第三話
リリーは平穏に人生を謳歌したいだけだった。なんなら謳歌できなくてもいい。平穏に一生を終えられるのであれば……。
「ハル君じゃないか。今日も買い物かい?」
「はい。今日は桃色で、可愛い雰囲気の切り花を頂けますか?」
「まあまあ。いつもありがとう。今日はおばさんがおすすめを選ぶわね。」
1階の店先で繰り広げられているやり取りに、頭が痛くなるを感じたリリーは行きたくないと強く思った。それでも両親のため店の手伝いをしなくては、と渋々1階へ降りて行った。
あの夜、ハルはリリーに「今日はもう帰るわね。」と告げて帰っていった。その言葉は、できるだけゲームの登場人物には関わりたくないと思っていたリリーにとって、不吉以外のなにものでもないニュアンスを孕んでいた。
次の日。
花屋に一人の客が訪れた。艶やかな濡れ羽色の髪とルビーの瞳が印象的な美男子だ。優雅な立ち振る舞いはそれだけで彼の身分の高さを物語っていた。
リリーの両親は「どうしてウチの店に……?」と初めこそドギマギとしていたが、そこは接客のプロ。にこやかに声をかけ、店主として恥じない対応をして見せた。
「げ、ハルさん!?」
依頼品のブーケを届け、店に戻ったリリーはぎょっとした。可能であれば関わりたくない人物がニコニコと店内で花を選んでいるのだ。
「リリーおかえり。お客様と知り合いなのかい?」
父親に問われてリリーは思わず眉間を押さえた。軽率にハルの名を呼んでしまった事を後悔したが、もう無かったことにはできない。両親ともリリーが目の前の客の名前を知っていたことに驚いていたから。その横でハルはニコニコしていた。
「街でたまたま知り合ったの。」
言いながらリリーはいろいろと隠したままだと変に勘繰られるかもと思ったが両親はあっさり納得した。街は様々な人が集まっているので当然身分の高い……例えば貴族も買い物や食事を楽しんでいる。なので、ちょっとしたきっかけさえあれば身分に関わりなく色々な出会いがあるのだ。
「はは。リリーの中で僕はまだ知り合いかあ。残念だな。」
わざとらしく肩をすくめたハルに両親は「おやおや?」となにか気が付いたように先ほどの営業スマイルとは違う種類の笑みを浮かべた。リリーはその変化に気が付いてしまったが、何も見ていないふりをした。
それからハルは毎日のように花を買いにやってきた。そして来るたびにリリーを見つけては嬉しそうに笑うので、両親は遠巻きに保護者の微笑み……というよりもはっきり言って、ニヤニヤされた。
両親はすっかりハルを気に入ってしまった上に、今ではすっかりお得意様だ。ハルと談笑する父親と鼻歌交じりに桃色の花を選ぶ母親の背中をぼんやり眺めてリリーはうなだれた。
(どうして、こうなったんだろう……。)
ふと視線を上げると、可愛らしい桃色の花を抱えたハルが出口に向かおうとしている。いつの間にかお会計も終わっていた様だ。リリーの前を通り過ぎる時に、ハルは小さくいつもの言葉を囁いた。
「またね、リリー。」
今日は定休日。リリーは午後から本屋へ向かおうと支度をしていた。今日はお目当ての本があるわけではなかったが、本屋は見ているだけでも楽しい。出かける前からリリーは上機嫌だった。
「折角だから街の大きな本屋へ行こうっと。」
何か新しい本との出会いがあるかもしれない。そう思いながらリリーは出かけて行った。
街で一番品ぞろえが豊富と評判の本屋はリリーのお気に入りの店のひとつだ。下町にも本屋はあるのだが規模がまるで違う。欲しい本が決まっているときは下町の本屋で注文をして受け取ることが多いのだが、今日のように目的なくいろいろ見て回りたい時にはこの街の本屋がうってつけだ。
どのコーナーから見て回ろうかときょろきょろしていると、聞き覚えのある声に呼び止められた。リリーが振り返るとそこにいたのは分厚い専門書籍を抱えたセシルだった。
そういえば、セシルとはデートのお断りをしたあの日から会っていなかった。セシルは職人見習いで、日々修行に明け暮れているので、そもそもあまり会う機会がなかったのだが。
「あのさ、リリー。」
「うん?」
気まずい沈黙。リリーはセシルの言葉を待った。
「この前のことなんだけど。……忘れてくれないか?」
ふう、と一呼吸おいてセシルは続けた。
「次会えたら言おうと思ったんだ。俺、あれからいろいろ考えてさ。……あのまま、リリーと疎遠になったら嫌だなって。」
「私はセシルのこと大切な幼馴染だと思ってるよ。だから、疎遠になったりはしないから安心して。……セシルの気持ちに応えられなかったのは申し訳ないと思うけど……。」
「その件は忘れてくれって言ったろ?」
