ってくる先生の額に、額をくっつけた。吐息がかかるくらい近づくと、途端に先生の体が緊張する。


「先生、そういうのはダメって、言ってるよね?」


「ひゃい!」


「勉強であんまり遊んだりはできないけど、これまで同じ頻度くらいなら、息抜きでデートも付き合ってあげるから、ね?」


「よろしくおねがいしますッ!」


先生の家族は全員が全員尋常じゃないお金持ちらしいので、その援助のおかげで、明らかに教員の給料では賄いきれない部屋に住んでいる。もっとも、先生は安全の為だからと、自身の給料以上のお金を、自分のためには使わない。しかし、私に限ってはその例外に当たるらしく、事あるごとに貢ごうとしてくるのだ。


「ごはん、今日も期待してるね」


「うんッ!」


額を離すと、せっかく立てた夏休みの計画が台無しになって、気落ちしていたことも忘れ、キッチンへと向かっていく。可愛いエプロンドレスを纏って、いつもより輝いている先生を傍目に、先生が置いて行ったノートを手に取った。頓挫したものの、夏休みを遊びつくすつもりで、夏休みの計画が書かれているらしく、調理の時間に手持ち無沙汰になった私は、そのノートを開いた。―――開いてしまった。








「お待たせ、お腹すいたでしょ?

今日は、鱸とムール貝のアクアパッツァに挑戦してみてたの。鱸は夏が旬でね、今が一番美味しい時期で……静久ちゃん? なんだか、顔が赤いけどどうしたの?」


「―――先生、これ……」


「あぁ!もしかして、何処か行きたいとこがあった?

うふふ、そうよね。別に全部はいけなくても、1か所か2か所くらいな、息抜きにちょうどいいもんね」


事の重大性を理解していないのか、相変わらず楽しそうに夏休みに想いを馳せ頬をほころばせる先生。

でも、そのノートを開いた瞬間、その笑みも凍り付いた。


「――先生。そういうのは、分かりやすく、色の違うノートとかに書いた方がいいよ?……あと、そんなに制服が好きなの?」


「いっぃぃいいぃっぃやぁぁあぁあぁぁぁっぁあああああああああッ!!!!!」


まるで化け物を見たような絶叫を挙げ、リビングを走り去っていく先生をみて、やっと私も気持ちの整理がついてきた。やっぱり、ノートを間違えて持ってきてしまったらしい。あのノートは言ってしまえば、先生の妄想ノートとでもいうべきか、私の卒業後、新婚生活についての予定が書かれていたものだった。そんなものを見られた先生の行動は共感できるし、理解できるものだったけど……なんというか、あそこまで、好意を寄せられていると物証をもって示されると、見た方も恥ずかしくなるとは知らなかった。


「違うの違うの違うの違うの! 本当はこっちで、さっきのは間違えて持ってきちゃっただけなの!」


見た目だけは全く同じノートを取ってきた先生は、やっぱり見ている方が恥ずかしくなるほど、顔を真っ赤にして今にも零れそうなほど、瞳を潤ませていた。

うん、間違えているのは、見た瞬間に分かっていたから。最初は予定を書いていたものだったけど、途中からは、私と先生をモデルにした官能小説みたいだったし。後のページになればなるほど、過激なものになってたし。私が好きなのは分かっていたけど、どれだけ好きなんだこの人


「気持ち悪いものを見せて、ごめんなさい! でもね、でも、こうでもしないと欲求を抑えきれなかったの!ご飯食べてる時の静久ちゃん可愛くてキュンとするし! シャワー浴びてる時の静久ちゃんの背中が綺麗で色っぽいし! お風呂上がりの薄着なんて正面から見ることも憚られるくらいエッチだし!」


煩悩にまみれ過ぎでは?


「でもね、卒業までは手を出さないようにって! でも自制するにも限界があって、こういう形で発散しなきゃ我慢できなかったのぉおおお!」


卒業したら、なにしてもいいわけじゃないんだよ? そこのところわかってるね?

あの妄想ノートの中の私、明らかに正気がぶっ飛んでたんだけど、変なお薬とかなしだよ?


「うぅぅぅぅぅっ……お願い、します、嫌いに、嫌いにならないでぇぇ……」


ついに決壊した涙腺に、見ていられなくなった私は、先生を抱き寄せて、背中をあやす様になでる。

なんというか、ここまで我慢させていたと思うと、罪悪感に近いものも湧くというもの。まぁ、正直、引いているかと言われれば、割と、引いている気持ちもあるわけだけど。特に、どんな場面でも、私の制服着用が義務付けられているところか。


「そこまで、我慢しなくてもよかったのに」


「だってぇ……静久ちゃん、私に同情して付き合ってくれてると思ってたからぁ、ぐす……だから、学校を卒業したら、ちゃんとプロポーズして、静久ちゃんの気持ちを確かめるまではって思ってたの……」


卒業まで性的なことはなし、そう言ったのは私だ。建前では、教師が生徒に手を出すのはまずいとか、未成年の学生に手を出すと犯罪だとか、言ったのを覚えてる。


「私ね、先生が途中で目を覚ますと思ってた。初めてできた同性の……なんて言えばいいのかな?とにかくさ、友情とか親愛とか、そういうのを恋愛感情と勘違いしてるんじゃないかって」


なにせ、25年間、一度も仲のいい同性がいなかったのだ。正直、浮かれているだけで、好きとか愛してるとか、それこそ結婚だなんて冗談半分で、先生の言う通り、おままごとに付き合っている気分だった。


