第8話 格闘技興行までの三か月間

 俺の自宅(という事になっている場所)に到着するまでの道中、俺の妹(だという少女)”長峰樹里(ジュリ)”は延々と不満を口にし続けていた。


「全くもう、信じられない!虚弱さが売りのお兄ちゃんが、何の脈絡も無く格闘技の試合だなんて、しかも自分から!……わざわざ怪我しに行くようなもんじゃない!?ホントにやるの?いいけど……大怪我しても知らないんだからね?」


「まあまあ、アストさんにも何か考えが有るんだよ。きっと。それに、格闘技の試合に選手として出場するんですよね?格好良いと思います!」


 ジュリと同い年だという少年”松嶋翔太(ショウ)”がフォローしてくれたが、ジュリは不機嫌なままだ。ぷんぷん、と音が聞こえて来るようだ。


「あ、もしかしてお兄ちゃん、マユカさんが見ているからってイイカッコしよう、とか思ったとか?……え、まさかまさかお兄ちゃんが三次元の女性に興味を持ったりなんて……あはは、無いよね、いくらマユカさんが綺麗だからって、そんなの有りっこないよ、ね?ね?」


 ジュリは決めつけてかかり、暫くは不機嫌なままだった。傍らにいる”吉野真由香(マユカ)”は俯いて小さく左右に首を振るだけだった。表情は読めない。彼女の所作は嫌がっている様子ではないが、肯定とも否定とも取れてしまう。

 マユカが何を考えているのか理解は難しかったが、表情でわかる事もある。

 人相は如実に内面を表示する。彼女の優しい表情と時折見せる真摯な眼差しは、この世界で仲間の居ない俺にとって信頼する要素としては充分だ。


 今居るここが平和で喧嘩や揉め事は滅多に起きず、寝食に困るような事はまずそうそう無い国家・自治体だという事は認識できた。

 当面はこの世界をもっとよく理解する必要が有る。


 俺のこの世界の人物像であるらしき”長峰明日斗”という人物は、先の事故以前から失職中だと聞いている。このまま長峰明日斗――アストとして過ごしてみようと思う。幸い、本来の名前である”アーネスト”と発音も少し近い。そうする事で少なくともすぐに衣食住に困る事も、誰かを不幸にする事も無さそうだ。


 アストとして過ごしながら、マナ(自然界に存在する魔力)のある場所を探す。元の世界に戻る為の方法、或いはそれを知っている人物を探す。話はそこからだ。

 先日、俺を魔術師と知って格闘技の興行に俺を招待した”ジャック・グレイ”という人物……あれは悪魔の類だ。それも高位の。あいつとまた会い、あれこれ問いただしてみるのが近道だろう。


 いずれにしても情報不足だ。テレビ・新聞・インターネットとかいう媒体もあるようだが、あんなもので本当に欲しい情報が得られるのだろうか。いまひとつ信用できない。そうでなくともどうせ俺には使い方もいまひとつわからない。

 何より、冒険者である俺にできる事と言えば、やはり冒険する事だけからな。肉弾戦は得意ではなくても、竜の洞窟に入らずば竜の卵は手に入らない。この目で見て確かめる事が必要だ。行動が必要だ。体験が必要だ。


 まずはその”T-1グランプリ”という興行での試合に向けて準備を進めるとしよう。未知への挑戦と無防備な蛮勇は似ているようで随分違う。準備不足での冒険は命取りになりかねない。


 自宅に慣れるにはさほど時間を必要としなかった。

 長峰明日斗の自室も有ったが、なるべく手を付けずに、使用していなかった空き部屋を使わせて貰う事にした。


 そして三か月。


 三か月の間、数々のトラブルを経つつ、”T-1グランプリ”の開催要項や過去の結果について調べて過ごした。

 入院中のように何者かが押しかけて来る事も無く、また、マユカが何者かに付きまとわれたり襲われたりするような事も無かった。喜ばしい事だ。


 妹のジュリがインターネットというものを駆使して情報収集・連絡を取ってくれた。素晴らしい情報収集能力・行動力だ。格闘技興行の映像もあれこれと探して見せてくれた。実に興味深い映像だった。

 ショウも足しげく通って来ては俺の訓練相手をしてくれた。まだ10代前半の身体は成長途中だが、強い、良い身体を持っている。そして素直に訓練に協力してくれた。将来、良い戦士になるかもしれない。

 マユカも頻繁に自宅に来てくれた。彼女の作る料理は素晴らしい。間違いなく”食”に関しては、元の世界より格段に満足度が高く、いつまでも飽きない。医療技術を持ち、生活管理や食事なども含め、仔細に面倒を見てくれたのは実に有難い事だった。


 日々、ショウと共に行った訓練は魔術師としての日常を送る上ではあたりまえのものだ。特別なものではない。この世界の普通の少年にとって面白いものかどうかは計りかねるが、ショウは俺の訓練につきあうのが楽しいようだった。


「もし僕が異世界に転移した時、いきなり魔術を使えるかもしれないし!」


 なるほど、あり得ない話ではない。実際に俺は魔術の存在する世界からこの世界に飛ばされて来たのだから。いつか元の世界に戻る日が有り、ショウも一緒であるならば、それはそれで面白い事になるだろう。


 少年が未知の物事・想像力を掻き立てるものに対して興味を抱きやすいのは、この世界でも元の世界でも同様だ。目を輝かせて俺の魔術についての説明を実に興味深そうに聞き入っていた。

 魔術の訓練がショウにとって今後役に立つものかどうかはわからない。それでも、少年時代に何かに夢中になる事は抗い難い重要な、濃密な経験だ。


 自然界に存在するマナが皆無だとは言え、体内を魔力が流れている感覚は確かにある。魔術を忘れたわけではないし、発動しなくても魔力の減少・回復はこの世界に暮らしていてもついてまわる。魔力を消費し過ぎた場合も一晩眠れば回復するあたりも同じだ。


 この世界で、魔術師として、格闘技興行に出場して見世物になる……か。まあ、魔王討伐よりは気楽だ。そうそう命を落とす事も無かろう。

 良い戦績が残せなかったなら残せなかったで構わない。結果の可能性を気にしていたら元から冒険者などはやっていない。冒険する事が俺の生き方なのだから。


 そしてこの世界で三か月が過ぎ、"T-1グランプリ"の興行当日を迎えた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

この世界では俺の能力が封印されている! おと @wataoto

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

フォローしてこの作品の続きを読もう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