第57 覚悟完了

「もう、むり……」


 消え入るような断末魔の悲鳴を上げ、まずは一番小柄な電波が逝った。


「これ以上はもう……食べられません……」


 その後を追うように果てた三星さんは仰ぐように天井を―――いや、彼女はきっと、その先に広がる空を眺めているのだろう。

 二人の尊い犠牲の上に積み重ねられた空き皿しかばねの山。されど敵軍の数は未だ多く、絶望が餃子の皮のように俺達を包み込む。

 七生とルクルはどうだろう―――様子を伺おうと見渡していると、七生と視線が合った。


「食べようと思えば、意外と入るもんね、人間の身体って」

「七生……おまえ……」


 七生は人体の不思議に感動している。これは危険な状態だ。


「七生、俺が全部持ってこいなんて言っちまったのが悪いんだから、キツいなら無理して食わなくていいんだぜ。あとは俺と真露に任せて休んでくれ」


 正直俺もかなりキツいが、時間をかければなんとかなるはずだ。


「いや……あたしも全部でどれくらいになるのか興味あったし、こうなる予感はしてたのに止めなかった責任も感じてるから……」


 七生はそう言ってくれるが、やはり全ての責任は俺にある。だからそんなものを感じる必要はこれっぽっちもないというのに、義理堅いヤツだ。


「みんな大げさだな~」


 ……という言葉の通り、この場で一番余裕があるのは真露だ。こいつは胸が大きいだけあって俺と同じ……いや、それ以上によく食べる。

 その証拠に、俺や他の女子連中が箸を休めている今も真露だけが一人、平気な顔をして料理を口に運び続けている。エンゲル係数を考えなければ実に頼もしい味方だ。

 この場における俺達の最大戦力。こいつが沈んだ時、戦場は真の絶望に包まれるだろう―――。


「私とそう変わらない体躯のどこに、それだけの量が入るんだ……?」


 あっけらかんと言ってのけた真露に、心底不気味なものを見たような表情を向けるルクル。気持ちはわかるけど、どことは言及しないが君達の身体は全然違うと思うぞ。


「冷めてもうまいのがせめてもの救いだな……」


 中華は温度でかなり変わってしまう。下手な店だと首をかしげるようなレベルにまで味が落ちることだってある。その点この店は、かなり時間が経過しているけど美味しいままだ。

 ……しかしそれとこれとは話が別で、苦しいことに変わりはない。

 俺は紙ナプキンで額を拭う。

 この流れる汗は、決して熱いとか辛いとか、そういった真っ当な感情に由来しているものではない。脂汗や冷や汗とか、苦しみを感じたり強敵と邂逅した時に流すそれだ。

 俺は腹を撫で、自身の体調を見極める。

 ―――七割、ってとこだな。

 瞳を閉じる。

 深く息を吸い、そして吐く。

 いけるか?

 ―――ああ、いける。

 自問自答し、覚悟を決める。


「……よし、再開だ」

「……先に言っとくけど」


 決意を新たに、再び食らわんと箸を伸ばした俺に七生が待ったを掛ける。

 前置きで区切られた言葉のその先を待つため、俺は一旦動きを止めて彼女の方に向き直った。


「どうした……?」


 口ぶりからして、ロクなことではなさそうだが。


「この後、デザートも結構来るから」


 からん、と。

 語られた本題に零れ落ちた箸が食器に打ち付けられ、甲高い音を鳴らす。

 ……完全に油断していた。

 確かに俺は、“料理全部”ではなく“メニュー全部”と言ったんだ。ドリンクだって運ばれているんだから、当然デザートも来てしかるべきだ。


「甘い物は別腹とか……ない?」


 女の子はほら……そういう生物なんでしょう?


「あんた、今の電波にも同じセリフが言えるわけ?」

「それは―――」


 ちらりと横目で見た電波は、まるでホセ戦を終えたジョーのように真っ白く燃え尽きている。

 苦しそうに呻きながら腹の上に手を置いた姿はまるで臨月を間近に控えた妊婦さんのようで、そんな死体に鞭打つような真似、俺にはできない。


「現実はそんなに甘くないのよ。女の子の身体が砂糖で出来てるだなんて、それこそ甘い幻想だわ」


 いや……そこまでは言ってないけど。

 こいつも苦しくてちょっとおかしくなってるな……?


「―――待った。調理という工程を挟まないデザートなら、今から言ってキャンセル出来るんじゃないか?」

「―――!!」


 確かにルクルの言う通りだ。

 現段階で提供されていないということは食後に持って来る算段で間違いないと思う。それならまだ準備されていないはずだから、間に合うはずだ。


「え~、デザート止めちゃうの~?」


 こいつ……!


「……全部、いや八割でいい、一人で食えるか? 真露」

「ん~……どうかな。まだ料理も結構残ってるし、ちょっと厳しいと思う。半分くらいじゃないかな?」

「……ちなみに、その計算はテーブルの上の料理の何割を真露が食った計算でだ?」

「そっちも半分くらい?」

「ひえっ……」


 ええ……それでも半分食べられるのか、カービィかよこいつ。

 デザートメニューも十品は有ったぞ……?

 電波がお化けでも見たような表情をして悲鳴か息漏れかよくわかんない音を鳴らす。俺含む全員が言葉にこそしなかったが似たような思いを抱いたのだろう、畏敬の念を込めた視線で今なお食べ続ける真露の姿を見つめていた。

 真露とはよく一緒に飯に行っていたけど、それも普通のファミレスとかラーメン屋ばっかりで、これまで食べ放題的な空間を共にしたことはなかった。

 だから大食いなのは知ってたけどここまでとは……これまで俺が見てきた真露は本気じゃなかったということか。


「俺が言うのもアレだけど、とりあえず今あるやつを片付けて、食い足りないならそのあと個人で頼んでくれ……。すみませーん、まだ来てないデザートって一旦キャンセルできますか……?」


 終わりが見えているのといないのでは精神的な余裕がだいぶ違う。

 もしキャンセル出来るなら、あとは今在る料理を片付けるだけでいいので気が楽だ。

 俺と真露はまだいけるが、他の皆はとっくに限界を迎えている。多分、新たな料理を見るだけで苦しくなるくらいに追い込まれていると思う。

 故に、これが俺達の分水嶺。

 だから頼む……と腹痛の時と同じレベルで神に祈ったのが通じたのか、デザートは無事にキャンセルできた。

 それから三十分弱、俺と真露はギブアップした皆の分も奮闘し、からくも勝利を収めた。

 ちなみに内訳的には俺真露で三七くらいなので、こいつが居なかったら持ち帰って俺の朝飯になっていたと思う。

 そうなると中華を見るのも嫌になってるだろうけど、残して無駄にするよりはマシだ。

 まあ、そうならなくてよかったよ。

 さて、そんな獅子奮迅の活躍を魅せた真露さんだが、今は追加で運ばれてきた杏仁豆腐とゴマ団子に舌鼓を打っていらっしゃる。普通に化け物だと思う。


「ごちそうさまでした。おいしかったね~」


 それを食べ終えた真露がスプーンを置いて口元を拭き、満足そうな顔で言った。


「……しばらく、中華はいいいかな……」

「私もです……」

「甘いな……私など見るのも嫌だ」


 電波意外の三人が苦しそうに漏らす。俺も概同意だ。

 電波? 電波はまだ死んでる。

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