第2話 さしだす手

 昨年の秋に行われた、最終面接の日―――


 美琴は時間に余裕をもって、家を出ていた。

 GROWの事務所なら美琴の家から電車一本だけれど、面接は親会社の本社で行われ、距離が遠く途中で二度の乗り換えが必要だった。

 朝のラッシュ時間帯を少し過ぎていたものの、慣れない駅での乗り換えに行先を確認しながらプラットホームの階段を上がり、別の路線へとコンコースを横切っていた。

 コンコースには多くのお店が並び、その中にある有名なパン屋さんの行列を見ながら、帰りに寄ろうかななんて考えていると、美琴の前を歩いていたおじいさんがつまづいた。

 前へ倒れた拍子に、手にしていた紙袋から荷物が飛び出した。白い小さな箱が床に跳ねて蓋が開き、小さな金属片がバラバラッと派手に散乱する。

 あたりに散らばった金属片に、大変!とは思ったものの、こっちにも電車の時間がある。

 誰か拾うだろうと惰性のまま避けて行こうとしたけれど、床に膝をついたおじいさんは、悲壮な表情でかき集めようとしていた。動きはゆっくりで腰も悪そうだ。

 駅員もあたりに見当たらない。

 あー、もう!

 時間なら少しは余裕がある。少しなら大丈夫かと美琴は踵を返した。

 おじいさんのそばにしゃがんで一緒に荷物を拾い集める。散らばったものは、銀色や金色のなにかの部品のようで、幸い割れるものではなさそうだ。

 通りすがりに拾って渡してくれる人はいるものの、足を止める人はいない。

 今さら駅員を呼びに行くのも面倒だし時間もかかりそうだしと、美琴はそのまま手伝った。

 思った以上に散らばっていた部品は、見える限り拾い集めるとけっこうな数になった。ひっくり返っていた白い紙箱に入れ直しておじいさんに渡す。箱にはナンバリングの入ったシールが貼られている。

「ありがとう、お嬢さん。本当に悪かったね」

 顔をくしゃくしゃにして何度も頭をさげるおじいさんを、両手で押しとどめる。

 温和そうで紳士的なおじいさんだ。

「拾い残しがなかったらいいんですけど。……あ、この袋!」

 美琴はおじいさんの手にしていた、紺色のロゴが入った紙袋に声をあげた。

「これがどうかされましたか?」

「いえ、今日ここの面接を受けに行くんです」

 おじいさんに返した自分の言葉にはっとする。

 そうだ、時間!

 慌てて腕時計に目をやり、逆算する。まずいかも!

「そんな大事な日に申し訳ない。遅れたのでは?」

 心配げなおじいさんに慌てて笑顔をつくる。

「大丈夫です。では失礼しますね。お気をつけて!」

 美琴は会釈をすると、目的のホームへと急いだ。


 ホームへの階段を大急ぎで駆け下りていると、発車を知らせる電子音が鳴り響いた。あと数段という距離なのに、無情に閉まりかけた車体の扉が目に入る。

 これを逃すと確実に間に合わない。

 どうしようと焦っていると、再び扉が開いた。

 顔を上げると、隣の扉を車内から伸ばされた腕が押さえてくれている。

 男の人であろう白い半袖のシャツ、手首には腕時計らしい銀色の輪。

 一瞬のその隙に、美琴は目の前の扉から電車に飛び乗った。

 同時に腕は引っ込み、剣呑な警報音とともに今度こそ扉が閉まる。

『駆け込み乗車は危険ですのでお止めください』

 発車と同時にすかさず低い声のアナウンスが入り、美琴は息を切らしながら周囲の視線に小さく頭を下げた。

 車内の混雑は身動きがとれないほどではないけれど、それでも自由になれるスペースはわずかだ。

 美琴は呼吸を落ち着けると、人の隙間を縫って隣の扉付近に目を凝らした。

 こちらに背を向けて扉にもたれる、白いTシャツの背中に確信を持つ。

 お礼を言いたいけれど、通路は立っている人で混みあっていて、とてもその人のところまでいけそうにない。

 同じ駅で降りますようにとの願いも叶わず、その背中は美琴の目的地よりも手前で降りていった。ここで追いかけると、この電車に飛び乗った意味がなくなる。

 しかたなく閉まった扉の窓から目で追ったけれど、人波に紛れて見つけられなかった。

 美琴は誰かわからないその人の好意に感謝しながら、通り過ぎていく駅を見送った。


 せっかく乗った電車だったけれど、その先の乗り継ぎが悪く、結局面接時間には大幅に遅れてしまった。途中半泣きになりつつ、乗り継ぎがうまくいかなかった時点で諦める覚悟をした。

