鬱病編 薄情な私
私が大学に入る年の始めに、父がバイクで交通事故に遭った。相手は車で、右折車の後ろについて父も右折したことに気づかず衝突した。父は大怪我で入院、衝突したバイクは無残な姿になっていた。事故の相手がいい人だったなら後処理もそんなに大ごとにはならないのだが、いかんせん相手が悪かった。自分は悪くないの一点張りで、結局裁判にまで発展したのだ。事故の相手と電話越しに口論した母は、相手方を執拗に嫌い、裁判について調べまくっていた。その裁判がいつ、どのようにして終着したのか知らないが、およそ一年間ほど、母は裁判のことで駆け回っていた、と思う。父が事故に遭ったと聞いた時、私はそこまで心配していなかった。
ーーそうなんだ。でも死なないでしょ?
そんな風に、とても楽観的に考えていた。下手したら死んでしまうほどの事故なのに、だ。父を心配する家族を見て、私はもしかしたら薄情なのかもしれない、と思った。
また同じ年の秋に、五個上の姉に悪性リンパ腫が見つかった。まぁわかりやすく言えば癌である。抗がん剤治療で治る確率は高いが、治療ができなければ死ぬ病気だ。父が事故に遭った時、姉が悪性リンパ腫だとわかった時、私には何の感情もなかった。
「……へぇ、そうなんだ。」
実際、暗い顔をして報告してくる母に、私はそれしか言えなかった。
ーー大変だな。
まるで他人事のようにそう思った。
ーー嘘じゃなくて?本当に?死に関わる病気?なんか、実感ないなぁ。
この感覚に覚えがあった。そうだ、高校一年生の夏、母方の祖母が亡くなった時だ。悲しいとか、そういう感情はなくて、
ーー本当にもういないの?もう会えないの?
いつまでも実感なんて湧かなくて、あの時思ったんだ。私は感情が欠落しているんじゃないかって。小学四年生の時、父方の祖父が亡くなった時は、悲しくて、それはもう泣きじゃくったものだ。それが今ではどうだろう。父が交通事故に遭っても、姉が癌になっても、涙ひとつも流さないのだ。随分と、薄情な人間になったものだ。それはまた、私が私を嫌いになる要因の一つでもあった。
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