第3話 胸に差した光

「武器よし、食料よし、着替えよーし! そんでもって、全員チケット持ったよルーク先輩!」

「了解、リアン! さあ皆の衆、準備は良いかな?」

「「おー!!」」


 ルークさんの掛け声に、リアンさんとミーチャが元気良く応えた。



 いよいよアルマティアナへと出発する日を迎えた私達は、朝一番に馬車に乗り、マルジャノという街に到着した。

 アルマティアナは三日月型にくぼんだ地形の向かい側にある為、ぐるりと回って陸地を行くには時間が掛かってしまう。

 なので、今回は馬車での移動はここまでとして、この先は別の交通手段を使う事になったのだ。


「もー、二人以外ノリが悪くない? これからアルマティアナに行くっていうのにテンション低いよ〜?」

「ルーク先輩の言う通りですよ! ほら、レティシアもテンション上げていきましょうって!」

「ウィリアムも今日を楽しみにしてたんじゃないの?」


 遠征と旅行を兼ねた遠出。

 こういったイベント事で張り切るタイプだったのは、どうやら彼ら三人だけだったらしい。

 リアンさんに訊ねられたウィリアムさんは、至って平然とした態度で言う。


「そうだけどな……。これ、本当に安全なんだよな?」


 そう言って彼が指差したのは、十人程が乗れる大きさの船だった。

 マルジャノはそれなりに大きな街なのだけれど、アルマティアナのような観光地ではない。

 しかし、ここで有名な『空船』に乗る為に、人々が集まるのである。

 空船とは、文字通り空を飛ぶ船。

 私達は街の中心部にある空船乗り場でチケットを買い、もう間も無く空の旅に出発するのだ。

 空船は、普通の船と見た目はほぼ変わらない。

 操縦には風の魔法を増幅する道具が使われていて、それを使いこなす乗組員達は、風魔法の適性が必須とされている。


「事故件数は少ないから、そうそう船が落ちる事は無いと思うよ。僕は一度だけ乗った事があるのだけれど、普通の船とはまた違った楽しさがあるんだよね」

「男なら黙って乗れ。行くぞ」


 心配するウィリアムさんを横目に、ケントさんとウォルグさんが空船に乗り込んでいく。

 それを見たウィリアムさんは渋々といった様子で二人について行った。


「さてと……私も行きましょうか」


 中身を拡張したバッグを持ち、私も彼らに続く。


「え、待って! あたしも行くから置いていかないで〜!」

「うーん、最近の若い子ってクールな子が多いのかな」

「先輩も若いんじゃないの……?」


 バタバタしながらミーチャ達も加わり、全員が乗り込んだ。

 乗組員にチケットを渡し、しばらくして拡声魔法を通じて船長の声が聞こえてきた。


『アルマティアナ行き、出港します』


 その言葉の後、乗組員達は魔法を発動させ、船体を風の力で緩やかに浮かせていく。


「おおー! 船が浮いてる!」

「そりゃそういう乗り物だからな」


 興奮するリアンさんに、ウィリアムさんが冷静なコメントを出す。

 けれど、視界が少し高い位置になっただけなのに、私も内心胸が高鳴っていた。

 どんどん上空へと持ち上がる船は、街のどんな建物も見下ろす高さまで到達する。


「こんなに高い所まで上がるのですわね……」

「ああ、街の外までよく見えるね」


 船のデッキから景色に目を向けていると、隣にケントさんがやって来た。

 彼は眼下を眺めつつ、少し向こうではしゃいでいるミーチャ達に視線を移す。


「こうして皆で遠出が出来て、本当に良かったよ」

「ええ、私もそう思いますわ。私がアルドゴールの家を飛び出して、ケントさんに救われて……それからまさか、こんなに大勢のお友達が出来るだなんて想像もしていませんでしたから」


 あっという間に過ぎていった日々だけれど、そのどれもが色濃く記憶に刻み込まれている。

 全てが楽しかった思い出ばかりではない。

 だけど、そんな苦難や激動の日々があったからこそ、今がとても輝いて見えるのだ。

 それらの時間に思いを馳せていると、ふとケントさんがこちらに目を向けて口を開く。


「ねえ、レティシア。君は──」

「……船が着くまで、荷物を船室に置いてきたらどうかと言いに来たんだが」

「あっ、ウォルグ……」

「……話の邪魔をしたか」


 ケントさんと私に気を回したらしいウォルグさんが、少し申し訳なさそうに言う。


「いえ、大丈夫ですわよ。ケントさん。私達も一度荷物を置いてきましょう」

「あ、ああ……そうだね」


 微笑を浮かべてウォルグさんの言う通りに、船室へ向かう。

 何かケントさんが言いかけていたようだったけれど、それはまた後でお話すれば良いわよね。




 ******




「……ねえレティシア。さっきの話なのだけれど」


 ウォルグに指定された部屋についたところで、僕は思い切って訊ねてみた。

 彼女はショルダーバッグを皆の荷物も乗ったテーブルに置いて、僕の方を見上げて耳を傾けてくれている。


「はい、何でしょうか?」


 ……言ってしまって、良いのだろうか。

 この話を切り出してしまえば、僕達はもう意識せずにはいられなくなってしまう。

 それはつまり、学生らしい爽やかな友情を育む時間の終わりを告げるものである訳で。


「……レティシア。君との付き合いは、セイガフの仲間達の中では一番長かったね」

「ええ、セイガフに入学するよりも前からのお付き合いですものね。ミンクレール商会でお仕事をしながら、時折ケントさんに攻撃魔法を教わって……とても楽しく、充実した日々でしたわ」


