第6話 カナ その2
「あっ カナちゃん、いたっ」
塾で知り合った子、シノブちゃん。1コマ目の授業が終わった時、声をかけられた。ブンブンと大きく手をふる。体は小さいが、身振りは大きい。早足で近寄る。小動物のようで可愛い。
「ヒイロさんが、カナちゃんのこと探していたよ」
「ヒーローさん?」
「ヒ・イ・ロ・さん チューターのヒイロさん」
この小さい塾にも『チューター』なるものがいる。まぁ、簡単に言ってしまえば大学生のバイトだ。進路の相談とか、わからないところを個別に教えてくれる、らしい。
「ヒイロさんって、授業が終わるとA教室にいるからさ」
ヒイロ? 名字なのか、名前なのか。どんな漢字を書くのか、まったく想像できない。
「今日さ、授業終わったら、D教室によってって」
用があるなら自分から来い、と言いたいが、
「教えてくれて、ありがとね」と、笑顔とともに礼を言った。
ヒイロというチューターは、授業が終わっても三十分くらいはいつもD教室にいる、らしい。授業が終わるとユウジ君はすぐに帰ってしまうので、ユウジ君を待ち伏せていた私もチューターさんとは縁がない。でもさ、チューターさんだって全ての科目が得意なわけじゃなんだからね。どの大学がどういう雰囲気だとか、そういう話を塾生としているだけでしょ。
「そういえば、カナちゃんって、ヒイロさんと話したことある?」
「あぁ、チューターさんとは、サシで誰とも話したことないなぁ」
「なんでぇ、もったいない」
「もったいない?」
「だって、塾に払っているお金の中には、チューターさんのバイト代も含まれてるわけだし」
「あぁ、まぁね」
そんな考え方をしたことない。チューターさんと話していたらユウジ君と話す時間が減ってしまう。時間の無駄。
あっ 重要なことをきくのを忘れていた。
「そのぅ、ヒイロさんって人………… 男の人?」
「違うよ。女の子だよ。超かわいい女の子」
「え? 女の子って言っても、大学生なんでしょ?」
「いやぁ、見た目なんか、ぜんぜん大学生に見えないよ。若いっていうか、幼いっていうか。ヘタしたら中学生に見える」
小学生くらいにしか見えないシノブちゃんは「あははは」と笑う。
「確か、二年生って言ってたかな?」
大学二年ってことは二十才くらいか。
学校の先生とかなら、呼び出されたら行かなくちゃって思うけど、塾なんてものはこっちがお金を払ってるんだから、正直言って、行かなくてもいいじゃないないかなって、思った。
授業が終わって、ユウジ君がいるA教室へと歩いた。もう偶然を装う必要はない。なぜなら、『私は彼女なのだから』と、心の中で誇り高く叫び、教室の外で待つ。
「あれ? カナちゃん」
私を見て、ユウジ君は驚く。私は彼女なんだから、彼氏のところに来てもおかしくないよね? と思っていたから、驚いたユウジ君を見て、逆に私が驚いた。
「チューターの和田さん、だっけ? なんかカナちゃんと話したいってきいてたから」
なんでユウジ君がそのことを知っているんだ?
「カナちゃんが忘れてるかもしれないから、見かけたら来るようにって」
なんだろう、この根回しの良さは。大学生のバイトのくせに随分とマジメだ。
「あっ ああ、私、忘れてた」
拳で自分の頭をポクッとたたいた。
「うっかり、うっかり」
「………………」
「じゃ、今日は、先帰っててね。ごめんね」
「待ってようか? 夜も遅いし」
「大丈夫、大丈夫。変態さんが出てきたら、スタンガンでやっつけるから」
ユウジ君は「へ?」とマヌケな声をもらすので、私も「ん?」と答えた。
「あの、あえてきくけど………… 冗談だよな?」
「ふふっ 冗談だよ。ふっ 持ってるわけないじゃん。ふふふっ」
「持ってるような言い方すんな」
ユウジ君は私の頭をワシワシとつかむ。私は「やぁもう」とか言いがながらも、すごくうれしい。気持ちいいし。頭皮って性感帯なんじゃないかと思う。
「さすがにスタンガンは持ってなよ。目にかけるスプレー二本、カバンの中に入っているけど」
「…………それならいいの、かな?」
「チューターさんがわざわざ呼ぶんだから、時間かかるかも、なんで。ホント待ってなくていいから。フリじゃなくて」
「なんだよ、フリって。わかったよ。帰るよ。じゃな」
「ん、またね」
私は軽く手をふって、ユウジ君と別れた。『手を振って別れる』のって、一回やってみたかったんだよね。ひそかに私が書いている『ユウジ君と私の未来予言書』。千を軽く超える願望や欲望がつまっているが、図らずもその一つがかなった。バッグから取り出し、丸と日時をつけた。
私は二階のD教室へと向かう。帰る塾生とは逆を歩く。教室をのぞくと、まだ数人残っている。何か楽しそうに話していて、キャッキャッと騒がしい。その中心にいる人、
「あれが…………」
私服を着ている子が何人かいたが、どれがチューターなのか一目でわかった。耳をかくすくらいのショートヘヤ、クルクルとロールの細かいパーマ。シャツにキョロットスカートと、特に変わった服装ではないのだが、よく見ると高そうな服を着ている。ユニクロの服を着ている奴らを鼻で笑うタイプの女だ。細い首、小さい顔、一言で言うなら『あか抜けている』。シノブちゃんが言うように幼くは見えるが、アイドルのような容姿なので、余計に目立つ。私に気づくと、
「あっ あなたがカナちゃんね」と、大きな声で言う。高くて通る声。
カナちゃん? 初対面なのに馴れ馴れしい。多分この人、自分の容姿に自信があるのだろう。自分に名前で呼ばれれば『みんな喜ぶ』と思っている。苦手なタイプだ。取り巻きの塾生は名前で呼ばれて喜んでいるのだろう。女どもは容姿と経歴に弱い。
「ほらっ みんな、帰った、帰った」
ヒイロさんはパンパンと手をたたく。
「はーい」
「またねぇ」
「じゃねぇ」
楽しそうな顔を見せて、声を聴かせて、彼女たちは去っていく。彼女たちはどこにいても自分の居場所を作れる。私だったらあんな笑顔、実家でしか見せられない。
「……………………」
D教室、学校の教室よりも少し大きい。何度かここで授業を受けたことがことがあるが、二人残されるとその広さに気づく。
「ちょっと待っててね」
スマホを机の上に放り投げて、パッドを手にする。パッドには塾の名前がかかれたテープが張られている。このパッド、塾の先生も持っている。ヒイロさんはパッドを横にして、ボタンの配列をパソコンと同じにした。タタタッと、すばやく打ち込む。塾生のことを打ち込んでいるのだろう。素の可愛らしさとは逆で、すごく真剣だ。てか、早すぎてちょっと不気味。打ちながらも、「あぁ、私は和田、よろしくね」と言う。
和田さんか。ヒイロってのは名前なのか。
「あのぅ、私、何か…………」
私が言いかけると、ヒイロさんは椅子に手を向けて「まぁ、座って」と言う。私は従った。彼女は打ち込むのをやめると、パッドを縦持ちに変えた。そこには私の情報が表示されているのだろう。ヒイロさんはパッドに目を向けたまま、私にきく。
「まだ、志望校、決めてないんだって?」
「はぁまぁ、具体的にはまだですね。国立受けるのでセンターの勉強はしてますけど」
「決めるのは三年になってからでもいいけど、どのレベルかは、今くらいには決めとかないと」
「えぇっとぅ、まぁ、東京の大学がいいな、って思ってますから、勉強、自分なりにやってはいます」
ヒイロさんはパッドから目を離して、私を見る。
「東京の国立の大学って、そんなたくさんないじゃないの。どこも偏差値高いし」
私はパッドを指差した。
