第二話
前世の記憶を取り戻してから早いものでもう3日目の夜。なるべくゲームの関係者とは関わらないようにしようと誓ったリリーだったが、一つ心残りがあった。先日危ういところをハルに助けてもらったのだが、お礼らしいお礼ができていない。
しかし、だからと言って積極的にハルを探そうとは思えなかった。確かに恩は感じているのだが、なるべくゲームの関係者には関わりたくないという気持ちが大きいので、行動力がしぼんでしまっている。
きっと記憶を得る前のリリーだったら、お礼がしたい気持ちはもちろんだが、それに加え恋心も相まって必死になって「王子様ハル」を探していただろう。
「お礼はしたいけど……相手が相手だからなあ……。」
リリーはしばらく考えた末に「偶然会えたらお礼をしてもいい運命。会えなければ会うべきではない運命。」と思うことで落ち着いた。
この決断が1つの未来を引き寄せたと気が付かないまま、リリーは就寝準備を始めた。
カアーっとカラスが鳴いた。リリーはカラスが陣取る屋根を気にしつつ、家の周りの落ち葉を掃いていた。時計は先ほど13時を回ったころだったか。そうして思う。
(最近、カラスが多いなあ。)
いつからだったか……以前はこんなに多くなかったはずだが、気が付くとカラスの鳴き声が聞こえるようになった。その割には糞の被害は全くないし、人を襲って食べ物を奪うなんてこともしていないようだ。そのおかげでカラスたちは駆除されることなく野放しになっている。
そういえば、ハルにお礼をするか否か悩んでいた夜からひと月が経った。多分もう会うことはないのだろう。街へ行く度に、なんとなく人ごみを気にしていたがそろそろ潮時というやつなのかもしれない。もしかしたら、もともと魔王はリリーと接触するつもりはなく、たまたま通りかかって見つけた少女を気まぐれで助けただけに過ぎず、もう存在を忘れている頃かもしれない。
ぼんやりそんなことを考えているといつの間にか落ち葉掃きが終わっていた。考え事をしながらも両手はしっかり仕事をしていたので少し驚いたが、リリーは掃除用具を片付けに向かおうとした。
「リリー!」
振り返ると、見覚えのあるプラチナブロンドと深い海色の瞳の人物が息を切らせて立っている。呼び止めたのはセシルというリリーの幼馴染だ。彼は手先が器用で、ものづくりが好きだったこともあり、街でも有名な金属加工の職人に弟子入りをし、日々修行に明け暮れている。そんなセシルが何故こんな昼間からフラフラしているのだろうか?
「こんにちはセシル。」
「その、こんにちは、リリー……。」
いやに歯切れが悪い挨拶だな、とリリーは首を傾げた。そうしていると今度はセシルが天気の話を始めたので、リリーはセシルの話を制した。普段は学んだ新しい技術や、新作の加工の美しさなど、こちらが聞いてもいないのに夢中で話すような職人気質なセシルだが、何か言いにくい話でもあるのだろうか。
「どうしたの? セシルなんだか変じゃない?」
あからさまに言葉に詰まったセシルは話を切り出すべきか迷っているようだ。きょろきょろと落ち着きなく視線を泳がせたり、腕を組みなおしたり、誰が見てもわかるくらいにそわそわしていたが、リリーはおとなしく待っていた。しばらくするとセシルは意を決したように深呼吸をした。
「あ、あのさ……――」
その日の夜。リリーは両親を送り出し、家に一人で留守番をしている。
いつも忙しくしている両親の結婚記念日が近いのでリリーがこっそりディナーをセッティングをしておいたのだ。リリーがディナーデートのことを話したとき、二人は少し恥ずかしそうにしていたものの、出かけるころにはにこにこと嬉しそうにしていた。
新婚のように仲睦まじく寄り添いながら出かけた両親を見送った後、リリーはいつもより広く感じる家でまったりと簡単な食事をとっていた。
(この後は、少し長めにお風呂に入ろう。それで、そのあとはどうしようかな。あ、読みかけの本があったはず。あの本を読もう。)
リリーが軽食を食べ終わり一息ついたころ、予期せぬ事態が起こった。
トントントン。
ドアが叩かれたのだ。リリーの家は1階に花屋が入っていて2階が住居スペースになっており、この時間花屋側の入り口は閉めてある。裏口が玄関代わりになっているため、叩かれたのは裏口のドアだろう。
一人で留守番をしているリリーはこの来客に対応するわけにはいかなかった。もう夜なのに、突然の訪問。きっと、ろくなお客様じゃない。
トントントン。
さっきよりも少し強めに叩かれる。それでもリリーは辛抱強く息をひそめた。そうするしかこの来客を乗り切れないと判断したのだ。
「――。」
何か、声が聞こえた気がした。様子をうかがい、耳をすませているリリーの鼓膜を次の瞬間、大きな破壊音が襲う。驚いたリリーは小さく声を上げてしまったが、声はなおも続く破壊音にかき消された。
「おい!出てこいっ!」
