第16話 あの日のこたえ

 颯の作品がすべて売れたのは、梅雨明けとなった頃だった。

 指輪が一つ売れたのを皮切りに、次々と完売した。美琴が見届けたのは最初の指輪だけだったけれど、完売時には小村からメールが送られてきた。

 忙しい小村が、美琴のことを気にかけてくれる心遣いが嬉しい。きっと小村はスタッフみんなのことをこうやって気にかけていて、それは間違いなくスタッフの士気となり、お客様へと返る。


 その嬉しい報告を持って、美琴は久しぶりに颯のところへ足を運んでいた。

 望月や他のサプライヤーの担当をいくつか任されたこともあり、今日までなかなか時間が取れなかった。

 町工場や倉庫が立ち並ぶ道沿いを歩きながら、工場にいなかったら隣のカフェへ行ってみようと計画する。

 開け放された入り口からそっと覗くと、作業着姿で首にタオルをかけた颯がこちらに背を向けしゃがんだ姿勢になっていた。他には誰もいないようだ。機械音に合わせ手元で時折火花が散る。

 しばらく見守っていると、颯は手にしていた小さな機械を下ろし立ち上がった。 つけていたゴーグルをはずすと気配に気づいたのか、振り返った颯と目が合う。作業着姿の颯はなんだか頼もしく見える。

「うわっ、びっくりするだろ! 声かけろよ」

「ごめんなさい。邪魔したら悪いと思って」

 慌てて謝る美琴に、颯は小さく息を吐いた。

「いいけど…。なんか用か?」

「完売したんです、颯さんの作品全部」

 美琴の報告に、颯がちょっと笑う。

「そっか。よかったな」

「なんだか他人事みたいですね」

「渡した後は、おまえのもんだろ」

 颯は言いつつ、手にしていた小さな物を弄ぶ。

「あの、それってもしかして!」

 閃いた美琴に、颯は顔をしかめた。

「目ざといな」

「見てもいいですか?」

「まだ台だけだぞ」

 そう言いつつ、颯は手のひらをひらいて見せた。シルバーの指輪だ。

 颯は作業台の椅子を美琴に勧め、工具箱を持ってくると隣に座った。

「工場長や他の方は?」

「会合と納品で出払ってる」

 颯はしばらく指輪を眺めていたが、下書きもなく一気に彫り始めた。ゆっくりと指輪に細い波のような形のラインを丁寧に彫り込んでいく。

じっと見ていると、やはり模様が浮き出てくるような感覚になる。そこに元から存在していたかのように。

「……なんかあったのか?」

 彫っている間は喋ってはいけないものだと思っていたので、颯に突然話しかけられ鼓動が跳ねた。

「どうしてですか?」

「元気ない」

 指摘され美琴は驚いた。比べるなんておこがましいが、颯の丁寧な作業を見ていると、注文ミスなんて単純な失敗をやらかした自分の情けなさが助長されて落ち込んでしまった。

 顔に出したつもりはなかったが気づかれたらしい。

 こんなこと、サプライヤーに話してもいいのかな。一瞬迷って口を開く。

「ちょっと失敗しちゃったんです。けっこう初歩的なことだったから情けないなあと思って。あ、颯さんにご迷惑おかけするようなことではないですよ」

「失敗なんか誰にでもあるだろ。次、気をつけたらいいことじゃないのか?」

 小村と同じ言葉をかけられ、その偶然に颯を見返してしまう。

 颯が指輪を持ち上げ、ふっと強く息を吹きかけた。削りかすが落ちて、きれいなラインが露わになる。手しごと、と言った日高の意味を実感する。

「きれいな手ですね。こんな素敵な物が作れるなんて」

 颯の滑らかな手の動きに惹かれる。ひらいて見下ろす自分の掌は、どうしてなにも生み出せないんだろう。 

「颯さんは、いつからアクセサリーを作りはじめたんですか?」

 研磨作業に入った颯は、片方の眉を上げた。

「どんなきっかけだったのかなと思って。すみません、話したくなかったらいいですよ」

 颯は黙ったまま指輪の内側をやすりでこすっている。その横顔は硬く、嫌な部分に触れてしまったかなと不安になる。


 しばらくして、颯は口をひらいた。

「俺さ、昔、学校とかまわりのこととかどうでもよくて、けっこう荒れてた時期があるんだ」

 今の颯からは想像のつかない言葉に、美琴はすぐに言葉を飲み込めなかった。

「まわりは俺がこの会社継ぐんだろうって流れで話してくるんだけどさ。ことあるごとに親父から学べ、とか、そんなのじゃ親父の跡継げないぞ、とか外野から色々言われて。それが本当に鬱陶しくてさ」