「そこに私の模試の結果、書いてあるんですかね。やばそうですか?」
ヒイロさんは「うむぅ」とうなる。
「センターはいけそうだけど………… でも、結局、差が出るのは二次試験だからね。赤本とかやってるの?」
「いやまぁ、まだ二年だし、三年になってからでいいかと」
「高いものじゃないんだから、一回くらい目を通しとけば? 自習室にもあるし」
「あれって、一回見ちゃったら、問題の内容、ある程度は覚えちゃうじゃないですか」
「それが目的なんじゃないの?」
「ま、そなんですけど。そしたら、本気で自分の実力を測りたいな、って思ったとき、困るんじゃないですか? すでに一回見てるから」
ヒイロさんは「はぁ」とため息をつく。
「なにその、赤本を買わないクソみたいな理由。はじめてきいたわ」
口悪いな、この人。
「テストってね、1つの大学で1個ってわけじゃないんだから。もし本気でそんなこと心配してるんだったら、志望している学部じゃないやつを買えばいいんじゃないの? 学部によって多少の傾向はあるけど、正直言って、大差ないよ」
「はぁ」
一人一人にこんな細かい指導をしているのだろうか。バイト代、いくらもらっているのだろうか。割に合う仕事なのだろうか。
「あと………… 男できて、成績下がる女っているからねぇ」
見た目は子供、声も子供なのだが、
「気をつけなさいよ」
私に送る視線は大人であった。
「そ、そんなこともパッドに表示されてるんですか?」
「まさか。うわさよ。う・わ・さ」
高校生の私が言うのもなんだが、私は高校生が嫌いだ。私達の妙な噂が、この塾で広まっている。私の学校でも。同じ塾の人が噂をバラまいているのか。たまに変なメールとか、私のところにも来る。だから痴漢撃退スプレーを買ったのだ。塾生達と仲良しのチューターさんが私達のことを知っていても不思議はない。
「だ、大丈夫ですよ、私達」
「大丈夫? ほう」
「ユウ…… あっ …………彼、私よりもマジメだから」
ヒイロさんの視線がさらに鋭くなる。
「マジメって、田中くんが?」
「あ、はい」
「いい加減なところ、あるでしょ」
「え?」
「自分で決めたことを一所懸命やってるのはわかるけどさ、志望の学部、一年の終わりくらいに変えたし」
「そうなんですか?」
「一年生の頃は美大目指してたんでしょ。で、結局、理系の学部にしたって」
絵を描いているのは、きいたことがあった。美術部に入ってると。でも、美大を目指すほどだとは知らなかった。
「受験科目も大分違うし、正直、一年のとき勉強してたことってムダになったわけでしょ。そういうことがないようにって、私達も色々と指導してるんだけど」
「家のこともあるんじゃないですかね。理系の方が就職がいいから、とか」
「大学のレベル下げても奨学金が出るところがいいってきいてるから、まぁ、なんとなくわかるけど。高校の三年間って意外と短いから」
この人、ユウジ君と何度も話したことあるんだろうな。
「塾生、全員にアバイスしてるんですか?」
「まっ いちお。もちろん、他のチューターさんと分担はしてるけど。それに危うそうな人には念入りに、ね」
「危うそうな人?」
ヒイロさんはニコっと笑って、「あなた」と言う。
「え? 私?」
「恋愛で失敗して、受験でも失敗って。私の友達にもいたわよ。そーいう女。あなたも、そうなりそう」
「わ、私ですか?」
思わず「あははは」と笑ってしまった。
「なりませんよ。もうぅ、地球が滅んでも、私達の愛は不滅ですから」
ヒイロさんは私を見つめたまま黙る。
「な、なんですか?」
「てかさ、今、現在、結婚している夫婦の中で、高校の時に知り合いましたって、そんな話、あまりきかないでしょ?」
確かに…………
「つまりね、高校のときにそういうことがあったとしても、結局、別れたってことじゃないの?」
理屈から言えばその通りだ。
「もちろん、あなた達に別れろ、って言ってるわけじゃないの。でもね、どんなに幸せだったとしても、落ち込んだりしても、勉強する時間を決めておいて、それを必ず守るようにしなさいって、私は言いたいだけ」
意外にまともな指導だな、と思った。従うかどうかは別にして。
「いちお、毎日、家でも二、三時間はしてはいますが」
ヒイロさんはまたパッドを見る。
「よく、その程度の勉強時間で、この成績が出せるわね」
「要領は良い方なんで」
要領良いのは勉強だけだけど。
「私、別に褒めてないからね」
「あ、はぁ」
「夜八時から十二時でも、四時間じゃないの。四時間はしなさいよ」
するつもりはないけど、勢いに押されて「あぁ、はぁ」と答えた。
「彼氏とデートしても、キスしても、抱かれたとしても、ケンカしたとしても、別れたとしても、毎日、四時間、勉強しなさい」
ヒイロさんの言ったどのケースでも、私、勉強なんて手がつかなくなると思う。
「毎日ですか? ええぇ、む、無理じゃないですか?」
「だから、八時に帰ればいいのよ、八時に。家にいればいいの」
夜の八時? デートってそういうものじゃないんじゃ………… よくわからないが、「早くないですか?」ときいた。
「早くない。昔は四当五落って言ってね、眠るのを四時間にすると合格して、五時間にすると落ちるって言われていたのよ。もちろん、そこまでやれとは言わないけど、毎日四時間くらいは勉強しないと、良い点は取れないって」
「はぁ」としか言いようがない。
ヒイロさんは「でだ」と言い、机の上のスマホを手に取る。何度か操作して、画面を私に見せる。
「このアプリ、知ってる?」
地図の上に、なにやら線のようなものがたくさん引いてある。
「いえ」
よく見ると、この辺りの地図だ。
「自分が移動した場所を記憶するアプリ」
確かに駅からこの塾までの道のりが、線で引かれている。ヒイロさんが歩いた軌跡が、線となっている。
「友達とかでグループを作ると、共有できるの」
正直言って、何が楽しいのだろう、と思ったが、「はぁ」と相槌をうった。
「あなたも、これ、インストールして」
「え?」
「私とID、交換しなさい」
「え?」
「二人のグループ、作ってあげるから」
「グループ?」
「そしたら、私、監視できるじゃないの」
「監視?」
「あなたが移動情報を公開すれば、あなたがいつ、どこにいるのか、私、わかるでしょ」
なんとなくだが、アプリの仕様と、ヒイロさんがやりたいことがわかったが…………
「いやいやいや、それは無理ですよ。住所とかわかっちゃうし。私、一人暮らしだし」
「私があなたの家に行くわけないでしょ。そんなヒマじゃないし。仮によ、私があなたを襲おうとしたって、取っ組み合いのケンカになれば、私、こんなナリなんだから、あなたの方が勝ちそうじゃないの。私はね、あなたがちゃんと夜の八時に家にいるか、それを監視したいの」
私が言葉を失っていると、ヒイロさんは「わかった」と言う。
「私も公開する。これなら平等でしょ?」
私は言いくるめられたくないので、「そ、そんな平等、いりませんっ」と強く言った。
ヒイロさんは私に手を向ける。
「さ、スマホ出しなさい」
「いや、それはダメです」
「私はね、あなたのためを思って言ってるの」
「てか、こんなことしてて、塾の偉い人にバレたら怒られますよ? このご時勢」
「友達になって、ID交換したってことにすればいいじゃないの。別に塾生全員にこんなこと言ってるわけじゃないし」
ヒイロさんの細い指が私を指す。
「あやしい子だけ」
あやしいって………… ユウジ君とつきあってるから? そんで別れるって?
