第3話

「私の名前は佐野甘夏」


 と彼女はそういった。

 これも一方的な自己紹介である。


 佐野さん。私は中学時代にそんな人の名前がいたのか考える。

 この広そうで、狭い南砺市だ。ましてやこの喫茶店がある福光地区の中学校なんて二校ぐらいしかない。つまり二分の一。佐野さんと同じ中学だった可能性が。本当にこの地域で生まれて育ったのだったら。


 どうも私は佐野さんが富山の人のようには思えなかった。

 私が身近で感じたことのない明るさと破天荒さ。どこか彼女の内面も外面も都会に染められている。そのような感じがする。


 気になる。

 佐野さんが一体どこで生まれて、どこの小学校で、担任は誰で、初恋したのはいつか。興味がある。

 まだ触れたことのないタイプの人だから。

 小学校、中学校とまだ狭いコミュニティでしか生きたことのない私だから。


 しかし私の唇は動かない。

 どこか佐野さんに対する初めましての怖さがあった。


「それで私には夢があるの」


「誰もお前のこと興味ないが」


 諏訪さんは佐野さんの方を向かず、皿を必死に磨いている。彼女の瞼が重そうにも見える。


「本当は私に興味あるくせに」


「だやい、だやい」


 だるい。そう諏訪さんは言う。


「あーん、もう諏訪っち冷たいな」


「……」


 それ以降、諏訪さんは無視。

 その背中には絶対にこいつに関わってやるもんか。そんな強い意思を感じた。


 無視され続けた佐野さんは私の方をみて、にっと微笑んだ。不吉な笑みだ。


「あなたは私のこと気になるよね?」


 唇が動かない。私は黙る。諏訪さんの背中をみる。そこから安易に彼女と関わるな。そのような忠告をしているように感じた。


「ねっ、気になるでしょ」


 しかしその後押しに負ける。

 私は静かに頷いてしまった。ただ気にならなるといえばそれは嘘ではない。


「うん、うん。この子はお利口。きっとあなたはいいアルバイターになると思うよ」


「いいアルバイター?」


「そうそう。私の役職、アルバイトリーダーを襲名する日は近いかもね」


「今は二人しかアルバイトいないけどな」


 ぼそりと呟く諏訪さん。


「そうだった。今の私は諏訪っちの大事な右腕」


「チンとしられま」


 黙れ。そう彼女は言った。

 仲がいいんだな。そんなことを考える。

 少なくとも佐野さんは諏訪さんのことを気にいっている。

 その二人の会話が今まで自分がしたことのないようなもので羨ましかったりもする。


 私は今までいい子ちゃんの関係しか知らなかった。

 お互い悪口を言うのをやめましょう。お互い褒め称えましょう。相手が握手を求めたら笑顔で握手をしましょう。喧嘩になることは言わないでおきましょう。

 そんな何も弊害もない関係。


 私は喧嘩をしないように、自分の意見をぐっと胸の奥へ閉じ込めて我慢をしてきた。それで作れた友達の関係は、そこら辺の水溜まりよりも浅いもの。


 学校の休み時間だけは仲良くしているけど、プライベートでは何も関わりのないもの。私が努力して得たものはそれだけだ。


 だから


「おー、今諏訪っち、チンっていった。チンって」


「そんな意味で言っていない! 本当クビにするぞ!」


 この二人の関係が羨ましい。

 私もこんな感じで何か言い合える間柄を作ることができるのだろうか。

 いや、作るんだ。私はここで変わるんだ。その為にこのバイトを募集した。

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