第17話 拒むもの
その電話を受けてから、美琴は逸る気持ちを押さえながら毎日本店へ出ていた。
朝一番に事務所に入り、開店前に運送会社から搬入される段ボール箱を店内へ運び込む。
段ボール箱の中身を傷つけないよう慎重に開き、一番上に乗せられている納品書と中身を一つずつ確認する。
一昨日、昨日と目的は空振りに終わっていたけれど、今日は…
「うわあ…」
開いた箱の中を覗いて、美琴は思わず呟いていた。そっと取り出しゆっくりと広げる。
「そのスカートがどうかしたか?」
美琴の動きが怪しかったのだろう、別の箱を開いていた日高に声をかけられた。
「これ、同期の友達がデザインしたスカートなんです。そろそろ納入されるって聞いて待っていたんです」
日高に向けてフレアスカートを広げた美琴は、泣き笑いになってしまった。細かいチェックと無地の縦に切り替えのあるデザインで、ほどよい張りがあるのに手触りがよく着回ししやすそうだ。
切り替え部分にはゴールドのメタルボタンが五つほど並んで縦につけられ、丸いボタンの淵には円形にGROWオリジナルブランドのロゴが入れられている。落ち着いたゴールドなので上品な印象になっている。
「おまえの同期? 新人か?」
「そうです。企画部にいる寺沢の作品なんです」
美琴は改めてスカートを目の前に掲げ、ほうっと息をついた。
「すごいですよね。いきなり認められて、こんな素敵な作品作っちゃうなんて」
「たしかに早い採用だな」
「ですよね。私なんて何にも形にできてないのに」
「何にもってことはないだろ。誰が指導してると思ってんだ」
日高の心外だという口調に慌てる。美琴が自分を蔑むということは、日高の指導力を信頼していないように捉えられていい気はしないだろう。
「そういう意味じゃないですよ」
「仕事は競争じゃないし他の奴と比べる必要はない。おまえはおまえのペースでやればいい」
「…はい。がんばります」
「よし。じゃあ、さっさと検品してしまうぞ」
日高は美琴に背を向け作業にかかる。美琴も背筋を伸ばしてそっと商品を取り出した。
届けられた商品は、店舗に並べる前にスタッフで検品を行う。もちろん納入前に工場やサプライヤー側でも検品しているけれど、人の目でのチェックは多い方がいい。
ポイントを熟知している日高は、ほつれからボタンやジッパーの破損まで全体を流れるように手早くチェックできるけれど、美琴はまだもたついてしまう作業だ。
ボタンの多いシャツ類は特に、ほつれに加えてボタンがきちんとつけられているか、ボタンホールに不具合はないかを見るため時間がかかる。日高の倍以上の時間をかけてようやく一枚を終える。
オリジナルブランドの商品は小さな縫製工場が担当しているけれど、検品にひっかかることが少ない優良な工場だ。風香のスカートは心配ないだろうと思いながらも縫い目を見ていく。
「…えっ?」
問題ないと思い込んでいたため、一瞬自分でも何が起きたのかわからなかった。
「どうした?」
動きの止まった美琴に、日高が鋭い声をかける。
「や、あの、ボタンが……」
動揺してしまい上手く説明できない美琴の手元を見て、日高は察したようだ。
メタル素材でできている飾りボタンは、上下二つのパーツを組み合わせて作られている。試しに上下へ引っ張ったところ、いとも簡単に上の部分が外れてしまった。
「私の力が強かったのかもしれないです」
「おまえの力で簡単に外れるようなもんじゃないだろ」
たしかに、これまでこのタイプのボタンが外れることはなかった。
「他のものは?」
慌てて他のサイズや色違いのスカートを取り出し、強度を試す。全部で八枚入荷されているうち、明らかに弱いのはその一つだけだった。今回の納品で、同じタイプのボタンがついているのは風香のデザインだけだ。
「私がおかしなことをしたかもしれないです。すみません」
「いや。……ちょっと確認してくる」
美琴も事務所に戻る日高の後を追う。事務所で楽しげに作業を行っていたスタッフたちも日高の表情に気づき、しんと静まり返った。机の受話器を取った日高が短縮番号を操作したことで、他店へ掛けていることがわかる。
「どうしたの?」
小村に美琴がスカートを見せると、眉根を寄せた。
日高は他店へも納入されている同じ商品のボタンの状況を聞いて回っている。全店舗との通話を終え、その状況は漏れ聞こえる会話で美琴も把握した。
二店舗で計三個、同じような不具合が見つかったと。ここも併せると四個だ。
「その数はちょっと…。他のパーツも一度強度チェックした方がいいわね」
「今までこんなこと起きなかったのにおかしいな。小村さん、検品途中だけど…」
「私が引き継ぎます」
状況を飲み込むのが早い山崎が手を挙げ、すぐに店内へ入ってくれる。日高は問題の飾りボタンがついたスカートを畳むと店の紙袋に入れた。
「北川、戻るぞ」
美琴は口を開かず鞄を持つと、小村たちへ一礼し、日高について店を出た。
『二、三日のうちに納入されるみたい。できれば美琴に並べて欲しいな』
数日前にかかってきた風香からの電話で、あんなに喜んで報告してくれたのに。なぜそれがこんなことになるんだろう。販売中止になったらどうしようと、そればかりが渦を巻く。
ショッピングモールに勤務する人たちだろう、駅からの人波に逆行しながら美琴は日高の隣を無言で歩く。日高が歩きながら遠慮がちに美琴の肩に触れた。
