第13話 手痛いミス
奥が見えないほどの広い会場いっぱいに展示された洋服や小物の数々。
仕切られたブースではそれぞれのお店が特色を目一杯アピールした凝った空間を造り、繰り広げられる商談は熱を帯びているくらいだ。
テレビカメラや記者の姿もちらほらとある。
日高と小村に連れられて、美琴は初めて展示会へやってきていた。
国内のメーカーやブランド各社が一同に集まり、店や雑誌のバイヤーへ自社製品を売り込む場だ。サンプル品が並べられ、商談が上手くいけば販売へ繋がる。
GROWも今回の主催者である繊維企業団体から案内を受け、店舗で扱う商品を探しにきた。
「あの人見たことあります! モデルさんですよね。あっちは女優のルリだ!」
ブースの前で取材陣に取り囲まれている雑誌やテレビで見かける人物を目の前にして、興奮した美琴が日高のジャケットの袖を引くと「阿呆」と一喝された。
「芸能関係者はブランド宣伝してるんだ。遊びに来てるんじゃないぞ」
「…すみません」
しゅんとした美琴に、「初めてだからテンション上がるわよね」と小村がフォローしてくれるが、日高は憮然としたままだ。
飾られているのは未発表の商品ばかりだ。パリコレに出ているブランドもあり、美琴は高揚した気持ちで眺めるけれど、日高と小村は有名ブランドの並ぶブースをさっさと素通りする。
「どこ行くんですか?」
「有名ブランドやメーカーは、うちの専売じゃないからな」
日高の説明でつけた予想通り、会場の奥には規模の小さなブランドや、個人販売のブースが並んでいた。
「おまえも意見あったら言えよ」
ブースを見回り始めた日高と小村の後について行く。すでにGROWで取り扱っているブランドもあり、顔なじみのサプライヤーと挨拶を交わす。
「相馬さん!」
素敵なジャケットだなと目をやると、商談を終えたばかりらしい相手を見送っているのは相馬だった。ブースには、GROWでは見たことのないデザインのシャツやパンツが並べられている。新作のサンプルだろう。
「GROWの皆さん、お世話になります」
相馬が安堵したような笑顔を浮かべたのは、日高の顔を見たからだとわかる。
「順調か?」
「初めての出店なので緊張しますね。でも、いいお話を頂けました」
「そっか。よかったな」
日高はまるで兄のように喜んでいて、二人の間にある信頼関係を感じる。いつか、颯からこんな風に信頼してもらえる日が来るだろうか。
個人販売だけでも相当数のブースが出ていて目移りする。三人でゆっくりと見て回りながら、ふと美琴は足を止めた。
「このニットかわいいですね」
「あら、ほんとうね」
美琴の目に留まったのは薄手のセーターだった。編み込んである模様が凝っている。他にカーディガンやサマーセーターも飾られているが、どれもが丁寧で細かく編まれていてデザインもお洒落だ。
裏を見ても隅々まで丁寧に施されていて、作り手の几帳面なほどの仕事ぶりが感じられる。小村も手に取りじっくりと見ている。
ブースの中では、パイプ椅子に掛けた小村くらいの女性が編み棒を動かしていた。それは見る間に形作られ、あっという間にグレーの格子模様のマフラーが編みあがった。
「速く編めるものなんですね」
「あっ、こんにちは! 気づかずすみません」
美琴の声が聞こえたらしく、慌てて顔を上げた女性は、ふわふわの長い髪に濃紺のニット帽がよく似合うかわいらしい人だ。
「全部手編みですか?」
「編み機を使った物もありますよ。半々くらいですね」
「デザインも編み目も素敵ですね」
「ありがとうございます。これなんか、結構人気のタイプですよ」
女性が美琴に差し出したセーターは、ニットなのにとてもしなやかだった。
「手編みなのに、こんなに柔らかい手触りなんですね」
美琴の手編みのイメージは、温かいけれどゴワゴワしている感触だ。
「日本製の細くていい糸があるんです。あとは編み方と力加減で自由に変えられます」
「店舗販売はされていますか?」
それまで黙って聞いていた日高が尋ねた。
「知り合いの雑貨店に置かせてもらっています。あとは個人的に受けているだけですけど、コンスタントにご注文頂いています」
「どのくらいのペースで作れますか?」
「一人でやっているので、新規だと月に十枚くらいしかできないと思います。他の注文もあるので。だから多くの枚数卸さないといけないなら難しいです」
女性が申し訳なさそうに、軽く首をすくめた。
美琴は条件を反復する。デザインもよく、手作り、日本製。数多くはできない…
なによりこのクオリティの高さ。各店に数枚ずつ卸せるなら十分だ。
