第15話 助けてくれる人
会議室で、美琴は机に乗せた段ボールから取り出したストラップを数えていた。
名古屋店のオープンに合わせて各店舗へ発送する準備だ。
ノベルティグッズというアイデアは、津島工房がGROWにとって懇意にしているサプライヤーであり、名の通る人気ブランドに成長しているだけあって、社内会議で揉めたらしい。
役職以上の会議だったので伊藤から聞くしかなかったが、伊藤がオブラートに包んで伝えた内容からだけでも、実際は日高がやり玉にあげられたことが想像できた。発注ミスをした上に販売で捌かず、プレゼントという手に出るのだから当然だろう。
改めて謝った美琴に、「気にするな」と返ってきた言葉でそれはじゅうぶん伝わった。
結局、津島工房が了承しているということで、記念のノベルティグッズとして扱われることになったけれど。
オープンする名古屋を含め、四店舗に五十本ずつ分け、直接届ける本店以外は小さな段ボール箱に入れていく。これ以上の失敗はできないので慎重に数える。
ストラップの裏側には、『TSUSHIMA×GROW』の焼き印も入れてもらった。
ただ配るだけではなく、なにか返せないだろうか。
箱詰めの作業をしながら、美琴はぼんやりと頭に浮かんだアイデアの欠片を零さないよう手を伸ばす。
「できたか? 明日の便で送らないとな」
開いた扉から、運送会社の送り状を片手に日高が入ってきた。
運搬物は万が一、輸送が遅延することを考えて数日前に送ることになっているけれど、今回は社内で揉めたり焼き印を入れたことで、すでに余裕が一日しかなく、絶対に明日の便に乗せないといけない。
「予想以上に遅くなったな」
今日は午後になってから、人気のあるシャツ作っているサプライヤーからデザイン変更の申し入れがあり、急遽訪問することとなった。話好きな人なので覚悟はしていたが、結局世間話に合わせて長居することになった。
急いで戻ってきたものの、もう十九時を回っている。時間に余裕がないのはわかっているけれど……
「どうした?」
手の止まった美琴に気づき、日高が問いかける。
「日高さん、単にストラップを渡すだけじゃなくて、メッセージカードをつけられないですか?」
「今から作る気か?」
日高が呆れたように腕時計に目を落とした。そりゃそうだろう。
「ですよね。聞かなかったことにしてください」
美琴は送り状を受け取り梱包用のガムテープを手に取った。その手を日高に掴まれる。
「どんなメッセージ思いついたんだ?」
「ええと、具体的ではないんですけど。サプライヤーとお客様への感謝みたいな言葉を……いえ、もう時間ないです。余計なこと言ってすみません!」
美琴が言い終わらないうちに、日高は「ちょっと待ってろ」と美琴の手を離した。一人部屋に残され、梱包していいのか迷っていると日高がノートパソコンと用紙を持ってきた。
厚手の用紙は名刺より少し小さなサイズで切り込みが入り、印刷後に切り離せるようになっているものだ。
「用紙は前にイベントで使った残りだけど、二百枚以上ある。部長の許可も取ってきた」
「あの、日高さん?」
日高はテキパキとパソコンを開いて立ち上げた。
「おまえが言い出したんだからな。最後まで作り上げろよ」
「えっ、一人で?」
「……できるなら俺は帰るが」
「無理ですっ。一緒にお願いします!」
思わず日高の腕にすがりつく。どうしよう、うっかり余計なことを口にしてしまったばかりにえらいことになってしまった。
焦る美琴とは対照的に、日高は席につくとパソコンを操作し始めた。
「商品につけるのに、自分で作れるものなんですか?」
「業者に頼む時間も予算もないだろ。このくらいのカードなら自分で作れる。文面考えろ」
「そんないきなり言われても……」
呟くと、ギロッと睨む日高と目が合い背筋が伸びる。
「私、紙に書いた方が思いつくんで取ってきます」
美琴はバタバタと大判のメモ用紙と筆記用具を取ってくると、机の上に広げた。
ストラップを一本取り出し、イメージを沸かせる。
幅広の台紙に差し込まれたストラップは、CPPと呼ばれる透明のフィルム袋に入れられている。袋の横幅がカードの短辺と同じサイズだと気づき、カードはそのままのサイズで横向きのレイアウトに決めた。
