第14話 言葉の色

 美琴は日高とともに箱根近くの山間部に来ていた。

 昨日、突然日高から「明日津島工房へ行くぞ」と告げられ、真意がわからないままついてきた。

「この景色、箱根マラソンの中継で見たことあります」

「この先が山越えで有名なコースだな」

 梅雨の合間。曇り空だが雨は降っていない。

 駅前から乗ったタクシーで十分ほど坂をのぼり、到着したのは山小屋のような木造の建物だった。一階の入り口に『津島工房』と彫られた木の看板が掲げられていて、美琴の緊張感が増す。

 一階は店舗になっていて、さまざまな革製品が並べられていた。数人入っているお客さんが、楽しそうに品定めをしている。

「日高さんは来られたことあるんですか?」

「数回な。俺が話すからおまえは黙っとけ」

 日高と一緒に店内へ入り、レジにいた女性に声をかけた。

「こんにちは。津島社長とお約束しているGROWの日高と申します」

「はい、お聞きしています。お待ちしていました」

 女性が手元の電話機のボタンを押すと「はいはい」と大きな声で返事が届き、レジ奥にある赤い手すりの螺旋階段から、恰幅のいい年配の男性が降りてきた。黒いTシャツと黒いパンツ姿で、Tシャツの左胸には金色で津島工房と小さく刺繍が入っている。

「ご無沙汰しています、津島社長」

「日高くんか、久しぶりだな。そちらのお嬢さんは?」

 目が合い、美琴は慌ててお辞儀をする。

「北川といいます」

「ああ、君が。まあ入って」

「お邪魔いたします」

 ここへ来る前に百貨店で買ってきた菓子折りを渡すと、津島は美琴たちを階段へ促した。


 二階は工房になっていて、三人の職人さんがそれぞれの作業に集中していた。年齢は様々だが、みんな津島と同じ恰好をしていて、それが作業着らしい。黙々と取り組む職人さんたちの背中に、自然と作業中の颯が重なった。