セシルは頬を掻きながら視線を逸らした。ずり落ちかけていた重そうな専門書籍を抱えなおして「買い物の途中だった」とセシルは我に返ったようだ。
「呼び止めてごめん。えーと、これからも今まで通りよろしくな。」
そう言うとセシルは小さく手を振って難しそうな本が並ぶコーナーへ歩いて行った。
セシルには申し訳ないけれど「今まで通り」と言われてリリーは安堵していた。セシルに対して恋愛感情がなかったからデートは断ったが、決してセシルが嫌いだとかそういうことはなかったから。
「おや、先日のお嬢さんじゃないですか。」
今度はリリーの思考を馴染みのない男の声が遮った。嫌な予感がして、ばっと勢いよく振り向くとそこにいたのは……。
「……ヒューゴさん……。」
「そんなに警戒しないでください。ヒューゴくん、怖くありませんよ? 今日は主様のお使いですから。」
そう言うヒューゴの手にはたくさんの本が抱えられている。よく見るとやたらと可愛い装丁の本ばかりだ。リリーが不思議そうに見つめていると視線に気が付いたヒューゴは「えっち。」とおどけて見せた。あまりの気持ち悪さにリリーは一歩下がった。それに対してヒューゴは「こほん」とわざとらしい咳払いをした。
「冗談ですよ。言いましたでしょう? 主様のお使いだと。」
抱えている本を強調してヒューゴは言うが、どの本も絶妙に隠されていてタイトルが見えなかった。何の本だろう? とリリーが考えているとヒューゴはにやりと笑う。
「あの人、本当に乙女なんですよ。」
それだけ言うとヒューゴは会計へ向かう。ヒューゴとのやりとりでどっと疲れてしまったリリーは「関わりたくない人が増えた……。」と思いながら今日は何も見ずに帰ることにした。
次の日。リリーは店の奥でブーケを作る練習をしながら時計を見た。針は17時を少し過ぎたところを指している。閉店時間は18時なので、閉店まであと1時間ほどだ。そろそろ閉店準備に入る頃だと、リリーは作業する手を止めた。
「ああ、今日の閉店作業はお父さんとお母さんがやるからリリーは練習を続けていていいよ。」
父親にはあいと簡単に返事をしてリリーは作業に戻る。とは言っても今作っているブーケは仕上げをして終わる所まで進んでいる。我ながら可愛く作れたとリリーは少し得意気にリボンをかけ始める。
「今日はハル君、来なかったわね。」
母親の一言にリボンを結う手が固まった。
「そういえば、珍しいな。」
「定休日明けの日は必ず通ってくれていたのよ。何かあったのかしら……?」
ちらっと両親はリリーに視線を送る。
「た、たまたまじゃないかな? ほら、用事があったとかさ。」
両親の視線に耐え切れなくなってそう言ったリリーの目は泳いでいた。本当にリリーは何も思い当たることがなかったが、このまま「たまたま」が続けばいいと願った。
あれから数日が過ぎた夜。リリーは自室で物思いに耽っていた。
ハルはまるで、そもそも存在していなかったかのように一度も花屋を訪れなかった。ハルが来店しない日々が続き、両親はそれは寂しそうにしていた。
一方のリリーは「やっと飽きてくれたのかも。」と喜んでいた。同時に、寂しいとしょんぼりしている両親の前では、そんな素振りは見せないように頑張っていた。
「この平穏が続けばきっとお父さんもお母さんも目を覚ますはず。」
言いながら、リリーはふっと思考の海に身を投げた。
いや、目を覚ますべきは私自身かもしれない。
前世の記憶があったって良いことなんてきっとない。「前世の記憶」や「ゲームの世界」なんて誰かに言えば医者に連れて行かれてしまう。
それに私はゲームでいうところのモブ。この世界のヒロインじゃない。
前世の私は色んなゲームをプレイしていた。この世界は恋愛ゲームで、ルートによっては国同士の争いに発展したり国が滅びたりしていたけど、1周目なら魔王は関与しないからバッドエンドでもそこそこの未来しかないはず。
問題があるとしたら、ここが3周目以降の世界だった場合。魔王のイベントが失敗に終わった時のメインヒーロールートの、バッドエンド……このゲームにおいて最悪の結末だと私は思っている。ただ、このエンドにたどり着くには条件が多い。
ヒロインが転生者か否か私にはわからないけれど、きっと主人公補正で幸せになるに決まってる。ヒロインが幸せになればどのルートでもおおむねこの国は安泰が約束されている。
私は下町の花屋の娘。ゲームのヒロインじゃない。
だから、せめて平穏な毎日を……。
ハッとリリーが目を覚ましたのは午前1時頃。
どうやら色々と考えているうちに寝てしまったようだ。嫌な夢を見た気がする。うなされて汗をかいたのか、いやに体がペタペタする。時間が時間なのでお風呂に入りなおすことは諦めて簡単に体をふいてからベッドに潜った。今度はいい夢が見たいというささやかな祈りと共に。
