第4話 信じていたから

 私は小走りで船室から飛び出した。


 今のは……今のは何なんですの!?

 ケントさんに……こ、告白されて──キスをされそうになりましたわよね!? ね!?


 私があまりにも美少女すぎるというのは常日頃から自覚しておりますけれど、まさかこんな唐突にケントさんとの急展開が繰り広げられるだなんて、夢にも思いませんでした。

 ううぅ……これからアルマティアナで何泊かするというのに、この後どんな顔をして彼に会えば良いのかしら……!


 私は熱でも出しているのではないかという程温度の上がった頬を両手で押さえながら、甲板に出る。

 空船の甲板は見晴らしが良く、風がそれなりの強さで吹いていた。

 火照った頬を冷ますには丁度良い。

 ついでに、沸騰している頭をクールダウンさせる時間が欲しかった。


「あ、レティシアだ。何か顔赤いけど、どうかした?」


 まだ他の皆さんは甲板に居たようで、たまたま私を見掛けたルークが声を掛けてきた。


「い、いえ、何も……!」

「ホントかなぁ〜。なーんか怪しいなぁ」


 そう言って、私の顔を覗き込むルークさん。


「荷物置いてきたんでしょ? ケントと一緒に」

「……それが何か?」

「もう、冷たいなぁ。ケントに何かされたんじゃないの? ね、当たってる?」

「別に何もありませんわよ。今は一人になりたいので、これで失礼しますわ」

「何も、ねぇ……」


 何も無いと最後まで押し通し、その場を離れる。

 けれど、妙に察しの良い彼の事だ。ある程度は勘付かれていると思う。

 でも、彼は別に私の事を気にしているようには見えない。何か、私に関係するまた別の事を気にしているような……。


 風に揺れる銀糸の髪を顔にかからないよう押さえながら、船の後方へと回る。

 前方にはミーチャ達が居たから、こちらの方なら落ち着いて過ごせると思ったからだ。

 しかし、そこには先客があった。


「……レティシアか」


 私が声を掛ける前に、ウォルグさんが振り返る。

 流石、気配に敏感な彼だ。

 私は軽く会釈して、眼下に広がる海と果てしない青空を眺めていた彼の隣に並ぶ。

 彼は他人との接触を快く思わないタイプだけれど、距離を縮めた相手には不快感を示さない。それは、この夏までに彼を見てきて実感している。

 私が隣に行くと、彼はさっきまでの無表情を崩して、ほのかに笑った。


「……良い眺めだな」

「ええ、とても素晴らしい景色ですわね。風も心地良いですわ」


 ウォルグさんはらあまり多くを語らない。

 けれど、それが今の私にはありがたかった。

 いつものように何気無い会話をしてくれるだけで、熱に浮かされた心と身体に、よく冷えた水が染み渡るようだった。

 すると、ウォルグさんが口を開く。


「……なあレティシア。お前は……俺をどう思う?」


 急な問い掛けに、私は首を傾げる。


「どう思うか、ですか?」

「ああ。率直な感想を聞かせてほしい」


 何をどう言えば良いのかしら。

 ひとまず、彼の言葉通りに思った事を言ってみる事にした。


「……ウォルグさんはとても頼りになる殿方です。お強いですし、エルフの魔法も素晴らしいと思います。お菓子作りも丁寧で、私には出来ない事を何でもやってしまえるお方ですわ」


 そう言うと、彼は何か考え込むように顎に手をあてる。

 何か失礼な事を言ったつもりは無いけれど、どうしてこんな質問をされているのかさっぱり分からない。


「俺も、お前を頼りにしている。魔法の腕も、その身に宿る上質な魔力も、冷静さも申し分無い。俺の菓子を美味いと言ってくれるし、見ていて飽きない」

「あ、ありがとうございます」


 め、面と向かって褒められると、照れてしまいますわね……。

 嫌ですわ……せっかく火照りが治ってきていたのに、また頬が熱くなってきました。

 私はきっと赤くなっているであろう顔を見られたくなくて、静かに顔を背けた。

 ウォルグさんはそのまま続けて言う。


「……お前が遠征先でゴブリンキング共に襲われたあの時までは、そう思っていた」


 あの村での一件が、彼に心境の変化をもたらした……?