「あやしくありませんっ」
私は席を立って、「ご指導、ありがとうございました」と一礼し、早足で逃げた。
その週の日曜、うちの塾では模試が行われた。特にセンターを受ける塾生は、二年でも朝から夜までテスト漬けだ。私はというと、理科は三年から勉強しようと思っているので、今回はパス。だから夕方まで。塾生はただで受けれるので、私大志望でもできるだけ受けるように言われている。ユウジ君も数学と英語は受ける。私は夕方の五時過ぎまでかかるので、ユウジ君にはちょっと待ってもらって、二人で映画を見ることにした。
理科のテストがはじめる前に、私は筆記用具をバッグに入れて、教室を出た。
チューターさん達がテストの監視員をやっていたが、
「…………いない」
ヒイロさんの姿はなく、正直ホッとした。『理科も受けなさい』と言われそう。
「ふぅ」
かなり疲れているが、喜びはそれをはるかに上回り、私の体をユウジ君の元へと進ませる。なんと言っても今日は『デート』ですからね。付き合う前も、後も、私達が語らうのは塾のあとの短い時間だけ。もちろん、それを『デート』とは呼べない。しかし、今日のは明らかに『デート』だ。明らかに。映画見に行くんだから。『初デート』ってやつでしょ。きっと何年かたって、結婚記念日とかに二人でケーキを食べながら、『初デート、なんの映画見たか覚えている?』とか、そんな質問を私はするだろう。多分ユウジ君、忘れてるだろうなぁ。そんなユウジ君も好き。あはははっ 忘れないうちに『ユウジ君と私の未来予言書』に書いておこう。信号待ちのときにスラッと書いた。
待ち合わせしているカフェへと、私は急いだ。早歩きしながら、ユウジ君に『今、終わったよ』とメッセージを送った。すると『おつかれ』とすぐに返事がきた。
『開演まで時間あるから、先に食べるか』
『うんうん』
『何にする?』
返事しようと思ったけど、早歩きなら一分くらいでつくだろう。私は急いだ。競歩の選手のように。カフェに入ると、すぐにユウジ君の背中を見つけた。窓側に向いているので、私には気づいていない。後ろから抱き着いちゃおうかなって思ったけど、ちょっと勇気がなかった。だから、そぉっと、近づいてユウジ君の耳元で、
「ハンバーガーの気分かな」とささやいた。ユウジ君の体がピクッとふるえた。
「おっ おぉぉぉ………… 早いな」
どこで食べるかを、ユウジ君に決めてもらうと、私に気を遣う。だから今日は私が決めた。そうなると私が気を遣うことになるかもしれないが、気を遣われるより、遣う方がマシだ。すると、ユウジ君は大きな手で私の頭をなでる。
「じゃ、次はオレが決めるからな」
ユウジ君って、私が言葉にしなてくても、考えていることがわかるみたい。
カフェからファストフードへ向かうのは、何か変かな、と移動している時に思った。そのままカフェで軽く食べた方が良かったかも。ユウジ君は歩きながらスマホをいじる。
「今、ナゲットが安いって。何の肉だかわかったもんじゃないけど、たまに食うと美味いよな」
何気ない言葉なんだけど、やはりユウジ君は私のモノローグ(心の声)に耳を傾けているのではないかと思う。
二階席で食べることにした。二人でいるところを塾生に見られたら恥ずかしいと、私が思っていたら、ユウジ君が「二階にしよう」と言ってくれた。そして端の席に座った。
そんなユウジ君が目の前にいるからかもしれないが、
「もうっ あのヒイロさんってチューター、なんなのかな」
席につくなり、私はグチった。ユウジ君はナゲットを小さいテーブルの真ん中に置いて、「食べたいなら、食べて」と言う。「あぁ、うん」 一個もらった。
「なんか言われたの?」
なんか会話って、人間のデキを良さを試されているように感じる。ユウジ君は童貞の男子とかじゃないから、大人なのは当たり前だけど………… 私との差を感じる。ああでも、自分で言うのもあれだけど、お嬢様で、真面目で、勉強しか取り柄がなくて、バリ処女な私が『大人』であるはずもないのだから、対等の関係など目指しても無駄だ。私は素直に甘えてもいいだろうと思い、やはり、グチることにした。
「毎日、四時間勉強しろ、とか言うじゃん、あの人」
「あぁ、前からあんなんだね。カナちゃんは塾、高二からでしょ。オレは一年からだから」
「なんであんなにマジメなのかな。他のチューターさん、あんなんじゃないじゃん」
「まぁ、そうだね。他のチューターさんはこっちから何か話しかけないかぎりは、あまり声をかけて来ないよな。半年に一回くらいアンケートっていうか、個別に塾生の意見をきくってのがあるんだけど、ヒイロさん以外のチューターさんで話したのは、その二回だけ」
「ヒイロさんとはよく話すの?」
「そんな、よく、って程じゃないよ。何回か」
「ユウジ君が志望の学部、変えたから?」
ユウジ君は一瞬息をのむような、そんな表情を見せた。きいちゃいけないことだったのかなと、思ったけど、
「そうなの…かな」と、大人びた声が聞こえた。
「でも、模試で数学の点数よかったから、まぁ、チューターがいくら仕事熱心だとしても、文句言われる筋合いはないな。ヒイロさんに、点は悪くないでしょ、って言ったら、パッドで確認して、チッって舌打ちしてた」
ユウジ君は「はは」と軽く笑う。
「私、そもそも塾に行くまで、チューターなんてものの存在を知らなかったから、正直、必要? って思ったけど。そもそもチューターって言ったって、ただのバイトでしょ?」
「まぁね。時給はそんな良くないって他のチューターさんが言ってたな。ただ、夕方から九時半までだから、時間が長い分だけ家庭教師よりは良いとか、言ってた」
塾生って言ったって、私らお客様なんだから、チューターなんぞはニコニコしるだけでいいんだよ、って心の中では思ったけど、さすがにユウジ君には言えない。
「ヒイロさんって、あんな偉そうにしてるから、良い大学行ってるの?」
「高校の頃、センターとかほぼ満点だったらしいからね。うちの塾の特待生だったって。授業料全額免除の」
「え? そんなに?」
「東大の文一で法学部志望だからね。超頭いいんだろうね」
「へぇ。言うだけのことはあるんだね」
「夏期講習で数学の先生がバイクで事故ったときに、その代わりに講師してたからな」
「え? 法学部って法律とか憲法の、だよね?」
「うん。まぁ、うちの塾は私大の中堅くらいの志望者が多いから。そのくらいのレベルだったら、数学も教えられるんだろうな」