「サプライヤーと、お客様への感謝と。津島工房の案内って載せたらいけないですか? それだと他のサプライヤーに失礼になりますか?」
「設立時からお世話になっているサプライヤーで、深い関わりがある工房だから大丈夫だろう」
おおまかにレイアウトを考えながらペンを走らせる。
「津島工房のロゴは使えますか? 確認した方がいいですよね」
「そうだな」
日高は言うが早いが、津島工房へ電話をかけ案内文の了承を取りつけた。電話口の向こうでは相変わらず豪快な社長の笑い声が響いていて、その声に励まされる。
文章を何度も練り直し、だんだんと何が正解かわからなくなり疲弊していると、コンコンと扉がノックされ吉岡が顔を出した。
「頑張ってるわねー。はい、差し入れ」
「わあ、ありがとうございます」
吉岡が渡してくれたコンビニ袋には、おにぎりやサンドイッチに加え、美琴の好きなチーズケーキまで入っていた。
「ケーキまで! 嬉しいです」
「ありがとうございます」
二つ先輩になる吉岡に対して、日高の言葉遣いは丁寧だ。
「このタイミングでよく思いついたわねえ」
机に広げた何枚ものメモ書きを見ながら吉岡が笑う。
「すみません、もっと早く浮かんでいたらよかったんですけど」
「まだ間に合うわよ。全店で配るんでしょ。しっかりね」
全店と言われ、きゅうに緊張感が増す。
「吉岡さん、よけいなこと言わないでください」
「はいはい。お邪魔しましたー」
固まった美琴をにやにやと眺める吉岡は、日高に部屋から追い出された。閉まった扉に目をやりながら、「あの人ほんと一言多いな」と日高が顔をしかめる。
「そんな硬くなるな」
見上げた日高は、なんだか穏やかに見える。
「一人だろうと全店だろうとお客様に変わりはない。誰に渡そうと一緒だからな」
ああそうだと納得する。
たくさんの人に渡すから丁寧に作るわけではない。目の前の一人に渡すと思えばいい。
日高の言葉がすんなりと入って来て緊張がほぐれ、美琴は落ち着いた気持ちで机に向かった。どのくらい集中していたのか、おおまかな下地が出来上がり顔を上げると、首や肩が固まっている。
「ちょっと休憩するか」
「お茶淹れてきますね」
日高が机の上にスペースを空け、美琴は給湯室でお茶を淹れてきた。並んで椅子に座り、おにぎりやサンドイッチを開ける。
吉岡はあっけらかんとしているけれど、いつも隅々まで目を配っているところは見習おうと思える先輩だ。
コンビニご飯でも、誰かと他愛のない話をしながら食事をする時間は楽しい。
食べ終わると、気持ちを切り替えて再び取り掛かった。
「どっちがいい?」
「茶色ですね。もう少し濃い色がいいです」
日高とパソコン画面を覗きながらカードの色を決めていく。
美琴の絵は致命的だが、色のセンスは日高よりあるということで全面的に任せてもらえた。文章は何パターンも考えすぎて美琴一人で決めきれず、日高の手も借りる。津島工房の案内は簡単な地図も入れた。
何度もレイアウトを直し、色も調整する。納得いく仕上がりになるまで、日高は苛立ちも見せずに付き合ってくれた。
名刺サイズのカードなのでたくさん書けないぶん、伝えたいことを簡潔に入れていく。
「よし、こんなもんだろ」
パソコン画面に映る原稿は、アイボリーの下地に文字は紺色。右下には楕円形に津島工房の案内を茶色で入れた。
落ち着いたトーンだけれど、お洒落な仕上がりになったと思う。裏面も同じアイボリー一色で左下にfrom GROWと紺色で入れる。
名古屋店には別の文面を用意した。
「よし、じゃあ印刷しよう。っと、もうこんな時間か」
部屋の壁時計を見上げた日高が、自分の腕時計も確認した。二十一時を回っている。
そういえば、巡回の警備員さんにご苦労様ですと声をかけられたことを思い出す。夢中になっていて時計を見ていなかった。
「遅くなったな。急いで印刷するぞ」
フロア内は無線で飛ばせるので、美琴は会議室を出ると商品管理部共有のプリンターに用紙をセットした。デスクの並ぶフロアはほとんどの人が退社していて、半分灯りが落とされている。プリンターの光が眩しいくらいに浮き上がる。