「お前に初めて会った時、こいつは絶対に誰にも譲らないと決めていた。だから俺はお前をパートナーにした。それはただ、お前の持つ力を必要としていたからだ」

「私の力を目当てに、ですか……」

「ああ、初めはそうだった。だが、あの日の事件でお前が襲われた後に気が付いたんだ」


 正直、打ち明けられた内容は……ショックだ。

 私の魔力と魔法の才能にしか興味が無いだなんて、まるで便利な武器扱いでもされているみたいで……。

 けれど、構わず彼は私の手を取った。

 思わず彼の方に目をやると、海よりも深い青の眼に戸惑う私の顔が映っている。


「俺は、誰かにお前を傷付けられると……その相手を殺してしまいたくなる。あのゴブリン共にお前が攫われて……それを、痛い程実感した」

「でもそれは……私と戦場に立ちたいだけだからなのではありませんか? だから貴方は、私を攫おうとした彼に殺意を抱いた。それだけの……事なのでは……」


 私にお菓子を振舞ってくれたのも、ゴブリンとの戦いで守ってくれたのも……全ては私をモノとして見ていたから。

 偏見という訳では無いけれど、ハーフエルフは戦いへの執着心が強い傾向がある。

 それは、ウォルグさんも例外ではない。

 私は今まで、彼はただ私に優しくしてくれているだけだと思っていたのに……。それは、私を手懐ける為の作戦だったのか。

 言っていて、目の奥から涙が込み上げて来た。


「貴方を信じていた私が愚かでした……!」


 握られていた手を振り払い、私はキッと彼を睨み付ける。


「学校に戻り次第、パートナーは解消させて頂きますわ!」

「待てレティシア! どうしてそういう話になるんだ!」

「そういう話でしょう!? 貴方は私を道具としか見ていないという事がよく分かりました。所詮はウォルグさんも、アルドゴール家に取り入ろうとする者達と変わりませんでしたのね……!」


 彼に泣き顔を見せるのは、私のプライドが許さなかった。

 だから目から涙が零れ落ちるより前に、私はその場から離れようとした。

 しかし、ウォルグさんがグイッと肩を掴んで引き留めてくる。


「離して下さい!」

「最後まで話を聞け!」

「聞く事なんて何もありませんわ! 貴方の顔なんて、もう二度と見たくないんです!!」

「…………っ!」


 彼の手の力が緩んだ隙に、ありったけの力で振り切った。



 皆の居る所まで逃げようとつかつかと歩いていると、騒ぎを聞き付けたらしいミーチャ達が集まっていた。


「凄い怒鳴り声が聞こえたましたけど……ウォルグ先輩と喧嘩しちゃったんですか、レティシア?」


 彼女達の後ろには、不安そうに私とウォルグさんを見るケントさんの姿もあった。

 今はもう彼にキスされかけた事なんて気にしている余裕も無くて、絶対にウォルグさんにだけは顔が見えないように、ハンカチーフを取り出して目元を拭う。


「……お気になさらず。これは私と彼の問題ですので」

「でもレティシア、泣いてるじゃないですか!」

「ウォルグが何かしたというなら、僕が彼に話を──」

「結構です。ご心配をお掛けして申し訳ありません。ですが、本当に大丈夫ですので」


 前の人生でも、今の人生でも、どうして人間関係は上手くいかないのでしょう。

 私は心配する皆の間を潜り抜け、ついさっき飛び出してきた船室に閉じ籠る。

 バタンとドアを閉めた途端、悔しさや悲しみがごちゃまぜになった感情が涙となって一気に溢れ出た。

 ドアに背を預け、私は声を押し殺しながら、そのまま泣き続けた。




 ******




「彼女に何をしたんだ、ウォルグ!」


 呆然と立ち尽くすウォルグに、僕は怒鳴った。


「レティシアがあんな風に泣く姿なんて、彼女が商会に居た頃から一度だって見た事が無かった。それなのに……どうして彼女は泣いていた!?」

「…………」

「黙っていないで訳を言えよ! どうして……どうして彼女を傷付けるような真似をしたんだ、ウォルグ!!」


 僕は何も言い返して来ないウォルグに苛立って、彼の胸倉を掴んで揺さぶった。

 彼女を心配するミーチャ、それにウィリアム達も、少し距離を置いて僕ら見守っている。


「君なら彼女を大事にしてくれると思ったから、僕は君達がパートナーになっても良いと、彼女を任せて大丈夫だと信じたんだぞ! 君は僕の大切な──親友だから……。でも、それなのにっ……!」

「その鉄仮面で、カノジョによっぽどヤバい事言ったんじゃないの? じゃなきゃ今頃部屋に閉じこもってるはずがないもんねぇ」


 ルークの言葉に、ウォルグは僅かに表情を歪めた。

 図星って事なのかよ……!

 僕は掴んでいた手を離し、間髪をいれずに固く握った拳で彼の顔を思い切り殴った。

 急に殴り掛かられたウォルグは、体勢を崩して尻餅をついた。

 戦闘狂の彼らしくない、あまりにも無様なやられ方だ。


「さっさと訳を言ったらどうなんだ? それとも、レティシアが君に何かしたとでも言いたいのかい?」


 ウォルグを見下ろす僕と、彼の目がぶつかる。

 普段の鋭い目付きが、どこか不安げに揺れている。

 けれど、それだけで彼を甘やかせる程、僕は冷静ではなかった。

 船室で別れるまでは、可愛らしく頬を染めていたレティシア。そんな彼女が、まるで別人のように冷たい表情でその目に涙を溜めていたのだ。

 ただの口喧嘩で、彼女がそこまで怒りをあらわにするとはとても思えない。

 何かとてつもない事でも言わない限りは──


「……俺は……」


 ぼそりとウォルグが呟く。


「俺は……捨てられた……」

「捨てられた……?」

「俺はもう、レティシアに……必要とされていないんだ……」

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