間章 記録係
第四の月の始め。
ルーシャでは気温が上がり始めて冬季が終わる。
星によっては季節が四つに分かれているところもあるそうだが、この星はここから夏季に入って、また第十の月のころ冬季に入る。
中でも一番大きな大陸、つまりは元王国の王都にして新制共和国の首都のある主大陸の季節は鮮やかなことで知られていた。
首都近郊にある旅地通信社の本社。
その隣にある社長一族、リア家の邸宅。
二百年以上の長きにわたってこの地を見守ってきた屋敷は質素ながらも上品で、特に中庭は夏季に見学会を開くと人が押し寄せるほどの人気がある。
その中庭が見える部屋。
それも一番の賓客を迎えるための客間は、ここから外を見るために中庭を設計したとまで言われる邸宅の中でも重要な部屋だ。
かつてはお忍びで訪れた国王も泊ったこともあるとか。
「それが今じゃあ、まあシンプルなこと。」
ポインセチアの声に、リディアは庭から視線を移す。
「……そうでもないのよ。」
「え?」
リディアは庭に面した掃き出し窓から、自分にあてがわれた部屋を見る。
部屋の中は飾り気のない家具で統一されている。しかし、素材は一目で上質だとわかる木製のものが多い。
見た目こそ落ち着いているが、注がれた資金を思えば全然かわいくない部屋である。
首を傾げたまま、飴色の光沢をもつベッドに腰かけたポインセチアがそのまま後ろに倒れる。目線を上に向けたまま「……えぇ。」とため息をついたのが聞こえた。
天蓋の裏の刺繡を見たのだろう。
リディアは車いすの車輪を押してベッドに近づいた。
慣れた動作でベッドに移るとポインセチアの横に寝ころぶ。
頭上の、いつも見ている星図の刺繍を見上げた。
「……ねえ、見間違いじゃなければ、あれって金糸と銀糸しか使ってないよね?」
「しかも使ってる布がラサ織り……とてつもなく細い糸で織られていて、ちょっと引っ張っただけで破れるような高級品なのよ……。恐ろしくて触れることもできないわ……。」
「このベッド、もしかして高い?」
「うん。」
「あのチェストも執務机もローテーブルも同じような木に見えるけど……。あれ、あのソファの模様、王室御用達だった……。」
「この部屋の物だいたい全部そんな感じよ。」
「さすが名門だわー。」
たわいもない会話に、二人ともふふふ、とわらってしまう。
こんなに砕けた話をしたのはいつぶりだろうか。
リディアはふと、そんなことを考える。
中身のない、まるで女学生が授業の合間にするような。
「はあ、こんなことしててもため息しか出ないわ。」
起き上がるポインセチア。きれいに切りそろえられたショートカットがぼさぼさだ。
「お茶にしましょ。わたしお湯もらってくるね。」
「あ、隣の続き部屋にミニキッチンがあるからそこで沸かせるよ。」
「どういうこと!?――ほ、ほんとだ! なんかある!」
興奮気味に隣の部屋に行った友達の奇声にまた笑ってしまう。
彼女が連絡を取ってくれてから一ヵ月ほど。
リディアがこの部屋からほとんど出ないと話したら、時おりこうやって遊びに来てくれるようになった。
リア家の人達は最初、彼女がなにかしらの下心持っているのではないかと警戒していたけれど、むしろリア家がリディアを半監禁状態にしていると知って本気で怒ってくれた。
仕方ないことだ、とリディアは思っていた。
自分にまつわる厄介ごとを、リア家の人々は包み隠さず話してくれていたから。
そして、そんな自分を匿ってくれているとわかっていたから。
自由を望むなんて、わがままなのだと。
今は動かない足を、ぎゅっと握る。
「リディアー。ハーブティーと普通の紅茶、どっちがいいー?」
「うーん……ハーブティーで。」
「はいよー。」
せっかくだから庭が見えるところに机を置こうか。
この部屋にはリディアが動かせるように、車輪のついた机がある。車いすを操作しながらでも押せる軽いものだ。
起き上がり、車いすに移る。もう五年もやっていれば慣れたものだ。
二人でなごやかなお茶の時間を楽しむ。
庭には白い木蓮の花が咲き乱れている。
この庭は季節ごとに咲く花がわかれる。
それを見ているだけで満足してしまう。
でもそれじゃ嫌だと思うようになった。
リディアは物思いにふける。
「ねえ、ポインセチア。」
「なにかしら。」
どこか上の空の友達の言葉を、ポインセチアは待つ。
女学校にいたころから、こんなふうに寡黙な子だったっけ。
二人が同じクラスにいたのはほんの短い間。
彼女のことを、ポインセチアはあまり知らない。
「――あのね。」
リディアはうつむいていた顔を上げた。
いちおう、リア家の兄弟からは、自分に関するすべてをポインセチアに話す許可をもらっている。
けれど。
「もしも……もしも、ね。」
「ええ。」
「私がこれから選ばないといけない道の先で、ポインセチアや他の、この星の人達に混乱が生まれたとしたら、どうする?」
素直にすべて話すには、まだ、心の準備が足りない。
それくらい重要なことだ。
リディアの様子に、ポインセチアは柔らかくほほ笑んだ。
「他の人の事なんて、知ったこっちゃないわ。
……みんなわかってるわよ。
だって革命の時、生き残るには自分で自分を守らないといけなかったんだから。」
特に、旧王家と革命軍の闘いに巻きこまれた、多くの首都市民は。
その中に含まれていた、ポインセチアの一家は。
「でもね、リディア。たとえどんなに未来が変わろうが、一つだけ変わらないことがあるわ。」
「……なに?」
「あなたがわたしの友達だってこと。」
「本当に変わらないって言える?」
「ええ、もちろん。」
だって、とポインセチアはリディアの手を握る。
少し強めに。引き留めるように。
「だってわたし、あなた以外に友達いないんだもの……唯一の友達なんだから、離すわけないでしょ。」
その答えにいっしゅんきょとん、としたリディアは、次いでふふ、と笑みをこぼした。
「もっと交友関係を広めたほうがいいわよ。」
「それはおいおい考えるわ。――ところで。」
ポインセチアはすっ、と窓際の机を指さす。
立派な執務机。しかしその上には繊細な筆記具も立派な帳簿も置かれてはいない。
あるのは普通のものより大きく、飾り箱に彩られた鉱石ラジオと、ごてごてとした録音機。
「呼び出し音が鳴ってるわ。お仕事よ、『旅地通信社の記録係』さん。」
彼女の言葉が終わらないうちに、リディアは車輪をまわす。
その顔は、もう仕事人のそれだった。
慣れた手つきで机に向かうと、定位置に置いてあったヘッドフォンを耳に当て、録音機のスイッチを入れる。
右手側にすぐ書けるように置いてある万年筆と紙を確認し、マイクのボタンを押す。
「第四の月、靴の日。午後。感あり。」
最期に、鉱物ラジオの周波数を相手のチャンネルに合わせた。
流れるような作業を、ポインセチアは邪魔にならないよう、静かに見つめていた。
「――アーヴェー・アーヴェー。こちらは旅地通信社、記録係です。」
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