第7話 ユウジ その2
オレに絵を描けと………… カナちゃんが何を思って言ったのはわからない。単純にオレの絵が欲しいと思ったのか。それとも、夢を捨てたオレに、捨てるなと言っているのか。夢を捨てて以降、絵を描かなくなったオレに、絵を描かせる機会を作ったのか。
なんにしてもカナちゃんなりの善意なのだろう。今から絵を描こうとしてるオレだって、どういう気持ちで描くのかわからないのだから、考えてもムダ。でも、カナちゃんの言葉の中に、正しいと思う部分もあった。もしオレにそれなりの才能があったのなら、高一の時の話は、青春の淡い1ページだったと言える。でも、そうでないのなら、カナちゃんが言った通り、『聞くに値しない昔話』なのだろう。
部屋に飾るとか、言ってたしなぁ
カナちゃんの性格からすると、かなり長期間飾るかもしれない。下手したら一生飾るかもしれない。仮にオレの絵を見る者がたった一人だとしても、つまらなん絵であってはならない。
キャンバス、余ってるかなぁ…………
久しぶりに美術部に出ようと思い、廊下を歩いていると、
「お前だろ、田中って」
三年生と思われる男に声かけられた。オレは体育会系の世界とはほど遠い存在なので、先輩に対して「はぁ」と答えた。三人いるうちの一人は、オレよりも身長が高く、ニヤニヤしている。不気味だ。
「きいたぞ。年上の大学生とつきあってるのに、超かわいい女の子とも付き合ってるって」
「え? いや、あの」
オレが訂正しようとしても、別の男が「二股じゃん」と言葉を重ねる。質問して相手の言葉を聞く気がないのなら、質問しないで欲しい。また別の男が「こういうもんなのかもな」と言葉を重ねる。
「こいつみたいに、ちょっとボンヤリした奴の方が、モテんだよ。多分」
「そうなのか?」
オレにきかれても…………
「チ〇コがデカい、とか?」
「ふっ そういうこと?」
「あははは」と三人で笑うと、そのまま通り過ぎていった。
何日か前にも同じことを言われた。噂が広まる。噂を広めているのは同じ塾の連中だろう。それにしても『年上の大学生』って、誰の事言っているのだろうか? チューターのヒイロさんのことか? それとも…………… ユイはオレの浮気に気づいていたのかもしれないが、それ以外の奴らがシホさんのことを知っているとは思えない。まさか、ユイが噂を広げている? いやいやユイは、噂を広めるという高度な工作活動ができるような女ではない。本気で怒ったら、殴りにくる。そんな女だ。じゃ、誰なんだ? なんにしても悪意を感じる。
美術室に入ると、油絵具のにおいがする。美大を目指すわけでもないのに毎日絵をかいている部員もいる。まぁ、そういう部員は十人もいないが。ほとんどは部員は、オレと同じようにたまに顔をだすだけ。
顧問の先生、江崎先生に軽く会釈すると、
「キャンバス、まとめて買ったから」と言われた。机の上にキャンバスがたくさんつまれていて、白い立方体のように見える。このまま文化祭に出して、『とうふ』という作品にしたら、なかなかの現代アートだ。それにしても、
「え? ちょっと……… 大きくないですか?」
「F20 727ミリ、かける、606ミリ」
「………………」
縦置きだと、小さい女性、例えばヒイロさんの身長の半分くらいにはなる。大きすぎるだろ。二十枚くらい買ったようだ。部員全員がF20で描けば、丁度良い数だが、さずがに全員がこのサイズでは描かないだろう。この『とうふ』、かなり残るんじゃないかな。オレはもっと小さいサイズで描くつもりだったので、江崎先生には悪いが
「F8くらいの買うかな」とつぶやいた。
オレはスマホを操作して、ネットで買おうとした。すると、江崎先生に「待て」と言われる。
「小さい絵ばかり描いていたら、人間としてもちっさくなるなるからな」
どんな理屈だ?