言うだけのことはある。そういった彼女のプロフィールがあの自信に繋がっているのだろう。そう思うと、余計に腹が立つ。
「だとしてもね、塾生を変なアプリで監視しようって、人間として、ちょっとアレよね。勉強しずぎると、ああなるのよ、人間って」
ユウジ君は「ふっ」と笑って、「そうとう怒ってるな」と言った。あんまりグチッてると性格悪く見られるかな。
「だ、だって、しつこく言われたし」
「まぁ、女のチューターだからできるんだよなぁ、男だったら完全にアウトだ」
「まぁ、そうね」
確かに、ヒイロさん自身も『取っ組み合いのケンカになれば、私、こんなナリなんだから、あなたの方が勝ちそうじゃないの』と言っていた。自分のという人間を客観的に見ることができているから、アプリで監視するというイカれた手法を平然と口にできるのだろう。
「でもさ、あの人が女だからって、塾生がさ、『ヒイロさんの言う通りです。私を監視してください、はい、ID交換』って、そんな人、いないでしょ」
私は当然のことを言ったつもりだが、ユウジ君の表情が消える。だから、私は「え?」と疑問の声をもらした。
「え? えっと………… カナちゃん、ID、交換しなかったの?」
「するワケないじゃん」
ユウジ君はスゥっと大きく息を吸って、「そぉっかぁ」と、ため息まじりに言う。
「断ればいいのか」
「え? ユウジ君、まさか今も監視されてるってこと?」
「あ、はい。監視されてます」
私はあきれて「ふふふ」と笑ってしまったが、冷静に考え、言葉にした。
「今すぐ、あのアプリ、削除してちゃっていいかと」
「そんなことしたら、絶対怒られるって」
「塾なんてものは、こっちがお金払ってるのに、なんで塾のチューターに怒られなくっちゃならないのよ。プライバシーの侵害だって、言えば、何も言い返せないでしょ」
「でもなぁ。あの人、怒ると面倒そうだし」
結局、ユウジ君はアプリを削除しなかった。ユウジ君がどこにいるのか、ヒイロさんが今も監視してる。そう思うと、ちょっと怖い。
「あっ そだ」
私は『ユウジ君と私の未来予言書』を取り出し、『ユウジ君とファストフード』に丸をつけた。スマホを見て、日時を記録した。
「あっ それっ」
ユウジ君はノートを見ている。私はすぐ閉じた。
「それ、持ち歩くなよな」
「え?」
「未来予言書」
あれ? 今、ノートの表紙の文字、ユウジ君って読めたのかな?
「動体視力、すごくない? 野球選手になった方がいいかも」
「また進路希望を変えるのか? また怒られる」
ユウジ君はナゲットを食べながら、ストローで私のノートを指す。
「てかさ、未来予言書って、昔、流行った心理ゲームみたいなやつだよな」
「うん」
「そんな書くもんじゃないだろ。どんだけ厚いんだよ、そのノート」
「ユウジ君としたいこと、いっぱいあるんだから、仕方ないじゃん」
「本当にしたくて、実現できるものだけを選んで、オレに言えばいいだろ。そこに書くんじゃなくて」
私は首を大きく横に振った。
「作為的になったら意味ないの。演劇の台本ではないので」
ユウジ君は「はぁ」とため息をつく。今度は、ひかれたカエルでも見るような目つきで、私のノートを見ている。
「それ、結果として現実になるものと、ならないものがあるだろ? ならなかったら、どうすんだよ?」
「そりゃ、ハズレることもあるでしょ」
「なんだ、その辺は冷静なんだな」
「だって、二つの予言が矛盾している場合があるから」
「矛盾?」
「私とユウジ君、どっちが先に亡くなるかって」
ユウジ君は額に手をあてる。
「大丈夫だって。ちゃんと両方のパターンが書いてあるから。安心して」
「理屈から言って、カナちゃんが先に死ぬパターンは書く必要ねぇだろ」
「なんで?」
「だって、オレ、そのノート見てないんだから」
確かにその通りだ。今までそんな矛盾に一度も気づかなかった。でも、なんだか悔しいので「書きたいから書いてるだけ」と言い返した。
「それにさ、気が早いんだよ。何十年後の話なんだよ」
「そういうは言うけどね、本気で人を愛したら、何十年も先のこと考えるものなの」
「オレは考えてないぞ。考えても、どうせ当たらないし」
予言は当てるのではない。実行するのだ。この辺のことをユウジ君は理解していない。モグモグとハンバーガーを食べている。
「ユウジ君の愛、私の愛と比べれると、ちょっと形がしっかりとしてないのかなって思うな」
ユウジ君は頬張りながら「そ、そんなことねぇって」と言う。
「じゃ、私と何才で結婚するつもでいる?」
のどにつまったのかゲホゲホして、ドリンクで流す。
「だからなんだよ、その質問。気が早いって」
「早くないっ」
私にはハッキリと、二人が結婚する姿が見えている。
「だってさ、カナちゃんだって、オレのことまだ良く知らないだろ?」
「知らない?」
「イライラしたときに、ふと、嫌な部分がでるとか」
「まぁ、あるんじゃないかな、そういうの、人間だから。え? でも、ユウジ君にぶたれたら………………」
なんか想像してたら、体が温かくなっちゃうかも。とりあえず未来予言書に書いておこう。
「書くなよっ オレはそんなことはしない。そうじゃなくて、例えば変な性癖とかあって、カナちゃんのこと縛りたい、とか言い出したらどうすんだって話」
「縛る? うーん、よくわからないけど、したいなら、別にどうぞ。私は、じっとしてればいいだけでしょ」
「じゃ、逆に、縛ってくれとか言われたら?」
「あっ それは引くなぁ、さすがに」
「ほら、あるじゃん。オレのこと全て知ったわけでもないのに、結婚のこととか考えるの、気が早すぎるって。付き合っていって、互いのことを知ってから決めることだろ? オレがドMの変態で、カナちゃんに縛ってくれ、って言ったら、オレたち続かないわけだから」
「引くって言っただけで、別れるとは言ってないじゃん」
「それは一つの例で言ってるんであって、人間色々あるだろ、ってこと。カナちゃんの旦那様としてふさわしいか、オレだって自信ないのに」
「私、自信あるよ」
ユウジ君、納得していない。そんな顔している。でも、それも未来予言書のとおり。私の想いがユウジ君に伝わるのは、まだ少しだけ時間がかかりそう。
「あっ そだ。一応、言っておいた方がいいかなって、ことがってあって」
「なんだよ? てか、予言書の話になってから、会話のキャッチボールあんま成り立ってねぇからな」
