第101話 うんこ

 熱……熱?

 額ならともかく手に触れただけでわかるレベルに熱いとか俺は人間火力発電所かなにかか?

 そして三星さんがさっきから俺を起き上がらせようと引っ張ってくれているみたいだけど、繋いだ指先から感じる力は見た目通りに悲しいくらい非力で、ビクともしないという程ではないがケツが浮く気配すらない。


「なんだ未来風邪引いてんのか? どーりでなんかおかしいと思ってたんだよ」


 同じく隣で尻餅を着いた舞子さんがうんうん頷きながら言う。

 自分ではよくわからないが、そう得意げに言われると確かに、なんとなくでもそんな気がしてくるのだから言葉というのは不思議なものだ。

 ただ、それを舞子さんに言われてしまうということはさっきまでの俺は相当おかしかったらしい。ショックなんて言葉では片付けられないくらいショックだ。


「もう……舞子ったら、具合悪い人に向かってそんなこと言わないの。未来さん、大丈夫ですか? もし動けないようでしたら先生を呼んで来ますけど……」


 手を握ったままそれまで以上に心配そうな顔になる三星さん。


「いえ、そこまでは……大丈夫です、自分で歩けます……っとと」


 自力だけで立ち上がるのはなんとなく申し訳ない気がしたので、三星さんが再び力を入れたタイミングで俺も身体に力を籠めると、寝起きに急いで立ち上がった時のような軽い目眩によろめき、勢い余ってぶつかりそうになってしまった。


「やっぱり少しふらふらしていますね……保健室に行きましょう。大丈夫ですよ、一人になんてしたりしません。付き添いますから」


 それを優しく受け止めてにっこりと笑う三星さん。この人は聖母か何かか?


「それで、舞子はいつまでそうやってるの」

「いや、腰が抜けて起きれねえ」

「そう……。いきましょうか未来さん」


 三星さんは肩を貸そうとしてくれたが、俺の体格で彼女の華奢な身体に寄りかかってしまえば共倒れする未来が見えている。だから遠慮したんだが、三星さんは不満気な顔をして―――折衷案せっちゅうあんで手を引いてもらうことになった。

 女の子と手を繋ぐなんて真露以外だといつ振りかわかんねえくらい久しぶりだからめちゃくちゃ恥ずかしいけど、こういうのは表に出せば出すほど増すのでポーカーフェイスを貫かねば。

 それに三星さんにそういう気がないってわかっているのに俺だけが意識するというのも、彼女の優しさを穢している気がして嫌だ。


「舞子さんほっといていいんですか?」

「いいんです、どうせ構って欲しいだけの仮病ですから。……前にも同じことがあって、手を貸そうとした瞬間に引っ張られて抱きしめられたんですよ」


 その時のことを思い出しているのか三星さんの横顔はぷくーっと膨れていた。

 なるほど……そりゃ警戒するわ。俺も舞子さんが溺れていたら絶対見捨てよう。


「ちくしょー! おめーら呪ってやるからな! うんことか踏んじまえー!」


 舞子さんは駄々をこねる子供のように暴れていた。

 うーむ……とてもそうは見えないが、これも演技なのか?

 だとしたら大女優だぜ舞子さん。普通の女の子は演技でもうんこなんて叫べねえはずだからな……するにしても恥ずかしがる方にだ。全世界に向けて格の違いというものを見せ付けてくれた。


「下品ですみません……」


 恥ずかしそうな、申し訳なさそうな。


「いえ、三星さんが謝ることじゃ」


 そもそも舞子さんが下品なのは最初からわかり切っていたことだ。

 だいたい管理された学園のどこでうんこなんて踏むのか。敷地内で人間以外の生物なんて鳥しか見たことねえってのに、それは果たして誰のうんこなのか。そもそもうんことはなんなのか。


「……本当に大丈夫ですか? 目がうつろですけど……」

「ちょっと舞子さんについて考えてました」

「舞子の? ……ふふっ、未来さんはお優しいんですね」


 優しい……?

 うんこについて考えることがか? やらしいの間違いな気がするけど、三星さんも常識人に見えて静かに狂ってるトコあっからな。

 いや待てよ……今はうんこから出来る再生エネルギーなんかもあるらしいし、古くから堆肥としても使われている。言わばうんことはこの世で最もエコな物質だ。なら優しいというのも地球環境が相手ならあながち間違っちゃいないのか……?