破壊音が収まると今度は大声が響く。恐る恐る様子を見に身を隠しながら裏口が見える位置へ行くと見知らぬ男が立っている。髪や肌の色はわからないが、黄金の瞳がぎょろぎょろ何かを探すように動いていた。お目当ては恐らくリリーだ。どうやって逃げるか考えようとしたその時、黄金が不気味にニタァと笑った。
「そこにいるな。」
急速に距離を詰められ、リリーの思考は恐怖のあまり停止した。男はためらいなくひょいっとリリーを俵担ぎで担ぎ上げるとぶちぶち文句を言い始めた。
「手間取らせやがって。騒ぐんじゃねえぞ。」
言うが早いか、男は駆け出していた。風を切るように瞬く間に加速していく。
後方を見る形の担がれ方なのでこの男は誰なのか、どこへ向かうのか、何も状況が把握できずリリーの恐怖心はみるみる膨張していく。
「この辺りでいいだろ。」
男から降ろされたのは森の中だった。降ろされた瞬間は膝ががくがくしてしまいまともに立てなかった。まるで生まれたての小鹿のように震えるリリーを見て、男は腕を掴んで支えた。リリーが小鹿になったの元凶なのだから当然と言えば当然のアフターケアだ。せめてもう少し優しく扱ってほしいとリリーは思ったが、膨らみきった恐怖心が不満を圧迫したので、この不満は心に留めておくことにした。それよりも確認しなければならないことが他にある。
「あの、あなたは誰ですか?」
「俺はブライス。」
「……ブライスさん。あなたは何者なんですか?」
「なにものでもねえ。俺はブライスだ。」
一気にリリーは青ざめた。このやり取りで悟ってしまったことが一つある。ブライスの答え方、リリーはそれに覚えがあった。ゲーム中でも似たようなやり取りが発生するイベントがある。ヒロインと魔物のやり取りだ。つまり、このブライスという男は、たぶん魔物だ。
「嫌な予感しかしない……。」
思わず声に出してしまったが、ブライスは全く気にすることなくリリーの片腕を掴んだままスタスタ歩いていく。男の、それも魔物の手を振りほどくことなど到底できないので、リリーは引きずられるようについて行くしかないのだった。
森を抜けると視界が開けた。そこにそびえ立つのは立派な城。
カアーと鳴き声を聞いてリリーは城の上空を見上げる。屋根や上空に群れているカラスを見たとき、リリーはぞっと寒気を覚えた。最近、下町にやたらカラスが多いのは、もしかして……。
「こっちだ。」
ブライスに引きずられながらリリーは城へ足を踏み入れた。本当は入りたくはなかった。なんなら今すぐ帰りたかった。しかし腕はブライスに拘束されたままだったから、逃げたくても逃げられない。
リリーはそのままずるずると進んでいく。いくつか大きな扉を通り過ぎて、もうどうにでもなれと腹を括った頃、大きな扉の前でブライスは立ち止った。
「帰ったぞ! 主!」
その言葉に呼応するように扉がゆっくり開いていく。この先にいるのだ。魔物を統べるあの人が。
中に入ると、そこはやたら広い部屋だった。天蓋付きのベッドがあるから、寝室なのだろうか。リリーは物珍しくてきょろきょろ見回してみた。部屋の隅で黒髪の男が大きな鏡に向かってなにかぶつぶつ呟いているのが見えて咄嗟に目をそらした。
「主。」
ブライスは男に声をかけた。するとその男はキィキィと喚き始めた。
「ちょっと! ブライス、あんたどこほっつき歩いてたのよっ! あたし今すっごくデリケートなのよ!? それなのにこんな時間に……さては逢引!? 逢引してきたのね!? キイイイッ! 許せないわっ!」
「まあまあ、主様、落ち着いてください。主様にはこのヒューゴくんがいますよお~?」
「お呼びじゃないわっ! だいたいヒューゴもさっき鳥たちを撤退させたでしょ! まったく! 突然鏡は使えなくなるし! あの子はあたしを探す素振りすら見せないし! なんなのよもう!」
「……主に、土産があるんだが。」
当たられてしょんぼりうなだれつつもブライスはリリーを差し出す。この土産にぎゃあぎゃあ喚いていた男……もとい、魔王は驚いたように小さく声を上げた。一拍おいて、彼は目をキラキラさせながらリリーに飛びついた。
「まあまあ! リリーじゃないのっ! 本物? 本物よね? ああん、やっぱり可愛いわあ~!」
「あの、近い……です……。」
小さく抵抗するものの、この魔王、勢いがすごい。全くリリーから離れようとしない。様子を見ていたヒューゴが近寄ってきたかと思うとぼそぼそ魔王に耳打ちした。すると魔王はすっとリリーから離れ、恭しく跪いた。
「怖がらせてしまってごめんね、リリー。久しぶりだね?」
さっきまでオネエ口調で喚き散らしたり、リリーを撫でまわしていた魔王はあっという間に「ハル」へ変貌した。
リリーは全て知っていたのだが、目の前で切り替えられるとさすがに引く。引いたものの、リリーは穏便に家に帰してほしかったので、話を合わせることにした。
「お久しぶりです、ハルさん。お元気そうでなによりです。」
「リリーも元気そうで……元気……うっ。」
突然、ハルはわんわん泣き出した。今の挨拶のどこが起爆剤になったのかわからずリリーは呆けるしかない。
(この魔王、情緒不安定すぎじゃない? こんな性格だったっけ?)
