アーヴェー・アーヴィー

 第十の月 祝福休日「ルーシャの日」。


 まだ日も昇らない時間。リディアは聞き慣れた呼び出し音にぱっと起き上がった。


 等間隔で響く音。

 聞き慣れた、鉱石ラジオの呼び出し音だ。


 足がないから腕で体を支えながら、ベッドの上をずるずると移動する。

 軟禁部屋はかつて貴族の拘留部屋として使われていたせいか調度がやたらと派手で、ベッドも三人ぐらい寝れそうなほど大きい。


 慎重にベッドから降りる。


 車いすは没収されてしまって、移動するときは侍女の誰かが抱えてくれて椅子に座らせたり、入浴を手伝ってくれたりと至れり尽くせりだ。

 そんなことをしてくれなくても、リディアは腕の力で階段の上り下りぐらいはできるのだが。


 音はベッドの下から聞こえてくる。そこにはディーンから譲り受けた最後の『六つ子ラジオ』が隠してあった。

 持ち運びができる、小型のタイプ。それゆえに今まで見つからずに来れた。


 こんな時間に、このラジオに通信をしてくるのは一人しかいない。

 そうわかりつつも、リディアは新しくつけてもらった、受話器と呼ばれる機械を耳に当て、ラジオを操作する。



「――アーヴェー・アーヴェー。

 こちら軟禁中のリディア・マルカスです。どうぞ。」


 くすくす、と受話器のむこうから声が漏れてくる。


『アーヴェー・アーヴィー。

 こちら、清掃員のバイトとして王城に潜入中の者です。っふ。今青の塔の下にいるよ。』


 青の塔とは、今リディアがいる塔にして、王城の外れ、かつては王族や身分の高い貴族の収監場所として利用されていた監獄である。

 今は鉄格子が外されてものものしい雰囲気はなくなったものの、かつて数多の悲劇を生んだ地下施設はすべて埋め立てられ、悲惨な状況だった他の監獄もすべてきれいに清掃が入り、生まれ変わっている。

 その名の通り、陽の光の下で見ると青っぽく見える石で作られた塔。



「アーヴェー・アーヴェー。

 そのまま裏に回れる?大きな樫の木のあたりに隠し通路の扉があるの。よく見るとレンガに王家の紋章が刻まれてるはず。

 そこから私の部屋まで来られるわ。どうぞ。」



『アーヴェー・アーヴィー。

 わかった。探してみる。

 上で会おう。』



 ぷつり、と通信が切れた。


 リディアはラジオをベッドの上に置く。

 自分も器用にベッドの上に戻ると、ベッド脇のチェストから鏡と櫛を出した。

 腰までの髪を一つに編んで垂らす。

 服は今日のためのドレスが部屋の隅に用意されているが、そんなものには見向きもせず、枕の下に隠していた動きやすい短パンとシャツを着る。

 これはリア家からの差し入れの中で、今のところ唯一役に立っている品だ。


 いちおうベストも着こんでいると、チェストが置いてあるのとは反対側の壁がとんとん、と鳴る。



「――ここよ。」



 ベッドの上を移動して、こんこん、と叩き返す。

 壁の中からくぐもった声が聞こえる。


『――こっちから開く? これ』

「もちろん。なんのための隠し通路よ。」

『それもそうかあ。』


 そんなことを言っているリディア自身、存在は知っていても使ったことはないので、実はこちらから開ける術は知らなかったりする。

 しばらく壁を叩く音が聞こえた後、ぼこっ、と壁が長方形にせり出した。

 まるで扉のように壁が動く。

 中から埃と蜘蛛の巣まみれになった人物が中腰で出てきた。


「はー、ひどい目にあった。」


 大きく伸びをするその人物を、リディアはまじまじと見つめてしまった。


 背丈はクラウスと同じくらいだろうか。

 細身で、本当に庭師のような暗い色のつなぎ姿。額に巻かれた飾り帯はつなぎと同じような色で、同系色の刺繍が施されていて、明るい色の髪によく合っている。

 そのはちみつ色の目がリディアのほうを見た。



「――大きくなったなあ。」

「え?」

「ああごめん。ぼくが『視た』のは革命前の君だったから。」


 そう言って優しくほほ笑む彼に、リディアはなぜか恥ずかしくなってそっぽを向いた。

 青年はにこにこと、リディアの前にしゃがんだ。

 二人の視線が同じ高さになる。


 革命の前。

 その頃と言えば、母が早くに亡くなったぶん、父がよく一緒にいてくれていた頃のことで――。

 革命の、前?