 今の颯と工場長の関係からは、そんな時期があったなんて想像もつかなくて驚くしかない。

 美琴の表情を読んだのだろう、颯がくすりと笑う。

「……すっげー尖がってたとき、そばにすごく落ち込んでるやつがいてさ」

 すこし静寂を置いて、言葉を選ぶようにゆっくりと紡ぐ。

「励ましたいんだけど、俺の言葉なんて薄っぺらいんだろうなって思うと、どう言ったらいいのかわかんなくて。なんかできねーかなと思って、趣味でアクセサリー作ってた友達の真似して、はじめて作ってみたんだ」 

 颯は指輪に目を落としながら、だけどその視線はどこか遠くを見ている。

「たいした出来じゃなかったけど、すげー喜んでくれて。なんかそれが嬉しくてさ」

 無意識だろうけれど、懐かしそうに、柔らかに小さく微笑んだ。

 それは颯の中で、とても大切な思い出なのだろう。

「集中して作るのってけっこう合ってたみたいで、楽しくて色々作り出したんだ。きちんと習ったわけじゃないから自己流だけどな」

 話しながらも、颯の手元では指輪がきれいに磨かれていく。

 きっとその人にも、こんな風に颯の想いが届いたのだろう。

 もっと多くの人に、颯の気持ちを届けたい。

「え、ちょっ……なに泣いてんだよっ」

 驚いて目を丸くする颯の声で、頬の涙に初めて気づいた。

「ごめんなさい! なんでだろ、すみませんっ」

 慌てて鞄を引き寄せハンカチを探していると、颯が首にかけていたタオルで美琴の目元を拭った。荒っぽいのにやさしい仕草で、美琴の動きが止まる。

「べつに泣くような話じゃないだろ」

「ごめんなさい。なんか勝手に……」

 しばらくタオルの端を借りて目頭を押さえる。

「大丈夫か?」

「はい、ありがとうございました。汚しちゃってすみません」

 洟をすすりながら美琴はタオルを離した。

「いいよ。……こんな話、他人にしたの初めてだ」

 颯がくすりと笑った。

「今までは聞かれても、無視したりごまかしてたのにな」

 颯は自分でも可笑しそうにしている。

「なんでかな。おまえなら笑わないって思うからかな」

 颯から、信用されていると思っていいのかな。

「……ほら」

 差し出した手のひらに、できあがったばかりの光が転がる。

 颯が想いをこめているから、やさしく丁寧な作品になるんだと知る。差し込んだ夕日に反射したその光は温かい。

 颯は椅子から立ち上がると、壁に沿って置かれた棚から箱を持ってきた。

「これも次に使えるか?」

 覗くと、中にはネックレスやバングルが全部で五点も入っている。

「作ってくださったんですか?」

「まあ、ちょっと勢いついたから」

 そう言って颯がそっぽを向いたのは、照れ隠しだとわかる。

「ありがとうございます」

 美琴は箱からそっと取り出した。

 颯の想いのこもったアクセサリーは、きっと手にしてくれた人たちを幸せにするだろう。


「あのう。指輪の注文って、できないですよね?」

 新しい作品の写真を撮り終え、契約書に必要な事項を一緒に確認し終えると、美琴は恐る恐る颯に目を向けた。この間から聞いてみたかったことだ。

「注文ってなんだよ」

 案の定、颯は訝しげに美琴を見やる。

「サイズ注文です。指輪買ってくださったお客さん、サイズが合わなかったら鎖に通します!って嬉しそうに買って下さったんですけど、ちゃんと指につけてもらえたらいいなあと思って」

「最初に口出ししない、自由にどうぞって言わなかったか?」

 横目で睨まれ、美琴は慌てて胸の前で両手を振った。

「すみません、よけいな口出しして」

 だけどすぐには引っ込められず、声のトーンを落として続ける。

「でもせっかくなら、ちゃんと合うサイズをつけてもらえたら嬉しいです」

「誰が嬉しいんだよ」

「私が……いえっ、お客さんが嬉しいと思います!」

 力説する美琴を呆れた顔で見ていた颯が、吹き出すように笑いだした。

「わかったわかった。作ってやるよ」

「いいんですか?」

「入って来たときのしょぼくれた様子はどこ行ったんだよ」

 思わず前のめりになった美琴に、颯が呆れたように笑う。

「でも、こっちからアピールすんなよ。サイズが欲しいって言われたら作る。でも店にあるものとまったく同じものは無理だからな。それに日にちもかかる。それでもよければ、だぞ」

「お客さんにはちゃんと説明します」

 言いつつ、美琴は手帳を取り出しメモを取りはじめた。

「颯さんのアクセサリー、身につけていたらいいことあると思うんですよね」

 美琴が書き込みながら呟く。

「なんのご利益もないぞ」

「だってつけたら嬉しくて、嬉しくなるといいこと起きそうな気がするじゃないですか」

 大真面目に返した美琴に、颯は苦笑した。


「あー、美琴ちゃん来てたんだ! 颯、教えろよ」

 突然入り口から飛び込んできた声に二人で振り返ると、暁人が駆け込んできた。

「なんだよ、仕事は?」

「細かいことは気にしない。そろそろ美琴ちゃん来てくんないかなーと思ってたら大当たり!」

 テンションの高い暁人を横目で見ながら、颯が作業着の上着を脱いだ。

 半袖の白いTシャツの腕は、細いのにしっかりと筋肉がついていて思わず見惚れてしまう。作業着姿では見えなかったけれど、左手首にはバングルをつけている。 銀の滑らかな光。

 美琴の中で何かの光景が重なった。

 こんな景色、どこかで見た。 いつ? よくある既視感?