「気持ちが通じていれば、会話なんておかしくなってもいいの」
ユウジ君はあきれて、「そうかい」と言う。
「なんかネットで恋愛系のブロブ読んだんだけど」
「話の入り方、そもそもあやしいだろ」
「男の人にリードされて、なずがままでいると、なんていうか、いっぺんに性的な経験をしてしまうって」
「いっぺんに?」
ユウジ君は過去を思い出したのか、「はぁ、まぁ」と相槌を打つ。
「少女漫画で例えるなら100ページあたりでキスとか、抱かれるとか、壁ドンとか………… まぐあい、とか」
「まぐあい?」
ユウジ君は「ふっ」と笑い、バカにする。
「少女漫画の100ページあたりで、そういうの全部済みました、って、そんてことはありえないでしょ?」
「言ってることはわかるが、それは現実と理想の違いってやつじゃ…………」
私はユウジ君に手の平を向けて、「その考えがダメなの」と言ってやった。
「なんで、理想が現実にならないかというとね、女の子が男の子に、私の理想は、こうこうこうで、こうなんです、って言ってないから、男の子が理想とは真逆の、性的な方向へつっぱしってしまうんじゃないかな」
「はぁ」
「で、少女漫画でいうのなら100ページあたりで、セックスしちゃうんでしょ?」
「言葉、オブラートにつつむの忘れてるからな」
「マンガってね、ヘタに人気でちゃうと、7巻くらいでやっと、キス、とか、そんなんだからね」
ユウジ君はアゴなでる。
「それは、まぁ、あるのかなぁ」
ユウジ君だって、ユイと付き合ってたんだから、思い返せば『オレもそうだったなぁ』と後悔している部分もあるはず。
「なので、段階をふんで欲しいの」
「はぁ」
「あと、一言でいいので、私の記憶に残るようなロマンティックな言葉をそえて」
私は未来予言書を前に突き出した。
「そしたら、私、これに書くから」
「ふざけんな。ロマンティックな言葉ってそもそも難しいし、うまくいったらいったで、それに記録されて恥ずかしいし、上手くいかなかったらリテイクくらうのか? ハズレしかない罰ゲーム付きの二択になってるからな」
「リテイクなんてしないよ、さすがに」
「あぁ、そこは常識があるのな」
「失敗したらしたで、可愛いじゃん」
「あのな、男をな、可愛いとか、そんな目で見んな」
可愛いと思うんだから、しょうがないじゃないの。
「カナちゃんさぁ、色々言うけど、逆も成り立つ、って思っていいんだよな?」
「逆?」
「カナちゃんも同じことやるって思っていいんだよな?」
「え? だって、私は受け身だから。待ってるだけ」
ユウジ君は威圧的に「はぁ?」と言う。
「だから、さっきも言ったけど、私が作為的に未来予言書の内容を実行しちゃうと、そもそもそれが『予言』だったのか? って話になっちゃうでしょ」
「何が悪いのか、わからんが?」
「わかった。じゃユウジ君にもわかるようにハッキリ言うね」
私はスゥと一度深く呼吸してから、胸に手をあてて言ってやった。
「恋愛っていうのはね、受け身の方が気持ちいいの」
「………………」
「わかってくれた?」
ユウジ君が納得したどうかは別にして、私の『理想』をわかってもらわないと困る。私は『未来予言書』をチラチラと見ながら、説明した。
「さっきも言ったけど、段階が重要だからね。まずは、軽いキス、ファーストキスね。そんで、日を変えて、ここ重要だからね、日を変えて、二回目のキス、それも軽く。その次あたりで、ちょっと深く」
「深くって、舌入れるってこと?」
「そういう下品な言い方するからさ、男の子って段階をふめないんじゃないのかな」
ユウジ君、ポテトをモグモグしている。
「で、人の目をしのんで何回かそういうのがあって、ある日、上半身だけ私が脱がされて、ちょっと触られるやつ」
ユウジ君は飲み込むと、私に質問する。
「なんだよ、触られるやつって。てか、その日、そこで終わるの?」
「うん。段階を、って言ってるでしょ」
「別にカナちゃんが嫌がるわけじゃないんでしょ。今、自分でやってくれって言ってるんだから」
私はウンウンと大きくうなずく。
「だけど、そこでオレはやめるの? そんなの、あるのかなぁ、実際」
「ユウジ君の家でなんだけど、妹さんが帰ってきちゃうとか」
「この茶番に妹を付き合わせるのか?」
とにかく私の理想を話しておきたいので、理系男子の細かいツッコミは無視する。
「で、その次あたりに、私、下着だけは履いてるけど、ああ、それ、私だけね。ユウジ君は全部ぬじゃっていいから」
「はぁ」
「もうほとんど、しちゃってる感じなんだけど」
「はぁ」
「その、なんていうか、胸のポッチ? に唇がぁ…………」
「胸のポッチ? 乳首のこと言ってるのか? なんだよ、それ、スナック通いのおっさんみたいな語彙。言葉、オブラートに包むの下手クソだな」
「あぁ、もう私、モジモジしちゃうだろうなぁ」
今もモジモジしてるが。
「段階ってさ、簡単に言うとオレはそれ以上しない、ってことだろ? てか、その状況までいって、やっぱその日はしない、わけだろ? じゃ、なんでオレはしないの?」
理由? 私は思いつかなくて、答えられない。
「あのさぁ、理由はそっちで考えてもらわないと。『妹がぁ』とか、そういう以外で、たのむよ。そうじゃないと、こっちが困るから」
「私が、途中で怖くなって、それをユウジ君が察して、とか、そういうの」
「実際、そうはならねぇから」
確かにそうかも。子供の時のはじめて注射されるくらいの怖さはあるかもしれないが、求めている期待の大きさと比べれば、余裕で無視できる。
「ま、別に理由なんかなくてもいいよ。はいっ 今日はここまで、ってノリで」
「なんだよそれ、ロマンスの欠片もねぇなぁ」
「とにかく、段階をふんでください。よろしくお願いします。ロマンティックな言葉も添えてください。よろしくお願いします」
私は深々と頭を下げた。
「カナちゃんも協力してくれよ。そしたら、その、面倒臭い段階、一つ進められるから」
やはりユウジは、『未来予言書』が気になるようにで、ジロッと見る。
「てかさ、やっぱり、そのノートの存在、オレには隠しておいた方がいいんじゃないのか? その存在を知っただけでも、作為的になるかもしれねぇだろ」
まぁ、それはそうなんだけど。
「しょうがないでしょ。本当は机の鍵のかかる引き出しに入れて、デスノートと同じ罠を仕組んでおいたんだけど」
「ガソリンに火がつくやつ? あぶねぇな」
