第9話 あたらしい発見
ランチタイムは終了間際だけど、まだお客さんが多く入っていた。テーブル席は埋まっていたので、カウンターの端に颯と並んで座る。
暁人は本当に仕事を抜け出してきていたらしく、隣の工場からやってきた中堅の作業員に「サボりすぎだ」と首根っこを掴まれるように戻って行った。
お店は千春一人で応対しているので、ランチメニューは日替わり定食とカレーのみ。それでも近所の工場で働く人たちが、毎日のように訪れてくれるという。
残り物だけど、と千春が出してくれたのは、ハンバーグとサラダの乗ったロコモコ丼だった。
「私まで頂いてすみません」
「いいの。遠慮なく食べてみて」
千春に恐縮しつつ、「いただきます」と手を合わせる。
「うわあ、美味しい! サラダのドレッシングもすごく合いますね」
「そう? よかった。試作中のドレッシングなの。お店に出しても大丈夫そう?」
「いけますよ! すごく美味しいです!」
ハンバーグとも相性がよく、爽やかな味だ。食べながら左手の親指を立てる美琴に千春が笑った。隣で颯は黙々と口に運んでいる。
「ここって、千春さんのお店ですか?」
同じくらいの年でお店を切り盛りしている千春を、美琴は尊敬の念で見つめる。
「元々は母親がやってたの。私はバイトからそのまま居座ってるだけ。そういえば美琴さんっていくつ?」
「二十二です」
「本当に? 一緒だよ」
「同い年ですか」
急に親しみが湧いたけれど、それにしては千春の方がずいぶんしっかりしている。こんなお店を切り盛りしていることはもちろん、背も高くはっきりとした顔立ちは美人で、ウェーブのかかった茶色い髪を無造作に一つに結んだだけなのに色っぽさがある。
ちなみに颯と暁人は二十五だと教えてくれる。
「で? 今日は成果あった?」
「はい! 契約して頂けることになりました」
美琴が張り切ってこたえると、千春は一瞬固まり、それから笑いだした。
「結局受け入れるんじゃない」
「千春! おまえが変なタイミングでよけいなこと言うからっ」
にんまりと笑う千春に、颯は少し顔を赤くした。
「でも流されて決めたわけじゃないでしょ?」
「あたりまえだろ」
怒鳴るような颯の言葉に、千春はわざとらしく片眉を上げた。
「だけどびっくり。颯が引き受けるなんて」
「そんなに驚かれることなんですか?」
「そりゃあね。これまであんなに断ってきたのに、どういう風の吹き回し?」
千春がカウンターから意味ありげに颯を覗きこんだ。
やっぱりいろんなところから話を持ち掛けられていたのだと知る。あれだけのクオリティだ、当然だろう。
スプーンを運ぶ手を休めない颯をちらりと見るとものすごい形相で、美琴は千春にこれ以上刺激しないでと内心穏やかでいられない。
まだ正式に契約をしたわけじゃないのに、ここで気が変わられると痛すぎる。
「GROWに共感したってとこ? 私もGROWは好きだけど」
カウンターからコップに水を継ぎ足してくれながら、千春が正解を探す。
「俺のペースでできるからな」
「ふうん。なにか今までとは違うんだろうね。美琴ちゃん、二十二ってことはもしかして新人?」
ぐっとハンバーグが喉に詰まりそうになり、慌てて水を飲む。
触れて欲しくないところばかりを突かれて、でも無邪気にニコニコとしている千春に悪気があるとも思えない。
新人は事実だけれど、せめて契約取ってから言いたかったと思いつつ、この状況から話を変える話術は持ち合わせていない。
「そうです。颯さんが、私の最初のサプライヤーさんになります」
仕方なく打ち明けると、俯いた視界の隅に止まった颯の手元が見える。
颯は何を思っているだろう。頼りなさそうだから辞めると言われたらどうしよう。マイナス思考が渦巻いていると、そっけない声が届いた。
「俺も
驚いて顔を上げると、グラスに手を伸ばした颯がにやりとこちらを向いた。
「ミスしてくれんなよ」
「大丈夫です!」
颯の思いがけない言葉に安堵がこみあげて、ごまかすように声が大きくなってしまう。
「でけえ声」と颯は可笑しそうに笑った。
千春にはそれ以上痛いところを突かれることもなく、無難にやり過ごせた。
すっかりご馳走になった美琴は二人にお礼を伝え、日高へ帰る旨のメールだけを送り、要件は直接伝えることにした。