 壁には小さな小物から鞄まで、作られた製品がずらりと飾られていた。それらを眺めながら工房横を抜け応接室に通された。

 促されたソファに日高と美琴は並んで座り、津島はその向かいに深く掛ける。

 お茶を運んできた女性に会釈を返していると、

「発注間違ったそうだな」

 おもむろに津島が切り出し、美琴は固まった。

「大変申し訳ございませんでした。あの数を制作されるのは大変だったと思います」

 ソファに座った姿勢のままで日高が深く頭を下げる。日高が話したのだろうか。信用を無くすと言っていた森谷との矛盾を理解しきれない。

「私の不注意です。本当に申し訳ありませんでした」

 話についていけないながらも美琴も固まった体を折り、津島に頭を下げた。

「頭上げて、二人とも。誰でも失敗はあるもんだ。うちのだって、な」

 そういって津島は、お盆を持って壁際に立つ女性を振り返った。

「私がFAXを受けました。受注確認も、多すぎることにも気づかなくて…」

「いえ。こちらのミスですから気になさらないでください」

 日高が所在なげに俯く女性の言葉を遮った。

「こっちも入ったばかりの新人だ。GROWさんがどういう店かもわからん子でな。まあ、ミスはこういうときに起きるもんだ」

 津島に怒っている様子はなく、豪快な物言いだが諭すように話す。

「それで? 発注ミスなんか、売りさばくなり在庫抱えるなり隠すこともできるだろう。正直に来たってことは、救済依頼か?」

 津島に睨むように正面から見据えられた日高は、動揺もせずまっすぐに返す。

「できれば。ご迷惑にならない範囲でお願いしたく参りました」

 美琴は目を丸くして二人のやり取りを聞いていた。日高からは何も聞かされていないので、美琴は遠巻きに見ているしかない。

「手を貸してやりたいのは山々だが、ちょうど入っていた注文を全部発送したばかりでな。今日のところは他からの発注は入ってない。いつ入るのかもわからんしな」

 津島が腕を組んで難しい顔をした。タイミングが合っていたら、そのままスライドさせてもらえていたということか。

 美琴が言葉を無くしていると、日高が居住まいを正した。

「あのストラップをノベルティグッズとして扱わせて頂けないでしょうか。むやみに配ることはしません。我が社に共感頂けるお客様だけにお渡ししますので」

「ノベルティって、要はプレゼントだな」

「そうです。もちろんお支払いは致します。一週間後に名古屋店がオープンするので、その記念品として考えています」

「ああ、名古屋からも鞄や小物の注文頂いてたな。…まあ、おたくには恩があるしな。いいよ、好きに使ってくれて」

「ありがとうございます」

「どうせ、もう契約書作って持って来てんだろ」

「はい、いいお返事を頂けると信じて」

「さすが、小村ちゃんの愛弟子だな」

 津島は声をあげて笑い、美琴は二人の間で通じるその展開に入り込めない。

「小村店長をご存知なんですか?」

「ご存知もなにも、小村ちゃんがこの店の名前を広めてくれたようなもんだ」

 美琴の質問に、津島は楽しそうにこたえた。

 津島と日高は、美琴の知らない話題で盛り上がる。話の端々からGROWとの関係が深いことが感じられた。ノベルティグッズとして、ストラップに『TSUSHIMA×GROW』と焼き印を押すことまで話が進む。

「では、今後ともよろしくお願いいたします」

「おう。こちらこそよろしく頼むな」

 契約を済ませ、立ち上がった津島と日高は握手を交わした。

「北川さんも、こいつに成長させてもらえよ」

「は、はい!」

 急に名前を呼ばれ、美琴は姿勢を正した。

「試作品だけどな。よかったらまた使い勝手を聞かせてくれ」

 店の前での別れ際、津島はそう言って色違いのキーケースを一つずつ手渡した。 日高に茶色、美琴には黄色。白い革紐のステッチが細かく入っている。なめし革の手触りが柔らかい。

「ありがとうございました。では、失礼いたします」

 日高と美琴は並んで丁寧にお辞儀をし、帰路につく。


 角を曲がり店から見えなくなったのを確認して、美琴は日高に顔を向けた。

「あの、ありがとうございました。ノベルティグッズなんて思いつかなくて」

「うちでは基本やらないからな。まあ、ちょうどオープンと重なってよかったな」

「でも、仕入れ代の回収はできないですよね。私、支払った方がいいですか?」

学生時代のバイトでも、あまりの失態にバイト代を引かれた仲間の話を聞いたことがある。金額は痛いが自らの失態だ。貯金を崩せばなんとかなるだろうかと計算するが、美琴の申し入れに日高は呆れたような表情になった。

「何言ってんだ。そんなところも含めておまえを雇ってんだぞ。失敗した分は仕事で返せ」

「は、はいっ!」

 挑むような日高の目に、美琴は背筋を伸ばして返事をした。

日高が腕時計に目をやる。まだ十四時半だ。

「景色もいいし、散歩がてら歩くか。疲れたら言えよ」

 日高と並びゆっくりと坂を下りた。雨に洗われた景色は空気が澄んでいて、雲の隙間から明るい光が射してくる。

「久しぶりの晴れ間だな」

「そうですね。やっぱり晴れている方がいいです」

 川沿いの道を歩きながら、美琴は薄い青空を仰いだ。

「あの注文、万引きのあった日だったんだな」

 静かに口を開いた日高に、気づかれていたんだと美琴はいたたまれなくなる。

「……ダメですね。他のことがすっかり抜けてしまって。こんなにたくさんご迷惑おかけして、本当に情けないです」

「いや、俺もあの日は調子狂ってた。受注生産の発注ミスは相手に申し訳ないからきつい言い方になった。ファイルのことも一方的に責めて悪かったな」

 思いがけない日高の言葉に、俯きかけた美琴は慌てて顔を上げた。

「日高さんはなにも悪くないです。こんなにフォローしてもらってすみません」

 新人のお世話役が回ってこなければ、日高はもっと自分の仕事に集中できていたはずだ。

「あの、小村店長が津島工房の名前を広めたって、どういうことですか?」

「ああ。その話な」

 日高は懐かしそうな表情を浮かべた。

「津島工房はGROWがオープンしたときからのサプライヤーなんだ。今よりもっと小さな工房で作っていたのを小村さんが見つけてきたらしい。津島社長は職人気質で頑固なとこがあるから、当時うちの他に卸していた店で揉めて、工房の経営が危うくなったんだ」