 ……違う!

 前に会ったことがあると言っていた二人の言葉を思い出す。

「なに? 美琴ちゃん、どうしたの?」

 暁人に覗きこまれながら、美琴は記憶を繋ぎ合わせた。鼓動が速くなる。 

「あのっ、もしかして前に会ったのって……電車ですか?」

 二人を見上げるように訊くと、

「あー、ばれちゃったねえ」

 暁人が忍び笑い、颯はバングルを右手で隠すように触れた。その仕草は正解だと答えているようなものだった。


            


「いらっしゃい、美琴ちゃん。こちらへどうぞー」

 笑顔で迎えてくれる千春は、相変わらずテキパキとお客さんのオーダーをこなしながら、美琴たちをカウンター席に勧めてくれた。テーブル席では一組の女性グループと、スーツ姿の二人組がそれぞれ話し込んでいる。

「美琴ちゃん、なかなか来てくれないんだもん。待ちくたびれちゃった」

 三人でカウンター席につくと、すかさず水のグラスを出してくれた。

「遅くなってすみません。颯さんの作品が全部売れたのでご報告に来ました」

「全部? すごい! さすがGROWさんね」

 千春が目を丸くして喜ぶ。まるで自分のことのように嬉しそうだ。

「いやあ。しっかし、あの時はほんっとに驚いたもんな」

 暁人がしみじみとこぶしを利かせるように力を込めて言う。あの時とはいうのは、美琴が颯のバングルを追いかけたときのことだ。

「なになに、なんの話?」

 千春がカウンターから尋ねる。

「美琴ちゃん、やーっと気づいたんだよ。俺たちと前に会ってたこと」

「そうなんだ。やっと?」

 すでに知っている口ぶりに慌てる。

 千春まで知っていて傍観されていたとは。

「まさか、あの電車の子とまた会うなんてさ」

 去年の秋、GROWの面接日だった。美琴が乗り遅れそうになった電車の扉を押さえてくれたのが颯だなんて思いもしなかった。

「あの日、三人で出かけるついでに、駅構内のパン屋に寄ったんだよな。千春が人気商品はすぐに売り切れるっていうから朝から並ばされてさ」

 暁人の言葉に、千春が口を挟んだ。

「颯と行こうとしたら暁人がついてきたんでしょ」

「一人留守番なんて寂しいだろ! そしたら美琴ちゃん、おじいさんの荷物拾ってあげてただろ。実は俺たちもちょっと拾ったんだよ」

 散らばった金属パーツを思い出す。通りすがりに拾ってくれた人たちの中に、颯たちがいるとは思いもしなかった。

「電車に乗りこんで出発待ってたら、美琴ちゃんが泣きそうな顔して階段下りてきたのが見えて。リクルートスーツっぽかったし時間がやばいのかなって思ってたら、颯が扉押さえてたんだよな」

 にやっと口角を上げる暁人に、颯はそっぽを向く。

「だから二度目に会ったとき、美琴ちゃんが颯の腕掴んでるの見て何ごとかと思ったよ。混乱して、GROWの新手の作戦か?とか勘ぐっちゃったし」

「そんな風に思われていたんですか」

「でも、美琴ちゃんは去年会ったことを全然覚えてなさそうだったし、颯の腕前もまったく知らなさそうだったから、ほんとうに偶然だってわかったよ」

 そんな繋がりがあったことを聞かされても実感がなく、ふわふわとしている。

「最初に暁人さんが取り持ってくださったお陰です」

「いやー、しかしこうなると運命みたいだな」

 暁人のニマニマとした顔に、美琴は飲みかけていた水を吹き出した。慌てて紙ナプキンに手を伸ばす。

「な、なに言われるんですか!」

「だってさー、偶然二回も会えるなんてすごいよ? 電車一本違えば会えてないんだからさ。こうなるようになってたんじゃない?」

 すごい偶然だとは思うけれど、でも運命だなんて言い方が!

 隣に座る颯の腕につけられたバングルが目に入り、顔を上げられなくなる。

 千春の出してくれた賄いを受け取ろうと手を伸ばすと、颯と同じタイミングになり一人焦る。暁人が茶化すから変に意識してしまう。

 せっかく千春が作ってくれたご飯なのに、いつものように心から味わえなかった。


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