「いやぁ、友達に絵をあげるって約束してて。部屋に飾るって言うから、F6かF8くらいがいいかなと」
「だとしてもF20にしなさい」
「え?」
「若い君に『絵が欲しい』なんて言うのはね、その人、おそらく、君を試しているんだ」
「いや、そういうんじゃ…………」
「だからF20で、ドーンと君の感情を見せつけてやりなさい」
「………………」
江崎先生は『君達の絵には感情が見られない』と、よく言う。だから問答無用でF20を大量購入したのだろう。部員達もそういった意図を感じているからだと思うが、F20のキャンバスを目の前に置いている。下書きすらできずに戸惑っている部員もいる。オレも一枚手に取って、スタンドに横置きにした。
「さてと」
目の前にすると、やはり大きい。どんな絵を描くか、考える。横にしたので、大きいとはいえ、そこまでの威圧感はない。スマホで撮った写真を見て、描きだそうとしても、なかなかイメージがわかない。悩んでいるのは自分らしくないと思い、思い切ってサッサッと無難に下書きをしてみた。細々と建物や店を描くほど、なんだかゴミゴミしてしまう。まぁ、実際ゴミゴミしているんだから、仕方ないのだが。街灯などの光をどのように表現するか、色々と描いてみたが、
「うーん」
カナちゃんが見ていた街にはなっていないように思う。カナちゃんは、何を見ていたのか………… なぜ輝いて見えたのか。簡単に言うのなら、オレとデートしていたからだ。オレだって、街の風景が違って見えていた。なぜか? 色々とカナちゃんの言葉を聞かされたり、逆にオレの心の内を聞かれたり………… 面倒だったけれども…………
部長が、通りすぎるついでだと思うが、オレに声をかけた。
「田中君、やっと描きはじめたね」
「あぁ、はい。こんな大きいのはじめてなんで。どうしたもんかなと」
「大きいからって、あまり細かくならないように」
「どうも」
スッと練り消しゴムで消した時、
「あっ」
消すことで光を表現するのも面白い。なんとなく、オレの記憶とデッサンが重なる。夜の街が、オレら二人を少しだけドキドキさせた。
今度はオレの後ろで江崎先生が足を止める。自己評価と同じように人から見ても良いものになっているのかな、と思う部分もあるが、鬱陶しさも感じた。
「………………」
何分かそんな状態が続く。どっか行ってください、とも言えなないし、『何か言ってください』というのも野暮なので、背中で鬱陶しさを感じるしかない。すると、江崎先生の低い声が響いた。
「そのサイズなら、公募とかで出しても恥ずかしくないから」
オレは振り返り、「へ?」と疑問の声をもらした。
「そのつもりで」
江崎先生はテクテクと準備室に戻った。
久しぶりに絵を描いて充実感はあったが、嫌なこともあった。美術部の奴らにも例の噂は広まっていた。美術部には数名女子もいるのだが、噂についてオレに直接声をかけたのは、女子だった。まぁ、女の子はそういう話を好む。興味本位のクセに女共は、心配している体(てい)で話かけてくるので、厄介だ。「大丈夫なの?」と、処女丸出しの女子部員に声をかけられたので、それなりの応対をしながらも、『人の恋愛に首つっこんでる場合じゃないだろ。自分の心配すれば?』と、心の中ではののしっていった。
塾は夜の六時からなので、少しはやく部活を終えて、塾へ向かった。まだ絵はデッサンのレベルだが、たいぶイメージが形になりつつある。描けるときに描きたいなぁ、と思った。F20のキャンバスを持ち運ぶ人は少ない。準備室にほこりにまみれたケースがあったので、それにキャンバスを入れて、オレは歩いた。軽いが、大きいのでかなり邪魔だ。人にも見られる。
そんなこんなで、塾まで歩くと、
「なんだ?」
正門の前、花壇に二人が入り込み、デッキブラシでゴシゴシやっている。よく見るとチューターさんの二人だ。
「あれ?」
そのうちの一人はヒイロさんだ。なんですぐに解からなかったかというと、いつものおしゃれな服ではなく、ジャージを着ている。服とは偉大だ。おしゃれな服を着ていないと、ヒイロさんもただの小さい人にしか見えない。頭をタオルで覆って、顔にはマスクをつけている。
