第87話 女騎士くらい堕ちるのが速い男
なにが当たり前なのでしょう。
もしかして俺の感覚がおかしいのか? 惑わされちゃいけないとわかってはいるが、こうも当然のように言い切られてしまうとそんな気がしてしまう。
「一緒に捕まった仲じゃないか」
獄中の友かよ勘弁してくれ。
それか昨日の敵は今日の友なんて言葉もあるが、どっちにしたって正気とは思えない。憎しみならともかく、俺達の間に友情が芽生える要素など皆無だったはずだ。
「ああそうか! 失礼、自己紹介がまだだったな。私の名前は
俺が沈黙していたのは知らない人と話しちゃいけませんとかそんな理由じゃなくておかしな人とは目を合わせちゃいけません的なアレだが、おっさんは都合よく解釈しやがったらしく“おお!”といった感じで柏手を打って名乗りを上げた。
呼ぶ機会なんて未来永劫にないだろうから速攻で忘れたいが、インパクトのせいで当分忘れられそうにない。
一々動作が大袈裟だし、おっさんの名前なんてミリも聞いていないんだよなあ……こんなこと本人には口が裂けても言えないが。
「君は?」
気さくな態度を崩さないままおっさんの言葉は続く。
そう続くことはわかっていたけど、うん。
ただコミュ力が高いというよりは距離感がバグっていると思う。
コミュニケーションとは矢印が双方向に向いているもの。会話とは言うなればキャッチボールのようなものだ。
そして今の俺はいいとこ壁投げかダーツの的である。
まあ諦めよう。きっと抵抗しても苦しみが長引くだけで無駄な足掻きだ。斬り傷は鋭い方が治りも早いと言うし、いっそひと思いにやられてしまった方が幾分か楽だろう。
「……倉井未来です」
「倉井未来くんか! 良い名前だ。特に下の名前が良い。明日に向かう感じがヒーローのようだ」
「はあ、そりゃどうも」
痛えなこのおっさん。
あとなんか忘れてるような気が唐突にしてきたんだが、忘れるくらいなら大したことじゃないよな多分。
「私の愛車は見ての通りV-MAXだが、君のはニンジャだな」
「見ての通り……?」
……これを見てV-MAXだと判別できる人間が地球上にどれだけ居るだろうか。おっさんのバイクはそう思えるくらい原型を留めていなかった。
ゴテゴテに付けられた装飾は走行する上でなんの役にも立たないどころか邪魔でしかなさそうに思えるし、黒・金・赤三色のカラーリングも俺の記憶が正しければ純正には存在しなかったはずだ。
よく車検通せたなこれ。まさかその度一々ノーマルに戻してんのか? とんでもねえ手間だぞ。
いや……この様子だとそもそもフレーム単位で弄ってるっぽいから戻すのは無理だろ。
つーかいくら掛かってるんだこのマシン。V-MAXっつーと、確かそもそもの車体価格が相当高いはずだ。
宝条先生の隼も百万を優に超える高級車だが、こいつはその倍は下らない。俺のニンジャ換算であれば四台は買えてしまうほどの超高級車である。
そこからフルカスタムする費用を考えると……。
と頭の中でそろばんを弾いて、答えが出る前に止めた。他人のバイクの値段をあれこれ考えること以上にやらしいことはねえや。
「良い乗り手に出会えて彼女も幸せだろう」
目を細めて言うおっさんの姿に寒気がした。
……確かに、バイクのことを洒落で
しかしそれは十代の免許取りたて、社会に出る前の若いライダーにのみ許された黒歴史的特権。
それをこのおっさんは……見たところアラフォーのくせに平然と言ってのけた。
バイクを弄る前に頭のネジを締め直した方がよさそうに思えるが、普段から風の声とか言ってそう。
「磨かれたボディを見れば普段の手入れが、なにより彼女の声を聴けばきちんと整備されていることがわかる。
そっちか―――!
風ではなくエンジン音を声に例えるとは、俺の予想は外れてしまったようだ。
だが褒められようとも気持ち悪いものは気持ち悪い。
これを言ったのがせめて仲の良い友達だったならともかく、評価がマイナスに振れている相手なら尚更だ。
セクハラ親父に可愛いと言い寄られる美人OLはこんな気分なんだろう。
「まあ、乗り潰す人も居ますもんね」
排気量250cc以下のバイクには車検がない。だから充分な整備をせずに乗り回すライダーが居るのは事実―――バイクをただの足と見るかどうか、おっさんの言う性格が出るとはこれのことだろう。
俺は改めておっさんのV-MAXを見た。
原型が残らないほど弄り倒しているが、おっさんの言葉を借りるならばこいつもきちんと磨かれ、整備されている。
技術屋に出す整備はともかく、パーツが増えれば増えるほど日常の手入れも大変になる。これだけ細かければ洗車だけで半日作業だろう。
言って俺のバイクはほぼほぼノーマルの中型だから
変態的ではあるが、そこには確かな愛が在るのだろう。
他人事だが―――いや、他人事だからこそ、そう感じられた。
ならば……俺の方も評価を改める必要がありそうだな。
おっさんは変態だ。
変態だが―――しかし、悪い変態ではない。
クマ吉くんの言葉を借りるとすれば、変態という名の紳士なのだろう。
「今、なにかおかしなことを考えなかったかね?」
「いや全然」
まったく、これっぽちも。
◇
「つーか鈴木さんなのにヤマハなんすね」
「よく言われるよ」
でしょうね。
それ一つでどんな集団にだって馴染めるくらい、ライダー間ならバカウケ必至の持ちネタだ。
「おっと、もたもたしていると混み出してしまう時間帯だな。そろそろ向かおう」
あー……そういやラーメン行くとかそんな話してたな、完璧に忘れてたわ。
おっさんも忘れてうやむやになってくれてよかったんだが。
というか寮に帰れば死ぬほどうまい女子の手料理が待っている身としては、よく知りもしないおっさんと飯を食いに行く金がすげえ惜しく感じられる。
「安心したまえ、私の奢りだ」
「行くっす」
人類皆兄弟という言葉がある。
ならば―――同じ趣味を持つ俺達ライダーはそれ以上、もはや同一の存在と言っても過言ではないかもしれない可能性がナノ単位で存在していてもおかしくない。
なにを言っているのかわからないかもしれないが、要はタダ飯であればありがたくご相伴に預かるというお話だ。
ラーメンを食べてから帰っても、夕飯には余裕で間に合うだろう。
俺はおっさんの後に続いた。
ちなみにラーメンを食べて戻ると、俺達のバイクには駐禁の札がペタリ。
もちろん夕飯には間に合わなかった。
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