鬱病編 自傷行為と私
不思議なもので、初めてやったあの日以降、家族の誰にもバレることはなかった。当時私の家は一軒家で、4LDKに父、母、兄、姉、姉、私、の六人家族で住んでいた。私は一個上の姉と、少し広めの部屋を二人で使っていた。動き出すのは、みんなが寝静まった夜中である。姉に気づかれないように、そっと布団から出る。誰もいない居間で、一人泣きながら手首を切る毎日が続いていた。洗面所にあったカミソリは、いつしか私が持ち歩くようになっていた。初めてやった時と同じように左手首にカミソリを押し当て、ゆっくりと線を引く。ズッ……、という感覚と共に痛みが広がり、赤い血がぷくっと玉を作る。しばしその赤を眺めてから、血の出た部分をティッシュで押さえ絆創膏を貼る。そして静かに、姉の眠る部屋に戻る。初めてやったリストカットの傷は、跡形もなく消えていた。けれどそれ以降の傷は、今でも私の手首にうっすらと白い線を引いている。傷が消える前に新しい傷を、そうしているうちに私の左手首には無数の赤い線が浮かび上がっていた。
リストカットなどの自傷行為は、必ずしも死ぬためにやるものではない。むしろ生きるためにやるものだ。自分でやってみて、それを理解した。私は、生きたかったのだ。普通にできない自分が嫌いで、学校に行かなくては、そう思うのに行けなくて、また自分を責める。悪循環だとわかっているのに変えられなくて、もどかしくて、涙が出る。いっそ消えてしまった方が楽じゃないか。でも死にたくない。じゃあ、自分を罰さなければ。自分を痛めつけることで、正気に戻れた。赤い血を見ると、安心した。そして落ち着いてから自分の手首を見て、また自分を責めるのだ。
苦しかった。辛かった。誰かに気づいてほしかった。助けてほしかった。でも言えなくて、私はいつも一人で泣いた。いつもと違って、カーペットの上で勢い任せにカミソリを振り下ろしたことがある。何度も、何度も。数滴の血が、カーペットに赤いシミをつくる。私はその赤をそのままに部屋に戻った。気づいてほしかった、けど気づかれたくなかった。翌日、その赤いシミに気づいた家族は、当時愛犬が血尿気味だったこともあり、犬の血じゃないかと心配した。誰も、私の血だとは思わなかった。私も何も言わなかった。言えなかった。どうせ気づかれないのなら、もういいや。私は隠すことをやめた。赤い傷口をそのままに、絆創膏も貼らずに過ごしていた。五個上の姉がそれに気づいて、ひどく心配していたことを知るのは、ことがひと段落した後だ。
父に勧められて、スクールカウンセラーの先生に会いに行った。その頃の父は仕事より私を優先していて、有給を使って学校に行けない私を海に連れて行ってくれたこともあった。人気漫画の名台詞を例えに、焦らなくてもいいんだと教えてくれた。カウンセリングでは何を話したらいいのかも分からず、正直苦痛だった。何の救いにもならなかったと、今でも思う。けれどそれは、カウンセラーの先生が悪いとか、カウンセリングの意味がないとかではなく、自分が心を開かなかったのが原因だ。結局、自分が変わろうと思わなければ変われないのだ。私は自分が心を病んでいると認めていなかったところがある。学校に行けないのは甘えているからで、自傷行為はちゃんとできない自分への罰。本当に心を病んでいる人は、私の比じゃないくらいに苦しんでいるはずだ。そう思っていた。三学期になって、私は自分がおかしいことを自覚する。
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