「革命のころは?」

「もちろん『視た』よ。なんせ最後のラジオは君のお父さんが持っているからね。」


 リディアは息をのむ。

 何もかも見透かしたような青年は、自分の額に手を当てる。飾り帯をずらすと、額の真ん中に埋まっている瞳と同じ色の石が見えた。


「前にも話したと思うけど、ぼくは物の記憶を『視る』ことができる。

 鉱物ラジオの記憶を視たら、持ち主のことから最初の作り手、――そして、一緒に作られた六つのラジオに関する記憶まで、全部見えたんだ。」

「そんなこと、あるの?」

「おそらく『共石』の影響だと思う。ルニード石って神話に登場する名前を取られるぐらいなんだから、ぼくの能力を拡張するぐらいの力は持ってるんじゃないかな。」


 いまいちイメージがぱっとしないが、とにかく彼はラジオが作られたころから今までどんな持ち主に渡ったかまで『視た』らしい。


「じゃあ、お父さんの――。」



 リディアは少し、言いよどむ。

 この事は――リディアの本当の望みのことは、誰にも言ったことがなかったから。

 けれど、青年はそんな彼女をやさしく見ている。


「言ってみて、リディア。

 大丈夫だよ。ちゃんと全部識ってるよ。」


 初対面のはずなのに、その言葉に安心してしまう。

 リディアは意を決して、言葉を絞り出す。



「お父さんの亡くなった場所も、わかる?」



 革命の時、セネイア・ロンドヴィル・マルカスは登城していた。その後、混乱の中で行方不明になった。

 彼の遺体は、まだ見つかっていない。

 おそらく、同じようにまだ遺体の見つかっていない国王と共にどこかに逃げ込み、そのまま見つかっていないのだ。

 少し震えながら聞くリディアを落ち着けるように、穏やかな声で、青年は彼女の手を取った。


「もちろんだよ。」

「私、そこに行かなくちゃ。」

「どこにある?」

「それを聞いたら、一人で行くつもり?」


 リディアの手をつかむ力が強くなる。

 本当に何もかも見透かされているのだと、リディアは肩の力を抜いた。


「そうだよ。」

「どうして?」

「――だって私、本当はお父さんのためだけにここにいるから。」


 最初からそうだった。


 いつか宇宙に行きたかった。いろんな星に行ってみたかった。

 でも、お父さんをどこかに取り残したまま、ルーシャを離れるわけにはいかなかったから。


 そんなとき、政府のほうから城に行く口実を作ってくれた。


「王族の義務とか、どうでもいい。お父さんを捜すのに役に立つならなんでもいい。

 周りのみんなは王族の義務を果たそうとしていて立派なんて言うけど、

 本当はどうしたらいいかわからなくて、冷静に見えるように、取り乱したりしないように、ずっと……。」

「うん。」

「だから、今日まではって思ってた。でも、不安のほうが大きくて。でも、あなたが来てくれて――。」


 リディアの頬に、涙が落ちた。


「うれしかったの。」

「うん。」

「……でも、これ以上は余計なことに巻きこんじゃう。」

「それでもいいよ。」

「……どうして!?」


 青年は、涙を流しながら訴える少女をそっと抱きしめた。

 リディアの気持ちが痛いほどわかる。

 まるで自分の事のように。

 なにせ、記憶を『視る』というのはその人の人生を追体験することに等しいから。


「これも前に言ったけど。――ぼくらはいろんな物の記憶を『視る』たびに、その記憶を自分の物のように思うんだ。共感力が高いんだろうね。

 だから、リディアのお父さんのことはぼくのことだし、リディアのこともぼくのことのように感じるんだ。

 君と一緒に行くことは、ぼくにとっては当たり前のことなんだよ。」


 腕の中で、少女は涙交じりの声を出す。


「本当に?」

「うん。」

「最後まで、付き合ってくれる?」

「うん。」

「途中で嫌になったりしない?」

「もちろん。」

「終わったら、一緒にこの星を出てくれる?」

「はは、いいねえ! 二人で新しい星図を作りに行こうよ。」




 いつの間にか夜が明けて、窓の外は明るくなっている。




 しばらく青年のつなぎを濡らしていたリディアは、部屋の明るさに顔をあげた。

 相変わらず、柔らかな表情の青年がそこにいる。

 今更恥ずかしくなって体を放す。青年はリディアから一度離れて、改めて手を差しのべた。


「行こう、リディア。お父さんを弔いに。」

「うん。」


 二人はまた隠し通路に入る。

 義足がないため、リディアは青年におんぶをしてもらう。二人とも荷物はほとんどない。

 青年はあるものを部屋に置いてきていて、より身軽になっていた。


 青年の代わりにライトを持ちながら、リディアは階段を降り始めた彼に耳打ちした。


「ありがとう、シャル。」


 耳元で告げられた名前に、青年は――シャルは、声を出して笑う。


「こちらこそいい名前をありがとう、リディア。」








 二人の去った部屋に、光が差し込むころ。

 お世話係の侍女は、今日の主役である王女の代わりに一台の鉱物ラジオがベッドにあるのを見て、叫び声をあげた。

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