第58 孤独すぎるグルメ
食事を終えてから更に数十分、動けるようになるまでの回復を待って外に出た俺達は、すっかり暗くなってしまった通路を歩く。
「四時半に入って、もう七時よ」
「三時間半も食べ続けていたのか、どうりで暗いはずだ」
時計塔を見た七生がげんなりとした顔で呟き、ルクルが呆れたように補足する。俺が同じように時間を確認すると、そのタイミングで短針が頂点を指して鐘を鳴らした。
鼓膜を通り過ぎた音が腹に響く。その振動とすぐ後ろの食堂街から聞こえる喧噪、灯りに背中を押され、押し出し一点みたいな感じで前後から腹を圧迫されているような感覚。
端的に言うと気持ち悪い。今日で常人の数ヶ月分は中華料理を食った気がする。
いやうまかったよ? うまかったけどさ、モノには限度があると申しますか。
やらかした俺に言う資格がないというのは重々承知だが、胃袋がはち切れるまで詰め込むのは、食事というより拷問だ。
更に言うと、店にいる間俺達は何組もの生徒が出入りするのを見送ってきたが、こちらのテーブルの惨状を見た彼女らからは一様に“なんやこいつら……”みたいな表情を向けられ、その度になにやってんだろうな? とか感じさせられる、そんな見世物になったような三時間半だった。
……まあ、そんな風に苦しみの勝る初回訪問ではあったが、料理の味自体は非常に良く、また来ようと思わせるものだった。
……うん。次からは適量を心がけよう。しばらくは見たくもないから、それがいつになるかはわかんないけど。
「いやほんと……ごめんな?」
本日何度目になるのかもわからない謝罪の言葉。
さすがに俺も、長時間の食事は体力を使うのでゼロカロリー! なんて冗談を言えないくらいに申し訳なさを感じている。
「もういいっての。しんどかったのは本当だけど、こういうのも初めてで悪くはなかったし。自分の限界を知れたわ」
「そうですね。私達だけではこういう食べ方はまずしませんから。ふふ、苦しいですけど、楽しかったですよ?」
「何事も経験、というやつだな」
皆の反応が優しすぎて余計に申し訳なくなってくるヤツな。勝手な話だが、いっそ責められた方が気は楽だった。
……次からはほんと気を付けよう。それ以前に次があるのかを心配した方がよさそうな気もするけど。これ以降誰も一緒に食ってくれないとかになると、自業自得でもメチャクソ凹むし。
兎が寂しくて死ぬのはデマらしいが、未来くんが寂しくて学園を辞めたくなるという状況は起こり得るかもしれない。まだ一度も経験してないけど、この学園でのおひとり様は孤独すぎるグルメだと思うから。
「ところで電波さん、お腹の具合は大丈夫ですか?」
「だいじょうぶです……倉井くんも、おぶってくれてありがとうね」
俺の背中で荷物となっている電波の顔を覗き込み、三星さんが心配そうに声を掛ける。肩に頭を乗せたまま返事を返した電波は続いて俺の耳元に口を向け、力なく鼓膜を撫でた声がこそばゆい。
電波だけはどうにも回復に時間がかかりそうだったので、店が混んできたのもあって俺が背負う形で外に出たのだ。あの中華は仕事終わりの職員達に人気らしく、E組の先生もビール! ビール! と言いながら入って来るのを見てしまった。
「いいってことよ。気にすんな」
普段は高い高いでそのまま放り投げられるくらい軽い電波だが、今は俺も腹に来ているのでちょっときついのは確かだ。けど、原因は俺なんだからこれで感謝されてもマッチポンプみたいなもんだぜ。なんならこのままゲロ掛けられても文句言えないと思う。
「あ、三星さん。そういえば風呂の時間ってどうなりました?」
謝ったり謝られたりの空気を変えるため、俺は別の話題を振った。気になっているのも本当だしな。
アンケートを取ってくれると言っていたが、俺の居ない二日間で結果は出ただろうか? 毎日とか贅沢なことは言わないんで、数日に一度、三十分とかでいいから湯舟に浸かれるとありがたい。
「二十三時から四時までということで決まりました。未来さんが入浴中であることを示す掛け札も用意してありますので、利用中はそちらをお願いしますね」
意外と、と言うとアレだけど、めちゃくちゃ長い時間取ってくれたんだな。でもいいんだろうか? 一人しか居ない男がそんなに長時間占拠していても。
「めっちゃ長いですけど、そんなにいいんですか?」
「大丈夫ですよ。その時間帯は元々、利用する方もほとんど居ませんから」
あー……ゼクスに呼び出された行き帰りに思ったことだけど、その時間帯は外から見た限り灯りの付いてる部屋も少なかったし、もうほとんどの寮生が寝ているのかな。
朝四時までというのも、早寝早起きが基本なら早い人は活動しだす時間だ。朝風呂に入る子もいるだろうから、それでその時間帯なんだろう。これなら遠慮することもなさそうだ。
でも万が一鉢合わせたら怖いから、三十分は前後に余裕を持とう。
「なにからなにまでありがとうございます」
「いえいえ、皆さんが快適な生活を送れるようにするのも、寮長の仕事ですから」
聖人か?