「なにしてるんですか?」ときくと、なぜか
「あぁっ 田中君っ てかさ、あんたの所為だからねっ」と、怒られた。
「え?」
もう一人の男のチューターが「和田さん」と叱るように言うと、ヒイロさんは「ふんっ」と言いながらも、またゴシゴシと作業に戻った。男のチューターはシンナーのような液体を布につけて、石をふいている。汚れは緑色をしていて、文字のようにも見えた。落書きか? オレがジロジロとみていると、男のチューターに、
「ああ、君は授業に行きなさい」と言われた。
「あ、はい」
状況を理解できないまま、オレは授業を受けた。
七時半、1コマ目の授業が終わると、
「ユウジ君」
カナちゃんが走ってやってきた。
「な、なんか、ユウジ君のこと………… 石の看板に書かれたって、きいて」
「え? オレのこと? なにそれ?」
あっ ……そういえば学校でも妙な噂が広まっていた。
「いやぁ、もてる男はつらいわねぇ」
ジャージ姿のヒイロさんが歩いてきた。
「このジャージ、向かいの店で買ったんだから。2500円で」
一日のバイト代がいくらかわからないが、その内2500円を浪費したとなると、怒るのも当然だ。
「落書きって オレの事、書いてあったんですか?」
ヒイロさんは高い声で「そだよ」と答える。
「なんて?」
ヒイロさんはチラッとカナちゃんを見て、オレの服をひっぱる。
「ちょっと、こっち来なさい」
廊下の端の方に歩きだすので、引っ張られるままオレも歩く。
スタッ スタッ スタッ
カナちゃんもついてきたので、ヒイロさんはにらむ。
「カナちゃん、空気読みなさいよ。あなたに聞かせたくないと思ったから、端の方で話そうと思ったのに」
「私も聞きます」
「え?」
「聞く義務があると思います」
「は? なんで?」
「なぜなら、私はユウジ君の彼女なのだから」
ヒイロさんは「面倒臭いなぁ、この女」と言いながらも、カナちゃんがついてきても、もう文句は言わない。三人で廊下の端までくると、その横にある扉のない小さな部屋のようなところに入る。洗面所とポットなどがある。給湯室というやつだ。椅子などもないので、三人で立ち話だ。
「これ」
ヒイロさんはパッドを洗面所のわきに置く。ヒイロさんたちが掃除する前の画像だ。文字が書かれている。
『田中ユウジは浮気者。三つ上の大学生と同い年の女の子とやりまくり』
カナちゃんは驚かなかった。すると、ヒイロさんに「カナちゃんもこの噂、きてた?」と質問された。
「あぁ、なんか、怪文書みたいなメッセとかメールとか、出回ってたみたいですね。シノブちゃんにも送られてきたって」
オレが「いつから?」ときくと、カナちゃんは平然と「二週間前から」と答えた。
「全然知らなかった…………」
オレとカナちゃんが付き合いはじめた頃からか。
ヒイロさんは「二股くんのお相手はぁ」と言って、カナちゃんを指さして、「一人目」そして指をクルクルとまわして、オレをギョロッとにらむ、
「あと一人、誰?」
するとカナちゃんはモジモジしながら、
「私たち……… まだ、してないですけど」と余計なことを言う。
「ほう。じゃ、これ、まったくのデマってことね」
オレの代わりにカナちゃんが「そうです」と力強く答えた。
「たぶん、ユウジ君の事を好きな子がやったんじゃないかな、って思います」
「えぇ? なんで?」
「私達がつきあってるから、ジャラシーですよ。だからユウジ君が『浮気した』とか、そういうウソをつく。女の悪いところが出ましたね」
ヒイロさんはワシワシとパーマの頭をかく。
「いやぁ、普通に考えれば犯人って男じゃないかなって、思うけど」
カナちゃんはニヤッと笑う。
「ホ、ホ、ホモってことですか?」
なぜか興奮して、両手を拳にして胸の前にもってくる。
「いや、そうじゃなくて、さっきカナちゃんが言った推理で、男女を逆にするのよ。カナちゃんのことを遠くで見ている男の子がいて、カナちゃんが田中君と付き合いはじめたのを知って、で、落書きした、って感じじゃないかと」
