第5話 追い風
あれから、誰も船室へは来なかった。
きっと皆、私をそっとしておいてくれたのだと思う。
それで丁度良かった。こんなに泣きはらした顔なんて、誰にも見せたくはなかったから。
うんと泣いて、胸が苦しくて……。
そうして一つだけ、気が付いた事があった。
どうして私は、ウォルグさんに利用されていたと知って、こんなにも辛いのか。
私は彼の事を尊敬していたし、未来の旦那様候補の一人として──恋愛対象として見ていた。
そんな彼の本音を耳にして、胸が張り裂けてしまいそうだった。
ウォルグさんと一緒に、ゴブリン達を退治した。
彼が作ったお菓子でお茶をした事は、この二年で何度もあった。
私は彼と出会う前から、ケントさんが持って来てくれたお菓子を通じて彼を感じていたのだ。
お菓子のお礼に手紙も書いた。
ケントさんはその手紙を喜んでくれていると言っていたけれど、それだって本当かは分からない。だって彼は、その返事を一度もくれなかったのだから。
それすらも、今思えばとても悲しい。
私の感謝の気持ちを、彼は受け止めてくれているのでしょうか……。
ウォルグさんはこれまで、私自身を好きだと言ってくれた事があっただろうか?
いや、一度だけ確かな言葉を口にしている。
私がゴブリンキングとシャーマンに攫われた後、『俺が見初めた女』だと。
見初めたというのは……女として?
それとも、戦闘に有利な駒として?
私はどちらの答えが欲しいのか。
そんなの、今ならもうハッキリと──
「私、彼の事を……」
その時、船が大きく揺れた。
揺れは一度ではおさまらず、俯いて泣き続けていたせいで気が付かなかったけれど、窓の外には嵐が広がっていたのだ。
強風によって煽られる船体。それをどうにかして安定させようと、船員達が魔力を操っているのが分かった。
窓を叩き付ける無数の雨粒。
一瞬の閃光の後、すぐ近くでバリバリと重い音が腹まで響いて来る。
「大雨に、雷まで……!」
急に天気が荒れたのか、甲板に出ていた皆が急いでこちらに走ってくる大勢の靴音がする。
すると、控えめにノックの音がした。
「ごめんレティシア! 外が凄い嵐なの。あたしだけで良いから、ちょっと避難させてもらっても良いかな?」
ミーチャの声だ。
私は制服のブレザーからハンカチーフを取り出して、大急ぎで目元を拭う。
「……ええ、どうぞ」
「ホントにごめんね」
ドアを開けると、雨に濡れたミーチャが申し訳なさそうに立っていた。
彼女を部屋へ招き入れている最中、通路の向かい側の部屋へ入って行く男子達の姿が見えた。
一番乗りで入るルークさんとリアンさん。それに続いて、ケントさん。
最後に、酷く
彼と、少しだけ目が合った。
それだけの事でまた涙が込み上げてきてしまいそうだったから、心に鞭を打って、私は気を引き締めて彼を見る。
「…………っ」
するとどうした事か、ウォルグさんは眉を下げて顔を背けたのだ。
あの好戦的な彼が、だ。
逃げるようにドアを閉めたウォルグさんを目の当たりにして、私は動揺する。
「どうして……」
パートナーを解消する、と言ったのは私だ。
私は彼に信頼を裏切られたと思ったから。そう感じたのは本当だった。
けれど、今の彼の表情は──まるで、独りぼっちの子供のように見えた。
「レティシア?」
「あ……いえ、何でもありませんわ。それよりもお二人共、すぐに濡れた服を着替えて下さいませ。そのままでは風邪を引いてしまいます」
「何か身体を拭ける物探さないとですね〜」
ミーチャの言葉で我にかえった私は、あえて彼の事を気にしないで済むように、彼女達の着替えの手伝いに気持ちを切り替える。
この空船のように振り回される心を落ち着けるようにして、パタンと扉を閉めた。
────────────
それからしばらくして、船員達の苦労の甲斐あって無事にアルマティアナの港へ到着した。
嵐を抜けるまでの間、ミーチャと女子トークに華を咲かせたお陰で、かなり気分を紛らわせてもらえて助かった。
男子が集まっていた部屋でも何か話し合っていたのか、船を降りてもルークさんが話を続けている。
「まだそんな事言ってるの〜? いつものキミらしくないなぁ」
「……俺の事は放っておいてくれ」
嵐のせいで到着の予定が遅れ、街に着く頃には陽が沈み掛けていた。
今日は寄り道せずに、ルークさんが予約をしておいた宿へ直行する事になる。その途中で、ルークさんがウォルグさんにちょっかいを出しているらしい。
それを彼らの後ろを歩きながら眺めていると、ケントさんがそっと肩を叩いて来た。
「レティシア、宿に着いたら時間を貰っても良いかな? あの時の事、君から詳しく話を聞いておきたいんだ」
あの時というと、やはり甲板での話だろう。
ケントさんは、ウォルグさんの長年の友人だ。そして、私の大切な先輩でもある。
きっと彼は私達の事を気にしているはずだ。とても心優しい人だから、自分の事のように傷付いているかもしれない。
「……彼にも話を聞きたかったんだけれど、何も言ってくれなくてね」
苦々しく笑うケントさんに、私は目を伏せて言う。
「分かりました。私達のせいで、皆さんにまで余計な気を遣わせてしまっていますわよね。折角の夏休みなのに、本当にごめんなさい……」