日高を見ると、目だけで言われていることがわかった。
「あの! うちのお店に卸してもらえませんか?」
「でも、数ができないですよ」
「構わないです。量よりも質重視なので。GROWというセレクトショップなのですが」
美琴が両手で差し出した名刺を受け取るなり、女性が目を見開いた。
「GROWさんですか! ほんとうにいいんですか?」
「はい、こちらこそお願いできたらと思います」
「信じられない。GROWさんってとても好きなお店で、何度も通っているんですよ」
女性の表情から、ほんとうに驚き喜んでいることが伺える。
「それは嬉しいです。このニットもうちの店へ並べてもらえませんか?」
「それはもう! ありがとうございます!」
女性が両手で美琴の手を包み込んだ。
連絡先を確認し、後日詳細の打ち合わせを行うことで決まった。女性は望月と名乗り、静岡に住んでいるが材料を探して東京へ来る際にGROWへも寄るらしく、とても嬉しそうだった。
ご縁が繋がるといいな。美琴はそっと祈った。
その後もすべてのブースを見て回ったが、他にはこれといって惹かれるものはなかった。
「一つ契約できただけでもたいしたものよ。収穫なしで終わることもあるんだから」
「そうなんですか? じゃあ望月さんにお会いできてよかったです」
展示会場を出る際に、身分証明となるセキュリティカードを受付へ返す。
「美琴ちゃん、本当に見る目あるわね」
「そんなことないですよ。小村さんも素敵だって言われたじゃないですか」
褒められることに慣れていない美琴は、真っ先に否定してしまう癖がついている。
「さてと。もうお昼ね、どこかに寄って帰ろうか」
小村の提案に辺りのお店を見渡していると、日高の着信音が鳴った。
「ん? 森谷からだ」
液晶に目をやり不思議そうな顔で電話を取る。展示会に来ていることを知っている森谷が、このタイミングで掛けてくる用はなんだろう。
「美琴ちゃん、このお店はどう? アジアン料理だって。近いみたいよ」
小村がスマホで近場のお店を検索してくれていた。のぞき込む画面には、近くのレストランの案内が並んでいる。
「美味しそう。ランチメニューもたくさんあるみたいですね」
「駅ビルの中ね」
小村と画面を覗きながら話していたら、
「北川! すぐ社に戻るぞ!」
日高の鋭い声が飛んできて、反射的に肩が跳ねる。
「なにかあったの?」
驚いた小村の声にはこたえず、日高は険しい表情で美琴を睨んだ。
「おまえ、津島工房へ注文出しただろ」
「津島…? ああ、出しました! 森谷さんに頼まれて…それがなにか?」
森谷から電話で頼まれてFAX注文を送った。二週間ほど前のことだ。
「桁違いだよ、このバカ」
「え…?」
理解しきれず頭が真っ白になる。桁違いってどういうこと?
「森谷は十本頼んだだろ。おまえ、二百本注文出してるぞ」
「えっ、そんなつもりは!」
「つもりもなにも、発注ミスだ。森谷が本店行っておまえの書いた注文用紙確認した。戻って見てみろ」
「美琴ちゃん、とにかく戻りましょう」
小村に背中を押され、その場に固まっていた美琴は弾かれたように一歩を出した。
どうして? あの時はちゃんと確認できたと思ったのに。
電車に乗り込み扉付近に立った。隣に立つ日高は腕を組んで扉にもたれ、睨みつけるように窓の外を見ている。
「あの工房の注文書は、単品販売とセット販売で用紙が違うんだ。二十本で一セットの注文書に十と書き込めば、二百本届くに決まってるだろ」
「二十本セットだったんですか?」
「注文用紙のファイルに説明の別紙が入っていたはずだぞ。なんで見なかった」
「すみません、見落としていました…」
日高が深い溜息をついた。
「津島工房……返品は難しいかもね」
「まいったな」
小村と日高が小声で交す会話を、美琴は俯いて聞き入る。
「どうして俺に報告しなかったんだ。やったことは全て報告しろって言ってるよな。すぐ気づいていたら手が打てたのに」
苛立ったような日高の声に顔を上げられない。
あの日の自分の行動を思い返す。森谷の電話を受けて、コーディネートを頼まれて、そのあとは…万引きがあった。
それに気を取られて、いつも終わりがけにしている日高への報告が疎かになっていた。正直、注文のことはきれいに飛んでいた。
「忘れていました」
答えながら視界が揺らぐ。
できるようになったと、自画自賛なんてしていたからこんなことになるんだ。
動けるようになったと褒めてもらったのに、結局は発注一つまともにできず、颯の作品も酷い目に遭わせて。動けば動くほど周りに迷惑をかけるばかりだ。
