文化事業
クレイエールの業績は好調です。綾瀬時代は順調な滑り出しと行ったところです。社長の方針は、しばらくは体制固めに専念し、新規事業の展開はそれからぐらいの腹積もりのようです。その代わりといってはなんですが、文化事業に力を入れる方針を示されています。
文化事業と言っても裏を返せば企業のイメージ宣伝戦略の一環なんですが、これを広告部に任せるとあまりにもあからさまなので、総務の担当となっています。文化事業部を作る案もあるようですが、それは検討課題として棚上げ状態になっています。
社長は文化事業に力を入れると言っても無暗なバラマキは良しとされていません。もちろん従来からの神戸マラソンとかルミナリエの協賛は続けていますが、なにか独自というか、目玉的な事業を求められています。これまでも社会人スポーツに進出するとか、美術館的なものを作る案が出てはいましたが、そんなありきたりの案は社長のお気には召さないようです。
さて、この文化事業ですが実戦部隊は総務ですし、従来からの協賛事業の継続程度は総務で管轄しますが、社長の目指す目玉事業の担当はコトリ専務になっています。担当と言われても肝心の目玉事業が決まっていないのですが、
「ミサキちゃん、なにか面白そうなことが起る予感がする」
こういう時のコトリ専務のカンは良く当たるのです。いや当たるというより見えているのかもしれません。もっともコトリ専務の『面白そう』のレベルは途轍もなく高いですから、また猛烈な仕事が待っている悪寒もしています。文化事業ですから、女神の生死を賭けるレベルじゃないと思ってはいますが、コトリ専務の目が細くなったのが気がかりと言えば気がかりです。
さてさて、今日はクレイエールに港都大学の方の訪問がありました。目的は文化事業への協賛です。コトリ専務は福岡に出張で不在でしたのでミサキが応対する事になりました。
「港都大学考古学教室の古橋です」
「天城です」
古橋氏が教授で、天城氏が准教授と名刺にありました。もう一人、
「主任研究員の相本です」
女性の方が主任研究員のようです。ミサキも挨拶を交わして用向きを伺います。
「香坂部長、エレギオンをご存知ですか」
「え、えぇ、弊社のジュエリー事業のトップブランドですから少しぐらいは」
「エレギオンの金銀細工師が実在しているのは、良く御存じだと思います」
そりゃ、ミサキの旦那だから良く知っています。
「このエレギオンの金銀細工師のルーツは一般的にはシチリアだと言われています」
「そういう説が多いようですね」
「実はそうではなくて、エレギオンはシチリアに移住しているのです」
まあ、そうなんだけど。
「このシチリアに移住する前のエレギオンがどこにあるかについて長年研究して参りました」
「わかったのですか」
「はい、場所については自信をもっております。ただ本当に正しいかどうかは発掘して確認する必要があります」
「そ、そうですよね」
「所在国の発掘許可も得てますし、小規模な予備調査でも手応えが出ています」
「それはそれは」
「そこで本格的な発掘調査隊を派遣したいのです」
「そのために弊社に協賛を」
「そうなんです。日本でエレギオンの商標を使える貴社に是非ご協力頂きたい」
これは大きな話だ。それも女神に直接関係する話だし、クレイエールにとってもエレギオンの名前をより高める機会にもなる。ただ協賛費用は総務部の裁量の範囲を越えるのは間違いないし、コトリ専務がこの話に乗り気になるかどうかも未知数のところがあります。
「非常に意義のある事業と存じますが、この場でわたしの一存では答えかねます。しばらく検討の時間を頂けますか」
古橋教授に発掘計画の資料を頂いて帰って頂きました。数日後、福岡出張から帰って来られたコトリ専務の下に、
「出張ご苦労様でした」
「どうしたの、なにかあった?」
「ええ、実は・・・」
港都大学のエレギオン発掘調査隊への協賛を求められた事を報告しました。コトリ専務は発掘計画書をパラパラとめくりながら、
「返事は」
「保留にしています」
コトリ専務は何かを思い出している様子にしか見えませんでした。やがて呟くように、
「これだったのかもしれない・・・」
即断即決が多いコトリ専務にすれば珍しいぐらい考え込んでいましたが、
「ミサキちゃん、これは乗りたいね」
「乗られますか」
「でもこの計画にはカネを出せない」
「どういう事ですか」
「ミサキちゃん、港都大学の古橋教授にアポ取っといてくれる」
「お呼びしますか」
「いや、訪問する。それが礼儀でしょう。ミサキちゃんも来てね」
アポが取れたのでコトリ専務と港都大学の古橋研究室に向かいました。正門前でタクシーを降りたのですが、
「さすがは港都大学ね。コトリも狙ってた時期があったんだけど・・・」