いかん、三星さんの土産もワンランク上げるべきだった。
だが後悔先に立たずなので、次にどっかツーリング行った時の土産をちょっと豪華にしよう。
「真露は電波と同じ寮なんだっけ?」
「そうだよ~」
「真露のルームメイトは桃谷だけど、電波の相手はどんなやつなんだ?」
「わたし? う~ん……」
前から気になっていたことを背中に尋ねてみたが、電波からの反応は芳しくない。そういやこの間の説明会もほとんどの生徒がルームメイトと来ている中一人で来ていたし、あんまり仲が良くないんだろうか。中等部の時ぼっちだったらしいし……やっべ、また余計なこと聞いちまったパターンか、これ。
「ほとんど部屋に帰って来ないし、喋ったこともあんまりないのよ。朝もどこかに行っちゃうみたいで、わたしが起きた時にはほとんど居ないし。でも、雰囲気はちょっと怖いかな? たまに睨まれてる気がするのよね……」
「へえ……お嬢様学校でもそんなヤンキーみたいなヤツが居るんだな」
杞憂だったみたいだが、違うベクトルで心配になる話だ。
「いじめられたら言うんだぞ」
「うーん……怖いんだけど、そういうことをするような怖さじゃないと思うのよねえ……上手く言葉にできないんだけど」
電波自身も自分で出した評をよくわかっていないみたいだが、ルクルもいじめなんてまず起きないって言っていたし、本人が大丈夫というのなら、この手の話題はこちらが構い過ぎるのもよくないだろう。
ならこの話は終わりだ。それに、そろそろ帰りが見えてきたし。
「じゃあ俺、このまま電波運んでいくから。真露、そっちの寮まで道案内頼む」
確かこの道を進んでも手芸館と正門しかないはずだから、分岐するならここだろう、というところで三人に別れを告げる。
どれくらい距離があるのかわかんないけど、流石に敷地内で五キロも十キロも離れているなんてことはないだろうし、腹ごなしを兼ねた散歩の甲斐もあって腹もかなり楽になってきたから、そうなると電波一人分の重さなんて羽根みたいなもんだ。なんならマサシくんの中の方がよっぽどしんどかった。
「えっ、そこまでしてもらうのは悪いわよ」
「遠慮すんな。ここまで来たら一緒だし、せめて寮の前までは運んでくよ」
前まで、というのがポイントだ。他の寮に上がるのは、まだちょっと恥ずかしい。
「電波さん、お大事に」
「お腹は温かくして寝るんだぞ」
「また明日、教室でね」
「あれ……いつの間にか送ってもらうことが確定している……?」
「知らんのか、俺の押し売りからは逃れられんのだ」
今更だけど、電波は持ち上げてばっかりな気がする。
まあ、そういう星の元に産まれたんだと思って諦めて貰おう。
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