「降りるぞ。小村さん、またあとで連絡します」
「落ち着いてね」
日高に腕を掴まれ、美琴は引きずられるように電車を降りた。日高の歩調に追いつくだけで精一杯だ。
無言のまま社に戻ると、会議室では森谷が伊藤部長と並んで困惑した表情を浮かべていた。テーブルの上に置かれた段ボールは開かれ、革製のストラップがのぞいている。
「すみませんでした!」
伊藤に頭を下げたのは日高だった。慌てて美琴も並び、頭を深く下げる。
「私が日高さんへ注文した報告を忘れていたんです」
伊藤は頷くと、美琴の肩を叩いた。
「発注ミスはあったらいけないことだけど、一番多いミスでもあるの。次からはよく気をつけて。まずはこれをどうするか考えましょう。日高くん、任せるわね」
「わかりました」
書類を伊藤から手渡され、日高は硬く返事をした。
伊藤が退室すると日高は椅子にもたれ、ふうっと深く息をついた。手にした書類は、美琴が送信済のファイルに綴じた注文書だった。森谷が本店から持ち帰ったのだろう。
日高が難しい表情で目を通す。
「日高さん、元は俺が発注忘れて美琴ちゃんに頼みました。すみませんでした」
「いい。仲間内で謝罪し合っても意味ない」
日高の目線が注文書の上で一瞬止まった。なんだろうと美琴が気にする前に再び視線が動き出し、書類をくまなくチェックしている。
「本店でファイルを確認したら、商品説明の用紙は注文書の数枚下に入っていました。恐らく、誰かが注文書を補充した時に下になったかと。俺が美琴ちゃんに詳しく説明しなかったから、気づけなくても仕方なかったと思います」
「あれほどきちんとファイル管理するよう言っているのに」
日高が片手で髪を乱暴に掻いた。
「津島工房から、受注確認の連絡はなかったのか?」
ほとんどの場合、注文を入れるとサプライヤーから受注確認の連絡が来る。
「向こうも新人が受けて受注確認が抜けていたようです。新作なので受注が多く、数の多さに気づかれず制作へ回ったようです」
美琴や森谷、サプライヤー、ファイルの説明、どこかでチェックできるはずだったのにそれをすべて通り抜けた。そもそも美琴が気づいていれば起こらないミスだった。
箱を覗くと、それぞれ台紙に通された茶、赤、緑、黄、白と五色のストラップが透明なフィルム袋に個別包装され、二十本ずつ束ねられている。
「単品販売は茶色のみ。セット販売だと五色になるんだ」
一種類しかないと聞いていたのに、五色ある意味がわからずにいる美琴に、森谷が低いトーンで説明をくれた。
「一箱か一個か確認しろ」と、日高に説明を受けたことを今頃になって思い出した。どうしてその場で気づかなかったんだろう。自分の注意力の低さに呆れる。
「返品できないですよね。受注生産だし」
森谷の言葉に、美琴は顔面蒼白になった。受注生産ということは、美琴の間違った注文のために、サプライヤーに必要のない制作をさせてしまったということだ。
しかも本来の二十倍もの個数。手作業の工房にどれだけ仕事量を増やしてしまったことだろう。それを行き場のない品にしてしまったなんて。
「あの、私お詫びに行ってきます」
「え? どこに?」
「津島工房です。私のせいで仕事を増やしてしまって…職人さんに申し訳ないです」
「や、ちょっと待って」
すぐにでも飛び出して行きそうな勢いの美琴を、森谷が肩を押さえて止める。
「バカ正直に話してどうするの。うちの信用を無くすだけでしょ。どっちみち返品できないんだし。必要無い物作らされたって知る方が嫌でしょ」
信用を無くす、と言われ、美琴は黙り込んだ。謝ったところで満足するのは美琴だけで、職人さんの気持ちを傷つけるだけだと暗に言われた。考えの及ばなかった自分の浅はかさに更に落ち込む。
腕を組んだ日高は、腕を組んだままストラップの箱を見つめている。
「津島工房の商品は人気が高いけど、全店舗で販売としてもちょっと多いですよね」
ストラップを名古屋まで入れて各店舗で割っても一店舗五十本近く。GROWは基本的に在庫を持たない主義で、希少価値も売りになっていることを思えばこの数は多すぎる。
「名古屋店のオープンは一週間後だな」
「そうですが」
日高の声に、森谷が壁に掛かるカレンダーを見ながら答えた。
しばらく日高はカレンダーを見つめ思案していたが、胸ポケットから携帯を取り出すと部屋を出て行った。
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