「悪いようにはしないから」
どうして自分はごまかすのがこんなに下手なんだろうと情けなくなる。
「延期は仕方ないけど、最短で販売できるようにするぞ」
背中をぽんと叩く、日高の声はやさしかった。
社に戻り、まず向かったのは吉岡のところだった。
各店舗に販売延期を連絡してもらい、ホームページやブログにも延期情報を更新してもらう。
日高が説明しているその場でパソコンに向かい、次々と要求をこなしていく素早い吉岡の仕事ぶりに感心しながら、次は製造部へ足を運んだ。
製造部は企画部と並んで上の階にあり、企画部から上がったデザインを元に、制作の段取りから完成品の責任まで請け負う。風香のデザインを形にしたのはこの部署だ。
別室になっている企画部と違い、製造部は階下と同じようにパーテーションで仕切られている。パソコンに向かったり電話をかけたり、みんな忙しそうだ。
「すみません、商品管理部です。今日入荷した商品の製造担当の方を知りたいのですが」
書類の束を抱え戻ってきた男性に日高が声をかけると、足を止めてくれた。
「ちょっと待ってもらえますか?」
三十代後半くらいのその人は書類の束を各デスクに配ると、棚からファイルを持って戻ってきた。端的な仕草やちょっとした会話が、仕事のできる雰囲気を漂わせている。
「お待たせしました。どの商品かわかりますか?」
広げられたファイルには、今日の日付と入荷商品番号が一覧になっている。番号なんて把握していないと焦る美琴の隣で、日高は十一桁もの商品番号をすらすらと答えた。
「覚えているんですか?」
「覚えてないと調べられないだろ。記憶できないならメモしておけよ」
仰天した美琴は日高に横目で睨まれた。覚えるのは無理だから、今度調べる用件があればきちんとメモしておこうと頭にインプットする。
日高と美琴がやり取りしている前で、ファイルを目で追っていた男性が顔を上げた。
「新作のスカートですよね。それは私が担当しました。藤井と言います。なにかありましたか?」
「あなたが担当でしたか。申し遅れました、商品管理部の日高とこっちは北川です。実はこれなんですが」
本店から持って来た紙袋から、問題のスカートを取り出す。
「今朝本店に搬入されたものです。このボタン部分ですが…」
日高が説明をするまでもなく、それを目にした男性の顔色が変わった。
「大阪で一着、名古屋で二着の計四着、同様の不良が見つかっています。他の物も強度が不安なのでとりあえず販売延期にして、社内テストに回してもらおうと思います」
「わかりました。上園!」
よく通る男性の呼びかけで、デスクに座っていた一番若そうな男性が反射のように立ち上がり駆けてきた。緊張感を漂わせた表情は、よからぬ出来事を予測しているのだろう。
「この製品は私と上園で担当しました。上園、ボタンのメーカー調べてくれるか」
「ロゴ入りのものは一つの工場に任せているはずです。確認してきます」
藤井からボタンを見せられた上園は、すぐさま段取りを考えているようだ。日高からスカートを受け取ると自席へと戻っていった。
「申し訳ありませんでした」
「いえ。ただ、販売中止にならないような方向を考えて頂けたらと」
「それはもちろん。延期で済むよう対処します。企画部にもこちらから連絡しておきます。経過はご報告しますので」
「ええ、よろしくお願いします」
藤井に挨拶をし、日高と美琴はその場を離れた。
「……ありがとうございます」
「なんだ?」
「販売中止にならないようにって」
「ああ。ボタン一つのことだからなんとかなるだろうけどな。まあ、人によっては逆に数着の話だしってことにならないとも限らないから、一応な」
エレベーターホールまで行き、一階下のフロアへ戻ろうと階段への扉に近づこうとした時、
「美琴?」
今は聞きたくなかった声が背中で響いた。
恐る恐る振り向くと、同僚に囲まれた笑顔の風香が立っていた。エレベーターから降りてきたところらしい。美琴のそばまで足早にやって来る。
「どうしたの? このフロアに来るなんて珍しいね」
「うん、ちょっとね」
「入荷された?」
期待感溢れる風香の笑顔が苦しい。だけど知っていても美琴からではなく、きちんとしたルートを通って伝わらないといけない話だ。
「まだ見てないんだ」
「そっか」
「北川!」
咄嗟に嘘が出てしまい、ここからどうしようと迷う美琴の動揺にかぶせるように、日高の声が飛んできた。階段への扉を開けて待っている。
「あれ、日高さんだよね」
「うん」
「ごめん、叱られちゃって。相変わらず怖そうだね」
風香が顔の前で両手を合わせて詫び、耳元で囁く。
「また連絡するね」
「うん。足止めてごめんね」
風香に小さく手を振って別れ、日高の元へ駆けた。日高は扉を押さえたまま、美琴を先に通した。扉が閉まり、辺りに誰もいないのを確認する。
「ありがとうございました」
「いい。彼女のデザインなんだろ。よく言わなかったな」
「そのくらいわかります」
「だな。ちゃんとできるようになってるって言ったとおりだろ」
階段の一歩先を降りていく日高の声は穏やかだ。
美琴は日高に申し訳ない気持ちになる。日高は気を利かせてくれただけなのに、風香に勘違いされたことがなぜか悔しかった。
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