日高は社内にいるということで、逸る気持ちで電車に揺られ、最寄り駅からダッシュで向かう。
「日高さん!」
社内に駆け込み、商品管理部のブースが近づくと美琴は思わず声が出てしまった。みんなが何事かと振り向く。
「うるさい、北川。叫ぶな」
自席から腰を上げた日高に、美琴は駆け寄った。
「契約してくださることになりました!」
息を切らせて見上げた美琴に、日高の目が見開かれる。
「……spin・hか?」
「そうです! 一点ものですが、出来上がるたびにお店に出していいって。最初はリング二つとネックレス二本です。写真も撮ってきました!」
鞄から急いでデジカメを取り出すと、中からポーチや鍵も引っかかって飛び出してきた。
「落ち着けよ」
日高は呆れたように落ちた鍵を拾いながら、美琴を席に座らせる。
「見てください」
デジカメの液晶画面に先ほど撮ってきた颯の作品を呼び出した。
伝わるだろうか。颯の作品に込めた思いに気づいてもらえるだろうか。
日高は美琴からデジカメを受け取り、液晶を見つめた。
厳しい表情で何枚か写真を送る。
「私の撮影じゃあんまりかもしれないですが、実物はほんとうに素敵なんです!」
黙って美琴の横に立ち、液晶画面を睨むように見ている日高を不安な気持ちで見上げた。
「どうしてもお店に置きたいんです。制作されている方も、他のオファーは断られているのにGROWならいいって言ってくださっているんです」
まくし立てるように訴えていると、日高が何度か小さく頷いた。
「よし、契約書の作り方教えてやる。パソコン開け」
「えっ…。いいんですか?」
「文句なしだ」
日高が美琴の肩を叩いた。
その顔は屈託なく笑っていて、美琴の中で嬉しさが込み上げる。
「ありがとうございます!」
「しっかり作れよ」
「はいっ」
美琴は、張り切ってパソコンの電源を入れた。
シャッターを切る音が静かに響く。
都内の撮影スタジオで行われているのは、GROWの秋冬物のカタログ製作だ。
基本的になんでも半年前には準備していくので、六月に入ってからの撮影となった今年は遅めの日程らしい。これも勉強だと日高が連れてきてくれた。
店舗での購入者に商品と一緒に渡すカタログは、十四センチ四方の十二ページ。
ナチュラルな雰囲気を出すために、スタジオの中庭も使う。
プロのモデルさんは自然体で、GROWの服を見事に着こなしている。
少しポーズを変えるたびに、スタイリストさんやメイクさんが手直しして、初めて見る撮影現場に美琴は興味津々だ。
「かわいいなあ」
遠目から撮影風景を眺めていた美琴は、感嘆するように言葉をこぼした。
「ああ、まひろちゃんね。うちのイメージによく合うのよね」
同行していた小村が頷く。背が高くスタイルもよくて、笑顔がかわいい。一緒にいる男性モデルとも雰囲気がよく、撮影とはいえ、ほうっと見とれてしまう。
「見学ばかりしてないで、こっちも手伝え」
「すみませんっ」
日高の声が飛んできて、慌てて駆け寄った。
スタジオを借りたついでに、店舗のSNSにアップする写真の撮影も行うことになっていた。こちらは人気商品や、近々入荷予定の商品サンプルがメインだ。
小村がコーディネートした服や鞄を床置きにして、脚立の上から日高が撮影する。一眼レフのカメラを構える姿はちょっとかっこよく見える。
「日高さんって、写真撮れるんですか?」
「少し習っていたのよ。マニュアル操作できた方が出来栄えいいからって。仕事熱心よね」
小村がこっそり教えてくれる。日高は器用なのだと思っていたけれど、裏で努力しているのかもしれない。
出来ない上に努力もしない自分自身が恥ずかしく思えて、美琴はごまかすように手に取ったサンプル品に目がとまった。
「このワンピース素敵ですね」
「新作が入ったのよ」
少しくすんだ水色のワンピースは、やわらかな生地でラインがとてもきれいだ。 すこしゆとりのあるシンプルなつくりは揺れるとかわいいだろう。上に羽織っても、下にレギンスなんかをはいても着回しやすそうだ。
似合いそうな顔馴染みになったお客さんたちの顔が浮かぶ。
「美琴ちゃん、ちょっと」
小村の声に、吸い寄せられるようにワンピースを胸にあてていた美琴の肩が跳ねた。
「そのワンピース持ってきて」