「最近、更新が早いんで、もう持ち出すしかないって」
「なんだよ、更新って?」
私はノートの『ユウジ君とファストフード』のところだけを見せて、さっき書いた丸と日時を見せた。
「予言が叶ったら、丸と日時を書かないといけないの」
「なんで?」
「なんでも」
論理的思考の持ち主と、非論理的な奴が会話すれば、だいたい非論理的な奴が勝つのだ。
「それに、予言って増えるからなぁ 丸つけた以上に増えちゃうんだよな、これが。ふふふっ そろそろまたノートを付け足さないと」
「カナちゃんが楽しいなら、それでいいけどさ。絶対それ、二度と落すなよ。オレが恥ずかしいから」
「二度と?」
「えぇっと………… とにかく落とすなってことだ」
私はコクコクとうなずいた。実は一度落とした。塾の友達、シノブちゃんが拾ってくれたので助かったけど。
「ちょっと早いけど、行くか」
店を出る。太陽は沈みかけて、街の電灯がキラキラと輝きはじめる。私は男の子と二人で、その中をぬけていく。少し悪いことをしているような、少しドキドキするような、そんなふうに思うのは、きっと私が子供だからだろう。大人になっていくというのは、これ程の幸せが連続していくということなのだろうか。ユウジ君も私の十分の一くらいの幸せを感じているのだろうか。それが解からなくて、少し怖い。
映画館の入り口をぬけると、光が弱まる。ドリンクを買って、中に入ると、さらに暗くなる。ぼんやりとした青い光を頼りに、私たちは席へと向かう。
外のポスターを見た感じ、「ラブストーリーなの?」と私はきいた。どの映画を見るか、ユウジ君に決めてもらった。私を待っている間に。
「あぁ、恋愛の勉強もしなくちゃな」
「ふっ なにそれ」
漫画やドラマのシチュエーションだと、薄暗い中、手をつなぐ、なんてあるけど、そんなベタなことは現実にはならない。例え一方が強く望んでいたとしても。未来予言書のその項目には、なかなか丸がつかない。
二人で歩く時もそうだ。私は、『愛し合う二人は常に手を繋ぐ』と思っていたが、現実は違った。考えてみれば当たり前だ。男女二人で歩いていたって、手をつないでいる男女をあまり見かけない。
別にユウジ君が特別変というわけではない。それはわかっている。でも、一度も手を繋がないで、キス、なんてこともあるんじゃないかな………… たぶん、大人になって今を振り返れば、良い思い出も、少しロマンスにかける思い出であっても、思い出は思い出でしかないだろう。未来予言書に一つ一つ丸をつけるのなんて、意味がなくて、おおよそ夢が叶ったのなら、あんなもの捨ててしまうかもしれない。 でも…………
私は今、生きている。少女漫画のヒロインになりたいんだ。
そんなこと考えながらも、チラチラとユウジ君の横顔を見た。だけど三十分もすると私は映画にのめり込んでいて、しっかりと見ていた。実際にアメリカで起こった事件をモデルにしているらしいが、結局はまぁ、恋愛の話になり、二人の愛が悪を倒していく。ベタな話だが、だからこそ
「………………うっ ……ううっ」
私はハンカチで涙をふいていて、恥ずかしい話、鼻水もかなり出ていた。ハリウッド映画、おそるべし。それでも、たまにチラッとユウジ君の顔を見た。熱心に見ているが、いつもとあまり変わらない。一度、私の方を見て、軽く「フッ」と笑った。私、かなり泣いていたからね。ぶさいくな顔を見られた。私がムスッとすると、笑いをこらえながら、耳元で「ごめん」と謝った。
映画が終わり、どっかの店に入るのもなんだし、広場のベンチに座った。缶ジュースを飲みながら話す。高校生らしいなぁと思い、なんだか楽しい。
「オレ、映画、ありきたりなストーリーだなぁって思って見てて、選んだの失敗したかなって、カナちゃんに悪いことしたかなって思ったんだけど、ふふっ、あんなに泣いてたんで、まぁ、良かったなって」
「もうっ バカにしてるでしょ」
「まぁ、良かったなぁって話だ」
ユウジ君は笑顔を見せていたが、
ブーン ブーン
スマホが震え、画面を見ると、その表情がくもる。
「やっぱメッセ来たか」
「もしかして、ヒイロさんから?」
「うん」と言って、私に画面を見せてくれた。
『映画ですか、ふーん、楽しかった?』
時刻は、もう八時半になっていた。
「今日、模試だったの、あの人も知ってるはずなんだけどなぁ」
ユウジ君は声に出しながら、返事を打ち込んだ。
「模試をやっていた時間って、勉強した時間に含めていいんですよね。帰ったら、わからなかったところ確認するので、合わせれば四時間になると思います」
するとすぐに返事がきた。
『楽しかった?ってきいただけなんだけど』
どんどんメッセージがやってくる。打ち込むのが早い。
『言い訳っていうのは、うしろめたいからするものなの』
『成功した者と凡人の違いって何かわかる?』
ユウジ君は「しらんよ」と画面に向かってつぶやく。ヒイロさんの打ち込みが早すぎて、ユウジ君は返信するのをあきらめた。
『成功した者はね、言い訳をしないの』
ユウジ君は「そんなことねぇだろ」と苦笑する。
『言い訳ってのは、心の逃げ場、みたいなもので、人間っていう生き物はね、弱いから、自分の意思を逃げ場に放り込むのよ』
「この人、ホント、打ち込むの早いな」
『どうせ、デートしてるんでしょ』
「はい」
『あの、お人形さんみたいな子と』
今度は私が「人の事、言えたもんじゃないでしょ」と、スマホの画面につっこんだ。
『勉強よりも愛をとる、って言うならね、真剣に考えてみなさい、じゃ、あの子と結婚したとして、あの子をできるだけ幸せにしたいって思うのならね、少しでもいい大学いっておいた方がいいんじゃないの?』
確かに、そういう考え方もあるかもしれない。二人のツッコミがとまる。
「てかさ」
私には気になることがあった。
「ヒイロさんって、今日、休みだったよね。ヒイロさんだって、彼氏とデートとかしてるんじゃないの?」
「あ、そっか。あの人のID、こっちでも確認できるんだよな」
ユウジ君はあのあやしいアプリを立ち上げて、ヒイロさんの顔をクリックした。
「なっ」
ヒイロさんの移動とともに線が引かれていると思うのだが、その線が一か所に集中していて、大きな点のように見える。簡単に言うと、ヒイロさんは今日一日、自分の家からは一歩も出ていない。スマホを持たずに、コンビニくらいは行ったかもしれないが…………
私は思わず「こんな大学生っているの?」とつぶいた。