ゆっくりと動き出すプリンターから試し刷りの用紙が出てきた。一枚の用紙で八枚のカードが印刷されている。業者には敵わないけれど、それでも十分使えるレベルだ。
「どうだ?」
「いいです。発色もきれいですし」
日高に見せると頷いた。
「よし、じゃあ一気に行くぞ」
「はい!」
次々と刷り上がっていく用紙を、切り込みに沿って切り離し、ストラップの入ったフィルム袋を破らないよう丁寧に開封し、カードをそっと差し込み再び封を戻す。
店舗で商品を渡す際にカードを添えてもらうことも考えたものの、ストラップと揃えて目にしないと津島工房と結びつかない人もいるかもしれないと却下した。
二百本全部の作業を終えた頃には二十三時を過ぎていた。こんな時間まで仕事をしていたのは入社以来初めてだ。終電まではまだ一時間ある。
段ボールにガムテープで封をし、宛先を間違えないように確認しながら送り状を貼る。最後の送り状を貼り終えると、美琴は両手を挙げた。
「終わったあ。日高さん、ありがとうございました」
「お疲れ。よく頑張ったな」
「日高さんのおかげです」
美琴は椅子に座ったまま大きく伸びをした。テンションが高いせいかそれほど眠気を感じない。出来上がった小さな段ボール箱を前にすごい達成感だ。
「あー、お腹空きました」
「おまえ、この時間に食えるのかよ」
「時間感覚ないです。そうだ、ケーキ食べよ」
「今から?」
「糖分使いきっちゃったんで」
美琴は給湯室からチーズケーキとコーヒー二つを淹れて運んできた。驚いていた日高も「見たら食べられそうな気がしてきた」と机へ寄って来る。
「お疲れだったな」
「付き合わせてしまってすみませんでした。本当にありがとうございました」
二個入りのチーズケーキはお皿を出すのが面倒なので、容器そのままにフォークを刺す。思っていたよりふわっと軽い食感で、こんな時間なのにぺろりと食べられる。
「美味しいですね」
「意外に軽いな」
日高がゆっくりとコーヒーに口をつけた。伏せた睫毛をきれいだなと見入ってしまうのは、ハイテンションになっているからか。
「日高さんは、どうしてGROWに入られたんですか?」
なにか喋らなくちゃと思ったら、そんなことが口を突いて出た。そういえば今まで聞いたことがなかった。
はぐらかされるかなと思ったら、意外に真面目にこたえようとしてくれているようだ。
「うーん、そうだな…。手しごとに関わりたかったんだよな」
「手しごと?」
「自分の手先とセンスで作り上げていく作業って、自分ができないぶん、尊敬するんだよな」
颯の作業姿が浮かぶ。相馬も望月も、サプライヤーはみんな自分の手で創りあげている。
「海外でも日本の物って信頼あるだろ。コツコツと丁寧な仕事を大事にしているところがいいなと思ったんだよな。今は全てがそうだと言い切れないのが残念だけど、マイナーでもすごいこだわりとプライド持って作ってる職人さんを応援したいんだよな」
日高の言いたいことはよくわかる。
サプライヤーの丁寧な仕事振りには脱帽させられる。
はっと我に返った様子の日高は、少し照れくさいのかさっきまでのやさしい表情を隠す。
「そういうおまえは?」
「私は洋服と接客が好きなんです。学生時代もずっとバイトやってたし。一気に二つともできる職場って、お得感満載です」
「お買い得みたいな軽さだな」
呆れたように日高が顔をしかめる。
「いたって真面目ですよ。だから、どうして仕入れやってるのかわからないです」
「向き不向きって、案外自分じゃわからないこともあるからな」
フォローをくれるように日高が口を挟んだ。
社長も適材適所だと言った。それを信じるしかない。
「ここには面接でも大失敗したのに拾ってもらったから返したいんですけど、足引っ張ってばかりで悲しいです」
コーヒーカップを両手で抱えて、美琴は小さくため息をついた。
「こんなバカな失敗しちゃうしメッセージ思いつくのも遅すぎるし。日高さんに迷惑ばかりかけて申し訳ないです」
すみません、と小さくなって頭を下げたら背中をポンと叩かれた。
どこかで感じた温もりに、小村が励ましてくれる手を思い出す。日高もこうやって励まされてきたのだろうか。
「一年目なんてこんなもんだろ。同じ失敗をしなければいい。おまえが思うよりはできてるぞ」