 心の底からそう思ってくれていたのが分かる程に、柔らかく美しいレティシアの笑顔。

 僕はこんな彼女の笑顔を見て、出来る事ならこれからも彼女と一緒に過ごしていきたいと思うようになっていた。

 その願いを叶える為には……この胸に秘めてきた本心を、打ち明けるしかなくて。

 けれどもそれを暴露してしまえば、僕と同じようにレティシアに惹かれている友人達と、恋のライバルになってしまう。

 それに……。


「……僕はね、あの頃からずっと思っていた事があるんだ。でもそれを言ってしまったら、きっと……」


 僕達は、これまで通りの僕達ではいられなくなってしまうから。


それを知ってから知らずか、レティシアはこんな事を言う。


「……いつ会えなくなってしまうか、分からない世界ですから。ケントさんには、後悔してほしくありません」


 そう言って、レティシアは悲しげに微笑んだ。

 彼女の気持ちが、僕には痛い程伝わった。

 いつ会えなくなってもおかしくない。

 母さんとの別れだって、あまりにも突然だったのだから。


「……ありがとうレティシア」


 僕は彼女の手を取って、その白く滑らかな甲に、唇を落とす。


「君のお陰で、僕は大切なものを見落としていたと気付かされた。この遠征で、レティシアとの思い出を作りたい。一生君と僕の心に残るような、そんな夏にしたいんだ」

「は、はいっ、その……私もそうして頂けると、彼女の友人として嬉しいですわ」


 軽くリップ音を立てたそれに、レティシアは薄っすらと頬を染めた。

 やはり彼女は、とても愛らしい。

 そして、僕に足りないものを気付かせてくれる大恩人でもある。

 僕はそんな彼女に、感謝と尊敬を抱いていて──ぶわりと燃え上がるような恋心も自覚している。


「だけど、それだけで終わらせるつもりは無いよ」


 そっともう片方の手で、彼女の柔らかな頬に指先を滑らせる。

 するとレティシアは、顔を熟れたトマトのように赤くさせた。


 僕にドキドキしてもらえているのかな?

 ……そうだと良いなぁ。

 レティシアはとても魅力的だから、恋敵が多くて大変そうだ。

 だから、彼女の心に少しでも僕という男を刻み付けてやりたい。


「け、ケントさん……っ!?」

「僕はね、君の事も大事にしたいんだ。欲張りだと思ってくれて良い。君は僕を醜くないと言ってくれたけれど……欲深い人間であるのは、間違いなさそうだ」


 驚きを隠せない彼女に、ゆっくりと顔を近付けていく。

 彼女の深い紫色の瞳が揺れる。

 美しい宝石を埋め込んだような、吸い込まれるような魅力を持った色。

 僕が近付くと、レティシアはその分後ろに逃げていく。

 けれども、全力で嫌がっている素振りには見えなかった。彼女なら僕を魔法で吹き飛ばすぐらい簡単なはずだから。

 レティシアが一歩逃げれば、その都度僕が距離を詰める。

 それを繰り返している内に、遂に彼女は壁際にまで追い込まれた。

 彼女は耳まで真っ赤に染めて、その眼にはじわりと涙が滲んでいる。

 僕を見上げるレティシアの目には、戸惑いと恥じらいと、ほんの少しの期待を秘めたような……いや、それは僕の願望が混ざっているかもしれない。

 でも、まだ拒否を示されてはいなかった。


「ケント、さん……っ」


 上擦ったような声にすら、心が激しく掻き乱される。


「好きだよ、レティシア……僕を受け入れてくれるかい?」

「…………っ!?」


 レティシアの甘い香りが鼻腔びこうをくすぐるのを感じながら、逃げ場を失った彼女の薄桃色の唇に、僕は自身のそれを近付ける。

 心臓がうるさい程に音を刻む。

 きゅっと固く目を瞑った彼女に、どうしようもない程の愛らしさを覚えながら、僕も静かに目を閉じた。



「おーいレティシアー! ケントせんぱーい!」

「「…………!?」」


 部屋の外からリアンの声がして、僕らは大慌てで飛び退くように距離を置いた。

 ついさっきまでとは別の意味で、心音が激しい。

 すると、空いたままだったドアの外からリアンが顔を覗かせた。


「あ、居た居たー! あと三時間ぐらいでアルマティアナに着くらしいから、それまで自由時間だってさ。じゃ、それだけだから!」


 それだけ言い残して、彼はそそくさとこの場を離れていった。


「……す、すみません! 私ちょっと用事を思い出しましたので、また後程……!」


 語尾をひっくり返しながら、レティシアは早歩きで部屋を出て行ってしまった。

 一人残された僕は、数秒前まで彼女が背中を預けていた壁を向いて、ぐったりともたれかかった。


「あれは……期待しても、良いんだよね……?」


 あの時、もしもリアンが来なかったとしたら──


 彼女は僕のキスを、受け入れてくれたのだろうか。

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