魔王様は愛が重めなオネエさんでした

森梢

【出会い編】

第一話

今日も気持ちのいい天気だなあ、と伸びをしてリリーは身支度を始めた。

昨日の夜、母親からお使いを頼まれていた事を思い出し、少しだけおめかしをする。

おめかしとは言っても、いつもは飾りのない紐で適当に結い上げる髪を、今日は可愛いリボンで結い上げるといった、ささやかなおめかしだが。


結い上げた栗色の髪を揺らし、自室から降りていくと甘い花の香りがふわっとリリーを包む。

リリーの家は下町の小さな花屋だ。両親そろって花が好きなので、家にもいつも綺麗な花が活けてある。


母親からあれこれ説明を受けて、リリーはラッピング用の包装紙とリボンを買いに街へ出かけた。




「えーと……?」

リリーは困惑していた。

包装紙と、リボンを買って、せっかくだから自分の髪飾りでも見てから帰ろうと寄り道したのがまずかった……のだろうか?

たぶんそう。いや、絶対そうだ。


現在リリーは見知らぬ三人組の男に囲まれている。

いかにも軟派風な男に声を掛けられ「急いでいますので」なんて愛想笑いで切り抜けようとしていたら、ナンパかと思っていた男が実は三人組だった。物騒にも、そのうち一人は頭がすっぽり入るくらいの麻袋、もう一人は頑丈そうな縄をわざとリリーに見えるようちらつかせ、にやにやといやらしい笑みを浮かべ路地裏までリリーを追い詰めた。


(ああ、これ終わったな……。)


この路地裏で乱暴でもされて殺されてしまうんだろうか、なんて完全にあきらめムードでおとなしくしていたら無抵抗なリリーに気をよくした男たちはささっと手首だけ縛り何やら話し始めた。


「今回の娘はなかなか高く売れそうだな。」

「たしかこいつ器量良しって評判のいい花屋の娘だろ?」

「暴れないから傷もつけずに済んだしな。」


(なるほど。私は売り物か。)


これが人身売買ってやつか、とどこか他人事で話を聞いていたが、次第に男たちは揉め始めた。どうやらこの男たち、リリーを売った方が金になるか、それとも両親に身代金を要求した方が金になるかで言い争いを始めたようだ。


(さすがに身代金は困る。うちにはまとまったお金なんてない。でもお父さんとお母さんのことだ。なんとか工面してくるに違いない。)


人間、深く考え込む目つきが悪くなることがある。今日ばかりはそれを恨んだ。男の一人がリリーの表情に気が付いたのだ。汚い言葉を吐きながらこちらにやってくる。どうやって逃げようか考えていただけなのだが「反抗的な目だ」とか「これだから女は」とかブツブツ言っている所を見るに、口論で気が立っていた男の機嫌を損ねるには十分な表情だったのだろう。


殴られると本能で悟った。予想通り拳が飛んで……飛んで……来なかった。代わりに男が仲間のほうへ吹っ飛んでいった。


(え?)


何が起こったのか理解できずにきょろきょろしていると、不意に手首の拘束が緩んだ。

「やあ、お嬢さん。無事かな?」

視界いっぱいに美男子の笑顔が広がり思わずリリーは小さく悲鳴を上げた。美男子は笑顔のまま優雅な仕草で「しーっ」と自身の唇に指をあてて一言囁く。濡れ羽色の髪がサラッと揺れた。

「いい子だから、そのまま待っていて。」

一瞬、深紅の瞳にまるで射抜かれたように思考が停止してしまったが、リリーは我に返ると必死にこくこく頷く。美男子はその様子にまたにっこり笑うと男たちの方へつかつか歩いて行った。


それからはあっという間だった。

美男子が指をスイスイ動かしたかと思うと瞬く間にリリーを開放し、代わりに男たちを縛り上げた。その縄、そんなに長かったっけ?とリリーは思ったが何も言わずに黙っていた。


不思議な現象の連続に、呆けているリリーを見て美男子はクスクス笑った。

「さあさ、可愛いお嬢さん。こいつらは僕が預かるから安心してね。君はもうお家にお帰り。」

美男子はにっこり笑うと手をひらひら振った。それがお別れの合図だと気が付いたりりーは慌てた。まだ名前も知らないのに。


「あの!助けていただきありがとうございました!私、リリーっていいます!あなたのお名前を教えてください!」

一瞬きょとんと動きが止まった美男子は、すぐにクスクス笑いながらまた手を振った。

「僕はハルだよ。またね、リリー。」


その直後。リンと鈴の音が聞こえたかと思うとハルと悪党三人衆は消えていた。




家に帰ると、リリーはまるで魅了の魔法にでもかけられたようにぼんやり「ハル」のことを考えていた。あんまりぼんやりしているので父親からは熱でもあるのかと心配された。一方母親は何かを察しているようで時折にやにやと探りを入れてきた。もちろんあの出来事をリリーは話さなかった。人攫いに遭いそうになったところを男の人に助けられた、なんて馬鹿正直に話せば余計な心配をかけるだけだとわかっていたから。


自室に戻ると今日の出来事を思い出す。

「綺麗なひとだったなあ。」

少し長めの黒髪にルビーのような深い真っ赤な瞳。まるで作り物の様に美しい顔立ちの美男子だった。

「また会えると、いいなあ……。」

そう呟いてため息が出た。リリーは年頃ではあるが恋愛経験は無いに等しい。そんなリリーでも「これが一目惚れってやつか」とわかるくらいはっきりとした焦がれを感じた。

だが、あの見た目だし服も上品なものを着ていた。きっといい身分のご子息ってやつなんだ。住む世界が違う。

きっとこれは諦めねばいけない恋なんだと、自分に言い聞かせながらリリーはまどろみの中へ意識を手放した。




その晩、不思議な夢を見た。

見知らぬ場所で見知らぬ少女がなにか薄い箱のようなものを眺めて微笑んでいる様に見える。ぼんやりとしか見えないので、周囲の状況も少女もよく見えない。あの子は誰だろう?と考えていたら急に少女が遠ざかっていった。


目が覚めたリリーは首を捻った。どうして懐かしく感じたんだろう?




