第5話 誇りのなか

 新規開拓という難題をもらってから、美琴は時間を見つけては洋服や雑貨を扱うお店をまわっていた。

 実店舗はもちろん、ネットや個人のブログまでのぞいては、どこかにピンとくるものがないだろうかと探す。スタッフや同期にも情報を聞いてまわり、いくつか交渉にも出向いたけれど、実際に販売することを思うとどれも踏み切れずにいた。


 新規を探しながらも、他の仕事もこなさないといけない。

 今日は定期契約を結んでいるサプライヤーが、定番商品の生地を変更したいということで、美琴と日高は海沿いにある洋裁店へ来ていた。

 古くからある洋裁店は年季の入った建物で、一階で洋裁品や生地を販売し、二階は縫製工場になっているという。

 応接室のソファに日高と並んで座り、店主である相馬が向かいに掛けた。

 数年前に三代目を継いだという相馬は、日高と変わらない年に見える。

 その相馬が緊張した面持ちで、テーブルの上にシャツを広げた。同じパターンで作られたシャツは、白、水色、淡いグレーの三色だ。

「今より柔らかな質感が欲しくて生地を変えました。生地は丸野商店のものです」

「色は?」

「この三色に、黒と濃紺を丸野さんで試作中です」

 さっそく日高が手を伸ばし、丁寧にチェックをはじめる。美琴も真似をしてみるが、どこをポイントに見ればいいのかわからず、文字通り見ているだけだ。日高がふいに顔をあげた。

「相馬さん、もしよかったら北川に工場見学させてもらえますか? 私はここで見せていただきますので」

「もちろんいいですよ」

 緊張感を漂わせていた相馬が、日高の要望に破顔した。なんだか友達同士のような空気に変わる。

「ここの工場は学ぶことが多いからな。見せてもらってこい」

「わかりました。相馬さん、よろしくお願いします」

 立ち上がった美琴を、相馬が二階へ案内してくれた。


 外観だけでなく、店内はどこもどっしりとした柱で支えられ、同じく木造の階段は土足で使用しているのにピカピカに磨かれている。

「昔はいろんなメーカーから依頼があって、ここには三十人ほどの職人さんがいました。それが海外での縫製があたりまえになって、注文は十分の一以下に減ってしまったんです」

 階段を上がると、ガラスのはまったレトロなデザインの扉があり、その向こうからミシンの音が聞こえてくる。

 相馬が扉を開けると広い空間が現れ、大きな窓から明るい陽射しが入っていた。

 部屋の手前にはミシン台が並び、作業に取り組んでいた数人の女性が手を止めて挨拶をくれる。ミシンの音がリズムよく響き、布に入れられる鋏の音が気持ちいいほど空気を裂いた。

 おそらく最盛期の頃は、後ろの空間までミシン台でいっぱいだったのだろう。


 今日はトレンチコートを作っているということで、相馬が一つ一つの作業行程を説明してくれる。

 そばでミシンをかけていた年配の女性が、リズムよくミシンをかけたと思ったら、出来上がったばかりの縫い目をほどき始めた。美琴にはなにが悪かったのかわからない。

「あの、それはどこに問題があるんですか?」

「もう一ミリほど内側に縫いたかったの。ほら、少し内側に寄ってるでしょう」

 そう言いながら美琴に見せてくれたけれど、きれいな縫い目にしか見えない。しかし女性は手早くほどき、もう一度ミシンをかける。今度は満足のいく仕上がりだったらしい。

「さっきの出来でも商品にはなるけど、こっちの方が襟の角がきれいに見えるのよ。おばちゃんのちょっとしたプライド」

 そう笑って、女性は再びミシンに向き直った。

 その隣では、おばあちゃんと呼べる年の女性がちょこんと椅子に座り、ボタン付けをしていた。手縫いとは思えない、神業のように手早く付けられるボタンは、とてもしっかりと縫い付けられている。

 そういえば小村が、相馬のシャツはボタンがしっかりついているのに遊びがあって、とても着やすいと聞いたことがあった。この人の仕事だったのかと繋がる。

「ミヨさんは一番のベテランで、祖父の代からお世話になってるんだ。技術の高さは業界でも有名なんだよ」

 もうここで五十年も働いていると紹介され驚く。

「この年で仕事をもらえるなんてありがたいねえ」

 ミヨさんはにこにこと美琴を見上げた。

 そうかと思えば美琴よりも年下だろう女性もいて、まわりから助言をもらいながら縫製している。

 この手作業で出来上がる作品なら、お客様に堂々と薦められる。


「こんなに高い質を保ちながら後進も育てているなんて、理想の工場ですね」

 興奮気味に感想を伝えると、相馬は首を振った。

「数年前まで厳しい状態だったんですよ。正直、継ぐのは厳しいと思っていた時に、日高さんに拾われたんです」

 工場をひと通りまわり、一階へ降りながら話してくれる。

「僕が服飾の専門学校に通っていたとき、校内の展示会に日高さんが来てね。僕の作品を見て声をかけてくれて。実家の話にもなって、よそからの依頼が減ってるなら、自分でデザインしたらどうだって勧めてくれたのがはじまりなんです」