翌日。
リリーはまだ悪夢が続いているのかと錯覚した。一方、両親は上品な美男子の接客をしている。
それは突然やってきた。いつも通り馴染みの店に足を運んだ常連が言うように「今日はオレンジ色の花が欲しいんです。」なんて笑いながら。
今日は父親が花を選んでいる。ハルはいつも色や雰囲気だけ伝えて花選びは両親に任せている。いつもは父親が花を選び始めると母親がハルの話し相手になり、母親が花を選ぶ日は逆に父親が話し相手になっている。ところが今日の母親は「わかってるわ!」とでも言うように別の作業をしていてハルに話しかけなかった。
「久しぶり、リリー。寂しくなかった?」
「いえ、別に……。」
当然のようにハルはリリーに声をかける。まさか来なくなったことをこっそり喜んでいたなんて言えないリリーはバツが悪そうに目を逸らした。
「実は、今日はリリーに渡したいものがあるんだ。これ、なんだけど。」
らしくもなく、ハルはおずおずとリリーに小さな包みを手渡す。リリーは驚き、逸らした視線をハルに戻してしまった。ハルに渡された包みはピンクを基調にしており、リボンがあしらわれた可愛らしいものだった。
「なんですか、このいやに可愛いラッピング。」
「可愛いでしょ!? あたしのこだわりよ!」
「食いつきがすごい。」
指摘されたハルは小さく「あらやだ。」と言いながら王子様に戻った。
「中身はクッキーなんだけど、僕の手作りなんだ。」
魔法でちょちょいと作ったなら、それは手作りとは言わないのではないだろうか。というリリーの疑問はハルも予想済みだったようだ。
「言っておくけど、本を見ながら自分で作ったんだよ。」
「え、本当に手作りなんですか!? ……本?」
そういえば、先日書店でヒューゴに出会った。あの時彼が抱えていた本はやたら女子向けっぽい可愛い装丁のものばかりだった。
「まさか、ヒューゴさんのお使いって……。」
「ヒューゴにはお菓子作りの本を調達してもらったんだけど、最初のうちは難しい本ばかり持ってくるものだから使い物にならなくて……。」
「ハルさんってお料理関係ダメなんですか。」
「……得意では、ないかな……。でも、それはちゃんと美味しくできたやつだから安心して。」
言いながらハルはにっこり可愛いラッピングを指さす。とにかく、ちゃんと作ったから食べてほしいということだろう。リリーが「後で頂きます。」と言うと王子様は満足したようだ。
「ところで、なんで急にクッキーなんですか?」
率直に疑問に思ったことが口から零れた。ハルが小さく反応をみせた。「あ、これ聞かないほうがいいやつだ」と感じたリリーは言葉を取り消そうとしたが遅かった。
「鏡で見たのよ。あの幼馴染がリリーを探してるのを。目的まではわからなかったけど、あたしも何かしなきゃって思って。」
素になっていることも忘れぼそぼそと独白にも似た言葉を紡ぐハルは一呼吸置くとパッと笑って見せた。
「でも、お菓子作りって難しいんだね! まともに作れるようになるまで1週間もかかったよ。」
「1週間……まさか、お店に来なくなったのって……。」
「クッキー作ってたからだよ。」
リリーはなんと言っていいのかわからない感情に飲み込まれた。あまり良くない感情であることはわかる。ぼそっと「ぬかよろこび、くっきー」とうわ言が零れた。
「そうだ、ハル君。さっき何か相談があるって言ってなかったかい?」
花を包み終えた父親がリリーとハルの方へやって来る。ハルはにっこり笑みを浮かべ、リリーは嫌な予感に更に意識が遠のくのを感じた。
「ええ。お嬢さんにうちの屋敷で働いてほしいと思うのですが、いかがでしょう?」
「うちのリリーに?」
思ってもみない内容だったようで父親は目をぱちくりさせ「リリーに?」と何度か問い直した。その度、ハルは笑顔のまま「そうです。」と対応した。
しばらく問答を繰り返していたが、父親は「ふむ。」と考える素振りをした。当然断ってくれると思っていたリリーは慌て始める。
「ママはどう思う?」
「あら、ハル君の所なら安心じゃない。いいお話だと思うわ。」
「うん、僕もそう思う。社会勉強にもなると思うし。」
リリーの味方はこの場にいなかった。
「ハル君、リリーのことよろしくお願いするよ。」
父親の一言ですべてが決まった。
「はい! ありがとうございます。お任せください。」
いい笑顔でハルはこの場から逃げようとするリリーに追い打ちをかけた。
「リリー。これからよろしくね?」
こうして、リリーの屋敷……ではなく、城での生活が始まった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます