第6話 入院中のこと、そして退院へ
オーク化しかけていた包丁男――クレイモアモンスターを撃退したその後、警察という組織や新聞社という組織による取り調べ・事情聴取などがあった。
俺達4人はそれぞれ様々な質問責めにあい、特に俺は奇異の目も含んだ質問・詰問に随分と晒されたが、マユカとジュリがあれこれと取り繕ってくれた。事故で記憶が錯乱しているという事になり、警察や新聞社の担当者は納得したようだ。
マユカが言うには、あの包丁男にはじめて会ったのは、以前彼女が一時的な手伝いとして働いたという飲食店だった、との事。
なるほど、オークに目を付けられたか。あいつらは一度目を付けた獲物に対する執着心が強いからな。完全にはオーク化していなかったものの、一種の中毒状態になったオークどもの欲望はとどまるところ無く、飢餓状態が満たされる事無く欲し続ける性質が有る。彼女の美貌ならそれも納得だ。
病室に戻された俺は、そのまま一か月ほど入院を強要された。
包丁男はそのまま警察によって身柄を拘束されたと聞く。その後どうなったのかについては詳しくは聞かされていないが、暫くの間は監禁生活を送ることになったそうだ。
その間、マユカは一日に数回以上は俺の様子を確認しに来た。どこまでが業務の範囲かはわからないが、長時間話し込むことも何度も有った。
また、ショウとジュリもほぼ毎日俺に面会に来てくれた。有難い事だ。三人はこの世界での俺の数少ない知人と言える。
ジュリは相変わらず俺の事を兄――”おにいちゃん”と呼ぶ。
何度鏡を見てもこの顔・この身体は俺――魔術師アーネストの顔に間違いはない。魔物との戦いや、魔術の修練の間にできた古傷も残っている。
それでも、長峰明日斗を知る者は当然そのまま呼ぶだろう。面倒なのでそのまま呼ばせることにした。
俺の代わりに”長峰明日斗”という奴がどうなったのか?……考えても答えは出ない。ならば一旦思考は保留だ。わからない事をわからないままにしておく事も大事な知性だ。そう、魔術の師から繰り返し習ったのはいつだったか。
とりあえずは、俺はこの国・この世界で”長峰明日斗”として過ごした方が面倒ごとを回避できるようだ。幸い、”アーネスト”と”アスト”で発音も近い。ニックネームだと思えばさして違和感はない。
時間はたっぷり空いていたので、リハビリがてら俺はこの世界を理解する事に努めた。
言葉は通じた。文字も読める。しかしながら、文明や社会の構造は俺の元の世界には無かったものばかりだ。
非常に高い文化レベル、電気による技術、そして種々の退廃などなど、驚きの連続だったが、それでも少しずつ理解できてきた。
基本的には平和で魔王の脅威も隣国との戦闘も無いという事、法律、制度、流行、ここが病院という場所である事……などなど、ひとまずこの世界のおおよその概要は掴めたかと思う。元々俺は冒険者だ。世界の違いなどを理解するのは慣れている。
他の入院患者やマユカ以外の病院就労者との日常会話も問題ない。
俺は院内では、ちょっと変わったチュウニ病という称号を貰っていた。魔法・魔術という概念そのものがこの国では空想・妄想の産物として扱われているという事も理解できた。
それもそうだ。完全にマナ(自然化に存在する魔力)が皆無の世界では、魔法の存在を理解できようはずが無い。
俺が魔術について話せば話すほど冗談扱いされたり、妄想扱いされたりしたのも合点が行く。逆に、この世界で活用されている”電気”というエネルギーについて、俺の元の世界で説明したところで、実際に証拠を見せない限りはそうそう信じては貰えない現象だろう。そこは理解できた。
一か月の入院生活の間に、俺に対する面会希望の申し出がいくつも有った。
ジュリの兄に該当する"長峰明日斗(ながみねあすと)"の両親とも会って話をしたが、自分の息子の事故と回復とそして内面の変化に対して、動揺・驚愕・安堵・困惑・諦念・激励・許容など、めまぐるしく反応を変えつつも、俺の退院を心待ちにしていた。
更には、この長峰明日斗――アストの友人でも知人でも無く、他関係者の知人ですらない唐突の訪問者も多々あった。
なかには歓迎しにくい訪問者もあり、そして何を言うかと思ったところ、曰く、「魔術とやらを見せてみろ」だ。
そいつらの多くは俺が何を言っても信じず、むしろ嘲笑う態度の方が多く見て取れた。
”マインドサーチ(読心)”の魔術を使うまでもなく、最初から否定するつもりで話す者、中には物笑いのタネを求めて俺を訪ねて来る者もあった。
すぐに理解できた。この国の報道機関は下卑た笑いを求める者どもを相手に、低俗な情報流布を行っているようだ。俺の国にもそんな奴らは腐るほど居た。性根まで腐りきって、ゴブリン化した奴も少なからず居た事を思い出す。
この国では民衆が為政者を選ぶと聞いて驚いたが、モンスター化した者にもその選択権が有るのか、興味深いところではある。
それはさておき。俺はここでの入院生活でかなりの”この世界についての知識”を身につけた。
問題は今後の生活をどうするか、だ……が、懸念は必要なかった。
長峰明日斗は、数か月前に勤務先を辞職し、”自由業(フリーランス)”と呼ばれる勤労形態で収入を得る生活になっていたようだ。
なるほど、冒険者と似たようなものだな。駆け出しの冒険者などは日銭を稼ぐために様々な事柄に手を出す。俺も若い頃は寝泊まりする場所も無く宿代にも苦心したものだ。それに比べれば明日斗の生活は随分と安定している方だ。
寝泊まりする場所が有り、心配してくれる両親・妹が居る。
それに、ここでの食事はとてつもなく美味しく、飽きない様々な料理が毎日運ばれてくる。建物内は暑すぎも寒すぎもしない。清潔な柔らかいベッドで安眠できる。多くの知識・情報も随分と簡単に手に入る。
魔術が無くてもこんなに快適に暮らせるとは驚きだ。まるで王侯貴族のような入院生活だ。なんと贅沢な。これが当たり前になり、いつまでもこの暮らしを続けて居たい気分になってしまったら、もう元の生活には戻れないかもしれない。
……だが、ここでの生活を終える日が来た。そう、退院だ。
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