 相馬のデザインする服は、特に男性物がシンプルかつお洒落だと人気が高く、GROWでも季節ごとに新作と定番商品を入れている。それを日高が探してきたとは知らなかった。

「GROWさんだけだと販売数に限界があるから、ネットや他のお店に出すことも日高さんから提案してくれて。おかげでこんなに持ち直せたんです」


 応接室へ戻ると、日高はまだシャツを手にしていた。

「どうだった、職人さんたちの技は」

「とても素敵でした。職人さんの技術とプライドで成り立っているんだなって」

 美琴の返事に、日高はゆっくりうなずいて相馬にお礼を伝えた。

 そしてその目が、交渉時に見せる厳しいものに変わる。向かいに座った相馬に再び緊張感が漂う。

「サイズ展開はどうされますか?」

「型は以前のまま、サイズは変えません。値段は生地が高くなるぶん、一千円あげたいところです」

「わかりました。では商品テストの結果が出次第、契約に移らせてもらいます」

 新しい商品は、サンプルを製造部の商品テストに持ち込み、耐久性や色落ちなどを調べることになっている。

 相馬はほっとした表情で息を吐き、美琴と目が合うと照れくさそうに笑った。

 日高は広げられたシャツを丁寧に畳んでいく。その指先からとても大切な物を扱っている気遣いが伝わってくる。

「この春のジャケットも完売でしたね」

 相馬に話しかける日高の目には、もうさっきまでの厳しい色はない。出してもらったお茶を飲む日高の姿に、美琴も目の前に置かれたお茶に口をつけた。

「遠くからここへ直接注文に来られるお客さんもいて驚かされます。この店がこんなに持ち直すとは思わなかったです。本当に日高さんのお陰ですよ」

「いや、相馬さんの腕だからです。先日入荷したダンガリーも好調ですよ。これからも楽しみにしていますから」

「ご期待に添えるよう尽くします」

 笑い合う二人から、お互いを信頼している空気が伝わってくる。


 洋裁店の紙袋に入れてもらった商品を手に、日高と美琴は、相馬に見送られて店を後にした。防波堤の向こうに見える、穏やかな海ののんびりとした景色に癒される。

「このお店、日高さんが見つけられたんですね」

 歩きながら尋ねると、日高は少し懐かしそうに笑った。

「お店というより相馬さんを、だな。いいデザインで作るなあと思って声をかけたのが始まり」

「仲いいんですね」

 いつもの仏頂面との落差が激しすぎて思わず口にしてしまい、日高はバツが悪そうに視線を逸らせた。

「まあ、年も近いし。俺にとっては初めてのサプライヤーだしな」

「そうだったんですか」

 最初に相馬の腕を見つけた日高の目利きに感心する。

「おまえの方はどうだ? めぼしいものは見つかったか?」

「うーん、難しいです。写真でいいなと思っても、実際手に取ってみたらそうでもなかったり、すでに大手に出していたりして。相馬さんのようなサプライヤーに会えるなんて思えなくなってきました」

 気落ちする美琴に「焦るな」と日高が軽く肩を叩いた。相馬に会って少し饒舌になっているせいもあるが、最初の頃よりも日高に対する印象はだいぶ変わっていた。

 厳しい表情は怒っているわけではなく、仕事に集中しているとき。仏頂面は素の表情。

 仕事中の表情や言い方が怖いのは変わらないけれど、意地悪ではなく、的確に教えてもらっていることに気づいてからは初めほど苦ではなくなった。


 近くの駅まで戻ると日高の携帯が鳴った。液晶を見て変わった表情に、仕事の電話だなと推測できる。重い内容なのか、話しながら日高の顔が曇っていく。

「北川、今から本店入るぞ」

「どうしたんですか?」

 電話を切るなり、日高はてきぱきと指示を出した。

「三雲さんと平野さんが体調崩して出られないらしい」

「二人とも? なにかあったんですか?」

 顔色を変えた美琴に、日高はゆっくりと応える。

「軽い食中毒らしい。昨夜食べに出た先であたって、家で養生してるみたいだな」

「家にいられるなら、そんなに酷くはないんですね」

美琴は無意識に詰めていた息を吐いた。

日曜はスタッフ総出になることも珍しくない本店で、二人に休まれるときついだろうと想像がつく。

「でも、私で役に立ちますか?」

 販売スタッフの仕事はまだ覚えきれていない。即戦力の日高がいたらいいのではないだろうか。一人で社に戻ろうかと訊く前に、「猫よりはましだろ」と日高は先導を切った。



             

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