第7話 T-1グランプリへの招待

 長かったような短かったような。ともあれ、随分回復したので退院できる事になった。

 まだ時々通院の必要が有るものの、自由に行動できるのは喜ばしい。さすがに入院生活は飽きた。

 負傷していた脚も随分と癒えた。杖ももう必要ない。急激な負荷をかけると少し痛むが、これだけ回復してまだ安静にしているようでは冒険者は務まらないからな。


 医師からは”記憶に混濁が有る”と診断され、病院より自宅で療養すべきとの見解になっていた。

 記憶、ねぇ……。そんな事を言われても如何ともし難い。

 元の世界――王国や冒険の記憶を語っても医師は信じてはくれなかったが、マユカだけは真摯に俺の元の世界の話を聞いてくれた。退院までの日々、彼女が居なかったら、俺の精神はかなり荒んでいたかもしれない。彼女には本当に感謝している。


 退院の日、ジュリが迎えに来てくれた。両親は勤務中との事だ。ショウも同行してくれた。

 そして何故かマユカも勤務を切り上げて私服に着替え、長峰明日斗の自宅まで送ると申し出てくれた。通常の勤務範囲ではありえないようだが、刃物男の件でのお礼の一環、だそうな。


「自宅での包帯交換や生活を送る上での注意など、お住まいの様子にあわせてご説明したいですから。助けてもらった事ですし、この位のお礼はさせて下さい。それに……あ、いえ、なんでもないです」


 そう言って譲らないマユカの目は真剣だった。

 何やら含んだような物言いが少し気にはなるが、断る理由もない。むしろ、彼女が近くに居てくれると安堵を覚えるくらいだ。

 俺・マユカ・ジュリ・ショウの4名で”長峰明日斗”の自宅に向かうことにした。案内は一緒に住んでいるジュリだ。


 ――病院から出る際、何者かの視線を感じた。


 いつぞやの刃物男だろうか。いや、不穏な気配ではない。とくに敵意は感じない。

 まあ確かに俺達は奇妙な一行ではある。目を引く美女・美少女が気になる者が居ても不思議はない。気にせずにおこうかと思っていたのだが、ショウが小声で話し掛けてきた。


「アストさん、何者かがこっちをずっと見ているみたいです。監視されているかもしれません」


 ショウの声に、ああ、と一言だけ同感の意を表する。

 なかなかするどいじゃないか。

 マユカとジュリは一向に気付いた様子はなかったが、ショウの身体が少し緊張するのが見て取れる。

 長年冒険者をやっていれば自然と身につく感覚ではあるが、ショウの反応は熟練の冒険者に近い。あまり緊張するのは良くないが、無警戒はもっと良くない。魔術の鉄則でも、怖さを知らない事は恥ずべき事である。怖さを克服する事が誇るべき事だ。


 程なくして、二人組の男がこちらに近づいてきた。

 二人とも長身。片方は痩身で白い衣服に目と口元が見えないいでたち――スーツにサングラス――、もう一人は逆に黒い衣装――カラテギというものらしい――を身にまとった凄まじい筋肉質の巨漢だった。


 「な、何か用?」


 さすがにジュリもその二人組に気が付いたようだ。

 いつぞやの包丁男のような暴行を警戒してか、不審さをあらわにした表情を浮かべる。年相応の可愛らしさはそのままに、険しい表情を作って二人に声をかけた。


 痩身の白服男が返答する。


「はじめまして、お嬢さん。そして長峰明日斗さん。いえ、異世界の魔術師さんとお呼びしたほうが宜しいでしょうか?」


 ……こいつ、何者だ?

 俺が別の世界から来たことを知っているのか?

 長峰明日斗の知り合いなのか?


「私、『T-1グランプリ』の興行を運営しております、ジャック・グレイと申します。お見知りおきを。本日はこちらをお渡ししたく参りました」


 白服男は名刺という紙片と、別途いくつかの書類を出しながら続けた。

 ジュリが書類の記載を音読する。


「んーと『第10回 T-1グランプリ 観戦招待状』に『T-1グランプリ 選手参加依頼書』『T-1グランプリ 参加選手登録承諾書』って……ええっ?格闘技イベント?しかも選手ってえええええぇぇぇ???」


「はい、魔術師さんには、私共の興行の選手として出場して頂きたいのです。今年『第10回 T-1グランプリ』の開催は三か月後です。どうかご検討宜しくお願い致します。」


「ちょちょちょ、ちょっと待ってあんた、えっとグレイさん?それ本名じゃないでしょ?……いやそうじゃなくて、何故いきなり?しかも虚弱なお兄ちゃんに格闘技なんて絶対無理だってば!スポーツとかまともにやった事無いんだし、鍛えてもいないし、そっちの黒い大っきい人みたいなのが出てきたら勝てるわけないし……」


「あ、参加受付はネットでも行っていますから後でも構いませんし、この場でサインしてくれても良いですよ」


 ジュリの抗議をまるで聞いていないかのように、グレイと名乗った男は笑顔で言葉を続けた。

 その表情は口角を上げて一見微笑んでいるかのようではあったが、仮面のような冷たい表情にも、邪悪な哄笑のようにも見えた。


 そしてそのまま俺に書類とペンを差し出す。


「そんなわけわからないものにイキナリ参加するわけないでしょ!……ね、お兄ちゃん?」


 さらさらさら……

 俺はその参加選手登録承諾書に俺の名前”アーネスト・ガルニエ”をサインした。


「ええええええええ!?」


 ジュリとショウが声を揃えて驚きを表す。

 マユカは息を吸い込んで目を見開いたまま停止していた。畏怖(フィアー)の魔術にかかった状態と似ているかもしれない。


「はい、契約成立ですね。ファイトマネーはしっかり用意しておきます。三か月後、秋葉原の試合会場で、宜しくお願いします。凄いマホウを期待していますよ。では、失礼致します。」


 ジャック・グレイと名乗った白服男は軽く右手を上げたかと思うと、その場から一瞬にして姿を消した。走り去った・飛び去った等ではなく、一瞬姿がぼやけて見えた直後、突然消え去った。

 ほほう。マナの無い世界で、そのような魔術を使うか。


 後には黒いカラテギという衣服の無口な巨漢のみが残った。

 巨漢は無言で深々と頭を下げて挨拶をし、一言も喋らず背を向けて歩き去って行った。


「ふむ。あのグレイという奴は魔族の一種だろうな。結構高位の悪魔かもしれない」


 俺の呟き声は呆然と立ち尽くすマユカ・ジュリ・ショウの三名の耳には届いていただろうか。届いていても理解できないだろうが、な。


 まあいい。なかなか、この世界も面白そうじゃないか。

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