商品の扱いが悪かっただろうか、お説教かと慌てて後を追う美琴に、小村は更衣室となっている部屋の扉を開けた。
「それに着替えてみて」
「え? 商品ですよ?」
「いいから。三分で」
「ええっ?」
有無を言わせない小村のテンポに、美琴はわけがわからないまま部屋に放り込まれた。とりあえず急いで着替える。
肌触りのいい生地は、袖を通してみると肌触りが心地いい。
鏡を見る暇もなくノックされ慌てて開けると、目の前に立っていた小村が目を細めた。
「ああ、いいわねえ。うん、すごくよく似合ってる」
「そうですか?」
小村のような美人にまじまじと見られるのは恥ずかしすぎる。
「ちょうどそのサンダルに合うわね。ちょっと歩いてみて、向こうの窓まで。ほらほら!」
小村に急き立てられ、元々履いていたサンダルをつっかけ、美琴は渋々歩く。
渋々ながらも、歩くと揺れる裾の広がり方がきれいでちょっと楽しくなる。
「美琴ちゃん、とまって」
言われるままに立ちどまり、でも恥ずかしくて俯き加減になる。一体なんなんだろうと小村の方を見ると…
「なにしてるんですか‼」
目にした光景に、思わず美琴は大声を出してしまった。
小村の横で、商品撮影をしているとばかり思っていた日高がカメラをこちらに構えている。
「まさか撮ったんですか?」
「だって、似合ってるんだもん」
小村が悪びれる様子もなく子どもっぽく笑う。そんな表情すらかわいらしくて脱力する。
「やだもうっ。着替えてきます!」
更衣室へ駆け戻り、ワンピースを傷めないようにそっと脱ぐ。たしかにかわいいワンピースだし着心地もよかったけれど。だからって、どうして写真なんて。
カットソーとジーンズに着替え、美琴はじとっと二人を睨みつけながら戻った。
「そんなに怒るなよ。似合ってたぞ?」
「イジメですよ、こんなの」
小村の方が何十倍もきれいなのに、どうして私に着せるんだ。しかも写真まで撮るなんて意味がわからない。コンプレックスを二人して突かなくてもいいのに。
「ほら、見てみろよ」
憤慨していると、日高がカメラの液晶を美琴に見せようと操作している。
「いいですってば! 消してください!」
「怒るなって」
日高が無理やり美琴の前にカメラを差し出す。
なんて意地悪なんだろう。本気で泣きそうになりながら目をやって、美琴は言葉に詰まった。
フィルターに映し出されたのは、少し俯き加減の美琴だった。
窓からの光にワンピースの色がやわらかく浮かび、そのラインはきれいに揺れている。
腕も足も、自分じゃないような透明感だ。コンプレックスの下半身も、光の加減と角度がいいのか、いつものように気にならない。
「な? いいと思わないか?」
耳元の日高の声がやさしくて、思わず顔が赤くなる。
「そんなの、日高さんの写真の腕がいいだけですよ」
「お、褒めてくれるのか。嬉しいけど、そのままにしか映らないからな」
「美琴ちゃん、他人のコーディネートは上手いんだから、自分のこともよく見てあげてね」
とても頷くことはできないけれど、写真の中は思っていたような自分の姿ではなかった。
「もっと自信持ってね。写真も人の目も、外見だけじゃなくて中身も見えるのよ」
美琴は戸惑いながらも、小村が嘘を言っているとも思えず、さっきまでの苛立ちは消えていた。
速攻で自信持てるようになりました、とはとても言えないけれど、どこかでいつも人と比べていた美琴に対する小村の気持ちは伝わってきた。
「さあ、続きを撮ってしまいましょう。もうすぐ向こうの撮影も終わりそうだし」
「ありがとうございます」
消え入りそうな声で呟いた美琴の背中をぽんと叩いて、小村はいつものようにテキパキと動き始めた。
さっき美琴がワンピースを手に取った一瞬で、ここまで考えてくれたのだろうか。きっと着替えている間に日高を呼んだのだろう。
「俺も敵わない人だからな」
日高が隣で笑った。その目はとてもやさしく小村を追っている。
こんな表情するんだ。
もしかして……
その想像はあながち間違っていない気がする。他人事なのになんだか妙に照れてしまう。
「なんだって、おまえらしくやれば大丈夫だ」
日高の励ましを、美琴はにやけそうになる顔を抑えて頷いた。
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