 それでも行かないのは失礼だろうと、会場となっていた親会社へ足を向けた。

 今さら無理だとわかりつつ、受付場所となっていたフロアへ行ってみると、面接開始時間を過ぎていたのに受付にはまだ人がいた。

 遅れた理由を正直に話せと言われ、おじいさんとのやりとりやその後の電車の乗り継ぎを話した。

 そのまま連れていかれた奥の部屋でかなり待たされた後、通された部屋には面接官が並び、美琴のために面接を行ってくれたのだ。

 まさか面接をしてもらえるとは思ってもいなかったので、動転していて、何を話したのかはきれいさっぱり覚えていない。



「それで採用通知が来たってわけね」

 風香は終始目を丸くして聞いていた。

「どうして面接してもらえたのかわからないけど、それがGROWなのかなって気もするし」

 本当かどうかなんて確かめようもない美琴の話を、面接官が信じてくれるなんて思いもしなかった。だけどそれを信じてもらえたのなら、それは美琴の持つGROWのイメージに合う。

「その感覚わかる。その理由でGROWならやってくれそう」

 風香も会社に同じ印象を持っていると知り嬉しくなる。

「それにしてもお人好しよね。自分が痛い目に遭ってどうするのよ」

「でも、無視したら後々気になるし……」

 過去、誰かがなんとかするだろうと見過ごしたこともあるけれど、そのあとどうなっただろう、声をかければよかったと思い返しては気にすることばかりだった。 周りからは損な性格だと笑われるけれど、あのおじいさんを無視していたら、後味の悪さを引きずっていただろう。

「私なら人に任せるか駅員呼んで立ち去るけどね。まあ、謎が解けてすっきりしたわ。……よけいに深まったような気もしないではないけど」

 風香はため息ともつかないような息を吐き、「美琴らしいね」と笑った。

「じゃあ、なおさらがんばらなくちゃいけないでしょ」

 風香に励まされ、通知をもらった瞬間の驚きを思い出す。

 ありえない遅刻をしたにも関わらず、美琴の話を信じて拾ってくれたGROWのためになにかの役に立ちたいと強く思えた。

「愚痴っていてもだめだよね。でも自信ないなあ……」

 GROWが美琴を使いたいと思ってくれた場所で恩返しをするまでだけど、日高を思い出すとその気合も半減してしまう。

「そろそろ時間だな。お開きにしようか」

 いつも自然とリーダー役になる戸倉が立ち上がった。彼は経理部に配属だ。

「では、明日からのみんなの活躍に期待して!」

 研修の打ち上げは一本締めで終えた。手拍子がきれいに揃い、歓声があがる。

 関西方面の店舗配属となった子たちは研修所にもう一泊して、明日の朝新幹線で向かう。 

 明日からの生活に意気揚々としているみんなの背中を見ながら、美琴は不安が大半を占める心境だった。



 打ち上げ後、美琴は大学時代から独り暮らしをしているアパートへ帰って来た。

 シャワーを浴びて、荷物を片付けながら、受け取った辞令をテーブルに置く。

 落ち込みそうになる気持ちの中、ふいに一つの光景が浮かんだ。

 ああそうだ。ここまで来るのを助けてくれたもう一つの力。

 風香に話すまで忘れかけていた、電車で助けれくれた銀色の輪が光る腕。

 助けてくれたあの手があったから、ここにいるのかもしれない。

 まだなにもはじまっていないうちから、手放すわけにはいかない。

 不安をかき消すように、布団の中にもぐりこんだ。

 

 

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る