受付で案内をもらい古橋研究室へ。そこには前に訪問に来られた古橋教授、天城准教授、相本主任が待っておられました。
「クレイエールで文化事業を担当させて頂いている小島です」
こういう時に起る定番の驚きが古橋研究室の三人にもありました。
「えっと、専務さんですか。それも代表取締役・・・」
コトリ専務はニッコリと微笑まれ、
「どうも若く見られることが多くて・・・」
「そういうわけでは、その・・・」
その辺のやり取りの後にやっと本題に。コトリ部長は、
「私もエレギオンには興味があり、個人的にあれこれ調べさせて頂いています」
「それはそれは」
古橋教授の顔に『素人がなにを言う』が浮かぶのが見えましたが、しかたないでしょう。エレギオンの歴史なんて考古学でも超どころかウルトラマイナーで、素人が本屋で入門書を買って知る事のできるレベルじゃないからです。
「ところで古橋教授、予備調査でなにか具体的な成果はありましたか」
「発掘計画書にも書いてありますが、幾つか有力な手掛かりが得られています」
「良ければ出土した粘土板を見せて頂けると嬉しいのですが」
「わかりました。相本君、持ってきてくれ」
粘土板にはなにやら文字らしきものがありますが、
「教授、なんと書かれています」
「文字は古代シュメール文字の流れを汲んでいると見ていますが、同じとは言えません。それと保存状況も見ての通りで、断片的にしか読み取れていませんが、ここの部分にエレギオンと読んでも良い部分があります」
コトリ専務は懐かしそうな顔をしながら、粘土板をじっと見ておられました。そしておもむろに読み上げ始めました。いや、あれは読んでるのではありません。思い出しているとしか見えません。
「恵みの主女神より命を受けたるエレギオンの首座の女神より告す
教えの恵みに授かるべし、
教えは民に幸せをもたらさん
教えの恵みに身分無し
これに逆らうもの
主女神の意に反するものなり」
呆気に取られる教授でしたが、
「そう読めるのですか」
「そうじゃなくて、そう書いてあったのです」
「どこでそれを」
「だから、私はエレギオンを調べております」
ここで相本主任が、
「教授、エレギオン以外の部分についての断片的にわかっている部分をつなげても不自然さはありません」
「たしかにそうなんだが・・・」
「相本主任、他にはありませんでしたか」
「あるにはありますが、傷みがひどくて」
持って来られた粘土板を愛おしむように。
「恵みの主女神より命を受けたるエレギオンの首座の女神より告す
病みたる者
老いたる者
幼くして孤児になりたる者
主女神の恵み、あまねくこれを救わん
命の価値に上下無し、
これに逆らうもの
主女神の意に反するものなり」
もう茫然と言う感じの研究室の三人にコトリ専務は、
「冒頭の『恵みの主女神より命を受けたるエレギオンの首座の女神より告す』はいわゆる決まり文句です。文末の『これに逆らうもの、主女神の意に反するものなり』も同様です。探せばもう少し出てくるはずです。それと、こういう告示文で首座の女神の名で為されるものがもっとも重いものです。もっと軽いものなら王の名で為されます」
ここでコトリ専務は一息ついて
「最初のものが今で言うなら教育令みたいなもので、次のが医療福祉令みたいなものと思えば宜しいかと思います。どちらもエレギオン国内にかなりの数で張り出されましたから、滅亡後も断片が残っていたようです」
ここでコトリ専務はいつもの笑顔に戻り、
「弊社も貴研究室の発掘調査に興味と関心を抱いております。ただなにぶん多額の費用が必要なものであり、正式決定までにはもう少し時間を頂きたいと存じます」
「それはありがたい。前向きの御回答を頂きたいと思います」
「そこでなんですが、発掘計画書についてですが・・・」
発掘予定地点についてなにやら質問されています。
「それともう一つ呑んで頂きたい条件があります」
「なんでしょうか」
「弊社からも発掘調査隊に参加させて頂きたいのです」
「それは・・・希望であればやぶさかではありませんが、向こうでは野宿同様になってしまいますが」
「かまいません。ところで教授、実際に現地に行かれるのは?」
「天野君と相本君を中心に行ってもらう予定だ。私は講義がそこまで休めないものでね」
帰りのタクシーで、
「よく知ってましたね」
「当時のエレギオン国民なら常識よ。まあ、コトリが書いたものってのもあるけど」
「なるほど。ところで誰を派遣する心づもりですか」
「コトリ以外にないじゃない」
「ではミサキも?」
「今回は無理。ジュエリー事業の本部長と副本部長が同時に抜けられっこ無いもの。ミサキちゃんはシノブちゃんとお留守番宜しく」
あれ、今回はミサキだけではなくシノブ常務も連れて行かれないんだ。
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