江戸時代タイムスリップ(?)

 目が覚めたら、橋のど真ん中にいた。


 本当にただ突っ立っていた。呆然としていると、「何ぼうっとしてんでい!」と怒鳴り声が飛んでくる。


 振り返って見たその男は、ちょんまげ頭だった。


 尻っぱしょりしたちょんまげ男が、肩に荷を担いで鬱陶しそうに私を一瞥し、走り去って行った。その向こうでは、丁稚らしき小僧さんが短い手足を一生懸命動かして、威厳のある男の後ろをついていっている。そして今ちょうど私の横を通り過ぎたのは、楽しそうに父親と手を繋いで笑う幼い着物の女の子だ。


 そこでようやく気がついた。


 ここ、江戸だわ。


 多分、間違いなくお江戸だわ。


 ……ドッキリじゃないよね? 日光江戸村じゃないよね?


 ドッキリされる謂れを考えていると、たくさんの積荷を乗せた馬が通り過ぎ、土埃が上がった。うつむき少し咳き込んだ所で、ようやく自分がいつものスーツを着ていると知る。

 ……ジロジロ見られはするが、思ったよりは迫害されない。新種の南蛮人だとでも思われているのだろうか。


 とりあえず歩いてみよう。私は、一歩江戸の街に向けて踏み出した。



 が、すぐ断念した。



 家屋の輪郭が、フワッフワなのである。



 長屋だの店だのがあるのだろうが、何せぼんやりとしていて判別がつかない。触ってみようとしたら、中から出てきた人( ぼんやり)に怒られ手を引っ込めた。


 ……ははーん。なるほどなるほど、私分かっちゃった。


 これは、夢ですな?


 ぼんやり景色は、きっと私の江戸時代や時代劇における知識が低いからこそ起きる悲しき現象であろう。こんな夢を見ると知っていれば、欠かさず録画していたのに。水戸黄門。


 また空はやたら青いのが腹が立つ。そりゃ空気は澄んでいるに違いない、とエセ江戸を作り上げた私の脳は自信満々なのだろう。我ことながら腹立つ。


 しかし、ならばどうしたものだろうか。自身の知識不足のせいで満足にお江戸探索もできやしないとなると、あまりする事がない。

 腕を組みぼんやりとした柱にもたれていると、やたら大きな明るい声が飛んできた。


「大家殿おおおおおおお!!」


 聞き慣れた声に、思わず体を向ける。


 見慣れた武士が、腕をブンブン振りながらこちらに走ってきていた。


 ただし、いつものジャージ姿ではない。

 立派な紋付袴を見にまとい、腰には刀が差してある。

 ――どこからどう見ても、武士だ。そういやコイツ武士だったわ。


 ぼんやりとした世界で、そいつだけいやにリアルだった。

 ふいに、「あー、やっぱお前はこっちの世界の人間なんだな」とよく分からない感傷が芽生える。

 まあ、そりゃそうだ。元々コイツはこの時代に生きてんだから。


 ……もし私が目覚めなきゃ、コイツはこのままここで暮らしていけるのかな。


 しかしそんな私の心情など知るわけない武士は、私の前に到着するなりこう言った。


「帰るぞ、大家殿! 某はブラックジャックの続きが読みたい!」


 え、嘘、帰るの?

 しかもそんな理由で?


 ぽかんとしたが、まだ理由は残っていた。


「じゃがりこの“ばたあ”味も堪能せねばならんしな! ……よもや大家殿、食べておらんだろうな? あれは某のものだぞ。食べておったらそれなりの罰を……」


 その時、急に目の前が暗くなる。武士の姿すら輪郭が溶けていき、私の体は仰向けに倒れていった。

 ……ああ、夢から覚めるのだ。私は直感した。


 目を開けると、武士はもう起きており、ブラックジャックを読んでいた。


「うむ、なんという舌」


 あ、その話いいよね。あと警備員が警備人形を弟分として可愛がる話も好きだ。


 ……。


 お前さ、いつ江戸に帰るの?


「何故突然そんな話を。いや実は最近な、手塚治虫先生の漫画を読み切るまでは、江戸に帰れんと思うようになってきた」


 ……。


 あの方は600以上作品を作ってるから、その基準だとしばらく帰れないぞ。


「なんと……かの先生はそのような数の作品を残しておるのか? ううむ……ならばますます江戸は遠いな……」


 ……。


 どうやらまだまだ居座る気らしい。ふざけんな。帰れよ。


 私はちょんまげ頭の背中を一発叩き、朝食の用意をしようと起き上がったのだった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る