 豪快な津島を浮かべ、職人気質という言葉に納得がいく。おそらく自分の信念は曲げない人だろう。

「GROWが雑誌やなんかの取材を受けるたび、小村さんがさりげなく津島工房を推してな。質のいい製品だからだんだんと高い評価がついて工房の名前も評判も広まった」

「恩があるって、そういうことだったんですね」

「小村さんは見る目もあるし、なによりサプライヤーと信頼関係を築くのがうまい。俺も色々学ばせてもらった」

「愛弟子って言われてましたね」

「そうだな。よく怒られたけど、いい経験させてもらったと思う」

「日高さんでも怒られたことがあるんですか」

 怒られている日高なんて想像つかないけれど、日高でも成長して今があるのだと思うと、少しは希望が持てる気がした。

「そりゃ、新人時代は色々な。二十倍の発注ミスはやったことないけどな」

「うっ、本当に反省しています」

 完全にからかっている日高の口調に、美琴は顔を赤くした。

 カフェの軒先で観光客が買っているソフトクリームが目に入った。日高が二つ買って手渡してくれる。

「すみません、いただきます」

 日高が渡しかけたソフトクリームを空に持ち上げ、美琴の手から距離をとった。

「おまえな、いつも思うけど、すみませんが多過ぎる。今の謝るところか?」

「……ありがとうございます?」

「そうだろ。口にする言葉一つで、全然違うだろ」

『すみません』より『ありがとう』の方が和む。もしかしたら、必要以上の『すみません』は、聞く方をいたたまれない気持ちにさせていたのかもしれない。

「気をつけます」

 日高は笑って今度こそソフトクリームを手渡してくれる。

「ありがとうございます」と返すと、日高は柔らかく頷いた。

観光客に混ざって、ゆっくり歩きながら食べる。

「美味しいですね。味が濃いです」

「甘すぎないから食べやすいな」

 仕事中だけれど、仕事モードでない日高は穏やかだ。

「日高さんって、最初の印象と全然違いますね。最初に研修で会ったとき、もっと怖い人だと思ってました」

「まあ、よく言われるからそう見えるんだろうな」

 憮然としつつも、慣れた様子で日高が頷く。

「でも本当は違うんだなって、やっとわかってきました」

「やさしくはないけどな」

「いえ、やさしいです。だからきっとうまくいきますよ」

「なんの話だよ」

「大丈夫です。日高さんなら彼女できますよ」

 的を得ない表情で日高が美琴に目をやる。

「なんだそれ。応援してくれてるのか?」

「もちろんです」

 大きく頷いたら、日高が苦笑した。美琴に気づかれているとは思っていなかっただろう。

「おまえはどうなんだよ」

「いませんよ、いたことないです」

 自分の恥ずかしい過去を暴露してどうすると思いつつ、正直にこたえてしまう。 日高がちょっと驚いたような顔をしたのが救いなのかどうなのか。

 学生時代、いくつか恋はしてきたけれど片思い止まり、振られてばかりだ。

「見た目も頭もよくないし。失敗ばかりなのは日高さんもよくご存知でしょう」

 小村や吉岡や伊藤や、風香や…どうして有能できれいな人が揃っているんだろう。だんだんと卑屈になっていると、急に頬に痛みが走った。

 ソフトクリームを食べ終わった日高が、片手で美琴の頬を抓っている。

「痛いです! なんですか、もう」

「さっき言ったよな。口にする言葉で変わるって」

 手を離して美琴をじっと見る日高の表情は、仕事中とは違う険しさを浮かべている。

「マイナスなことばっか言ってると、本当にそうなっちまうぞ」

「だって…」

「おまえにもいいところはある」

「どこですか?」

「……自分で探せ」

「ちょっと、それってないってことじゃないんですかっ」

 顔をあげて愚痴る美琴に、日高が笑った。

「自分で見つけろってことだ。俺も探してやる」


 駅から電車に揺られ、途中で新幹線に乗り換える。

 日高と並びの席に座った美琴は、猛烈な睡魔に襲われていた。昨夜は緊張感からほとんど眠れなかったからだろう。一番の悩みを解決でき、体中が安堵に包まれたようだ。

「寝ていいぞ」

「いえいえ。仕事ですから」

 睡魔を日高に気づかれ、慌てて姿勢を正す。自分の失敗でここまで日高に付き添ってもらったうえに寝るなんてあり得ない。あり得ないと思っているのに、いつのまにか美琴の意識は遠のき、人の動く気配に気づいた時には東京駅間近だった。


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