「ほんとですか?」
「俺も二十倍の誤発注とか、今までやったことのない経験できてるしな」
やっぱり最後は落とされて肩をすぼめた美琴を、日高はからっと笑った。その表情から本気の言葉じゃないと読め、美琴もすこし笑顔になれる。
「よし、じゃあ帰るぞ」
「ほんとにありがとうございました」
美琴が給湯室でコップやフォークを洗っている間に、日高は会議室を片付けてくれていた。
名古屋店オープン初日。
「考えたわねえ」
小村がレジカウンターで笑う。
「店舗に出すには数が多すぎたので。原価は勉強代です。それも津島社長が精一杯割り引いてくれましたし」
「いいんじゃない。この値段設定も」
レジに入っている山崎が、購入商品と一緒にノベルティグッズを渡す。
各店舗で二万円以上の購入者のみに先着順でプレゼントされるのは、もちろんあのストラップで、それに添えられた小さなカードは日高と美琴が作ったものだ。
『10Anniversary Special Thanks for you 育てて下さったお客様、サプライヤーの皆様と共に、これからもクオリティの高い毎日を…』
メッセージの下には、produced by津島工房 という文字に小さな地図。
津島工房のノベルティグッズがつくと知り、その場で追加購入するお客さんの姿も見られた。
名古屋店だけ最初の一歩という意味で、『Our first step forward お客様、サプライヤーの皆様と共に、クオリティの高い毎日を…』と入れた。
裏面には10Anniversary of GROW。
名古屋で応援に入っている友永の報告によると、向こうでも好評らしい。事前告知が間に合わなかったぶん、サプライズ的なプレゼントとして喜んでもらえているそうだ。
「素敵なカードじゃない。美琴ちゃんの発案だって?」
準備をしていると、小村に声をかけられた。
「元々発注ミスなんてしなければよかったんです。本当にすみませんでした。日高さんにも迷惑かけたし」
「発注用紙の管理も悪かったのよ、ごめんなさいね。日高くんだって自分がミスしたって気にしてるのよ」
「日高さんがですか?」
「いつもなら美琴ちゃんが一日何をしたか報告させてるのに、あの日はトラブルがあったとはいえ自分から聞かなかったって。朝から一緒に行動していたから全部把握してるつもりになっていたって」
日高がそこまで気にしていたとは思いもしなかった。
「反省は必要だけど、いつまでも気にしないの。次は間違えない方が大事よ」
日高の教育係は小村だったことが思い出される。
「これ、昔も言ったことあったわ。内緒ね」
美琴の気持ちを見透かしたように小村が笑い、人差し指を唇に立てると行ってしまった。
商品を並べる日高の背中に、美琴は新人の頃の日高を思い描いた。
美琴がいつも通りにお客さんの動きを見ながら商品整理をしていると、レジ担当の山崎に呼ばれた。
「北川さん、ラッピングお願い」
カウンター内には三雲もいるのに、山崎の声が聞こえないかのように手元から視線を上げることなく帳簿をチェックしている。そんなことは後ですればいいのにと不審に思いながら、レジを通した商品を受け取ると、渡されたのは颯のあの指輪だった。
「素敵な指輪ですよね。一目で気に入っちゃいました。彼にサイズが合うかわからないけど、合わなかったら鎖に通してもかっこいいですよね」
照れたような表情ではにかむ女性に、美琴の心が温かくなる。
「とても素敵な方が作られているんです。彼氏さんにも気に入って頂けると嬉しいです」
逸る気持ちを押さえながら丁寧にラッピングをして渡すと、女性はにっこり微笑んだ。
「ありがとうございました」
美琴はいつも以上に気持ちを込めて女性を見送った。
「よかったわね」
隣で山崎が微笑む。三雲も顔を上げて小さくVサインをくれる。お客さんに違和感を持たせることなく美琴が入れるようわざと帳簿をチェックしていたのだとわかった。
初めて颯の作品が売れた。大事にしてもらえますように。
そして、その場に立ち会わせてくれた、スタッフみんなの心遣いに感謝した。
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