不思議なことに、同じ夢を何度も見た。しかもどんどん映像は鮮明になっていき、昨晩は少女の顔もはっきり見えた。少女の顔は何故だかとても懐かしく感じた。……見覚えはなかったが。

さすがに8日目ともなると気味が悪くなってきた。そろそろ誰かに相談してみようか。でも、それこそ気味悪がられてしまうのではないか。


一人悶々と考えていたら、そろそろ開店の時間だ。今日は店の手伝いを頼まれているので考え事は後にして気合を入れよう。リリーは髪をきつめに結い上げた。




開店から3時間ほど経ったころ、雨が降ってきた。これは客足が減りそうだ。

「お手伝いは午前中いっぱいでいいわ。午後は好きに過ごしなさい。」

母親が雨の様子を確認しながらそう言うのでありがたく午後は好きに過ごそう。いろいろ考えたいこともある。

「ありがとう。そうさせてもら……」

笑顔で返事をしようとしたが、突然の眩暈で言葉が詰まる。立ち眩みにしてはひどい気がする。ぐらり、と体が揺れた。


遠くで母親がリリーを呼ぶ声がする。




「今何時!?」

リリーがそう言って飛び起きたのは眩暈で倒れた次の日の朝だった。

「リリー!ああ、よかった……!お母さん気が気じゃなくて……。」

「心配かけてごめんなさい。えーと、実は前の日からちょっと体調があんまりよくなくて、ちょっと無理したのが祟っちゃったみたい。」

「まあ、そうだったの……今日はゆっくり休んでなさい。家事もやらなくていいからね。」

よほど心配しているのだろう。「何かあったらすぐ呼びなさい。」と、リリーを気遣って母親は部屋から出て行った。

一人になったリリーは頭を抱えた。


「どうしよう……。」


昨日倒れる前にはなかった知識が、今のリリーにはあるのだが、両親にも言わないほうがいいとはっきりわかる。下手をすれば病院に連れていかれてしまう。


「前世の記憶を取り戻したなんて、そんな、馬鹿げてること……。」


約1週間前から見ていたあの夢は前世の自分の夢だったと、今ならわかる。あの薄い箱はゲーム機だ。前世のリリーはゲームが好きな女の子だった。恋愛ものからRPGからフリーゲームまで手広くプレイしていた。16歳の誕生日に多分、交通事故でその生涯を閉じた。多分というのはそのあたりの記憶はさすがに曖昧で、よく覚えていないのだ。


今ある情報を整理しよう。リリーは唸りながら情報をまとめ始めた。


生前は日本という島国に住んでいた。そして今リリーが住んでいるこの国は、生前のリリーが大好きだったとある恋愛ゲームの舞台となった架空の国だ。日本と違い、この国には少数ながらも魔法が息づいている。


先日「ハル」は不思議な力を使ってリリーを助けてくれた。その時は緊張と驚きの連続で考えることを放棄していたが、今ならそれが魔法だったとわかる。


この国で魔法を使えるのは王族と上流貴族のみだ。しかし「ハル」はそのどちらでもない。というのも、ゲームのジャンルは恋愛で、その攻略キャラたちが皆、魔法を使えるという設定だったのだが「ハル」は攻略対象ではないのだ。


「ハル」はいわゆるゲームの敵役。魔王、その人の名。

ハルがいる、ということはここはあのゲームの世界と考えてよさそうだ。


「それにしても、ここがゲームの世界だとしても、最初に魔王にエンカウントなんて……。」


魔王ハルはゲームの3周目以降に、とある高難易度のイベントをこなすと親密な関係になれる。イベントもあるし、スチルもある。しかし攻略は絶対にできない。そんなキャラだ。

攻略対象ではないものの、容姿と性格からコアなファンが多く、ルート解禁の要望も多かったようで、FDでは個別シナリオが用意されていた。


そう、魔王はあくまで敵対キャラ。「攻略」は不可能なのだ。

そこまで思い出して、リリーはふと思考を停止した。


「あれ?魔王って、確か……。」


………………。

魔王についてこれ以上深く考えるのはやめよう。そのほうがいい。


問題はヒロインでもない自分が何故、前世の記憶を手にしてしまったのか。これからどうすればいいのか。


「そう、自分のことを考えなくっちゃ!」


まず、黙っていたほうがいいことに変わりはないのだが、万が一、ゲームの登場人物に出会ってしまったらどうするか。


どうするか?


「……いや、会うことなんて、なくない?」


そう。攻略キャラたちは皆、身分が高い。こんな下町まで来ることもそうそうない。


「今まで通り普通に暮らせばいい気がしてきた……。」


そもそもゲームにリリーなんて子は出てこなかったし、万が一モブの一人だったとしてもモブはモブらしくガヤでもしておけばいい。


唯一接触済みの「ハル」だって、あれから接点のひとつもない。記憶を取り戻した影響か、「ハル」への恋心はすっかりなくなっていたがむしろその方が平和に生きていける。魔王への恋心を拗らせるよりよっぽどいい。


幸い、リリーは下町の花屋で平和に暮らしている。この後の人生もきっと人並みに幸せになれるはず。今まで通り、何事もなく。


そこまで考えて、すっかり安心したリリーを眠気が襲う。もう考えることをやめたリリーは抵抗することなく意識を手放した。

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