『十時には帰りなさい』
ユウジ君が『はい』と返事すると、それ以上メッセージは来なくなった。
「十時か」
十時に戻るとなると、ユウジ君の家だとここを40分くらい前には出なくてはならない。ここにいられるのはあと30分くらいか。
「ヒイロさんが言ってたんだけど」
「ん?」
「美大、受けようとしてたって話」
「え? またその話?」
「しちゃダメ?」
ユウジ君、あからさまに嫌そうな顔をしたが、口では「別にいいけど」と言う。じゃ、きいちゃおうかな。
「ユウジ君って理系男子って感じだから、部活、美術部ってきいて、そういう面もあるんだなって、思ったんだけど、美大を目指してたって、そんな真剣だったんだなって」
ユウジ君は「そういう面もあるんだよ」と答えた。
「どんな絵、描くの?」
「え? 今はもうそんな、真面目には描いてないよ」
「美術部、まだやってるんでしょ」
「ん? まぁ、遊びで」
『遊びで』って言葉が私にとって意外だった。逆の言い方をすれば、高一の時は『本気』だったってことだ。
「ききづらいこと、なのかもしれないけど………… きいていい?」
「ききづらいってことは、オレにとって答えづらいことなんだろ?」
まぁ、そうなんでしょうね。私はうなずいた。
「嫌だよ」
まさか断るとは思わなかった。心の壁なんてものは、おそらく、私たち二人の間には必要ない。そう思っているのは私だけなのかな。
「彼氏と彼女って、なんでも隠し事なく伝え合うもの、って、私、思うんだけど」
私は当然のことを言ったつもりなのだが、ユウジ君は「そんなことないだろ」と否定する。
「そんなことなくないよ。じゃ、結婚した夫婦とかさ、隠し事をしたまま結婚したってことになっちゃうじゃないの」
「夫婦だって隠し事、なくはないだろ。知らんけど」
「それって、うしろめたいって思わないの? そんな気持ちのまま、愛し合い続けられるのかな」
「だいたい人間なんて、少しずつ成長してくんだからさ、若い時にバカなことやっちゃってたら、付き合う女が変わるたびにそのことを懺悔しなくちゃいけないって、何の罰ゲームかって話」
「懺悔って、そういうんじゃなくて、私は、ただ単に全てを知りたいって思うだけ」
「『全て』ってさぁ…………… 簡単に言ってくれるよな。オレは男だからさ、ふとした時に、こんなことやっちゃってたとか、カナちゃんに知られちゃっても、まぁ、男なんてものはそういうもんだろ、って、開き直れる。でもさ、カナちゃんが、オレに一番隠しておきたいこととかって、そんなことオレに知られたら、恥ずかして死んじゃうって、そのレベルの話ってあるだろ?」
ユウジ君の言う通りだ。確かにある。私はユウジ君の瞳をジロッと見つめた。
「な、なんだよ?」
「もし私が、ユウジ君に知られたくない一番恥ずかしい話を、今ここでしたら、半分くらはユウジ君も心を開いてくれる?」
「ちょっと待て。心は開いてはいるんだよ。でも、自分のことを全てカナちゃんに話すってこととは違うって。例えばさ、うちの家のこととか、そんな下らない話、カナちゃんに聞かせたくもないし。オレの親、離婚してるからさ」
「私が聞きたいって思っていたとしても?」
「下らない話ってのはね、誰が聞いても下らないんだよ。そもそも時間の無駄だし、オレが話したくもないし」
ああ言えば、こう言う。なかなか私のいう事を受け入れてくれない。
「わかった」
私はスゥと大きく呼吸して、覚悟を決めた。
「ユウジ君はいいよ。話したくないことがあったら、それでも。でもね、私は『全て』をユウジ君に伝える。その私の姿を見て、ユウジ君は私に隠し事ができるのか、決めて」
「さっきから、カナちゃん、変なこと言ってるなって思ってるんだけど。『全て』ってなんだよ?」
「『全て』は『全て』よ」
ユウジ君は呆れて「トートロジーですか」と言う。
「じゃね、私がユウジ君にきかられて、一番恥ずかしい話、今からするから」
「おいおい、聞くのはいいけど…………… 大丈夫なのか?」
「聞いて」
「はぁ」
「高校に入る前くらいからかな。なんていうか、男の子もするでしょ? 自分で自分を慰める行為」
「え? そんな話なの?」
この出だしからして、私の顔を赤くするのに十分だった。
「ずっとユウジ君のことを想って………… していたの」
「えっ ええ? 中三の時からって言ってるの?」
私はうなずく。
「ユウジ君とユイの、二人の相談にのった後にも、そういうことを…………… 特にユウジ君との通話が終わると、そういうことしてて…………… 心と体は別なんだって思い込むことで、表面上では、ユウジ君やユイの良い友達でいたいって思っていて、でも、ベッドの上では、嫉妬に悶えながら、そういった熱を冷ましていたの」
ユウジ君の気持ちはわかる。この女、アホなんじゃないかと。それでも私は自分の事を話さなくてはならない。
「ネットとかで調べたけど、女の子は毎日はしないって、そういうものらしいんだけど、私は女の子の日とか、カゼひいた日とかを除けば、毎日している。で、いつも、ユウジ君のことを想って、してるの。勉強とかしててイライラした日も、ユイからのろけ話を聞かされた日も、ユウジ君とユイが喧嘩をした日も、親に小言を言われた日も。何もない日も…………」
「ちょっ ちょ」
「ユウジ君の声を録音して、私の都合がいいように編集して、再生しながら、ヘッドフォンで聞いて」
「お、おい」
「電池で震えるやつとか通販で三つ買って、医療用のテープで感じるところに固定して」
「ちょ、ちょっと待て」
ユウジ君は私の肩をつかんだ。私は恥ずかしさの限界をはるかに超えて、目からダラダラと涙がでる程だった。でも、なぜか妙に嬉しくて、胸のあたりや、下腹のあたりが、ズキズキと感じて、頭も少しクラクラしている程に妙な快感を得ていた。グズッと鼻をすする。
「そのレベルの話をオレにもしろって言ってるのか?」
「うっ さっき言ったじゃん。グズッ 別にユウジ君はしなてくても。ううっ」
「じゃ、きき方を変える。もしオレが話してもいいって言うなら、カナちゃんは聞きたいのか?」
私は大きくうなづいた。
「いやいや、それは男ってものをわかってないだろ。オレが『変な』AVとか持ってきて、この女優好きなんだよねぇ、とか、この体位が好きなんだよねぇ、とかさ、男の場合、そういう話になるからな」
「グズッ …………すごく興味あるけど?」