「あーあ。ごめんなさいね、リリーさん。うちの魔王様ったら失恋したばっかりなんです。」
「失恋?」
ぽかんと繰り返すリリーにヒューゴは「そうなんですよお」と続ける。
「この鏡で想い人を覗き見していたんですよ。なかなか会いに来てくれないなんてぼやきながら……もうひと月以上になりますねえ。そうしたら今日になって恋人らしい人が現れましてね……。」
「はあ……。」
「途中で鏡が映らなくなったのでまだ望みはありますよって言ってるんですけどねえ。」
魔王も恋とかするんだなあ、と思っていたが何故リリーが連れてこられたのかひとつの可能性に思い至ってしまった。リリーはブライスに視線を送る。
「俺はカラスに事の顛末を聞いた。」
深いため息が出た。
下町にカラスが増えたのはここ2.3日の話ではない。恐らくハルに助けられたあの日から鏡でたびたび覗き見されていたのだろう。ハルの発言からカラスはヒューゴが操っているようだが、少なくともブライスはカラスから情報を得ている。
そして今問題になっているのは、リリーがハルにもう一度会おうと探しに行かなかったこと。そして、昼間のセシルとのやり取りが中途半端な形でハルに伝わったこと。恐らく、より重要なのは後者だ。
あの時様子がおかしかったセシルはリリーをデートに誘ってきた。しかし、幼馴染以上の感情を持っていなかったリリーはデートはお断りした。そのセシルをリリーの恋人だと勘違いした魔王はご乱心。
あの会話のどこをどう切り取って見ていたとしてもセシルを恋人と勘違いするなんてことにはならないと思うのだが。
「ハルさん。一応言っておきますが、セシルは恋人じゃないし、デートはお断りしました。」
わんわん泣いていたハルの動きがピタッと止まる。ギギギと錆びついた音でも聞こえそうなほどぎこちない所作でハルはリリーへ向き直った。
「ほ、本当に……?」
頷いてやるとハルは元気を取り戻したようで、あっという間ににこにこと笑顔になった。
「そうよね。リリーを疑うなんて、あたし、お馬鹿さんだったわ……!」
リリーがちらっとヒューゴを見ると彼はもうあきらめたようでため息をついているところだった。ハルは上機嫌で物騒な事を言い始める。
「もしあの子が恋人だったら、あの子大変なことになっていたかもしれないものね。」
「楽しそうなところ、申し訳ないんですけど。あの、私、家に帰りたいんですが……。」
できれば今後関わりたくないという言葉は何とか飲み込んでリリーがおずおずと申しでる。ハルはにっこり笑って頷いた。
「そうね。今日はうちのお馬鹿さんが強引に連れて来ちゃったみたいだし。それにリリーのお家のドアも壊しちゃったものね。」
そういえば。ブライスはリリーを捕まえるときにドアを壊して入ってきたのだった。いろいろあってすっかり忘れていたが、両親が見たら倒れてしまうかもしれない。
「ドアの修理も必要だから、あたしが送っていくわ。瞬間移動と夜空のお散歩、どちらがお好みかしら?」
綺麗に直ったドアを見て、リリーはほっと息を吐いた。これで両親がいつ帰ってきても大丈夫だろう。
ドアの修理はハルの魔法で一瞬だった。仕事を終えたハルは「今日はもう帰るわね。またね、リリー。」とあの日のように手をひらひら振った。
「今日は……?」
ハルが消えた後の虚空を眺め、不吉な言葉にリリーは身震いした。
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