鬱病編 不登校の私
中学二年生の二学期、まだ九月だったか。私は布団から出て母に言った。
「今日休む。」
私の家は基本放任主義で、親も口うるさくない。母はあっさり聞き入れた。
「そう、たまにはいいんじゃない?」
そうか、休んでもいいのだ。優等生でいることに、人の評価を気にすることに、少し疲れていたのかもしれない。心がいつの間にか、ボロボロだったのかもしれない。それでも、今でも私は思うのだ。あれは甘えであったと。
理由もなく学校を休んだその日から、なかなか学校に行けなくなった。九月はその一度だけ、次の月には二週間に一度、その次の月には週に一度になった。最初はただの夏休みボケだろうと思っていたが、どうもおかしい。頻繁に休むようになった私を、両親も心配しだした。朝、枕元に父が来て「今日はどうするの?」と聞いた。私は「行きたくない。」と答えて、そして泣いた。どうして泣くのか、涙が出るのかわからなかった。泣くほど行きたくない理由があったわけではない。友達とも教師とも上手くやっていたし、ましていじめなんかとは無縁の世界にいた。十一月の末から、完全に不登校になった。
不登校だった期間は、ほんの四ヶ月ほどだ。どんな生活をしていたのか、今ではほとんど思い出せない。覚えているのは、ずっと家にいてパソコンをいじっていたこと、外に出るのは犬の散歩ぐらいだったこと、たまに自分でホットケーキを焼いて食べていたこと。それ以外のお昼ご飯はどうしていたんだろう。ただ確実なのは、母が作ってくれていたわけではなかったということだ。中学二年生の十二月から三年生に上がるまで、それだけ家に籠っていると、学校に行くのが怖くなっていた。毎朝起きるたび、
ーーあぁ、今日も行けないのか。
そう思っては泣きたいのをこらえた。なぜだか日中は泣きたくなることや自分を責めることはなくて、夜になると一転した。
ーーなんで学校に行けないの?いじめられているわけでも、勉強についていけないわけでもないのに。こんなんじゃダメだ、甘えているだけだ。行かない方が楽だから、私は楽な方を選択しているんだ。最低だ。最悪だ。
明日が来るのが怖くなった。夜が嫌いになった、明日が来るから。だからかもしれない、私は夜になると精神が不安定になった。
ある日の夜、今で家族と過ごしていた。テレビを見て笑っている。ふと、ここにいてはいけない気がした。普通に学校に行くこともできない私が、なぜ普通にテレビを見て笑うことが許されるのだろう。そんな考えが頭を支配して、その場から逃げるように洗面所に行った。涙がこぼれた。普通の生活がしたい。普通に戻りたい。でももう、戻れないところまで来てしまった、そんな気がしていた。ふと、洗面台にあるカミソリに目がいった。「自傷行為」何となく知っているその言葉。
ーー楽に、なるのかな。
気づいたら、カミソリを左手首に押し当てていた。少し滑らせると、チリっという痛みが走った。
ーーあ、痛い。
私はすぐにカミソリを元あった場所に戻した。左手首にうっすらと赤い線が滲む。痛くてあまり力を入れられなかったせいか、それほど切れていなかった。
ーーなにしてんだ、私。
しれっとした顔で居間に戻って、救急箱から絆創膏を取り出し左手首に貼った。すると、こちらなど全く見ていなかった母が私の左手首を掴む。
「どうしたの、これ。」
「……別に。」
顔をそらして言うと、貼ったばかりの絆創膏を剥がされた。母の顔はみるみる険しいものになっていった。
「なんで、こんなことするの?」
答えられないでいると、手を離された。
「もう二度としないで。」
なんでバレたんだろう。ちょっと洗面所に行って、戻ってきただけだ。絆創膏を貼っているところを見られたわけでもない。しかし、二度としないで、と言われたところでやめられるものではなかった。私は家族に隠れて、リストカットを繰り返すようになった。
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