「な、なんですか、その、気持ち悪いのっ」
「普通に考えるのなら、こういうことするのって男の子でしょ。それに、そういう子を引き寄せそうなのって、まぁ、美貌の持ち主なわけよ。普通に考えれば、それってカナちゃん、あなたでしょ」
オレの頭の中で、ある疑問がよぎった。
「監視カメラってあるんじゃないですか?」
ヒイロさんは「それそれ」と言う。
「クラウドっていって、なんていうか、外部サーバに録画したデータがたまるんだけど、多分、落書きされた16時から17時の間、ハッキングされたのか、なんなのか、インターネットが使えなくなってて」
塾の監視カメラがクラウドを利用してるって知ってる奴の犯行……… しかも、コンピュータにかなり詳しい。まぁ、普通に考えるのな男だな。オレが名探偵のなった気でいると、
「てかさ」
なぜかヒイロさんににらまれる。オレが肩からかけているかなり大きいキャンバスケースを指さす。
「あなた、まさかとは思うけど、また美大目指すなんて言わないでしょうね?」
オレは「ないですよ」と即答したが、それとほぼ同時にカナちゃんが答えた。
「とりあえず、彼女である私が。見ます」
両腕を組んで偉そうにしている。
「見て、どうすんのよっ」
「見て、私がどう思うか、ってことなので、ユウジ君の人生をどのように促すかは、その時の私にきいてください」
「あんた、ふざけ…………」
キーンコーンカーンコーンと鐘の音がきこえた。ヒイロさんがキレそうだったが、鐘の音に救われた。
「田中君さ、あと1コマ授業あるんでしょ、その後、ちょっと顔かして。落書きの件で」
「いいですけど、オレからは何も言う事ないですけど。落書き消したのもヒイロさん達だし」
「あのねぇ 大人って卑怯だからね。塾としては警察に通報したくないワケ。どうせ落書きした子ってさぁ、うちの塾の子でしょ。だから、田中君のお母さんを説得したいわけさ。まぁ、ちょっとしたイタズラだったね、って、そういうノリで。ま、簡単にいうと、田中君のお母さんを丸め込もうって作戦」
「その話、丸め込もうとしている相手にして、いいんですか?」
「何よ、田中君は、こっちの味方なんじゃないの?」
「え? そうなんですか?」
カナちゃんはスタッと右手をあげる。
「その会合。私も参加させてください」
「なんでよ、名前書かれたのあなたじゃないし」
「だってヒイロさん、さっき言ったじゃないですか、犯人は私のストーカーだって」
「ストーカーとまでは言っていないでしょ。ただのイタズラ。私が言ったのだってだたの推理にすぎないし。でも、田中君の名前が落書きされていたのは事実…………」
ヒイロさんが言い終わる前に、「とくかく、私も出ます」とカナちゃんはしつこい。
「なんで、出たいのよ? カナちゃんからきくことなんて、別にないし」
「ユウジ君のお母さんに会いたいじゃないですか」
両手を拳にして、胸のあたりでふるわせる。
「お母さんにお礼を言いたいんです」
「お礼?」ときいたのはオレ。
「ユウジ君を生んで下さって、本当にありががとうございますって」
「やめてくれ。帰ってください」
ヒイロさんは呆れ、「はぁ」とため息をつく。
「こんな奴いたら、収集する話も、収集つかなくなるでしょ」
「確かに」
カナちゃんは「私も出たいですぅ」と駄々をこねたが、オレが手をつないで教室の方へ手を引くと、おとなしくついてきた。
うちから塾は歩いて来れる距離なので、遠くはない。母さんに塾に来てもらうのも別に大した話ではない。でも、わざわざ親を呼び出しておいて、丸め込もうって考えがどうなのかな、とは思った。
授業が終わると、正門の前で母さんを待った。歩いてくる姿を遠目で見たときに、あれ? 母さんかな、と自信がなかった。綺麗に化粧していて、服も余所行きだ。オレに気づくと、小走りに近づいてきた。
「ユウくんは、悪くないんだよね?」と失礼なことを言う。
「話、電話できいたんじゃないの?」
「聞いたけど」
「だったらオレ、悪くないだろ」
応接室に連れてきてねと、ヒイロさんに言われた。
「………………」