「だから……うん、同情って意味は間違ってないね。私は、先生が本当に好きな人ができた時、後を引かずに別れられるように、肉体関係だけは持たないようしてたんだから」


「静久ちゃんは……静久ちゃんは、私の事……その……好き、ですか……?」


「―――嫌いじゃないよ。でも、先生が言っている意味で好きかって言われると、正直分からない、かな。ごめんね、曖昧な答えしか出せないで」


「それは、私が女だから、ですか?」


「それは、関係ない……と思う、たぶん。同情でも仮の関係でも付き合う相手くらいは選ぶよ」


ここで言い切れないあたり、私もたいがいだなぁなんて自虐する。結局、裏切られるのが怖くて、失望されるのが怖くて、傷つくのが怖いから予防線を張ってしまう。こういう中途半端な態度が余計に先生を傷つけるとが分かっているのに。

あーあ、先生との関係もこれまでかな。期間にして半年、破局は早かったのか遅かったのか。でも、やったことといえば、一緒にご飯食べて、お泊りして、日帰りの旅行に行った程度。肉体関係どころか、キスもなしなんて、今時の小学生より幼稚な交際。だから、先生も、すぐに私のことなんて忘れて、次に踏み出せるだろう。これでも先生のことは人としては好きな部類だから、素直に幸せを祈っておこう。

あー、でも、先生のご飯が食べられなくなるのは残念だなぁ……


「――わかり、ました」


気持ちの整理がついたのか、落ち着いた声が私の腕の中から聞こえた。

すでに、気持ちの整理も終わり、別れ話を切り出されるばかりの気分の私は、この時、食い意地全開で、先生が作ってくれたアクアパッツァを凝視していた。

先生は、私がトマトを好きなことを知っているから、よくトマトを使った料理を作ってくれる。美味しそうだなぁ。絶対に美味しいだろうなぁ、なんて間抜けなことを考えていたせいで、とっさの対応が遅れた。


「―――――ッ!?」


首に手を回し、引き寄せられたかと思うと、抵抗する間もなく唇をふさがれた。

勢いがよすぎて歯と歯が当たり、鈍い痛みが走るけど、先生は離れる様子がなく、10秒以上唇を重ねた後、ちゅっ、とやけに色っぽく感じる音を立てて離れた。離れたといっても、本当に唇を離した程度で、これ以上近づけば鼻が当たってしまうような距離で、顔を真っ赤にして、ぷるぷる震えていた。


「あー、先生……? さっきのはいったい」


どういうつもり? と言葉を続けるつもりが、射貫くように見つめてくる視線に、思わず言葉を飲み込み、とっさに視線を外してしまった。


「つまり、私の覚悟が足りなかったからだよね」


「――はい? 先生、何言ってるの?」


顔が真っ赤だけどぷるぷるしてるけど、なんだか据わった目に寒気を感じた私は、とりあえず一歩巨きりを置こうと後ろに引こうとした瞬間、間抜けな声を上げて、いとも簡単に先生に押し倒された。


「――は?」


え、なに、先生、どこにこんな力隠してたの?

なんて、呆けている間にも、先生は私のお腹あたりに腰を下ろし、私を見下ろすその視線の熱量は今まで見たことがないくらいで、今までに見たことないくらい、綺麗で、妖艶で


――あっ、これ私食べられるな、と逃げられないことを悟った


「既成事実を作って、逃げ道を塞いじゃおうって話。

静久ちゃんは、優しいから私に逃道を作っていてくれたんだよね?」


「うん、とりあえず、私の上からどこうか」


「でもね、それで、静久ちゃんが本気になってくれないなら、そんなのいらない。

だから、今から、静久ちゃんを抱くね」


「落ち着こう? ゆっくりご飯でも食べれば、んっ!?」


まるで、黙らせるように視線を背けた私の顔に手を当て、強引に唇を奪われる。

―――うっわ、唇、柔らかい。あんなに薄いのにどこにこんな弾力あるの?


「もしかして、本番になったら、私が怖気ずくと思ってた?」


「――あ、あははは……まぁ、正直、そこでこの関係も終わりかなぁなんて、んぅッ!?」


舌、入ってきたぁ……やばい、ちょっと気持ちいい……

日頃が日頃なので、忘れかけているけど、この人は割とハイスペックな人なのだ。そして、頭の冷静な部分がハイスペックな人は、初めてのキスでもそつなくこなすのか、なんてくだらないことを考えている間に、先生の手は、私の服の中に入ってきて


「あんな恥ずかしいノートを書くくらいなんだよ? 日頃から、静久ちゃんに見惚れてるんだよ? 怖気づくどころか、こんなに興奮してるんだよ?」


呆けている私の手を胸に当てると、高鳴る鼓動が伝わってくる。

どうやら……どうやら、私が思っていた以上に、先生は私を好きで、性的な目で見られていたようで。胸に当てられていた手が離されると、3度目のキスが襲ってきた。もう遠慮のかけらもないらしく、私が気持ちよくなる場所を探るように、口の中を先生の下が這いまわる。

あっ、やばい、そこやばい! なんて体が反応したが最後、ものの数分で、理性が溶かされるようなキスに、私は抵抗する気力を失って。


「せ、せんせい……できれば、ノートの最初のあたりくらいので、ね?」


「善処します」


まったくもって信用のならない言葉だけど、過激になった妄想は処女にはつらい。

最後に、記憶にあるのは、アクアパッツァ、食べたかったなぁ……なんておもいながら、私は先生に食べられてしまった。

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