 それか舞子さんの正体が実体化したスカモンという線はないか。

 わからん。わからんけど両方とも違う気がする。なにかが致命的にすれ違った夫婦生活のような、頭がぼーっとして考えが纏まらない。


「そーいや三星さん、その鎌は……?」


 なにか喋って紛らわせていないと思考が狂った方角に向かってしまう。俺は今なお三星さんが装備し続けている一揆用の武器について尋ねてみることにした。


「知りたいですか?」


 つい、と鎌を前に出す。

 これまで幾人の血を吸ってきたのか、白刃が妖しく煌めいた。


「そりゃまあ……」


 という冗談は置いておいて、登校中に抜き身の鎌なんて持ってたら誰だって気になるわ。茂みの中でなにをしていたのか、誰を殺っていたのかと疑問は尽きない。

 俺の予想では寮長から死神に鞍替えしたかデスサイスのコスプレという推理が良い線を突いていると思うんだが……学園にはウイング繋がりのゼクスも居るし。

 三星さんは良くも悪くも純粋な気がするので、あいつみたいな勢いだけで行動するタイプの影響を受け易そうな気がする。それか俺みたいに脅されて付き合わされていいるかのどっちかだ。


「さっきの茂みを越えると手芸館の庭に出るんですけど、そこに私が世話をしている花壇があるんですよ」

「はえ~……」


 鎌で茂みを指す三星さん。方角的には確かにそうだけど、花壇の手入れか……言っちゃ悪いけどなんの捻りもねえな。真っ当な理由過ぎて面白みに欠けるからもっとシルバー巻いて鎖鎌の練習とかしてて欲しかった。


「あ……こんな時に言うのもどうかと思うんですけど、未来さん、今日明日にでも生徒指導の先生に呼び出されると思うので、そのつもりで居てくださいね」

「え、俺なんかやっちゃいました?」


 そろそろ保健室の在る建物に着くなというところで、三星さんが物騒なことを言い出した。

 覚えは……ないと思う。


「えっと、未来さん先週何日か寮に帰って来ない日がありましたよね?」


 宝条先生と朝まで風になっていた日と帰省していた日だな。合計三日くらいか。

 一文字のおっさんとの邂逅、凛とした先生の意外とポンコツな一面。蓋を開けてみれば無害なひよこだったけど、あの時は眠すぎて電波がエンヤ婆みたいに見えたのをよく覚えている。

 うーむ……思い返すと実に濃い夜だった。

 んで金土は失踪した派となんだっけ。あと二つあったけど今は関係ないか。


「その……クラフトは一応全寮制なので……」


 三橋さんは言葉を濁したが、そこまで言われればいくら俺でも察しが付く。


「もしかして外泊手続きとか要る系男子でした?」

「要る系男子です……放課後に街まで出かけるくらいなら必要はないんですけど、やはり朝帰りとなると……」


 寝耳に水だけど言われてみれば当たり前の話だ。


「すみません、前持って伝えるのを忘れていた私の落ち度です」

「いや……どう考えたって悪いのは俺ですよ」


 謝られてしまったが、こんなことまで三星さんの責任になるのは寮長という立場が重過ぎる。

 というか多分生徒手帳とかパンフレットに書いてあると思う。そうでなくてもそんな重要なことを学園側から説明されていないわけがないので、最初辞める気満々だったせいで右から左した可能性が高え。


「やっぱ怒られるんですかね……ってか今の感じだと三星さんがなんか言われたんじゃないですか? うわ……ほんとすみませんでした」

「ふふっ、気にしないでください。男の子は少しくらいやんちゃな方が元気でいいですよ。でも、次からは気を付けてくださいね?」

「肝に銘じておきます」


 また三星さんがなにか言われたら申し訳なさ過ぎて埋葬されるしかない。次はないと思っておこう。

 まあ、そこまで重い処分が下されるなら即日呼び出されていたハズ。だから大丈夫……と自分に言い聞かせつつ、俺と三星さんは保健室に入った。

 そんな感じで俺は入学八日にして教育的指導を受けることになったのだ。

 やったね未来ちゃん。嬉しくねえよ。

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