親子で塾の中を歩くのは、なかなか恥ずかしいことに気づいた。すると、
「なっ」
応接室は三階の一番端にあり、講師以外はあまり歩かない。そんな中、一人の少女が廊下の真ん中に立っていた。
「カナちゃん、なんで………… 帰ったんじゃ…………」
深々と頭を下げる。母さんも頭を下げる。ま、まさか、さっき言っていた『生んでくれてありがとう』のフレーズを口にするのか。
二人が頭を上げると、
「わたくし、ユウジ君とお付き合いさせてもらってます、湯沢カナと申します」
「あっ はぁ、やっぱり」
カナちゃんのことを母さんには何も話していないが、隠す気もなかったので、なんとなくはわかっていただろう。食卓で普通にカナちゃんと通話していたし。
「二人とも来年、受験を控えておりますから、ある一定の節度をもって…………」
事前に考えいていたのだろう。その言葉を続けようとしたが、
「まぁ、こんな、可愛い子だなんて」
母さんはキャッキャッとはしゃぐ。カナちゃんはペースをつかめず、戸惑いながらもニコニコとしている。
「お人形さんみたいねぇ、ほんと、うちのマナなんか、全然、女らしくないんで、こんな娘欲しかったわぁ」
「あっ もう、娘と思ってもらって、良いかと思います」
普通に挨拶できるるんだな、と思ったのは一瞬だった。
「こんなとこ見られたら、また変な噂、言われっからな」
カツカツと靴音をたてて、塾の人達とヒイロさんがやってきた。ヒイロさんはカナちゃんを見かけると、近寄り、耳元で話す。
「カナちゃんっ なんで帰ってないの?」
「いやぁ、お母さまにご挨拶を、と思って」
「あなた、ピンチをチャンスに変えるタイプね」
カナちゃんはニコニコしている。
大人達は、いかにも大人がしそうな会話をしている。
「お忙しい中、お越しいただいて、誠に申し訳ございません」
「いえいえ、歩いて来れる距離ですから」
塾の偉い人達は三人、それに加えヒイロさん、オレ達親子、計六人は応接室に入る。母さんがカナちゃんに手をふると、カナちゃんはニコニコしながら手を振り返した。
で、話し合いの内容というと、ヒイロさんが言った通りだ。塾側としては、警察には通報したくないと、ハッキリとそうは言わなかったが、オレたち親子をそのように促そうとしているのは見え見えだ。塾のお偉方はあまり話がうまくなく、代わりにヒイロさんが話すことが多かった。母さんも別に、警察に通報することにこだわっていないので、ヒイロさんが言うままに、話しが進んでいった。
ただ、気になることが二つあった。
一つ目。落書きをした者は目撃情報によると、ブカブカの作業着を着ていたらしい。ヒイロさんは『犯人は男だろう』と言っていたが………… どうなんだろう? 女だとバレないようにブカブカな作業着を着ていたんじゃないか?
二つ目。犯行時刻において通信がおかしくなったのは、内部の犯行だったらしい。だとすると、特別なコンピュータの技術がなくてもやれそうだ。
「ちょっと、よろしいですか」
最後、母さんが言った。似たようなことが続くのなら警察に通報する、ということを塾生全員に注意してほしいと。塾の人達はあまりノリ気ではなかったが、受け入れざるをえない。
話し合いは三十分くらいだっただろうか。久しぶりに母さんと二人で歩いた。二年ぶりくらいだろうか。母さんは、話し合いがはじまるまでは元気だったが、終わった後は疲れていた。オレも同じ。話を詳しく聞いていると、監視カメラの映像を残さないようにしたとか、ブカブカの作業着を着ていたとか、イタズラの範疇を超えているように思えた。犯人がどういう人間なのか、どんな目的はなのか、どのように実行したのか、色々と考えるとかなり頭を使う。
家路へと歩き、しばらく言葉がなかったが、オレから話すことにした。
「母親は怖いなと、久しぶりに思ったよ」
「え?」
「今回のこと塾生に伝えろって。まぁ、簡単に言うと、おどしだよな。同じことやったら、もうただのイタズラではないって」