「良いんだ。君も彼も、僕らの大切な仲間だ。仲間が仲違いしたままだなんて、苦しいだけだから」
────────────
その後、到着した宿に荷物を置いてから、私とケントさんは浜辺を歩いていた。
あまり帰りが遅くならないようにとウィリアムさん達に注意されたし、すっかり太陽も沈んでしまったのでちょっとした散歩のようなものだった。
リゾート地であるアルマティアナの夜の海は、寄せては返す波の音と、無数に瞬く星々の明かりが幻想的な雰囲気を醸し出している。
「ウォルグさんにとって、私は丁度良い駒なのです。自画自賛のようで気恥ずかしいですけれど……私は防御魔法に関しては、同年代には誰にも負けない自信があります。だから彼は、そんな私をパートナーに選んだのだと……」
「君は都合の良い盾のようなものだと……そうウォルグが言ったのかい?」
柔らかな砂の上は、足を取られて少し歩き辛い。
それはまるで、今の私の心を表しているようだ。
上手く前に進みたいのに、胸の内に生まれた沼地に飲み込まれてしまいそう。
「……ウォルグはね、毎日のように君の事を話してくれるんだ。君が入学してくる前──商会で働いてもらっていた頃から、ずっと」
ケントさんは懐かしむように、穏和な語り口で声を発する。
「魔物との戦いの話だけじゃなく、今日出したお菓子は気に入ってもらえて良かったとか、今日は少し笑顔が少なかったからどうしたんだろうとか……日常の些細な事柄を話してくれたんだ」
数歩前を歩いていたケントさんが、足を止めて振り向いた。
私も、それに倣って立ち止まる。
「本当に君を道具のように思っているのなら、あんなに幸せそうに君の話をすると思うかい?」
「それは……」
ケントさんは、嘘を吐くような人ではない。
それに、確かにウォルグさんはあの時、魔法の腕前の評価以外にも話してくれていた。
彼のお菓子を美味しいと言った事を喜んでいた。
私を見ていて飽きないとも言っていた。
「ゴブリンキングに襲われた後だって、レティシアを危険に晒した自分を酷く責めていたよ。もっと俺が強ければ……もっと俺があいつの側に居てやれば良かったのにって」
私を傷付ける者は殺してしまいたくなると──そう言っていたのは、自分の所有物を取られてしまう怒りではなく、本当は私という人間を大切に想っていたから……?
その考えが脳裏に浮かんだ途端、鼻の奥がツンとした。
「……もう分かるだろう、レティシア。君に恋をしているのは、僕だけじゃない。君がウォルグに何か思う所があるのなら、すぐに誤解を解くべきだ。だけど……」
そう言って、私の腰を引き寄せるケントさん。
彼に似合わぬ強引なその仕草は、焦燥感から来るものなのか。
腰と背中に回された腕が、私を強く抱き締める。
「け、ケントさん……っ!?」
「僕は、君に想いを寄せている。二年前のあの日から、ずっとこの感情を抱えているんだ」
どうしたら良いのか戸惑う私に構わず、ケントさんは懺悔するようなか細い声で言った。
「ウォルグよりも、ウィリアムよりも……この世の誰よりも君が好きだ。君を泣かせたあいつには任せたくはない。でも、これは僕の身勝手な願いだと分かっている。だから選んで、レティシア」
「選ぶだなんて、そんなの急に……」
「嫌なら僕を突き飛ばして。そうでもされないと、このままあの時の続きをしてしまいそうなんだ……」
「…………っ!」
熱っぽく声を甘く掠れさせて、耳元でそう囁かれた。
このまま彼の気持ちを受け入れれば、きっと口付けを落とされるのだろう。
考えてなくては。
選ばなくては。
私は今、どうしたいのか──未来を選び取る時が来たのだ。
「……っ、ごめんなさい……!」
両手でケントさんの胸板を押し、彼の拘束から抜け出した。
「私、私……っ、彼に謝らなくてはなりません……! ケントさんは全然身勝手なんかじゃありません! 私の方が身勝手で、愚かな思い込みで彼にあんな顔をさせたしまった……!!」
泣きじゃくる子供のように叫ぶ。
今この時だって、ケントさんの心も傷付けてしまったというのに。
私は根っからのダメ女なのか。
だから私は、あんな馬鹿らしい死に方をしたのだろうか。
「今も脳裏に焼き付いているの……ウォルグさんの悲しげな顔が、どうしても忘れられない! 取り返しの付かない事になる前に、謝らないと……!!」
意地悪で考え無しの
それなら足掻いてもがいて、泥塗れになってでも手を伸ばし続けなければならないだろう。
それが私の、二度目の人生。
燃えるような恋をして、私だけを愛してくれる人を探す、やり直しの物語──
「……うん。それでこそ、僕が好きになった女の子だ。行っておいでレティシア」
「本当にごめんなさい……。私、貴方になんて酷い事を……」
「勘違いしないでね。僕は君を諦めた訳じゃない。でも、君の幸せを一番に想っている。それだけは、忘れないでもらえたら嬉しいな」
「はい! 絶対に、絶対に忘れません……!」
心を込めて深々と頭を下げ、私は宿への道を走り出す。
夜の浜辺を吹く風は、まるで私の背中を押してくれているようだった。
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