鬱病編 自傷行為と私(2)

リストカットを再びやるようになったのは、いつ頃だっただろうか。時期もきっかけも今では思い出せないが、おそらく高校二年生になってからだ。当時漫画家を目指していた私は、漫画を描く道具であるデザインカッターで手首を切っていた。カミソリよりも数倍切れ味がよく、ぱっくりと開いた傷口から鮮血が腕を伝う。私は、その腕を伝う血を眺めるのが好きだった。そうだ、先に漫画家を目指していたと書いたが、その漫画の投稿で選外をくらいまくったのも、心を病んだ原因の一つかもしれない。漫画家を目指して初めて投稿する時、多くの人はどれだけ下手な作品でも良い作品に見えるし、賞に入ってもしかしたらデビューしちゃうかも!なんて思ったりする。例外なく私もそうであった。自分の作品に謎の自信があって、これは入賞するだろうと思っていた。今見返すとひどい出来なわけだが。その期待が崩れ去るあの感覚は、何度くらっても慣れなくて、絶望的な気持ちになる。その頃の私は、二〜三ヶ月に一回のペースで気分が沈む時期が来るようになっていた。脱力的でやる気が起きない、死にたいと思うこともあったし、時が経つのがひどく怖かった。けれどそんな思いは誰にも言えず、私は塞ぎ込むようになった。高校二年生から、遅刻や欠席、無断早退などが増えた。休むたびに誰かに責められているような感覚になって、夜になるとその感覚が増した。私は眠ることが下手になった。母が服用していた睡眠導入剤をこっそり拝借するようになったのは、この頃からだったと思う。夜になると情緒不安定になる。それは中学二年生の頃、不登校になった時と同じで、あるいはその頃よりひどかった。明日が来ることへの恐怖、眠れないことへの不安と焦り。そんな時、私は決まってカッターを持った。勢いよく切りつけると、血が溢れて、私はそれを見て安心する。その繰り返しだ。絆創膏一枚では足りなくて、二枚重ねても血が滲むほど。後からくる、ジンジンとする痛みを感じながら眠りにつくのだ。


死にたいと思った。こんなに苦しい毎日なら、こんなに不安な未来なら、私はいらない。じゃあ、どうしたら死ねる?どこで、どうやって死ぬ?他人に一切迷惑をかけずに死ぬ方法を考えていた。なかった。そんな方法、一つもなかった。あぁ、生きるしかないのか。違う、本当は気づいてる。死にたいと思う自分がいる一方で、生にしがみついている自分がいること。だって死にたいなら、もっと深く切ればいい。それをしないのは、私がまだ、未来を捨てられないからだ。死にたいんじゃない、消えたいんだ。私の存在ごと、なかったことにして。そしたら誰も悲しまない、苦しまない。何度も思ったの。私いる?って。子供、四人もいる?上に三人もいるなら、四人目なんていらないじゃん。何で産んだの?こんな私、必要ないじゃん。少しだけ、両親を恨んだ。


高校三年生、進路を決めなきゃいけない時期になって、私は悩んでいた。漫画の専門学校に行くか、四年制大学に行くか。悩んだ末に、四年制大学に行くことに決めた。心理学を学びたいと思ったのだ。自分自身のことを、少しでも理解するために。私は公募制推薦で私立大学の心理学部臨床心理学科を受験した。学力試験を受けたくなくて、指定校でも公募制でもいいから推薦で行ける大学をめちゃくちゃ探したものだ。十一月には試験があって、卒業前には合格をもらっていた。その頃の私はだいぶ落ち着いていた。高校を卒業する時点で、母に課している金額は五十万になっていた。返しては借りての繰り返しで、金額は増えるばかりだったのだ。私は高校卒業までに返して欲しいと言っていたが、それも叶わなかった。自動車学校に通うことは諦めた。大学入学と同時にノートパソコンを買いたいと思っていたが、それも諦めた。

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