「おどしって、そんな言い方しないでよぅ。当然のこと言っただけでしょ。ああいうイタズラってエスカレートするって言うし。ユウちゃんは別に怖くないでしょ。でも、カナさんはこういうの続いたら、怖いんじゃないかって」
どうだったかな、と思い返す。
「いやぁ、オレなんかよりサバサバしてたけどなぁ」
「そんなことないよ。ユウちゃんに心配させたくないだけで」
「そう、かなぁ」
「そうよ」
また言葉が途切れて、何歩か歩くと、母さんがジッとオレの顔を見た。
「な、なんだよ?」
「なんか、顔つきが変わったね」
「顔?」
「うん、なんか、なんていうんだろう……… 幸せそう」
「えぇ? ウソだろ?」
オレは自分の顔をなでた。
「ホントよ」
「顔なんて、そんな変わるかって」
「ホントだって。母さんね、十七年もユウちゃんの顔を見てるんだから」
こう言われてしまうと、言い返せない。母さんは、さっきカナちゃんとはじめて会って、まぁ、良い印象だったんだろう。だから『幸せそう』ってテキトーなこと言ってるんだ。
「ふぅ」と、オレはため息をついた。
「それ」
母さんは、オレが肩からかけているかなり大きいキャンバスケースを見た。
「家に持って帰るの、珍しいよね」
「あぁ、これ、ちょっと大きいよな。先生が大きいの大量に買っちゃて。選択の余地なしって感じ」
なんか、自分の気持ちを誤魔化すような言葉だ。まぁ、そんなことを言うと、母親はつっこんでくるよな。
「今日、塾あるんだから、家でも二時間も描けないのに。それなのに、持ってきたんでしょ。よっぽど描きたいってことじゃないの」
「下書き、今日からはじめたから。頭にイメージが残っているうちに描こうかなって。色を入れはじめたら、乾くの時間かかるから、持って帰らないよ、臭いし」
「高一の時は持って帰ったじゃないの」
「あの時は………… まぁ、いいだろ、そんな話」
やはり母親と話すと、面倒な感じになってくる。
「もしかして、カナさんに言われたから?」
「え?」
「いや、なんか、そうなのかって」
なんでわかるのだろうか? 女の勘、というやつか。まぁ、言い当てられたとしても、うろたえてはいけない。
「いや、その、まぁ、文化祭のときの展示する絵だから」
「文化祭って何か月も先じゃないの」
まぁウソをつくとバレる。しかも咄嗟に考えたウソはだいたいその場でバレる。相当うろたえてるな、オレ。
「そうだよ。カナちゃんに言われたんだよ。だから、なんだよ」
母さんは「ふふっ」と笑う。バカにするつもりはないんだろうけど、少しムカッときた。
「何て言われたの?」
「別に、そんな。単にオレに絵を描けって言っただけだよ」
これについてはウソを言っていない。オレにもカナちゃんの意図はわからない。本当に良い絵が描けるのか、オレを試しているのかもしれないし。
「絵を描け、かぁ」
「え?」
「その一言、私、言えなかったなぁ」
母さんの声、少しだけ涙声になっているように聞こえた。目の前にいる息子のことを、色々と考えて、で、結局、考えすぎて言葉が出なくなる。別に言葉なんて…………
「高三になる前だったら、もう一回、変えてもいいわよ」
「変える?」
「学部と学科」
すぐに何か言ってやろうと思ったが、言葉が出てこなかった。数日前オレは、カナちゃんに涙声を聞かせるという失態を犯していたから、今度は平静を保てた。人間、なにごとも経験だな。だから母さんに、こう言えた。
「夢を追うことがカッコイイってさ、そんな雑な感覚で、子供を評価しないでくれよ。頼むからさぁ」
「その絵、描き終えた時、もう一度真剣に考えなさい」
いつものポワポワした口調ではなくて、大人の女の声だった。
「真剣にって…………」
「母親から言えることは、もう…… それだけ」
その後は、カナちゃんの話をずっとしていた。家に帰ると、もちろん妹もいるわけだが、話がリセットされて同じことを繰り返して妹に話す。「すごく可愛くて」「髪が綺麗で」「人形みたいな」とか、何度も同じことを言う。「しつこいなぁ」と、オレは言ったが、気持ちはわかる。
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