許嫁
私に恋人はいない。
なんでいないかと問われれば、逆にこっちが聞きたいぐらいである。
自分が好きになった相手が自分のことも好きとか、あれもうどういう奇跡が起こってそうなるのか皆目見当すらつかない。
あまつさえ結婚なんて。
なぁ、そうは思わないか、武士よ。
「某には許嫁がおったぞ」
なんですと?
「おった」
ほんとに?
驚き過ぎて、似たようなやりとりを繰り返してしまった。不毛である。
しかしすげぇな、流石江戸時代だ。
え? じゃあお前ここにいちゃダメじゃないの? 許嫁心配してんじゃね?
そう尋ねると、武士はプリッツを奥歯で噛み砕きながら答えた。
「心配には及ばんぞ。その許嫁はもうおらんからな」
……おらんってどういうこと?
まさか、先立たれた、とか……?
「いや、実は許嫁には前々より好いた男がおったらしくてな。ある日、反物屋の若旦那と手に手を取って駆け落ちした」
まままままマジで!?
「マジだ」
……えー……。
うわー、お前、嫁さん予定だった人に逃げられてんのか。見た目によらず、結構ハードな過去背負ってんのな……。
ちょっと同情してプリッツを一本分け与えた。武士はそれを口で迎え、そしてもぐもぐと続ける。
「別に怒ってはおらんよ。恋しい者がいて、相手も同じ心を返してくれたのなら、その者と結ばれる方がいいに決まっている。ただ、許嫁とは長い付き合いだったからな。せめて出奔する前に一言ぐらい、言葉が欲しかったような気はする」
……。
どこか寂しげな顔をする武士に何を言えばいいから分からず、プリッツをもう一本差し出した。
煙草だったらハードボイルドなんだろうけどな。私は非喫煙者なのでプリッツである。
「そう案ずるな。その者に未練も無いんだ」
武士は私の分のプリッツを勝手に二本取った。
「元より好みではなかったし」
おいプリッツ返せ。
しかし武士は素早い。スルリと私の手をかわすと、少し離れた場所から私に言った。
「あのな大家殿、許嫁はそれほど良いものじゃないぞ? なんせ小さき頃より『自分はこやつと結婚するのか……』と思いながら過ごすのだ。好みであれば良い。好いて好かれるならいい。だがそうでなければ、あんまり良くない」
あー、それは分かる気がするな。なんか漠然と美少女想像してたわ。漫画に出てくる許嫁ってみんな可愛いし。
……ところで、許嫁と若旦那ってその後どうなったの?
お前って武家なんだよね。じゃあその許嫁とやらも多分お前と同じぐらいの身分かなと思うんだけど……。
素朴な疑問だったのだが、案外核心をついていたらしい。武士は、ニヤリと悪い笑みを唇に引いてみせた。
「……それだけは、大家殿が相手とはいえ黙しておこう」
……。
プリッツ口から出して生意気言うんじゃねぇ!!
なんか腹が立ったので、残りのプリッツを取り上げた。つーかね、晩飯前にお菓子を食べる習慣はあんま良くないよね。
本日は麻婆豆腐である。
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