「あったとしても、そんな話をする恋人はいない。やっぱ、どっかで話しちゃいけない境界線ってものがあるんだよ。男女ってのは。女の子だってさ、カナちゃんが今言ったこと以上に、とんでもないことやってるのは、おおよそ男だってわかってるんだけどさ、その辺はプライベートの中核にあるっていうか………… とにかく、今、カナちゃんが言ったこととか、そんな話を彼氏にする女はいない」
「グズッ でもね、私は一番恥ずかしい話、グズッ したからね」
「なんだよ、その脅し。顔真っ赤にしてさ」
ユウジ君は私の頭をワシワシとなでた。
「とりあえず、聞きたいことがあれば聞けよ。答えるとは限らないけど」
羞恥心と引き換えに、大きなものを得られた。
数分たって私の気持ちも少し落ち着いた。ユウジ君の心に迫った。
「美大の話、やめたのって、家のこともあるから?」
「家?」
「理系の方が就職がいいから、とか」
「まぁ、それもあるけど。美大って他の学部と比べると、浪人する割合も高くなるから。二浪、三浪って普通にいるから。予備校のお金もかかるし。実技の」
「実技?」
「デッサン」
やっぱりお金のことなのか。
「絵描くの、好きなのに、やめたちゃったってこと?」
「いやぁ、どうなのかな。本当に好きだったら、進路とは関係なく今でも真剣に描いてただろうし。まぁ、なんとなくだよ。なんとなく」
なんとなく………… 本当なのかな。
ユウジ君のこと、もっと知りたいけど、私の質問に答えるたびに、なんか、ユウジ君の顔、寂しそうな、悲しそうな、そんなふうに見えたから、やっぱ聞かない方が良かったのかなって…………
二人の言葉がとまると、街の喧噪だけが聞こえる。車の音、はしゃぐ大学生、電車の音も遠くから聞こえる。それらはまじりあって、私達の耳にとどく。ユウジ君も同じ音を聞いている。私たちが今、この街にいて、二人だけの時間、記憶を紡いでいく。
「私、よくこの辺くるけど、ユウジ君の隣で見ていると…………」
私は頭をユウジ君の肩に寄せた。
「この何気ない街も、輝いて見える」
「もしそれが本当だったら、眼科に行った方がいい。街は何も変わっていない」
「なんで、そういう事言うの?」
ユウジ君は私にいじわるな事を言って、微笑んでいる。ユウジ君ってこういうところあるよね。
「母親にも言われたよ、似たようなこと、一年前」
ユウジ君は話してくれた。
「オレさ、絵、描くの飽きたから、った答えたんだよ。もちろんそんなのウソだってわかっただろうな。でも、それ以上何もきかなかった」
ユウジ君は空き缶をポイッと投げると、ゴミ箱にスポッと入った。私の口からは「おぅ」と声がもれ、パチパチと拍手した。
ユウジ君は私を見つめて、「なんて答えれば良かったのかな」ときく。私はユウジ君みたいに、お金の心配をしたことがない。だから、想像力を発揮して考えるしかない。ユウジ君のお母さん、どう思っていたのかなって。
「正直に答えればいいって、私は思うけど」
ユウジ君は「ふっ」と苦笑する。
「そんな………… それでやめるなって言われたら…………」
言葉につまった。一瞬だけ涙声に聞こえた。私はユウジ君の横顔を見た。目を閉じていて、つらそうに見えた。わっ わっ わっ どうしよう? やばい、なにこれ、超抱きつきたいんだけど。抱きしめたら、こいつ母性あるじゃんって…………
って思っていたら、ユウジ君、すぐに大人の声に戻った。
「…………決心したのにさ、やめるなって言われても、メンドクサイだろ」
やっぱり、続けたかったんだ。
「オレ、無茶苦茶、才能があるってわけでもないんだ。そういうのは年を重ねるたびにわかる。まじめにやれば、どっかの美大には入る自信はあったけど。画家になれるのかって言われたら………… その自信は…………」
なんて言ったらいいのかな。私、気を許しちゃったら、たぶん号泣する。でも、そんな涙には意味がない。ユウジ君にとって、最も必要な言葉を、彼女である私は、常に探し出して、言葉を声に出さなくてはならない。
「一枚、本気で描いてよ」
「え?」
「私の部屋にかざるから」
「え? マジで言ってるの?」
私は大きくうなずいた。
「さっき私、あんな恥ずかしい話したんだから。それくらいのことしてくれてもいいじゃじゃないのかな」
「オレ、聞きたいって一言も言ってねぇからな。むしろ止めたし」
「だってさ、絵の話とかしてても、ユウジ君がどれくらい実力があるのか、私がわからなかったら、話を聞いててもボンヤリとしちゃうだけでしょ」
「言っちゃ悪いけどさ、カナちゃんが見たって、プロとオレの差なんて、わからないから」
これについては本気でムカッときた。
「何、その言い方。私も言わせてもらうけどね、私、まぁまぁいいとこの家の子なんだから、小さい頃から親に美術展とか、連れていかれたからね。親からウンチクもかなり聞いたんだから」
「ほう」
「私から見て、ユウジ君の絵が良い絵に見えたら、高一の時、きっと悩んでたんだろうなって思うけど。でもね、下手クソだったら聞くに値しない昔話でしかないでしょ」
「なんだよ、それ? その話も、オレが自発的にしたわけじゃねぇからな」
ユウジ君は「ふぅ」と息とつく。
「まぁ、じゃ、描いてやるよ。美術部の部長にも文化祭に出す絵を描けって言われているから。でもさ、油絵って結構時間かかるからな」
「いーじゃん、かかたって」
「美術室で彼女の絵描いてるんですけど、って、かなり恥ずかしいからな。カナちゃんも覚悟しろよ。文化祭の時に、自分の顔の絵が飾られるんだから」
「え? 私の絵じゃないよ、だって、私の部屋に私の絵とかさ、超恥ずかしいじゃん」
ユウジ君はあごをなでて、「確かに……」と言った。
「この街を描いてよ」
「え?」
「さっき言ったでしょ。何気ないこの街も、輝いて見えたって」
「はぁ」
「私の瞳に、どのように映っていたか。想像してみて」
ユウジ君は街を見舞わず。すると、スマホでパシャ、パシャと写真をとりはじめた。私はその姿を見て、ついつい「見たものをサッサッと描けるものじゃないんだ」と言ってしまった。
「テキトーだったら、それでいいんだけど」
パシャ、パシャ
「お前、言っただろ。本気で描けって」
『お前』って呼ばれた。背中にゾクッときた。ユウジ君は気づかずにパシャ、パシャと街の写真をとっていた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます